日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。
NO.37 を投稿した者です。
掲示板内で、直接、感想やアドバイスを頂き、恐縮しています。
今日になって自分の投稿を読み返すと、
書いた事とは反対に、誰よりも私自身が、自分と人、人と人を、比べて、
何が出来る出来ない、によって、強さ弱さを測り、序列をつけているのだと
思わずにいられませんでした。
それではだめなのだと、自分に言い聞かせていたのかも知れません。
NO.12 で、LAMPRIGERA さんが書かれている、
>ただ、僕は、本質的には(抽象的ですが、個性のさらに根元では)人間は同じものであると考えています。
というのと同じ事を、私も、別の言い方で書こうとしたのだと思います。
LANPRIGERA さんの、
”人間は同じ”、”計ってはいけないところを計らない”、は、難しいことですよね?
”自分の尺度を自分以外には適用しない”ということも、
1人でいるときには出来ても、人と接したり仕事をしたりするときは・・・。
NO.25 で、masami さんが書かれていた、
>明治維新以降作り上げた社会は、一人一人に、物語る自己を持つことを要求する社会だった、
というのは事実そうなのだろうと思います。
そして、現代の日本が、さらに、独立自尊を要求する社会になっていくのだとしたら、
それはどんな社会なのでしょう。
(文字どおりの意味で) 個人として強くなる、ということを、
まだ、求めてはいない日本人が、少なからずいると私は思います。
現状がそのような社会の中で、
いったい、何が強くて、何が弱いのか、私には分からないです。
たとえば、自分を曲げなかったために職場に居られなくなる等が、
実際にあることだと思います。
周りに合わせて自分を主張しないのも、ある種の自分らしい選択、ある種の強さとは言えないのでしょうか?
あるいは、自ら死を選んでしまった方々は、弱かったのでしょうか?
それとも、ある意味で、強すぎたのでしょうか?
二度目の投稿、失礼しました。
長文をお読み下さり、どうもありがとうございました。
さいごになりましたが、
皆さんの投稿を読んで、個人的に特に印象的だった言葉や共感した言葉を、
以下に、勝手に引用させて頂いても構わないでしょうか?
不自然な抜粋になりご迷惑になっているようでしたら、ご指摘下さいませ。
NO.16 ts0822 さん
>利己的なものを超える価値観、
それを探す事が、結局は自立につながるように私も思います。
何の為に自分の生を使うのか、という事を自分で意識できる事が自立の精神的側面の一つの要素だと思うからです。
NO.17 YOtomo さん
>自分は誰にも「心的に支配されない」のだから、同時に「誰かを心的に支配する」ということもない
NO.18 masami さん
>個人という感覚がない状態を想像できますか?
NO.19 acoyacoya さん
>そうならざるを得ないのだったら、誰がそれを宣言するのかでモジモジしているのが現況かもしれない。
みんながそれに気付いて自発的に行動できたら宣言なんて必要ないですし、私は言われなくても勝手に強くなっていこうと思います。
NO.22 yamanorisu さん
>それでも、その人たちの「自己」は、あるのですよね。
NO.23 ko_bee_mana_boo さん
>未来の人々にとっては、今生きている全ての人が「親」ではありませんか?
NO.27 yamato さん
>時代と社会と言う条件に関わりながら、これらを自分で判断実行する事は、物事や自然、人などとの「距離感」を重んじる日本人にとって、決して得意な事では無いと感じます。
NO.29 orcamie さん
>「独立自尊」を全うするには不条理に直面しても尚、それを守り続ける強さが必要だと思います。
NO.35 trasque さん
>どこまでも「心」の問題ではないかと思うのです。