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男らしさ、女らしさを考える

前回の掲示板でTomoikukaiさんからご提案のあった「男らしさ、女らしさ」について考えることを、今回のお題にしたいと思います。『脳は0.1秒で恋をする』という本の中で少し述べましたが、この「男らしさ」「女らしさ」というものも時代とともに変化をしています。例えば、現代においては、ぐいぐい女性を引っ張ることだけが「男らしい」というわけでもないと思います。では「男らしい」とは「女らしい」とは何でしょうか。そもそも、みなさんは「男らしさ」や「女らしさ」を追求することにどのような意味があると思いますか。あるいはどのような弊害があると思いますか。ご意見お待ちしています。

NO.20   Tomoikukai 2013/03/16 17:13:23 合計 5pt.

「男らしさ」「女らしさ」は、元々我々が持っている脳の働きから来るのでしょうが、それは、語学の面でも、文法、翻訳中心の男脳。おしゃべり上手な女脳という形で、現れているのではないかと思います。なんせ、英検の試験や、通訳案内士の試験会場では、女の人が圧倒的に多くて、スピーキング能力は、男脳では、とても太刀打ちできないようです。

しかし、情報を確実に伝える翻訳作業は、男脳のお手のもので、古代は中国語を日本語に翻訳し、近代に入っては、英語の翻訳を先頭になって実行したのは、主に男性だったように思います。明治維新以来、日本の翻訳技術は、どの国にも負けないくらいすばらしく、それによって、西洋の国以外では、いち早く近代化に成功しました。その成功により、日本の英語教育は、文法中心の翻訳技術を磨くシステムへと確立していきました。そして、日本人の中で高等教育を受けるものが数多く出るようになっても、この教育システムはかたくなに維持され続けて来ました。しかし、翻訳というものは、ほんの一部の優秀な人が行えば、他の、下手な人が、同じものを訳しても意味がないどころか、返って混乱を来してしまいます。というわけで、今の英語教育は、一部の、優秀な翻訳家や、通訳を除いては、全く役に立たない教育システムとなってしまいました。そして、この優れた翻訳技術のせいで、これら英語の専門家を除いた、一般の人達は、

「何で、英語なんか勉強するの? 日本では、英語なんか知らんでも、なんも不自由せんやんか。外国人が日本にくるんやったら、日本語を勉強してからくればええやんか」状態になってしまいました。

そして、グローバル化の波が押し寄せて、人々が、直接日本語を知らない外国人と接する機会が訪れると、翻訳家や通訳が仲を取り持とうにも、物理的、時間的にとても対処しきれるものではない情勢となって来ました。特に、英語教育に於ける文法中心の翻訳英語では、中途半端に勉強したものにとっては、全く役に立たないことがはっきりして来ました。役に立たないだけならまだいいのですが・・・

そう、道で外国人に話しかけられただけで、頭の中が真っ白になるいわゆる「英語アレルギー」を引き起こす抗体の役割を果たすようにまでなっているようです。頭の中で、英語が、全く役に立たない化石化状態になっているのです。この化石は、文字になったものには、鈍いながらもすこしは反応するのですが、音声だと、益々頑固になって、易しい単語さえ受け付けなくなってしまいます。
先日、子供達に英語の紙芝居を読んであげられるようにと、子供や孫を持つ女の人達に、「サマンサ・ペリーとプリースト・ノブの英語で紙芝居を作ろう」というセッションをするために、色んな人に声をかけたのですが、多くの人の反応は、「子供には英語を習わせたいけれど、私は英語アレルギーで、英語を聞いただけで、耳が貝になる」というものでした。よっぽど、学校英語の文法中心の翻訳英語に悩まされ続けて来たのでしょう。女の人に、男脳の文化を押し付けようというのですから、無理もありません。

確かに、明治以来、翻訳家の仕事は完璧で、水も漏らさぬ西洋文化の日本語化に貢献して来ました。日本人の文化や、住環境が、完全に西欧化しているのに、全てが日本語で間に合っているというのは、翻訳家としての日本人が、如何に優れているかを物語っています。・・・ここに油断があったのですね・・・

翻訳というのは、ほとんど、一方向の情報の流れを意味します。つまり、欲しいテキストを選んだら、あとは、質問、反論無しに内容を解読していくだけです。いい情報を探すという少しアクチヴな面もありますが、こちらから、欲しい情報を得る為に、積極的に働きかけることは得意ではありません。学校や、会社で、情報が、上意下達で流れてしまうのは、この翻訳文化が大いに影響しているのではないでしょうか。そういえば、敦賀周辺には、今話題の原子力発電所が数多くありますが、技術は、ほとんどすべてが、英語圏のもののようで、運転の為の新しい、分厚い英語のマニュアルが届くと、東京の本社では、それを一年がかりで日本語に訳すのだそうです。運転に携わる人の中には、多少英語を読める人がいて、その人達は、他の人に先駆けて、新しい情報を知ることが出来るのだと聞いたことがあります。もし、それが本当なら、福島第一発電所で事故が起こってしまった当時は、どうやら、事故が起こることは全く想定していなくって、想定外の事故が起こった時の、対応マニュアルは、例え、あったとしても、日本語には、訳されていなかったのではないかと推測するのは、あながち的外れであるとはいえないでしょう。とにかく、男脳でがむしゃらにやって来た翻訳文化は、どうやら限界に達したようで、グローバル化の波の中では、むしろ、英語を習得する為には、大きな障害となりつつあるようです。

一昨年の六月、フクイJALT の勉強会で、東大の英語の先生が講義をしてくれたことがありました。その先生は、文法を重視していて、正確に英語を理解する為には、どうしても、日本語に翻訳する必要があることを強調されていました。そこで、ある会員から、英語で直接理解した方が、早く理解できるのではないかという反論が出ました。それに対して、件の先生は、それはそうだが、それだと、本当に理解していることを確認できないといわれました。ところが、それに対し、福井大学で英語を教えているネイチヴの先生から、そんなのは、英語で質問してみれば、すぐ解るではないかという突っ込みが入り。東大の先生に二言がなかったのは、いうまでもありません。英語を教える為には、英語で掛け合いが出来なければ、インタラクチヴ に授業を進めることは出来ないのですね。これも、翻訳英語の限界を知る体験でした。

もう止めようよ翻訳英語!

私は、これからのグローバル化の時代に対応できる教育(友共育)は、女脳の得意なおしゃべり英語だと思っています。このおしゃべり英語に、本来、男脳の得意な、クリティカルシンキングを加えると、すばらしい、英語の達人ができあがって、将来、この英語音痴の日本を救ってくれるものと、堅く信じています。

最後に、これから、お彼岸のお手伝いで、南馬込の善照寺さんへ、出発します。20日のお中日には、1時半頃から朱色の作務衣を着て、ラオス旅行の報告会をしようと思っています。近くに寄られたら、是非おいで下さい。

善照寺さん Tel: 03-3772-2659