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男らしさ、女らしさを考える

前回の掲示板でTomoikukaiさんからご提案のあった「男らしさ、女らしさ」について考えることを、今回のお題にしたいと思います。『脳は0.1秒で恋をする』という本の中で少し述べましたが、この「男らしさ」「女らしさ」というものも時代とともに変化をしています。例えば、現代においては、ぐいぐい女性を引っ張ることだけが「男らしい」というわけでもないと思います。では「男らしい」とは「女らしい」とは何でしょうか。そもそも、みなさんは「男らしさ」や「女らしさ」を追求することにどのような意味があると思いますか。あるいはどのような弊害があると思いますか。ご意見お待ちしています。

NO.13   masami 2013/03/08 21:31:04 合計 10pt.

女らしさと言えば、丸み、柔らかさを思い、男らしさと言われれば、固さ、強さを思います。女性ホルモンの投与治療を受けた男性の肌が柔らかくつやつやしてくるとか。個々に見れば当てはまらない人もいるけれど、女性と男性では、平均すると、身体的な面で決定的に異なっている。そのことからくる振舞いの違いに、文化的、社会的な要素が絡み合って、時代と共に変化しながら、女らしさ、男らしさの感覚が作られてきた。その中には、理想的と思われていた姿も、そうあってほしくない姿もあったけれど、どんな時代も、男らしさ、女らしさの極端な姿が、強調され過ぎてきたように思います。そして今は、男女の区別よりも、一人一人のその人らしさを大切にしたい、という捉え方が強くなりつつあるのかな、と皆さんの投稿を読みながら思いました。
一つ私が興味深く思っていることに、宗教への感覚の男女差があります。アメリカなどでは、宗教に関する様々な研究がなされていますが、女性の方がより宗教に親和的であるらしいのです。日本の場合、少数ですが、カトリックの受洗者数のグラフを見ると、幼児洗礼者の場合(親が子供に洗礼を授けると決める)男女比は、ほぼ同数ですが、それ以降、自分の意志で洗礼を受けた成人洗礼者の場合は、女性が男性の2倍近く多いです。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/data/st10/statistics2010.pdf
(15ページを参照してください。きれいに男女差が出ていて、個人的にはすごく興味深かったです。)
この結果から、日本の場合も、男性と女性とでは、宗教に対する態度が異なる可能性が考えられると思います。信仰を持つことは、自分の生き方の根幹に関わると考えると、生き方そのものが、男性と女性とでは、異なる傾向があるかもしれないと思いました。
男女の違いそのものは確実にあるけれど、その違いをハンデと思うこともなく、優位とも感じることなく、互いに補い合えるような社会であってほしいと思います。
男女以外にも、あらゆる“らしさ”はあるけれども、その弊害は、~らしくあれ、と個人に押し付けたり、~らしさ、という枠の中でしか生きることができない状況にあった時、出てくると思います。逆に、~らしさ、に、こうありたい、という理想の姿を見出せたとき、人は、そのらしさを追求したくなるのかな、と思いました。
男らしさ、女らしさ、とは離れてしまうかもしれませんが・・・
マサイ族の女性が、女の子のための学校を作ったTED Talkがあります。女性が女の子の学校を作りたい、と長老に言った時、彼らは、男の子の学校を作ればいい、と最初は言いました。その女性は、男の子の学校は、男性が作ればいいから、私は女の子の学校を作る、と言ったら、長老たちは納得したそうです。女の子のための学校、という発想そのものが無かったようです。私たちの中にも、気づかないうちに、男性がすること、女性がすること、と思い込んでいることが、まだまだあるかもしれない、と思いました。
http://www.ted.com/talks/kakenya_ntaiya_a_girl_who_demanded_school.html?awesm=on.ted.com_KakenyaNtaiya&utm_content=awesm-publisher&utm_medium=on.ted.com-static&utm_campaign=&utm_source=t.co