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体罰に効果はあるのか

バスケットボール部の体罰事件に関連して、橋下徹さんは「事件を起こした高校の入試を中止にしたほうがいい」とおっしゃって波紋が広がっています。この橋下徹さんの主張する「入試の中止」は、まさに劇薬です。

実は、かつて同じことをして大成功した例があります。大学紛争時の「東大入試の中止」ですね。当時の文部省が主導して、「見せしめ」として東大の入試だけを中止にしたのですが、これは効果抜群でした。入試の中止は、学校にとってみれば、いわば「死刑宣告」のようなものです。だからこそ改革を成し遂げるための一番の特効薬でもある。ある意味では、橋下さんが施行してきたマネジメントスタイルの究極の姿とも言えるでしょう。

ただし、一方では、これは学校に対する「体罰」とも言えます。体罰というのは、自主的に改革を促すのではなくて、人に対して何かを強制することです。それが、教育の現場、あるいはマネジメントの現場ではたして許されるのか。許されたとしてどの程度許されるのか。これは普遍的な問題です。

僕は今回の件については、体罰を防止するための施策が皮肉にも体罰的なものであるところをどう考えるかがもっとも重要な論点だと考えています。同じような構造になってしまっている問題は、他にもたくさんあると思います。体罰的な行為に、本当に意味があるのかどうか。もし意味があるとして、それはどこまで許されるものなのか。ぜひ皆さんにご意見を伺えたらと思います。

NO.6   Tomoikukai 2013/01/24 16:47:33 合計 27pt.

前回の「日本の様々なローカルな文化を世界に伝える効果的なアイデアとは?」
というテーマに対して、私は、今、ローカルな文化の背景に横たわる日本の一番大きな問題に目をつぶったまま、日本の文化を世界に伝える事は次期尚早じゃないのかと疑問を提示させていただきました。しかし、多分、説明の仕方が悪かったのか、あまり理解を得られたというような気がしていないので、今回、また、「日本の一番大きな問題を解く」という見地から、大阪、桜宮高校の事件を考えてみたいと思います。

今回のテーマは「体罰に効果はあるのか」となっていますが、私は、この事件を問題にする時、体罰の是非を論じても、事の本質を見逃してしまうように思えるので、この投稿では、この事件が起こった背景と、その事件に対する橋下市長の下した判断と措置を考えてみようと思います。

桜宮高校の事件で、その後明らかになったように、顧問の先生は、彼が指示した事が出来ないという理由で、亡くなった生徒に対して、集中的に、体罰や怒声を浴びせていたようです。これは、日本人の集団にありがちな、トップを完全に配下に置く事によって、全体を支配するという、一見効果的な方法です。これが、昔の日本の軍隊なら、キャップテンから、更に下位へと暴力での支配が続きます。各地の野球部で、先輩が後輩に暴力を振るう事件が多発するのはこの構図なのでしょう。そして、これらに共通するのが、彼の桑田選手が述べた、「絶対に仕返しできないという上下関係の構図」なのです。そして、その構図の中では、体罰であろうが、他の手法であろうが、例え、下位と目されるものが、自分の意見を持っていたとしても(持っているに決まっている)、ほぼすべてが圧殺される事になってしまう、つまりは、その人の人格が否定されてしまうという事になります。これを、昔の人は、むしろ、評価して「滅私奉公」と名付けました。・・・そう、反論を許さず、コミュニケーションのとれない日本の上下関係の構図は、正に、「滅私奉公」の関係になってしまっているのです。

この、トップを完全に支配下において、グループ全体を掌握するというやり方は、日本では実に一般的に行われています。特に政治の世界では、省庁の責任者を怒鳴りつけて、周りに自分の優位を見せつけ、自分の都合の良いように政策を実行させるという、桜宮高校バスケット部を思わせる手法は、数年前まではあたりまえのことだったのでしょう。原発事故の時、事故対策の大臣が、遅刻して来た知事を叱りつけて、自分の威光を見せつけようとして、一般の不興を買い、結局、辞任に追い込まれたことは、大臣級の方にもまだまだ、旧態依然の政治感覚を持っている人がいるのだという事を印象づけました。鈴木宗男さん、亀井静香さん・・・そして、愛すべき、田中眞紀子さん。省庁のトップを怒鳴りつけて自分がいかにも偉い人間だと、周りに思わせる手法で、一時は、総理大臣候補とまでいわれた人、小泉純一郎さんより上だとアピールしようとして、これは結局、最終的にはメッキがはがれて、国民に受け入れられず、今回の選挙では、とうとう撃沈してしまいました。今、行政の世界では、政治(家)主導か官僚主導かという綱引きがなされているように見えますが、「政治(家)主導」は、どうもいけないようです。どっちにしても、下位のものに滅私奉公を強制する話になってしまいます。

それならば、ここは、国民の「知恵」を総動員して、得られた民意を基とした民主主義本来の「政治主導」の道を新たに作らなければならないと思います。年末の総選挙では、新生(であってほしい)自民が勝利し、旧態依然たる政治勢力の力が弱まったと思えるので、自民党の若手が、維新の会やみんなの党、民主党の一部ともチームを組んで、エンジンの役割を担い、国民の知恵を集約する方法論を確立し、その上で、政治改革を早急に完成させなければならないと思いますし、また、絶好のチャンスでもあると思います。

鍵は、権威付けの為に、威張ったり、怒鳴ったりして上下関係を思い知らせながら、組織を支配するという、桜宮高校のバスケット部に見られたようなやり方をどう変えられるか? William H Saito が大きな役割を果たしてくれるような気がします。・・・「ザ・チーム(日本の一番大きな問題を解く)」・・・ネッ

Saito さんは、日本にはチームがなく、日本の組織は、ボスが支配するグループばかりだという。それでは、チームとグループでは何処が違うのでしょうか?私は、次の二つの点が大きく違うと思います。

一つは「チームではリーダーとフォロワーの違いがあるものの、個々人が   対等な人間関係であるが、グループはボスを頂点に上意下達の組織になっているという点」

二つ目は、「チームでは、本音で自分の弱点を話題にする事ができ、お互い             に弱点をカバーし合う事が出来る。つまりは、確固たる信頼関係が築けるのに 対して、グループでは、人に弱みは見せられない。つまり、信頼関係は建前だけという点」

という事であろうと思います。これを纏めていうならば、

「日本には、正しい意味でチームは見当たらず、殆どの組織は、絶対に仕返しをされないという上下関係の構図の上に成り立っている。」

どうでしょう、こう考えてくると、桜宮高校で起こった事件の問題の本質が、体罰の是非にあるのではなくて、日本の、あくまでも、今日のローカルな文化に由来するという事が見えてくるのではないでしょうか。そして、この、今日の日本のローカルな文化というのが、「絶対に仕返しをされないという上下関係の構図」、つまり、私がいうところの「形骸化した儒教」なのです。

今の日本は、殆どの組織が、この、「絶対に仕返しをされない上下関係の構図」で動いているようです。政治の世界は、先に挙げた事でも解るように、親分子分の関係で成り立っているようなものだし、他に、それが障害となって機能不全に陥っている例を挙げると、

日本の学校に英語を教えに来ている外国人の先生は、皆さんご存知のようにALT(Assistant Language Teacher)と呼ばれてて、正式の英語教諭のアシスタントという位置づけです。日本人の英語の教諭はALTの上司となります。だから、ALTは英語教諭の指示や命令を受けて、授業の補助をするという役割を担います。ところが、今日、どうしても子供が身につけなければならないという英語を話す能力となると、外国人教師はプロ級(当然)なのに、日本の先生は、よくてむこうの小学生レベルくらいで、年を取った先生になると、コミュニケーション能力は、ゼロに近いと言っていいくらいです。これでは、日本人の先生が、ALTを主導してコミュニカチヴな英語の授業を成り立たせるなんて事は不可能に近いと思います。実際ALTの何人かに聞いてみると、受験に関わるシビアな授業になると、ALTの人達は、教員室に残って、授業に出なくていいといわれる事がしばしばだそうです。それでいて、日本人の先生が、ALTに対してする評価は、「あの人達は、日本に遊びに来ているのだろうか、何も役に立っていないのに高い給料をもらっているらしい」・・・だそうです。

方や、会社や大学の組織では、社長や重役、教授といった、ヒエラルキーのトップやトップに近い人達は多分、英語のコミュニケーション能力や、ICTの素養は全然ダメという人も多いと思われますが、それで、本当に、彼らが先頭に立って、外国との取引や、学会の交流が出来るものなのでしょうか? それとも日本のトップの人たちは、ただ威張っているだけで、実質的な事は皆んな部下に任せているのでしょうか? 巷の評価は、「あの人達は会社や学校に遊びに来ているのだろうか、何も役に立っていないのに、とんでもない高い給料をもらっているらしい」・・・だそうです・・・ネッ茂木さん

日本のあらゆる組織には、このような風景が、多かれ少なかれ存在するのではないでしょうか。そして、それらのシステムが長く続いた結果、現在の日本のローカルな文化はガラパゴス化してこういう結果になってしまっています。


http://diamond.jp/articles/-/30674

それでは、この、「絶対に仕返しをされないという上下関係の構図」からぬけ出して、「日本の一番大きな問題を解く」には一体どうすれば良いのでしょうか? それを、William H Saitoは、日本の組織のあり方を、上意下達のグループから、リーダーとフォロワーからなるチームという仲間組織に変革する事だと提言し、実際、ご自身でもそういう組織を立ち上げられているようです。

では、先ほど上げた、機能不全の例がチームになるとどうなるか?

まず、日本人の英語の先生は、自分の弱点が英語である事を白状する。本当は、ちょっと英語がわかる人には、バレバレなのだけれど、生徒達の前で正直に白状すれば、ALTがその弱点を補う形の授業が考えられるし、ALTの方は、始めから、教授法は素人だと白状しているので、日本の先生は、そこの所を補ってあげられるかもしれない。ともかく、チームとして子供達が英語を話す能力を身につけるという課題を解決しようと一丸となれば、新たな授業のやり方もどんどん開発できるような気がする。

そして、会社や大学をチームにするのはWilliamさんの得意とする所でしょうし、茂木さんなんかにもSonny の研究所あたりでWilliamさんと同じチームの一員となって、お互いの弱点をさらけ出して、協力して、日本全体を世界の一員となれるTeam Japanに変える青写真を作ってくださるようお願いします。

ここまで、桜宮高校の事件の背景と、それに対して、我々は今後どのような方向に進むべきかを考えて来ましたが、次に、今回の第二のテーマ、「今回の桜宮高校の事件に対して橋下大阪市長の下した判断と措置」をどう考えるかに移ります。

これは、先の、大津の中学校で起きた、イジメによる自殺事件の対処の仕方と比較すると、今回の判断と措置は、正に望ましい判断であり、措置だったと思います。つまり、大津の事件では、マスコミに主導されて、事件を分析する事無く、烏合の衆のごとく、センセーショナルに悪者探しをしてしまった。そして、そのパニックのような世間の反応に狼狽したかのようにイジメの遠因(あるいは真の原因?)であると思える政府による管理強化が更になされるようになってしまったという事だと思うのです。これら一連の事件への対処の仕方により、想像の域は出ませんが、まだまだ、精神的犠牲者も含め、後遺症は続いていると思われます。全国の学校教育にも、益々管理教育が強化されるという形で、最悪の結果となった対処の仕方だったと思います。

それに対し、今回の橋下市長の対処の仕方は、体罰という事を表向きは問題にしながらも、真の問題の所在を、体罰を行った個人にではなく、クラブや学校の運営のシステムにあると判断し、そこにメスを当てる事によって、古い体質を変える試みをされているように思います。これは、私が今まで述べて来た、「絶対に仕返しの出来ないという上下関係の構図」を変えてやろうと決意されたのだと思います。そういう目で見ると、他の体育会系のクラブの部長さん達が、橋下市長に今まで通りのやり方で続けさせてほしいと訴えたのは、生徒達が、市長に対して、反論が出来るという道が開けた事であり、桜宮高校の学校としての組織の変革の方向が、チームを目指したものである事が推測されて、私としては、明るい光が感じられてなりません。

然し乍ら、生徒達が市長に訴えた内容は、今まで通り、「絶対に仕返しできないという上下関係の構図」のそのままの維持であり、それは、それまで、その構図の中で我慢し続ける事に適応するように洗脳され続けて来た事を意味するものだと思います。・・・そんな事を考えると、この子達が本当に可哀想になります。・・・いやいやいや、そうではない。つまり、本当は、この事こそが日本の一番大きな問題を解決する大事な大事な大事な鍵なのです。「洗脳!」。我々は気付き始めています、我々は、我々自身が作り上げてしまった、絶妙な「洗脳マシーン」で洗脳され続けていると・・・つづく