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希望を持つにはどうしたらいいか

10年前の2002年、村上龍さんは『希望の国のエクソダス』の中で、「この国にはなんでもある。だけど希望だけはない」と指摘しました。2012年になっても日本に希望はないようです。先日も、荻上チキさんによる『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 』という本が出版されています。
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掲示板へのコメントでも述べましたが、今の日本人にとにかく必要なのは、「希望」だと思います。国民総幸福(Gross National Happiness)も大事だけど、国民総希望(Gross National Hope)こそがさらに大事なのだと思います。では、この国民総希望をどう増やしていけばいいのか。ぜひみなさんにご意見をうかがいたい。そもそも「希望とは何か」といった抽象的な議論から、「こういうことをすると日本人はもっと希望を持てるようになるのではないか」といった具体的で建設的な提案まで、いろいろな切り口でご意見をいただければ幸いです。たくさんの書き込み、お待ちしております。

NO.13   orcamie 2012/12/15 19:02:27 合計 15pt.

希望も絶望も 望の字は同じなんだなと気がついて
No.7ryosuke85さんの
希望と絶望は一体性があると言うのをなるほどと感じています。

私は昨年の311の大地震による原発事故で絶望しました。
日本という国とそれを許してきた自分になんですが
それでもそこでうちひしがれるわけにはいかないので
一番私は何をしたらこの絶望を希望に変えられるかと
知らず知らずに何かを探し求め

そして去年事故後 これだけ原発を推進してきた背景に
エネルギーとして原発にたよる事がいろいろな面でメリットがあったこと。
それでは再生可能エネルギーはなぜだめなのか。
と言う事をいろいろ自分になりに調べ始めました。
それで、かなりのリスクがありながら原発を許してきた日本の政治のあり方にやっぱり失望し
その片棒を私も担いでいたのだと言う事で失望したのでした。
去年から本当にがっかりしてばかりで それでもなんとか希望のかけらがないだろうかと
一生懸命暗中模索する私がいるのです。
今からでも遅くない、再生可能エネルギー100%の国を目指すのになにが必要なのか。
反原発の政治家を私は選びたいし
多くの人に選んで欲しいと思った時に
日本の選挙の仕組みがまだまだ民主主義を実現するのに
改善すべき点がたくさんあること。
選挙で立候補するのに比例との並立に600万円の供託金が必要な事。
金持ちしか立候補できないじゃん!と怒り。
既存の政党交付金がもらえる所が有利じゃん!と怒り。
しかも現首相をリコールする方法ってないのかなって調べたら無いのですね。
今まで無関心をすごく後悔しました。
ネットで首相をリコールする方法を探していた人は
私だけではなくてかなりいましたね。
先日、テレビをつけたらたぶん阿川さんがおっしゃっていたのですが、
亡くなった政治評論家の三宅さんが、民主主義は完成させるのに
長い長い時間が掛かる。しかしそれだけ長い時間を掛けても手に入れる価値のあるものだ。
(すいません。始めからちゃんと見ないでしかもそこですぐ終わってしまったので不正確なところがあるかもしれません。)

そこで気がついたのが
どんなに絶望しても その絶望の真の姿を知る事はとても大切な事だと。
そこで、たぶんドイツの事だと思うのですが
エネルギーのような文明に必要なものはなるべく多くの人が
直接関わるような運営をしていかなければ
民主主義的な国として存続できない。
と言ったような事が話し合われていて
エネルギーの管理を、ある会社や政府に任せきりにするのは止めようということを
決めようとしているらしいのです。
こちらの記事も見失ったので正確な所をご紹介できないのですけれど。
(重ね重ねすみません。)
日本の民主主義はまだまだ未完成なんだとわかった時
少しほっとしました。
民主主義って普通選挙が実施できればいいってものじゃないんだ。
もっともっと工夫がいるんだということ。
おそらく民主主義は果てしなく続く平和と愛を構築しようとする動きであって
その仕組みは 世の中の変化に応じて 変わっていく必要がある。
とこんな具合に 私は自分の国に対して思い始めています。

前回の投稿でポイントいれていただきありがとうございます。
茂木さんにも褒めていただきうれしくなりながら
次にここに書き込むのは少し勇気が要りますね。
また前回紹介した語学学習サイトのbusuu.comは
どちらかというと語学学習コミュニテイという感じです。
毎日いろんな国の人とチャットやらメールのやり取りが可能です。
それでナンパするひともいるので気をつけてください。
今日私はドイツの人とチャットをしましたが
彼女が 日本人は本当に勤勉だと褒めてくれたので私は素直にうれしかった。
ドイツの人も働き者ではないですか。と返事をしたら、
彼女はみんながそうではない。でも多くの人がそうありたいと努力していると
返事が帰って来ました。
こういう謙虚さって大事だよなと思いました。

そして『死』についてですが
私はがんを患い認知症になり亡くなった父を介護して
かなり死というものに絶望していたので
「人間らしい死」(シャーウン・ヌーランド)という本を読みました。
始めは 人間らしい死=安らかな死 を期待して読んだのですが
これがまた、大変読むのが苦痛の本で結局全部読むのに1年かかりました。
ガンや心臓病、認知症など人間が死に到る病の実際の症例をもとに病状を交えながら
どのように死をその人が迎えたのかと言う事が書かれています。
1度読んでから気になる度に何回も開いて読み直しています。
作者は医師であるので非常に冷静な目で書かれています。
そこで私が悟ったのは 安らかな死を迎える人は
大変幸運な人だという事です。
死を前にした時に人間は1匹の動物として立ち向かうしかなく
そこには医療なんて 大変ちっぽけな存在だという事です。
ただ、死を迎えるとき人間は動物になるのだ。
と思ったとき何となく納得している自分がいました。
地球をさんざん汚して勝手に使い放題の人間も
最後は動物に戻っていなくなるのはある種の恩恵かもしれない。
と私の勝手な哲学は悟りました。
だから安らかに死ぬと言う事はそれほど大きな問題ではないのかもしれないということ。
できれば死ぬ時は楽に死にたいと思う気持ちは捨てがたいです。本音です。
どんなに苦しくても死は必ずやってきて無になる事ができるし
その苦しみも終わる。生きている間は苦しくても最後までじたばた生きよう。

それからもうひとつ。
茂木さんが今赤毛のアンを紹介してくださっているので
実は「赤毛のアン」は私にとっても愛読書であり
今も本棚の一番上の棚に全巻村岡花子さん訳で飾ってあります。
私はきっと何回もこの本を読んでいます。
それで思い出したのが確か原本を買ったのにどこに行ったろうか
と言う事で押し入れのを整理したら「Anne of Green Gables」をみつけました。私も原本を読みたいと思いつつ途中で投げ出してしまったのを今またよんでいます。気がつくと私は女性を主人公にした物語が好きです。自分も女性ですので。若草物語にあしながおじさん、ヒルクレストの娘たち。モンゴメリの丘の上のジェーンやエミリーシリーズも大好きです。
物語を読むと主人公が絶望したりした時にどう次に行動したかが
書かれています。
客観的に絶望の正体を見る事ができるような気がします。
絶望にしろ、希望にしろ その真実の姿を見極めることが
大事だなと感じています。