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「成果主義」について考える

人間の脳には、「報酬系部位」というものがあります。その部位が喜ぶような刺激を加えると、人間は高いパフォーマンスを発揮することができる。企業や学校が導入しようとした「成果主義」というのは、そもそもそうした科学的な裏付けに則ったものであったと思います。しかし、現実の「成果主義」は、反対に人間の脳の働きを萎縮させるように作用してしまっているように見えます。はたして真に効果的な「成果主義」は可能なのでしょうか。もし可能であるとすれば、どのようなことに気をつけて運用しなくてはならないのでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。

NO.20   chigusaotsuki 2013/02/11 13:26:28 合計 5pt.

冷たいお言葉です。
評価関数を、設定しているのが、人間で、その人間の作ったものが、陳腐だったり、部分的ならば、ふくよかな成長が起こらないから、そんな作りものには、付き合うなって、おっしゃっていますか?

絶対音感にこだわる一個人は、ユニークと言われて、みんなが、こだわりはじめて、それが絶対だ、ということになると、そうでない人 ( 絶対音感にこだわらない人 ) や、みんなの立場が、こころが、きゅうくつになって、実力を発揮しにくくなるから、絶対音感に、こだわる必要はない、絶対音感にこだわるなんて愚かだ、というのなら、わかります。

心理学的に、付き合わなくていい、というのが、そんな評価とは、付き合わなくていいけれど、そんな評価をする人も、その他に良いところはたくさんあるのだから、という意味で、とらえると、それなのに、その人と付き合わなくていい、ということになると、私も経験がありますが、たしかに、嫌な人と付き合わなくていいって、一人でいるのって、楽なんです。でも、嫌な人とでも、カウンセリングをしていると、はじめは、嫌な人だったのに、逆に、親切にされて、うれしくなったりも、するんですね。

評価関数の設定内容で、ゆがんだ成長が起こるから、必要最低限の設定で、あとは、自由にやらせる、というスタンスは、私も大好きです。もっと言えば、はじめから、自由の方がいいですね。