「成果主義」について考える
人間の脳には、「報酬系部位」というものがあります。その部位が喜ぶような刺激を加えると、人間は高いパフォーマンスを発揮することができる。企業や学校が導入しようとした「成果主義」というのは、そもそもそうした科学的な裏付けに則ったものであったと思います。しかし、現実の「成果主義」は、反対に人間の脳の働きを萎縮させるように作用してしまっているように見えます。はたして真に効果的な「成果主義」は可能なのでしょうか。もし可能であるとすれば、どのようなことに気をつけて運用しなくてはならないのでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。
自身のおかれている環境を報酬とするならば
既に、我々は成果主義のなかで生活しているという視点もありますね。
社会全体の価値観にそって、成果主義は存在している
例えば音楽で成功したい人が、楽器演奏が上手いだけでは成功できなかったり
単にきれいなだけでは、女優になれなかったり。。「プラスアルファの価値」が必要
エンタメの世界は、この「プラスアルファの価値」を成果対象にしているのかも(雑な表現ですみません)
本来、成果は自分で定義できるもの。。 その定義が価値あるモノでなければ望む報酬は得られない
という事は、自分で定義する「価値」が大事で
より「高い価値」を見つけるには自分が成長しないと、見つけだすコトすらできない。
あ〜ぐるぐる回るw
■結論
誰かが定義した「成果主義」は窮屈になる”人”も出てくるだろうが、 人が「も〜れつになりたい自分」を定義できるなら「成果主義」は可能であり、窮屈なモノにはならない。。。はず