「成果主義」について考える
人間の脳には、「報酬系部位」というものがあります。その部位が喜ぶような刺激を加えると、人間は高いパフォーマンスを発揮することができる。企業や学校が導入しようとした「成果主義」というのは、そもそもそうした科学的な裏付けに則ったものであったと思います。しかし、現実の「成果主義」は、反対に人間の脳の働きを萎縮させるように作用してしまっているように見えます。はたして真に効果的な「成果主義」は可能なのでしょうか。もし可能であるとすれば、どのようなことに気をつけて運用しなくてはならないのでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。
モチベーションだけでなく、人の心が、経済が、教育が、単一だったら、と、想像すると、こわいですね。
多様性が、失われてしまいますね。
学校や企業が、安定した人材を、作るために、人間の多様性を無視して、学校や企業にとって、とても楽な方法で、具体的には、学校や企業が言う、単一の技術や、モチベーションを、絶対的に強制することで、そこで決められた成果が、実現できないと、学校や企業にとっても、効率的ではないと、評価されたら、そんなことを強制させられたら、人間は、壊れてしまいます。
そして、何より、一個人の中で、学校や企業が言う、単一の技術や、モチベーションが、すべてになってしまったら、一個人の、それ以外の能力を、発展させて、実力を発揮することが、極めて困難になります。
確かに、反人間的と、言えると思います。
Easterlin Paradox の本質は、自分自身の幸福を知らない人は、自分自身を不幸にしてしまう、と、いうことのように、思います。
私は、私の幸福を、しっかりと、つかんでいるので、私にとっては、経済成長は、幸福の本質とは、あまりつながっていません。でも、経済成長がなくなるとか、経済成長がすべてとかではない、と、いう意味です。