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体罰に効果はあるのか

バスケットボール部の体罰事件に関連して、橋下徹さんは「事件を起こした高校の入試を中止にしたほうがいい」とおっしゃって波紋が広がっています。この橋下徹さんの主張する「入試の中止」は、まさに劇薬です。

実は、かつて同じことをして大成功した例があります。大学紛争時の「東大入試の中止」ですね。当時の文部省が主導して、「見せしめ」として東大の入試だけを中止にしたのですが、これは効果抜群でした。入試の中止は、学校にとってみれば、いわば「死刑宣告」のようなものです。だからこそ改革を成し遂げるための一番の特効薬でもある。ある意味では、橋下さんが施行してきたマネジメントスタイルの究極の姿とも言えるでしょう。

ただし、一方では、これは学校に対する「体罰」とも言えます。体罰というのは、自主的に改革を促すのではなくて、人に対して何かを強制することです。それが、教育の現場、あるいはマネジメントの現場ではたして許されるのか。許されたとしてどの程度許されるのか。これは普遍的な問題です。

僕は今回の件については、体罰を防止するための施策が皮肉にも体罰的なものであるところをどう考えるかがもっとも重要な論点だと考えています。同じような構造になってしまっている問題は、他にもたくさんあると思います。体罰的な行為に、本当に意味があるのかどうか。もし意味があるとして、それはどこまで許されるものなのか。ぜひ皆さんにご意見を伺えたらと思います。

NO.27   makimako 2013/02/01 12:34:19 合計 13pt.

no24のtomoikukaiさんの投稿を読みながら、今日の朝、通勤の車の中で考えていた事があります。最近の日本について。原発の事、そして、瓦礫処理のこと、この前の選挙、そして、この体罰の件。最近、これで大丈夫か?日本、と、思う事がありながらも、自分自身が、何かの行動ができているわけではない。物事には、賛否両論があるし、どちらが絶対に正しいという事はないのかもしれない。また、一概に、すべてを善か悪かで決められるわけではないとも思う。しかし、今は、これはおかしいではないかということが、普通に行われ、そして、そのことに疑問を思わず過ごしている人もいるし、おかしいと思っているが、思っているだけの人もたくさんいるだろう。また、おかしいから何かしようと思っても社会的立場やまわりの人間の事を考えると実際に行動をおこしづらい人もいるだろう。そういう人たちが大半以上なのかもしれない。そして、それが、まあしょうがないかで、おかしいと思われていた事が、意識の中から薄れ、日常の生活に奔放される。

だからこそ、今回のその体罰事件も、おかしいと思った人たちはたくさんいたであろう。しかし、それが普通にまかりとおっていたことで、おかしいことが、しょうがない事と認識され、放っておかれていた状況なのであろう。

tomoikukaiさんの、子ども達に英語を教えたいのくだりで、子ども達がただ試験の点を上げるための塾のことから、いろいろ普段考えている事と一致した。

この教育問題は、かなり大きいと思います。
子ども達が自分で考えられる、そして討論できる日本になっていくべきです。

詰め込み式の教育は、もうやめましょうよ!と思います。
でも、だからといって、どういうふうにこの思いをどこへ持っていけば良いのでしょう。

こういうことが、すべての部分できっとあるんですよね。
この体罰にしたって、その親やまわりの学生達もおかしいと思っていた人たちはいるはず、でも、言えなかったのかもしれない。それか、もう麻痺していて、もうおかしいと思っていた事が普通になってしまったのかもしれない。

もう少し、一個人の意見を公(役所や政府)に発する効率的な場があれば良いのにと感じます。

そして、それを受け止め検証してくれる上の立場の柔軟性も求められるのかなと思います。

それは、tomoikukaiさんも書いておられる洗脳のこと、洗脳というのは、おおげさかもしれませんが、日本の教育社会では、先生の言う事は、正しいという構図が成り立っているような気がしています。先生が言ったから、先生がやる事だから、と、疑問も持たずに支持していては、おかしいこともそのままになってしまいます。

今回のお題、体罰に効果はあるか?からずれてしまいましたが、上からの権力の押しつけは、ほとんど効果はないのではと思います。そこで、橋本さんの対応について考えた時、橋本さんは、いったん冷静になって考えてみましょうよ、これは、重大なことなんですよというふうに受け止められるので、ただの押しつけではないような気がします。