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「成果主義」について考える

人間の脳には、「報酬系部位」というものがあります。その部位が喜ぶような刺激を加えると、人間は高いパフォーマンスを発揮することができる。企業や学校が導入しようとした「成果主義」というのは、そもそもそうした科学的な裏付けに則ったものであったと思います。しかし、現実の「成果主義」は、反対に人間の脳の働きを萎縮させるように作用してしまっているように見えます。はたして真に効果的な「成果主義」は可能なのでしょうか。もし可能であるとすれば、どのようなことに気をつけて運用しなくてはならないのでしょうか。みなさんのご意見をお聞かせください。

NO.22   masami 2013/02/12 23:07:49 合計 15pt.

No.18 茂木さんの

「成果主義って、つまり、「評価関数」を設定するということ」

を読んで、評価関数が重視される世界では、何となく良さそう、という直観を大切にすることや、これまでなかった新しいものを創造する力を育てるのが難しそうだな、成果主義の弱点はそういうところかな、と思いました。

それから、たまたま今日、学校現場でのフィールドワークについての文章を読みました。そこには、教育評価を、形式や、固定的なシステムとして捉えないで、経験として捉えることが可能であること、教える側が達成の基準を一律に規定し、それに基づいて評価しようとシステムを整えようとすればするほど、教師が子どもたちの体験そのものから目をそらすようになり、子どもたちの生きる場が息苦しくなっていく危険性が増すということが分かった、と書かれていました。そして、子どもひとりひとりの経験に付き合うことが大切であると確認していった過程の中で、評価の教育的機能と選抜的機能のうち、最初は強調されていた選抜的機能がだんだん薄れていったそうです。

入試に代表されるような選抜的機能の評価を一切避けて生きていくことは難しいと思いますが、常に選抜的機能が強調されるような評価のなかで、人は、生き生きと自分の能力を発揮することは難しいと思いました。

Tomoikukaiさんが引用されていたヴィゴツキーのDynamic Assessment という評価法、初めて知りました。教えてくださりありがとうございます。
ヴィゴツキーは、確か発達の中での一人一人の体験をとても重視していたと思います。評価関数を用いる場合でも、一人一人の体験を大切にできるようであると、評価も生かせるかもしれない、と思いました。