日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
NO.33 trasque さん、あえて自己とは「あらゆるものの総合」だと知れ、という主張であると思いますが、いかがでしょうか。
ありがとうございます。
「自己について語る自己」「自己によって語られる自己」が普遍的にあるものではないとは、自伝という物語についての文脈の中のありました。
古典文学があまたある中、日本で最初に書かれた自伝は、明治時代のものということからの考察です。つまり、自己という感覚は、明治になって初めて生まれたということだと思いました。それ以前の語りのなかには自己は存在していなかったのではないか、自己とは「あらゆるものの総合」と考えることすらできなかった状態であったのかな、と思い、想像するのが難しいと感じたのでした。
ちなみに自伝とは、私とは何者かと自らに問い、たとえ自分にとって不利な出来事であっても隠すことなくまた偽ることなく、誠実に自己について語り直すということ、と捉えられていました。
私にとって、強い個人の根底には、このように自分を語り直せることがあるかな、と想像します。
今回のテーマについて、茂木さんの文章の中に
このように「公正さ」を理由に個人の自由裁量を殺してしまっているのが、
今の日本の組織です。これをあらためて、私的な自由裁量に基づく組織の
在り方を蘇らせる。そうすれば、日本の組織もずっと魅力的な仕事ができ
るようになると思うのです。
という文章から、今回の個人の強さとは、組織の中で自由裁量が出来る強さかな、と思います。
組織の中で自由裁量が出来る強さを考えるのは、私にとって、とてもハードルが高く、考えるのがとても難しいです。
今やっと、強い個人の私なりのイメージができるところだと思います。
組織に埋没していない自分を語れる人でしょうか。
今、原子力発電について、関心が高まっています。この問題について、父から息子への手紙という形式で語る文章を読みました。そこには、この問題は価値観の問題だから、とても難しい、と書いてありました。
原子力発電の問題を価値観の問題、として捉えられることは、強さの一つかな、と感じました。賛成、反対と二分することなく、自分の立場を固定しなくても、自分の問題として考え続けることができるのは、個人の強さかなと感じます。
すみません、具体的な方法までたどり着くのは、難しいかもしれません。