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男らしさ、女らしさを考える

前回の掲示板でTomoikukaiさんからご提案のあった「男らしさ、女らしさ」について考えることを、今回のお題にしたいと思います。『脳は0.1秒で恋をする』という本の中で少し述べましたが、この「男らしさ」「女らしさ」というものも時代とともに変化をしています。例えば、現代においては、ぐいぐい女性を引っ張ることだけが「男らしい」というわけでもないと思います。では「男らしい」とは「女らしい」とは何でしょうか。そもそも、みなさんは「男らしさ」や「女らしさ」を追求することにどのような意味があると思いますか。あるいはどのような弊害があると思いますか。ご意見お待ちしています。

NO.14   sana805 2013/03/09 09:34:45 合計 10pt.

皆なの話とても興味深く感じて、いろいろと考えたり感じるところがあります。
女性らしい男性らしいと言われることも時には嬉しいけど、あなたらしいと言われると個人的にはホッとすること。女性と男性の違いが、命を生み出す母体か、そのきっかけを与えるものであること。

女性は子どもを妊娠すると自ら抵抗力を弱める仕組みになるそうです。そうでないと堕胎する。 異物である胎児。異物というと言葉が悪いですが、別の人格を持つ他人であるということ。
命は誰のものでもない。本人のものであるということ。命の尊重って何かを考えさせられた記憶がある。人は哺乳類の中でも生理的早産と聞いたこともあります。牛や馬のようにすぐに立てない。走ることもできない。

未熟で生まれ何もできず頬の触れる方に顔を向けて授乳する本能があると教えてもらったこともあります。3歳までの愛着形成が将来の他者への信頼を持てるかどうかの影響を持つと。三つ子の魂百まで。。 奇跡のようなつながりで人は生きているんだなと感動する。

masamiさんのホルモンと宗教の関連、個人的にはとても興ををそそられました。
何を信じて心の柱とするのか。
キリスト教でイエス像を崇拝像とするかマリア像を崇拝像とするか。また受胎告知やマリアと幼児のイエスの姿を崇拝の対象とするのか。ルネサンス時代の文芸復興にはギリシャ時代の頃のような人のすばらしさの復興、個の復興を意味したと聞いたことがあります。
素敵だなと思ったのだと思う。
イエスに自分を投影する人、マリアに自分を投影する人、マリアと幼少のイエスに自分を投影する人、イエスの受難や復活のストーリーを投影する人、宗教で教わる人生観。 ふとそんなこと、つらつらと考えました。