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レスリングのオリンピック競技除外について考える

2月12日、国際オリンピック委員会(IOC)は、ロンドン五輪で実施した26競技の中から25の「中核競技」を選定しました。その「中核競技」から、レスリングが外されてしまい、2020年の夏季五輪で競技として認められない危機となっています。

ツイッターやメルマガでも言及したように、オリンピックは時代とともに変化します。テレビの普及によって、全人類が試聴するグローバルなイベントになりました。そうなれば古代ローマの時代とは性格も変わってきます。

例えば、商業化も一つの必然でしょう。放送権料も高騰して、アメリカのNBCは、4大会の放送権に対して3480億円を支払ったとも言われています。それぞれが自国に有利な祭典にしようと動くので、政治的な駆け引きも必要になってくるでしょう。

今回のレスリング除外危機に対して、日本はどのような対応をできるのかということは、グローバル化した世界に対して、日本はどのような働きかけをできるのかということと、本質的には同じだと思います。

さて、日本はどのような態度を取るべきなのでしょうか。ご意見お待ちしています。

NO.9   茂木健一郎 2013/02/26 04:04:43 合計 20pt.

ロングビーチに移動するタクシーの中で、なんとはなしに考えていました。なぜ、ある競技がオリンピックに入るかどうかで、そんなに私たちの態度が変わるのか。アメリカでも、オリンピックは大きなビジネスになっていますが、そこまで極端なオリンピック偏重があるとも思いません。(たとえばアメリカンフットボールはオリンピックに入っていないけど、そんなこと誰も気にしていない。)オリンピック信仰と、国連信仰には共通の背景があるように思います。オリンピック信仰が、決して悪いと行っているわけではりませんが。