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希望を持つにはどうしたらいいか

10年前の2002年、村上龍さんは『希望の国のエクソダス』の中で、「この国にはなんでもある。だけど希望だけはない」と指摘しました。2012年になっても日本に希望はないようです。先日も、荻上チキさんによる『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 』という本が出版されています。
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掲示板へのコメントでも述べましたが、今の日本人にとにかく必要なのは、「希望」だと思います。国民総幸福(Gross National Happiness)も大事だけど、国民総希望(Gross National Hope)こそがさらに大事なのだと思います。では、この国民総希望をどう増やしていけばいいのか。ぜひみなさんにご意見をうかがいたい。そもそも「希望とは何か」といった抽象的な議論から、「こういうことをすると日本人はもっと希望を持てるようになるのではないか」といった具体的で建設的な提案まで、いろいろな切り口でご意見をいただければ幸いです。たくさんの書き込み、お待ちしております。

NO.11   Tomoikukai 2012/12/11 17:46:51 合計 24pt.

私は、平成元年より大田区南馬込にある善照寺というお寺で、お盆とお彼岸には、敦賀から出かけていって、お参りのお手伝いをしています。その善照寺では、ラオスのビエンチャンの近郊、バイハイ村に、小さな小学校を建てて、学用品の提供や学校の保守、修繕を長年にわたって、手助けしています。私も、2010年の3月、東南アジアの英語教育の現状を知ろうと、学用品を持って、この学校を訪ねました。その小学校には、若くて可愛い、女の校長先生がいました。学校の先生は、皆んな英語が喋られないので、英語は教えていなかったのですが、英語に対する憧れは強く、拙い私の英語にさえ、真剣に理解しようと耳を傾けてくれました。私は、今なら英語の紙芝居を持って行って、子供達に読んであげられるのにと思ってしまいます。私が読んだ紙芝居に触発されて、英語熱に火が付き、子供達が、世界中で活躍できるような大人になっていったら、と想像すると、胸がわくわくします。私は、いつの日か、再び、この学校に出かけていって、子供達と英語でおつきあいが出来るようになるよう頑張ろうと思っています。

その時、ビエンチャンのホテルまで迎えに来てくれて、バイハイの小学校に連れて行ってくれたのが、板橋区でベトナム雑貨を扱っている、ホンム・ソンパディーさんと、カナダに移住して、ラオスの発展の為にラオスとカナダを往復しながら、ボランティアをしているジャック・シューさんです。この人達には、学校を援助してやっているという雰囲気は全くなく、先生や子供達とも友達のように接していたのが、印象的でした。思えば、私が、教育において、「等高目線」を特に強く意識し始めたのは、この頃からだったように思います。この何ともいえない優しさを感じる人間関係は、私が以前、青年海外協力隊員として活動した、上下関係意識の強い、バングラデシュの人間関係とは、かなり違った雰囲気を醸し出していました。

そして、この雰囲気は、次に訪ねた、ルアンパバンではさらに強く感じることになります。このルアンパバンは、ラオスの京都とも呼ばれ、寺院が多く建ち並ぶ古都です。たった、二泊三日の滞在だったので、僧侶達の日常を詳しく窺い知ることは出来ませんでしたが、その、おおらかな立ち居振る舞いは、接するものに、幸せと、安らぎを感じさせるに十分でした。人々も穏やかで、ドロボーとかの犯罪のニュースは、絶えて無いということでした。(首都、ビエンチャンには、たまにドロボーがでるようになったそうで、経済発展は何処でも、人の心を壊してしまうようです。)私は、このルアンパバンに、協力隊のシニア隊員として来ている、大西信男氏を訪ねてやって来ました。滞在二日目、彼が勤める農業専門学校の同僚の家で、子供の誕生パーティーがあるというので、私も是非にと誘われ、喜んで招待を受けました。御馳走は日本のように華やかではありませんが、全部手作りで、ちょうど、懐かしい日本の田舎料理のようなものでした。中には、英語を喋られる人もいて、ビールを飲んで、とりとめのないことを喋りながら、本当に心の安らぐひとときを過ごすことが出来ました。ルアンパバンでは、こういうパーティーを三日にあけず、あちこちでやっているそうです。そういえば、遠い昔、お祭りや何やかやと、親戚や知人が多く集まり、大人は酒盛りをしたり、自慢話をしたり、時には、口論もあったかもしれない。子供達は、トランプや、カルタ、百人一首の坊さんめくり、最後は、はしゃぎながら家の中を走り回って、よく叱られたものです。ラオスのパーティーは、その頃の日本の人間関係を思い出させてくれるものでした。そして、その帰り、私は、パスポートや財布、その他大事なものを全部入れた小型のバッグを、椅子の背もたれに懸けたまま置き忘れて帰ったのですが、誰かが追いかけて来て、あなたが忘れたのではないかといって届けてくれました。これが、インドであったらそういうわけにはいかなかったかもしれません。(インドの皆さんゴメン。 日本でも、先日、トイレから出て、エスカレーターに乗っていたら、後ろから男の人がやって来て、私が使ったトイレに財布が置いてなかったかと、青ざめた顔で聞いてきました。その人は、財布を忘れて、すぐ取りにいったのですが、もう無かったそうです。可哀想)

私は今、Tomoiku プロジェクトとして、小さな子供達に英語の紙芝居を読んであげる準備をしています。子供達は、私が日本人だと解ると、どうしても日本語を話すように期待してしまうと思うので、日本語は理解できるけど話せない振りをしようと思っています(Shioi-Moony method Blog; englishinotera)。その為には、シンガポールのお坊さんに変装するのがいいと思って、協力隊の知り合いに黄色い衣を送ってくれるように頼んでみました。でも、なかなか手に入らないみたいで、焦ってる私は、今度は、ラオスで知り合った、あのホンム・ソンパディー さんに頼んでみようと思いました。板橋区の事務所に電話をすると、ホンムさんの奥さんが出られて、「それなら、私が、近いうちにシンガポールへ行くからその時買って来てあげる。」といって、後日、ラオスの衣を送って来てくれました。ラオスの衣(糞掃衣)は、黄色じゃなくて、朱色でした。しかし、今度は、この衣の着方が解りません。また、ソンムさんに電話して、今度は、神奈川県にある、ラオス文化センターという所を教えてもらいました。

12月5日(水)中央林間の姉の家を出て、母(87才)と二人で、厚木に向かう246を通って、ラオス文化センターへ行きました。ラオス文化センターは、愛川町にあるのですが、途中少し混んでいたせいもあって、行くのに一時間程かかりました。そこは、想像していたのとは違って、文化センターというよりは、普通の民家を改造した、小さな寺院でした。そこには、ラオス人の僧侶が三人住んでいて、そのうちの一人は、そこの住職で、20人程の僧侶を抱えるオーストラリアのブリスベンにある寺院の住職も兼ねているということでした。私は早速、ラオスの糞掃衣を着る方法を教えてくれるように頼んだのですが、住職は、私を一目見るなり、「貴方には、教えられません。なぜなら、貴方は俗人だからです。」といわれてしまいました。「でも、私も、小さいけれど、福井県にある寺の住職ですが」といってみたのですが、かれは、「日本の僧侶は、家族も持っているし、肉も食べる(肉大好き)。そういう人は、東南アジアの仏教では、俗人というのです」と言われてしまうと、返す言葉もありませんでした。それでも、私がしょげていると、「お寺の中だけで着ることを条件に、糞掃衣の着方を教えましょう」と言ってくれました。それで、とにかく、着方だけは、知ることが出来ました。

糞掃衣の着方を教わって、お礼を言って帰ろうとしている所に、二人のラオス人とおぼしき二人の婦人が入ってきました。この二人は、日本語がわかるので、私は挨拶してから、私がやって来た目的を話しました。彼女達は、この寺院の檀家さんで、月に一度、教えを聞きにやってくるそうです。住職とは、やはり、ラオスで経験した、あのフレンドリーな態度で接していて、勝手に台所に入っていって、私と母に、ラオスのコーヒーを入れてくれました。その立ち居振る舞いは、優しさのオーラが出ていて、こんな人と結婚した旦那さんは、一生幸せだろうなと思えました。(私は今幸せかって? ムム・・・)私の記憶では、ずーっと昔は、日本人にもこんな優しいオーラが出ていて、仲良し家族が多かったように思います。

神奈川から帰って、私は今、ラオスの糞掃衣を着て英語の紙芝居をすることは、諦めています。
こんな俗人が、あんなに優しいラオスの仏教をけがすことになるからです。でも、完全に諦めた訳ではありません。私たちは今、敦賀の国際交流会館で、毎週金曜日午後一時半から三時半まで  First name gatheringという英語で話す国際交流をしています。(興味があったら気軽に来てください。誰でも大歓迎です)その中に真ちゃんという人がいるのですが、その奥さんが以前、三越のオートクチュール部門で働いていて、今は、敦賀で、夢工房という小さな仕立て直しのお店を開いています。私は、こないだ、そこへラオスの糞掃衣を持ち込んで、衣風のドレスに仕立ててくれるように頼みました。奥さんは、早速、来年の初仕事としてやってくれることになりました。それを着て、先ずは赤崎小学校で初仕事!(赤崎小学校では私が日本人だと言うことは、もうバレているけど、いいさ、かまうもんか!)

そうそう、お題は、「希望を持つにはどうしたらいいか」でした。やっとこれからそのことについて書こうと思います。

先週の日曜日に、通訳ガイドの二次試験が、京都の国際会館でありました。その、面接を受けるまでの雰囲気は、まるで、受験者というよりは、受刑者のような気分でしたが、面接官は、フレンドリーな人達でその人達との会話は、楽しいものでした。その面接官の質問の中に。「日本人はよく、本音と建前があると言われますが、どういうことだか説明してください」というのがありました。私は、日頃、そのことをよく考えているので、ラッキー!と思いながら答えました。

「日本人は、昔は、本音も建前も利他的でした。建前は儒教文化から来ているので、形式的に利他的です。しかし、本音は受験勉強とかで、人と争うことばっかりやっていると、どんどん利己的になっていきます。それで今の日本人は、二つの人格を持つようになって、外国の人からは信じてもらえないようになりました」

と答えました。そう、あのラオスや神奈川のラオス文化センターで感じた、優しさのオーラは、本音からくる利他愛なのです。それに対して、日本で感じる、お金によって得られる優しさは、建前の利他愛なのです。それを見分けるには、本音の利他愛を感じることが出来るセンサーを持つことで、それは、語学の神様が子供の心に宿るように、やはり大人になる前に獲得する能力のように思えます。

私は、先の投稿で、大方の日本人は、育った環境によって本音が利己的になってしまったと書きました。そして、他人から見ると、自分自身が利己的か利他的かはよく見えるのですが、人からどういわれようと、自分が利己的であるかどうかは、なかなか見えてこないようになっていると思います。しかし、この、自分が利己的なのか、利他的なのかは、夢や希望を持つということにとっては、非常に重要な問題だと思います。つまり、利己的な人の持つ夢や希望と、利他的な人の持つ夢や希望は、全く逆の場合が多いということです。利己的な人の夢や希望を突き詰めていくと、結局豊かで贅沢三昧、ローマ帝国のネロのようになりたいと思うだろうし、利他的な人の夢はマザーテレサのように生きるということになっていくと思います。実際の生身の人間は、その狭間で揺れ動くのでしょうか?

だから、私は、結論として、既に利己的となってしまった人は、夢や希望は小さめに。小欲知足を旨として生きていってほしいし。幸いにも利他的に育った人は、夢や希望はどんどん大きくして、大欲(凡ての人を救いたいという欲)をもって、活躍していただきたいと思います。

それじゃ、社会のせいで利己的になってしまった人は浮かばれないって思うでしょうけど、利己的な人がこのままどんどん夢を追い続けたら、この泥舟日本は、あっという間に海の底に沈んでいくというのが現実の姿です。ここは、小舟をいっぱい作って、そこに幼子を乗せて、大海原に船出させてやろうじゃありませんか。私は、その子達が、世界中の人達から見守られて(利他的環境の中で)すくすくと育って、新しい日本を作ってくれることを夢見るだけで、今、希望を持って生きていけます。・・・また、死んでもいけます。