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男らしさ、女らしさを考える

前回の掲示板でTomoikukaiさんからご提案のあった「男らしさ、女らしさ」について考えることを、今回のお題にしたいと思います。『脳は0.1秒で恋をする』という本の中で少し述べましたが、この「男らしさ」「女らしさ」というものも時代とともに変化をしています。例えば、現代においては、ぐいぐい女性を引っ張ることだけが「男らしい」というわけでもないと思います。では「男らしい」とは「女らしい」とは何でしょうか。そもそも、みなさんは「男らしさ」や「女らしさ」を追求することにどのような意味があると思いますか。あるいはどのような弊害があると思いますか。ご意見お待ちしています。

NO.3   sana805 2013/03/06 09:16:42 合計 8pt.

連投失礼。
terurunさんの感覚すごくわかる。馴染む感覚です。
昔のお見合いのための基準とはなるほど、日本はそういう歴史でジェンダー感が残っているのだなと納得しました。

性の嗜好性セクシャリティとしての差別偏見で思い出す者としてパッと浮かんだのは
以前茂木さんが教えてくれた、アラン・チューリング(Vol.038 2013年01月10日配信 )。
これを読んだときチューリングってどんな人やろうってウィキで調べました。
同性愛で逮捕され、有罪とされ、自分を矯正するために女性ホルモン投与を受け入れ。
ひどい抑圧。。自殺。青酸カリとリンゴ。

イミテーションゲーム、チューリングテストを着想した彼の切ない気持ちをふと感じた気がしましした。今の時代に生きていたら、少しは彼の幸せは叶ったのかなって。

思いつき書き込み失礼。