体罰に効果はあるのか
実は、かつて同じことをして大成功した例があります。大学紛争時の「東大入試の中止」ですね。当時の文部省が主導して、「見せしめ」として東大の入試だけを中止にしたのですが、これは効果抜群でした。入試の中止は、学校にとってみれば、いわば「死刑宣告」のようなものです。だからこそ改革を成し遂げるための一番の特効薬でもある。ある意味では、橋下さんが施行してきたマネジメントスタイルの究極の姿とも言えるでしょう。
ただし、一方では、これは学校に対する「体罰」とも言えます。体罰というのは、自主的に改革を促すのではなくて、人に対して何かを強制することです。それが、教育の現場、あるいはマネジメントの現場ではたして許されるのか。許されたとしてどの程度許されるのか。これは普遍的な問題です。
僕は今回の件については、体罰を防止するための施策が皮肉にも体罰的なものであるところをどう考えるかがもっとも重要な論点だと考えています。同じような構造になってしまっている問題は、他にもたくさんあると思います。体罰的な行為に、本当に意味があるのかどうか。もし意味があるとして、それはどこまで許されるものなのか。ぜひ皆さんにご意見を伺えたらと思います。
私は、体罰の本質は、本当に分からない。
身体に痛みを感じさせる教育とは、いったい何なのでしょうか?
その本質は、正直、体罰経験があっても、理解は出来ない。
しかし、一つのお話なのですが、年始に地域の自治会の役員さんや政治家さんがたくさん集まる
新年会にお邪魔させて頂いた時に、私は、たまたま(笑)80歳以上のおじいちゃまの前に
座っていたんですね。
ちょうど、体罰のニュースがあった頃で、おじいちゃま達に「皆さんの頃は、本当に体罰と
言うのは、日常茶飯事(笑)だったかと思われるのですが(笑)、現代の体罰をどう思いますか?」
と質問させて頂いたら、その二人のおじいちゃまは、声を揃えて、こういうんです。
「今の先生は、子どもを見ていない。子どもの性格を見ていない。僕たちの頃、
叩かれたりする子どもは、決まって、「「叩かれても、平気な子。ひどく落ち込まない精神の
強い子を先生は、「「分かっていて」」、みんなも「分かっていて」」叩く。
見せしめのために叩く。軍隊帰りの先生は、怖かった(笑)歯を食いしばれ!ってすぐ
言うからね(笑)」とお話してくださいました。
そして、その後も、おじいちゃま達が「叩かれた子どもは、本当は、裏では、先生に一番、
可愛がられていたりした。ちゃんと褒めたり、期待しているが故、才能がある故に
怒っている等、裏で必ずフォローしている。今の先生は、やりっぱなし、フォローもない。
そうだろうね。いつも先生達が見ているのは、生徒ではなく、テストの答案なのだものね。
下を向いて、採点しているイメージしか思い浮かばない。そういう先生に子どもを理解する
余裕も時間も無い時代なのは、分かるけどもね。。。」とおっしゃってました。。。
makimakoさんの内容にとても共感したのですが、
「人と人との関係性、信頼関係、またその他のいろいろな状況によって、物事の捉え方や取り方は、全く変わってくるのではないかと考えます。」」
ここの部分、とても共感しました!!今回の体罰の問題も、自殺に追い込まれた本当の理由には、まったく先生と生徒の間に
信頼関係が結ばれていないと言うことは、考えられると思いました。
本当に最近、思うのは、何でも一方通行。。。先生は、死なせようと思って体罰していないとしても、
相手は、死んでいる。。。
伝わっていない。。。本当に情けないぐらい伝わっていない。。。
もっと、自分の事ばかりでなく、お互いを理解する心、相手の事を考える思いやり、持ちたいものです。。。
信頼関係。。。本当に大事ですよね(><)。。。
教師の問題、教育機関の問題ではなく、人間そのものの問題かと。。。
罰を与えることをただ、みんなが連鎖反応のようにぐるぐると行う事で、
一体、何が生まれるのでしょうか??
罰することは、「良くない」と言う事の提言のみかと。。。
その後は、どうするのでしょうか?余計に多くの学校は、いじめも体罰も悪い事だから、
隠したり、バレないように工夫するのではないでしょうか。
先生が生徒に罰を与えたので、学校が先生に罰を与え、市が学校に罰を与え、
市は、国から罰を与えられ、国は、世界から罰を与えられるという。。。
行き着くとこは、何でしょうか??
小さい事が、やっぱりどんどん大きい事になっていく。。。
面白い時代ですね(><)。。。
本当に理由なき、結論で無責任ですが、罰すること自体には、本質は、無いと考えます。
本質は、もっと、他のところに。。。あると。。。だけ、思ってます(笑)。駄目だこりゃ(笑)。