日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
自己について語る自己がない、個人という感覚がない状態って?という問いかけに対して、言及してくださった方々、ありがとうございます。
少しイメージが膨らみました。
組織や共同体にすっかり埋め込まれていることに違和感を感じず、十分に自分らしく生きていると感じるような状態かなぁ、と漠然と思いました。
No.22のお話、身体の感覚統合が困難な方のことかな、と思いながら読みました。興味深いですね。多くの人が自然に習得する身体の感覚。
たとえば、多くの人が、身体の感覚を統合することができなかったら、そういう人たちに都合のいいような社会システムが出来上がったのでしょうか?そして、知らず知らずのうちに、身体の感覚統合ができる人たちが特別な存在、生きにくい社会ができあがったのでしょうか?
同じように、明治維新前は、組織や共同体に埋め込まれていても特に違和感を感じずにいられた社会が出来上がっていたけれど、明治維新以降作り上げた社会は、一人一人に、物語る自己を持つことを要求する社会だった、とも考えられるのかなぁと思いました。
我ながらくどい考え方だと思うのですが、皆さんの投稿を読むことで、個人として強くなる、独立自尊の人、という言葉が示すイメージがやっと出来てきた段階に来られたように思います。