日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
「日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?」
初めての投稿です。
読みにくい部分が有るかもしれません。ご容赦下さい。
「自立」をどのような定義と結果で評価するかに寄っても、意味が変わって来ます。
私は、自立とは「自分の位置」と「進んでいる方向」を個人が自覚しているかどうかの問題に始まると思います。今、自分がどこに居るのか? どこに行こうとしているのか? これを自覚するには、状況と状態を個人が判断し、「自分は、今ここに居て、こっちに進んでいる」と結論付けなければなりません。世界観で言えば、大河の一滴が己の位置と流れを自覚するのは、とても難しいように思えます。
自立とは、自分の位置を自分で判断し、どの方向に進むのかを自分で決める事だと考えます。
判断と決定に至までには、常に多くの情報を自分で整理し、自分の進む先を推測する必要が有ります。
時代と社会と言う条件に関わりながら、これらを自分で判断実行する事は、物事や自然、人などとの「距離感」を重んじる日本人にとって、決して得意な事では無いと感じます。
まずは「己の位置に旗を立てる」行為が重要でしょう。これには、教育を含め多くの時間が必要です。DNAが何度か書き変わるほどの時間と多くのエネルギーを注がなければなりません。
海水で芋を洗い初めたのは「小猿」です。決して大人の猿ではありません。