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「成果主義」について考える

人間の脳には、「報酬系部位」というものがあります。その部位が喜ぶような刺激を加えると、人間は高いパフォーマンスを発揮することができる。企業や学校が導入しようとした「成果主義」というのは、そもそもそうした科学的な裏付けに則ったものであったと思います。しかし、現実の「成果主義」は、反対に人間の脳の働きを萎縮させるように作用してしまっているように見えます。はたして真に効果的な「成果主義」は可能なのでしょうか。もし可能であるとすれば、どのようなことに気をつけて運用しなくてはならないのでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。

NO.17   sana805 2013/02/09 07:47:26 合計 14pt.

モチベーションのモノカルチャー。Easterlin Paradox、、、。
なるほど、勉強になります。イースタリンパラドックス。富と幸福。比較論。慣れ。
高度経済成長、バブルで幸せを感じた歴史的感覚がそこに答えを求める傾向を生む日本人の性なのでしょうか?相関関係はひとにぎりのものしか心地よい快の達成感は得られず。それもしばらくすると慣れて幸福感は麻痺する。しかしながら成果を出し続けるのは継続した努力が必要。とても厳しい世界に感じます。

考えると、学生でも社会人でも各々興味あることや優先順位は各々に違い、何に対して努力したいかも人それぞれ。成果は努力の結果。でも学びの過程は結果に関係なくどんな楽しさを感じられているかが、未来への活力になるのかなと思えてきました。
例えは、茂木さんが毎日メルマガで英語塾を繰り広げてくれている内容に、感覚が活性化され英語の面白みを知って勉強したくなる。そんな活力。楽しさ。

最近、自分は子ども時代や学生時代を思い出すことがよくあります。その中で点数や結果の記憶はほんの一部。楽しかったこと嬉しかったこと悲しさ悔しさ感情とともに感覚的に思い出される記憶。先生の言葉、友達の言葉、仲間の言葉そして姿勢。一緒にテスト前に友達と勉強した楽しさ。遊びの面白さ、頑張って切磋琢磨した記憶。友人関係に悩んだ記憶。ほろ苦い恋愛の切なさ。数字という比較によって感じられた悔しさや嬉しさも。どんな気持ちで過ごしていたか。

今は情報社会で多くの情報や考え価値観が散乱している。社会に出たらわからないことだらけ。その中で何を力に生き抜いて行くのか。家庭の役割、学校の役割、地域の役割、大人の世界、子どもの世界、それぞれ異なる役割や立場がある。そんな中で、子どもは知識やいろんな視点や価値観や姿勢や考え方を得ることは、今の世の中には大切な要素だと感じます。そしてときには自分で考えて意見を言って学びを深くして力をつけていくこと。

昨日、偶然、池上さんの解説しているテレビを見ました。ミャンマーの事が紹介され、ミャンマーの歴史、今の暮らしぶり、人柄、経済の様子が分かりよく伝わってきました。発展途上の喜び活気を感じました。視野の広がりと経済の豊かさ双方味わえる。幸せそうに見えました。抑圧され支配され識字が無いことは情報の少なさを意味している。おのずと考えたり判断するテーブルが狭くなる。偏見に気づかず感覚が慣れ麻痺する。日本は情報の散乱で逆行中。モチベーションのモノカルチャー。

多様さを無視して同化に流れることはまさにモノカルチャー的。
生きていく中で、働くための居場所、自分の趣味の居場所、家族の居場所、仲間との居場所。遊びの居場所。様々な居場所や繋がりがあり価値がある。そう考えると成果主義の価値観に多くを振り回される事もないのかなとも思える。
何のために生きていくか、どこに価値を置いて生きるかは人それぞれだと思うので。

全くまとまりませんが、ふと書き込みたくなりました。