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日本の様々なローカルな文化を世界に伝える効果的なアイデアとは?

お正月に初めて箱根駅伝を見て、「非常に日本のローカルな文化だけども、とても面白い」と思いました。「襷をつなぐ」という精神から、「山の神」といった呼称まで、日本人である私達の心をしっかり捉える作りになっている。でも、僕が同時に考えたのは、「これは世界で通用する」ということでした。

グローバル化とは、世界が均一になることではありません。むしろローカルなものがグローバルに結びつくことを意味するので、ローカルなものの価値が上がる傾向にあります。日本人はそのことについてあまり意識的でないように思います。

今回の掲示板では、駅伝に限らず、日本のローカルな文化だけれども素晴らしいものを、どうすればグローバルに伝えていくことができるのか、みなさんからのアイデアを募集したいと思います。

国家が絡むような大きなアイデアでも良いですし、一人一人ができる身近なアイデアでも結構です。みなさんで知恵を出し合いましょう。

NO.11   Tomoikukai 2013/01/12 17:05:26 合計 14pt.

大阪の高校で、また、極めて今日の日本的な事件が発生しました。私が、儒教の形骸化と呼ぶ人間関係の不具合の典型です。バスケット部の顧問の教師は、部員を自分の支配下においているという認識を持っていたものと思われ、部全体のことを思った自分の意志は、暴力で強制しても、正当性は確保されると感じていたのでしょう。これは、明治以降、教育勅語や軍人勅諭で洗脳された、「上には逆らえない」という精神構造が端的に現れている事例だと思います。これは、日本人同士の人間関係には、強弱の違いはあれ、あらゆる場面で観察することが出来ます。親子、男女、上司下司(下司は、私の造語。でも、何で、上司はあって下司はないんだろう?)、先生生徒、サービスする側される側、外国人との関係でも、白人は上だし、黒人やアジア人は下。まだまだ上下関係に関する例はつきませんが、そうそう、年齢の違いや、先輩後輩もそう。これらの上下関係は、理屈抜きに、社会通念として日本人の大方の人に受け入れられてしまっているようです。例としてあげれば、日本人の会話には、尊敬語や謙譲語がもっぱら活躍し、多くの人が、日本語に敬語があることを誇りに思っている(ちなみに、昔から商人の町だった敦賀弁には、敬語がほとんど無く、私は、京都での予備校時代は、目上の人と話すことが、全くできなかった。)。方や、この上下関係に心から従う教えというか、躾は、戦後は特に、教育することは望まれなかったし、ほとんどの人は、憲法や、法律との矛盾を避けて、手つかずのままで放置してしまった。結果、子供達の心には、少なくとも、内面では、上から目線を受け入れる精神土壌は、現在、ほぼ、無くなってしまったと断言してもいいと思います。ひらたくいえば、昔は、ちょっとキツく説教すれば皆んないうことを聞いたけれど、いまは、会社を辞めてしまうか、自殺してしまう。件の、高校生は、暴力を受けたのが、原因というよりは、精神的に追いつめられたことが自殺の真の原因だと思われます。

これら、「上には逆らえん」「上からもの言われると反対できない」「上から目線には耐えるしかない」といった日本の文化は、戦後の一時期反省されて、民主化を求める気分が巷にあふれていました。私の小学校の頃の先生の中には、「例え、先生にでも、たたかれたら、正当防衛だから思いっきり仕返しする権利が貴方達にはあります」とまで、言い切った方もおられました。私なんかは、私より体格のいい悪ガキ三人して襲われた時にでも、人目も気にせず泣きながら刃向かっていったものです。この気骨は大人になっても変わらず、今でも上から目線の人間が、ちょっと上からものを言ったら、その人が、いくら地位が高くても、理不尽なことだったら、黙って見過ごすようなことは、決して、しません。当然、気位の高い人からは、嫌われまくりです。私は、そんな戦後の、戦う民主主義の申し子のようなものだと思っているのですが、そんな空気が変わり始めて、以前の全体主義に戻り始めたのは、偏差値依存教育が、どんどん進行して、点数やお金で人の値打ち(即ち、上下)を計ることに慣れていったことと大いに関係があるように思います。そして、今や、多くの人が、人より少しでも点数や資格、学歴を身につけて、人を支配しようとしているように見えます。件の、バスケットボール部の顧問は、色んな資格を身につけてやっとその地位に辿り着き、思うままに部員を支配していたのでしょう。高校野球の監督も、三日やったらやめられないというのも、人を支配することの心地よさを表現したものではないでしょうか。

ここ数日、この事件に対するツイートや解説が出る中で、元巨人の桑田選手によるコメントが、ことの本質を見事についているように思います。即ち、「「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか?スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。」私はこれには、異論があります。何処だって?・・・へへっ 「スポーツで」ていうとこ。明らかに、「人間として」です。

絶対に仕返しをされない状況で、上下関係関係の構図を基に起こる暴力は(言葉の暴力も含めて)人間として恥ずべき卑怯な行為です。

これが今、日本で、ローカルな文化として起こっている「がん細胞」なのだと思います。これこそが、日本人同士の人間関係を苛んでいる病理の本質だと私は思っています。「上官の命は、朕の命令と心得よ」軍人勅諭の亡霊は、今や、偏差値依存学歴社会、即ち、官僚支配国家として、マニュアル(憲法、法律を含む)を武器として自由な発想を閉め出し、人々を何処までも管理し支配しようとしている。(誰も意識していないのでしょうが、構図としてインプットされてしまって、それに従わざるを得ないような心理状態が多くの人々に蔓延してしまっている)

そんな中で、日本のローカルな文化を世界に発信することは、まだまだ時期尚早なのではないかと思います。勿論、形や形式は伝えることは可能でしょうが、それに伴う、「心」は、伝えられません。今や、オリンピックの柔道は、とても武道とは呼べないでしょう?ここは、先ず、日本の病理にメスを入れて、大胆に世の中を改造し、それから、本物の日本の文化を心の面からも復活させて、そして、いわずと知れた、それらを表現できる英語能力を手に入れてと、長い目で見た戦略を日本の復活と絡めながら実現していくのが、望ましいのではないかと思われます。

しかし、この「がん細胞」をどうにかしてやっつける方法は無いのでしょうか?私は免疫療法もあるのではないかと思っています。つまり、「やられたらやり返せ」式の下克上を認めてやれば、上司も下手に手出しは出来ないと思うのです。バスケ部も一人で無理ならチームワークでやっつけてしまえばいいとも思うのですが、まあ、今の日本では、殆どの人から顰蹙を買うのがオチでしょう・・・困った困った・・・というようなことを考えている時に、NHKワールドを見ていたら、ニュースの中で William H Saitoさんがインタビューされてて、Saitoさんの本「ザ・チーム(日本の一番大きな問題を解く)」の内容を紹介されていました。・・・なんかこれ、ボクのもやもやした頭の中にはっきりした像が描けそうな・・・ということで、今から本屋さんに言って来まあ〜す。