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日本人が個人として自立するためにはどうすればいいのか?

「心身の独立を全うし、自らその身を尊重して、人たるの品位を辱めざる
もの、之を独立自尊の人と云ふ」。これは福澤諭吉の言葉です。でも、明
治以来、日本人の「独立自尊」はまだ達成できているとは思えません。ど
うしたら日本人に「独立自尊」を根付かせることができるのか。言い換え
ると、「個人として強くなるためにはどんな方策があるのか」。前回の「組
織と個人のあるべき関係とは?」から引き続いて、議論をしていきまし
ょう。

NO.43   trasque 2011/05/01 03:24:20 合計 0pt.

強くなる、弱くなる、という話から他者を相対的に評価してしまう視点は私も気をつけねばならないなと思いました。読んでいて「人間はそれぞれ、弱くもあり、強くもあり、それをまず認めていく所から始まる」という主張、特に共感致します。
また「自己裁量」を得んが為に、もしくは「尺度」を貫かんが為に、社会的な不利を被るという視点も現実問題として無視してはならないと考えます。

恐らく皆さんにもそういった「信念」と「現実」のトレードオフ、心の葛藤は幾度も体験されてきた事だと思います。その時、自分にどういった信念や尺度があったのか、それを貫けなかった自身の価値とは何なのか、そういったことに悩み苦しんでいくのかもしれません。
私はそういった状況で、ひとたび「ひいてしまう」事はどうしてもあると思います。現実社会を無視した精神性は「自然ではない」と考えるからです。しかし、その点だけを見て「自分は弱かった」とか「負けてしまった」と悲観する必要はないと思います。

その挑戦する心を失わない事、またどうするべきだったかを考え抜く事、自分の持つ尺度と自分の位置を再確認する事、そのような挑戦がその瞬間からまた始まるのだと思うのです。
勝負には「時」があると思います。その為の訓練が、また始まったのだと思えば、私は「負けではない」として良いのではないかと考えます。

そういう挑戦は、正直な自分への連続的な問いですから、同時に他者も「弱くもあり、強くもある」のだと認められるようになっていくのかもしれません。それはそのまま心の許容性に繋がっていくのではないでしょうか。
切実な一市民としての「信念」と、社会団体との「現実」で戦う中で壁を越えようとしていく。
そういった気概を持つ人が増えるかどうか。それが「民衆の力」として現れてくるのではないかと思います。

イケニエ、外的な圧力が効果をもたらすことは確かにあると思います。

それでも私は、最も遠回りであるように見えて、最も「根本的な変化」をもたらすのは、そういった「強い」民衆が少しでも増えていく事、すなわち一人が一人を奮い立たせる対話を重ねていけるかどうか、ではないかと信じたいな、と思っています。