男らしさ、女らしさを考える
前回の掲示板でTomoikukaiさんからご提案のあった「男らしさ、女らしさ」について考えることを、今回のお題にしたいと思います。『脳は0.1秒で恋をする』という本の中で少し述べましたが、この「男らしさ」「女らしさ」というものも時代とともに変化をしています。例えば、現代においては、ぐいぐい女性を引っ張ることだけが「男らしい」というわけでもないと思います。では「男らしい」とは「女らしい」とは何でしょうか。そもそも、みなさんは「男らしさ」や「女らしさ」を追求することにどのような意味があると思いますか。あるいはどのような弊害があると思いますか。ご意見お待ちしています。
私の祖母などは,男女のあるべき論が染み付いており,女は一歩ひいて男に付いて行くべきとったいうことをよく話します。しかし私の母親はそのような考えを持っていません。また,本で読んだのですが,少し前の数学の世界では女性が入ることが許されておらず,男のふりをして,論文を提出していた学者がいたと聞きました。当然,今ではそのようなことはありません。他にも,ある地域では細い女性がモテる,他の地域では太った女性がモテるという話もあります.今回は女性に関する例をあげましたが、結局「女らしい」とか「男らしい」とかはその時の社会の状況や制度に依存した偏見なのではないでしょうか。
もちろん,個人の哲学に基づいた男らしさ,女らしさを追求するのは自由ですが,それを他人に強要するのは問題で,それをしだすと,下記で述べられているように窮屈な人間になってしまうのではないでしょうか。