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「成果主義」について考える

人間の脳には、「報酬系部位」というものがあります。その部位が喜ぶような刺激を加えると、人間は高いパフォーマンスを発揮することができる。企業や学校が導入しようとした「成果主義」というのは、そもそもそうした科学的な裏付けに則ったものであったと思います。しかし、現実の「成果主義」は、反対に人間の脳の働きを萎縮させるように作用してしまっているように見えます。はたして真に効果的な「成果主義」は可能なのでしょうか。もし可能であるとすれば、どのようなことに気をつけて運用しなくてはならないのでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。

NO.16   terurun 2013/02/07 23:30:33 合計 20pt.

私は、成果主義の報酬が、

お金より愛だったら、もっと頑張っちゃいます!(><)

男の人にも、女の人にも、笑顔で微笑んでもらえたり、大好き♪って言われたり、

一緒にずっといたいって言われたり、自分自身を相手が大切にしてくれたり、

愛のこもったプレゼントをもらったり。。。私に会うと楽しいと笑顔になってくれたり、

その感動のために毎日、ちっちゃな事を一生懸命やってます!(笑)。

夜、眠る時に、今日、何人の笑顔を見たかなって思い出すのが、私の成果の報酬です。

お金や人からどう評価されているかと言うのを気にすると、本当に空しくなります。。。

ごめんなさい。本当は、そういうことに振り回されたくないんです。。。

その報酬だと、自分で決められないし、常に相手がくれるお金の量や変動する他人の評価

に振り回されなくてはいけないので。ただ、それが嫌なだけですね(T T)。。。

だから、勝手に報酬を自分なりに決めちゃう所があります。。。

しかし。。。

社会や他人の目に常にさらされているような、私と正反対の生活の方々は、

「相手の笑顔が見れた」なんて言ってられないと思います。。。

むしろ、戦いなら、「相手の笑顔を奪わなくては、勝てない」のだと思う所が

あっても無理もない気がしてなりません。。。

ビジネスや試合の成果主義は、相手があってこそだからだと思うからです。。。



体罰の話ですが。。。他人が体罰までして、相手の成果を出させようとするのは、

体罰をされた人の成果が体罰した人の報酬に結びつくからではないかと思うのです。

だから、体罰をされた人は、体罰する人の報酬のために自分が使われていると感じた場合、

利用されると言う感覚から自分の存在価値が薄れ、自殺を考えてしまうこともあるのだと

一つの展開として考えられると思いました。

体罰の裏には、体罰される人のためではなく、体罰する人の報酬が関係していることもある。

と考えられます。

特に子どもと言うのは、

「自分のためにしてくれているのか」

「自分を利用して大人のためにしているのか」

が、すぐ分かります。

学業も子どもに勉強させることが「優秀な成績の子どもを持つ親」と思われる。。。

もっとひどい言い方をすれば、子どもが優秀な事を自分の事のように親は思い、酔いしれる。

その子の将来のためというより、成績の良い子どもを持つ「親」つまり

そういう子どもを持つ親として見られたいと言う理由で親のエゴで子どもを

無理矢理勉強させたりするのも子どもはすぐに気がつきます。。。

子どもは、いつも「自分のために何かしてくれること」を一番に求めます。

しかし、私自身、ほとんどその経験が無いので。。。

この親が自分に「何かしてくれる」と言う事に非常にあこがれます。

飛びますが。。。

「「自分の報酬のために、相手を叩くだったらば、最悪だと思いました。」」