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体罰に効果はあるのか

バスケットボール部の体罰事件に関連して、橋下徹さんは「事件を起こした高校の入試を中止にしたほうがいい」とおっしゃって波紋が広がっています。この橋下徹さんの主張する「入試の中止」は、まさに劇薬です。

実は、かつて同じことをして大成功した例があります。大学紛争時の「東大入試の中止」ですね。当時の文部省が主導して、「見せしめ」として東大の入試だけを中止にしたのですが、これは効果抜群でした。入試の中止は、学校にとってみれば、いわば「死刑宣告」のようなものです。だからこそ改革を成し遂げるための一番の特効薬でもある。ある意味では、橋下さんが施行してきたマネジメントスタイルの究極の姿とも言えるでしょう。

ただし、一方では、これは学校に対する「体罰」とも言えます。体罰というのは、自主的に改革を促すのではなくて、人に対して何かを強制することです。それが、教育の現場、あるいはマネジメントの現場ではたして許されるのか。許されたとしてどの程度許されるのか。これは普遍的な問題です。

僕は今回の件については、体罰を防止するための施策が皮肉にも体罰的なものであるところをどう考えるかがもっとも重要な論点だと考えています。同じような構造になってしまっている問題は、他にもたくさんあると思います。体罰的な行為に、本当に意味があるのかどうか。もし意味があるとして、それはどこまで許されるものなのか。ぜひ皆さんにご意見を伺えたらと思います。

NO.9   dapette 2013/01/26 00:15:50 合計 27pt.

私は体罰行う目的とは更生させることであると考えます.
私の体験として中学生の頃に軽い気持ちで万引きをしたことがあり、それが学校にばれて,母親が呼び出されました.そして泣きながら私を平手で打ちました.これが体罰といえるかは分からないですが,私は母親の気持ちがすごく伝わり,二度とするまいと心に決めました.
逆に,嫌いな体育教師に生活指導として殴られたのは、本当に嫌で反発心しか残りませんでした.基本的に体罰とは強制的に人を動かすという側面があり,本人に何が悪くて,何をすべきか考える機会を奪ってしまうことにつながることが多々あると思います.場合によっては今回の桜宮高校の生徒の様な例にもつながる恐れがあります.体罰とは人が人に対して行うものであり,人と人とが関わっている以上様々な要因によってその体罰の効果は変わってきます.体罰もコミュニケーションの問題であり,人とどのように向き合うかを考えていないとたんなる野蛮な暴力でしかないと思いました。