日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?
「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
とても、面白い観点だと思います。しかし、尺度を持つことで、必ずしも序列が発生するということではないと思います。
一つの尺度で、複数の人間を計れば、否応なく優劣がつくと思います。しかし、個人個人がそれぞれ自分の尺度を使って自分のことを計り、その尺度を自分以外には適用しない、とすれば、少なくとも理論的には序列は解消できると思います。
たぶん、「計る」ことが大切な領域と、計ることで本質を見失ってしまう領域がある、ということだと思います。
例えば、茂木さんのよく言われているベストエフォートの例で言えば;
自分の最大値(最大努力量)に対して、今、何パーセントの努力をしているかを、適切な尺度で「計る」ことは意味があると思います。
しかし、自分と他人の最大値を計って比較することは、「いま、自分にできるベストを尽くす」という最も大切な点を見失いかねません。どうせ自分はどんなに頑張ってもあの人にはかなわないから、もういいや、みたいなことです。(この例は、そのまま茂木さんの著作に載っていたかもしれません…、どの著作だったかな)
問題は、現実世界ではこの例のように、計るべきことと、計るべきでないこととの区別が見分けにくいことだと思います。
現実では、複雑な要素が色々混じっているから、混乱し、計るべきところを計らず、計ってはいけないところを計るようなことが横行しているということではないでしょうか?