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日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?

「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。

NO.36   LAMPRIGERA 2011/04/28 01:59:07 合計 0pt.

>…自伝とは、私とは何者かと自らに問い、たとえ自分にとって不利な出来事であっても隠すことなくまた偽ることなく、誠実に自己について語り直すということ…(No.34)

面白いですね!!ということは、自伝を書くという行為は、茂木さんが言っておられるようなメタ認知のプロセスに近いと捉えられているのでしょうか。そのように考えたことはありませんでした。

No.18のmasamiさんの投稿から、自己とはなにかということがかなり掘り下げられましたが、非常に興味深く読ませて頂きました。trasqueさんの投稿(No.33)を受けてですが、概念レベルで議論をするとしばしば話がかみ合わず、上手くいかないことがあります。その原因の一つは、同じ言葉でも、人によってその言葉に与えている意味合いが違っていて、互いに理解しようとするときに障害が生じてしまう点にあると思います。

特に、このような場所に集まった皆さんは、物を考える方々と思いますので、様々な概念をそれぞれ独自に探求し、異なるレベルで捉えていらっしゃるのではないでしょうか。言葉の意味合いを丁寧に掘り下げていくことは、互いに自分がその言葉で意味していたものを明快にし、共通理解を作っていく上でとても重要な作業だと、投稿を見ていて感じました。

また、trasqueさんのご指摘のように、概念ではなく、より具体的なことを取り扱うのは、誤解が最も少ない議論の仕方かもしれませんね。BBSで議論を展開させる中、どのくらいまで個人的な情報を提示するべきか迷っていましたが、僕も少し具体的なレベルでの投稿を試してみます。
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自己を強くする方法、あるいは自立する方法は、端的に言えば、自分で考え、それを実践し、結果を検証することに尽きると考えています。方策としてはシンプルだと思いますが、このステップに僕のやっていることを当てはめてみたいと思います。

僕は、生物学系の研究室に在籍している学生です。しかし、僕が研究室に在籍する目的は研究者になることではありません。そうではなく、研究のプロセスを習得し、教育プログラムに落とし込むことで、新しい教育の形を提供することを秘めた目標にしています。生きものと関係することで感性的な面を、また、生きものから得たデータを用いて理論を構築するプロセスで、ロジカルな思考を養うことを考えているのですが、もちろんこれは絵に描いた餅です。どうしたら本当にプログラムとして実現できるだろうかというところは非常に難しい。

こうした方針なので、僕にとっては教育こそが本当の仕事にしたいことであって、研究室で研究に従事することはスキルアップのためのトレーニングと捉えています。僕は、週に2回程度、教育プログラムを提供できる場所で働かせて頂いているので、現時点では、ここが僕の「現場」です。

先に挙げた「方策」に照らせば、学生生活で仕入れたことをどうやって教育プログラムに活かすかという部分が、僕の考えることです。考えて作ったプログラムは、僕の「現場」で提供します(必ずしも採用してもらえるわけではありませんが)。検証は、実際にプログラムを体験した参加者が、示す反応になるでしょうか。

この中で、最も困難なのは、正しく検証することだと思います。特に教育では長期的な展望まで視野に入れる必要があって、経験が少ない僕のような者では、例え成功したと思ったとしても、長期的には必ずしもそうでない可能性もあるわけです。とはいえ、時には成功したと感じることができる時もあり、そういう日には、ささやかに幸せな気分になり、人生が小さく前進したと思うこともあります。

一方、研究室では、専門分野に精通するために、たくさんの文献を読むこと、たくさんのデータを採ることなどが求められます。しかし、僕の仕事のことを考えれば、教育に関係する書籍を読むこと、教育プログラムを良いものにするための準備など、専門分野以外のことにもたくさんの時間を費やしたい。

専門の勉強をたくさんしていて、知識が豊富なことがほとんど絶対の価値となっている研究室で、週にまるまる数日、研究とは別の分野に費やし、さらに文献調査を一部放り出して他の分野の本を読んでいることは、指導教官も全く気に入らないらしく、関係は随分悪化してきています。しかし、僕は「いい学生」と評価されるよりも、自分の目的に沿ってちゃんと機能する教育プログラムを実現することの方がはるかに重要な問題だと考えています。僕は一時期、入院しない程度に精神的にもかなり低迷しましたが、なんとか自分の方向に進むことを考え、その方向に前進することを喜びとしてやっていきたいと思っています。

だいたい以上のようなことが、僕の今回の投稿(No.3)の背景です。

しかし、新しい教育の提案なんて、そうそう上手くいくものではないですね。僕は、色々なところにヒントを求めて探し続けています。実は、「夜間飛行」に出会うことができたのは、その結果です。BBSとメルマガでの私塾という発想にとても魅かれています。この私塾が、これからどう展開していくのかとても楽しみです。
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ところで、trasqueさんの投稿(No.33)の「ちゃんと挨拶する、ありがとうを言う」という点、僕は怠っていましたので、この場を借りて謝罪させていただきたいと思います。

まず、僕はNo.9の投稿でorcamieさんに話を振ったにもかかわらず、それを受けた投稿で、お礼を言っていませんでした。個人的な話になってしまい申し訳ありませんが、僕は「多様性を受容する」という傾向は、仏教的な素地のあるアジア文化においてより強いのではないかと思っていましたが、日本の教育との比較ではアメリカの方がむしろ多様性を受け入れる姿勢が強いことを示唆され、開眼させられました。ありがとうございました。

また、茂木塾長には「人生の質入れ」ということに関連して質問を取り上げて頂きましたが、まだお礼を言っていませんでした。怖れ多い気持ちが先に来て、どうコミュニケーションをとっていいのかわからなかったのですが、この際、この場でお礼をさせていただきます。

送信させて頂いた質問文では具体的ではありませんでしたが、僕の場合、「人生の準備期間」が、研究スキルを身につけるために費やす年限、教育プログラムを提供できる現場に本格的に立てるようになって「人生の本番」と考えています。僕は、今年、博士課程に進んだのですが(体が壊れそうになりましたが修士過程はなんとか両立できました)、研究以外のことに時間をかけることに対して、いよいよ風当たりが厳しくなってくると予想しています。この環境で、これから最低3年を費やすことを考えると、正直吐き気がしていました。スキルはそこそこにして、もういっそ現場に行ってしまおうか、とも考えていました。

茂木塾長に質問に答えて頂き、リターンを信じて他の要素を凍結させ、これから最低3年間を必死にやるのもありかなと、今まで前向きに考えることができなかった選択肢を、前向きにとらえることができるようになりました。ありがとうございました。

(最初の投稿で、毎回質問すると書きましたが、前回質問を取り上げていただいたので、今回は控えさせていただきました)
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茂木塾長、そして皆さま、色々至らない点がありましたこと、お詫び申し上げます。