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レスリングのオリンピック競技除外について考える

2月12日、国際オリンピック委員会(IOC)は、ロンドン五輪で実施した26競技の中から25の「中核競技」を選定しました。その「中核競技」から、レスリングが外されてしまい、2020年の夏季五輪で競技として認められない危機となっています。

ツイッターやメルマガでも言及したように、オリンピックは時代とともに変化します。テレビの普及によって、全人類が試聴するグローバルなイベントになりました。そうなれば古代ローマの時代とは性格も変わってきます。

例えば、商業化も一つの必然でしょう。放送権料も高騰して、アメリカのNBCは、4大会の放送権に対して3480億円を支払ったとも言われています。それぞれが自国に有利な祭典にしようと動くので、政治的な駆け引きも必要になってくるでしょう。

今回のレスリング除外危機に対して、日本はどのような対応をできるのかということは、グローバル化した世界に対して、日本はどのような働きかけをできるのかということと、本質的には同じだと思います。

さて、日本はどのような態度を取るべきなのでしょうか。ご意見お待ちしています。

NO.2   chigusaotsuki 2013/02/19 09:46:51 合計 17pt.

グローバル化によって、それぞれの国に合う商品を、作っていればよかった時代は、終わりました。
商品やサービスを、地球中に、提供する時代が、やってきたのです。

もはや、日本の中だけで、経済や教育を、考えていても、世界に取り残されて、世界に対して、何の影響力ももたない、小さな国として、日本は、日本人は、孤立するのです。

世界に参加するためには、日本の中では、この商品がはやっているとか、日本の中では、こんな教育があるとか、何でも、日本の中だけで、満足していては、いけないのです。

なぜかというと、商品やサービスは、比較されることで、その質を上げて、新しい価値が付与されて、それを求める地球中の人たちに、提供されるからです。
教育も同じです。日本の中だけで、自分たちは優秀だ、と、うぬぼれていても、自分たちで、小さなクラブを作っているだけで、そのクラブのルールなんて、世界からみれば、くだらないものだったり、するわけです。

つまり、世界に影響力を及ぼすことのない、商品やサービスを作っていること自体が、無駄なのです。
教育でいえば、日本人が、世界中の人たちに、まったく影響力を及ぼすことがなく、世界中から、軽視されたら、悲しくないですか?

まず、日本は、世界に、適合しなければ、なりません。
これは、言語だけではなく、マーケティング手法から、人事管理、広くは、日本の法律をも、考え直す必要があります。

そんなグローバル化された世界に対しての、レスリングのオリンピック競技除外についてです。
オリンピックの競技の中で、レスリングは、孤立してしまいました。
レスリングは、今まで通り、ずーっと、レスリングをやっていれば、いい時代は、終わっていたのです。
もちろん、レスリングの歴史には、重みがあります。続けてこられたこと、これから続けていくことには、非常に意味があると、思います。
日本も同じです。日本の文化は、非常に素晴らしいです。でも、日本の中だけで、日本の文化は、素晴らしいと言っていた時代は、終わったのです。
世界中に発信できなければ、素晴らしい日本の文化も、小さな国で、終わってしまうのです。

本当に、日本の文化は素晴らしいからこそ、世界に発信していかなくてはならなくて、レスリングも、本当に、素晴らしいからこそ、新しい時代を作っていかなくてはならないのだと、思いました。