出会いと別れについて教えてください
出会いが人をつくる。あるいは別れが人をつくるということがあると思います。
みなさんも、誰かと出会うことで、人生の方針が変わるほどの影響を受けたことがあるのではないでしょうか。
また、誰かと出会うことで、何か新しいものを生み出せたということもあると思います。ビートルズはメンバー四人が出会うことで新しい音楽を生み出しました。アップルもグーグルも創業者二人が出会い、お互いがお互いの足りない部分を補うことで、大きなビジネスを生み出しました。また、インターネットの発達によって、これまでは交わることがなかった個性と個性が出会うことで、世界中で新しいアイデアが生まれています。
もちろん、結婚や恋愛といった出会いもありますね。
あなたの人生であなたを変えた出会いは何ですか。あるいは今でも心に残っている別れは何ですか。
教えてください。
衝撃的ではないけれど、ここ数年の自分の変化のきっかけとなった出会いがあります。
ある学習の場で、何気なく話し始めた友人です。親しくなってから、彼女の家の本棚を見たとき、私が読みたいと思っていた本がずらっと並んでいて、とてもびっくりしました。興味を持っている分野が同じだったことで、とても刺激を受けます。何かを始める時は、全体像を把握してから始めたいと思う私と異なり、彼女はとにかく始めればそのうち様子がわかる、という考え方、というように、全く違う面もあります。
あるとき、「挑戦してみようかな」と私がぼんやりつぶやくと、即座に賛成し、それを乗り越えたらその次はこうすればいい、と、次々と想像し始めました。その勢いにグインと背中を押されて、最終的には挑戦することを決めたように感じています。
衝撃的な出会い、といえば、茂木さんとの出会いです。(直接お話したことがないので、茂木さんの言葉との出会い?)書評などで、茂木さんの本に興味を持っても、経歴と、髪型から(すみません)、とても私には理解できない方だろうと思い、結局読まずにいました。ところが、その宇宙人のように思っていた人が、大好きな『赤毛のアン』の番組に登場。実は、動く茂木さん、話をする茂木さんを見たのはそれが初めてで、自分が想像していた宇宙人のような人とは、違う?と、とても衝撃を受けました。それから、少しずつ茂木さんの本を読み始めました。茂木さんの、文系、理系のこだわりもなく、専門の枠にとらわれない自由さに触れて、知りたいという自分の思いに素直になってもいいと思えるようになりました。「根拠のない自信」も、持てれば苦労しないんだけど、と最初のうちは思っていたけれど、何回も聞くうちに、根拠なく不安がる自分に気づき、それなら、根拠のない自信を持った方が得か…、と思ったり。茂木さんの言葉や、行動には随分と影響を受けてきたと思います。
これからも、精力的に発信し続けていただきたいと思っています。
前回投稿を取り上げていただき、ありがとうございました。
ある学習の場で、何気なく話し始めた友人です。親しくなってから、彼女の家の本棚を見たとき、私が読みたいと思っていた本がずらっと並んでいて、とてもびっくりしました。興味を持っている分野が同じだったことで、とても刺激を受けます。何かを始める時は、全体像を把握してから始めたいと思う私と異なり、彼女はとにかく始めればそのうち様子がわかる、という考え方、というように、全く違う面もあります。
あるとき、「挑戦してみようかな」と私がぼんやりつぶやくと、即座に賛成し、それを乗り越えたらその次はこうすればいい、と、次々と想像し始めました。その勢いにグインと背中を押されて、最終的には挑戦することを決めたように感じています。
衝撃的な出会い、といえば、茂木さんとの出会いです。(直接お話したことがないので、茂木さんの言葉との出会い?)書評などで、茂木さんの本に興味を持っても、経歴と、髪型から(すみません)、とても私には理解できない方だろうと思い、結局読まずにいました。ところが、その宇宙人のように思っていた人が、大好きな『赤毛のアン』の番組に登場。実は、動く茂木さん、話をする茂木さんを見たのはそれが初めてで、自分が想像していた宇宙人のような人とは、違う?と、とても衝撃を受けました。それから、少しずつ茂木さんの本を読み始めました。茂木さんの、文系、理系のこだわりもなく、専門の枠にとらわれない自由さに触れて、知りたいという自分の思いに素直になってもいいと思えるようになりました。「根拠のない自信」も、持てれば苦労しないんだけど、と最初のうちは思っていたけれど、何回も聞くうちに、根拠なく不安がる自分に気づき、それなら、根拠のない自信を持った方が得か…、と思ったり。茂木さんの言葉や、行動には随分と影響を受けてきたと思います。
これからも、精力的に発信し続けていただきたいと思っています。
前回投稿を取り上げていただき、ありがとうございました。
前回の投稿を取り上げて頂いてありがとうございました
私は電撃的な出会い別れは特にありません。
前回の投稿でも触れたような、「ネット」を軸にした人間関係がこれまで僕の人生に影響してきました。もちろん地元の友達、のような旧友との付き合いもあります。
あまり自慢できる話ではありませんが、これまでいくつかネットゲームにハマってきました。
年単位で続いたゲームはこれまで三つのタイトルがあります。
どれも「もはやリアルの友達」と呼ぶ方が自然、な関係になった友人が出来たという共通点があります。
ゲームそのものが楽しかった事は基本として、そのような人達とはゲーム内で毎日のように言葉を交わしていました。
前回の大学生二人、はまた別ですので、はじめにネットゲームで知り合って以降、今でもお世話になっている方とは既に十年を超える付き合いとなっています。
私自身が連絡不器用で、高校などの旧友とあまり絡まなかった時期がありました。
それでも時々飲みに誘ってくれる友人達がいましたが、なかなか参加できずにいました。
ふとした事で、MSNのメッセンジャーだったり、SkypeやTwitterのアカウントを交換するなどして改めて交流が深くなったり、といった事があります。
最後にハマったゲームでの仲間は同世代が多かったので、次第に仕事や進路の事でゲームから遠ざかっていきました。
時々飲むだけですが、そのチームでたまに集まると何だか「ホーム」に戻ったような安心感があります。
今では、当時ゲーム内で連日馬鹿騒ぎしていたのが嘘のように思える程、交流は少なくなりました。
チームの一人が何かの拍子に、出世したとか、これを達成したとかいう報告が、ポツッとSkypeのチャンネルに書き込まれる事があります。
私自身、なんだかんだで社会的に自立できていなかったり、病気でうまくいかなかったりするのですが、そんな報告をひとつ聞くだけで勇気を与えられたように思えるのです。
そのチームのメンバーとはじめて出会ったのは秋葉原の駅前の事でした。やたら気軽に、ちょっと会ってみっか!というだけのものでしたが、今でもその時の情景は鮮明に思い出せます。
その時は、それ程大事な仲間として付き合えるとは思ってもいませんでした。
ゲーム内でちょっと行動が違っていたら、知り合いすらしなかったかもしれない、はじめはそんな程度のものだったのです。
先日高校の旧友達と飲みました。
今では月に一度の頻度で、幹事を持ち回りしてやっています。
気のおけない友人達の空間がこれほど幸せな事だとはと、帰りの電車でいつも思います。
そういった出会いがあって、頑張っている事さえわかれば、いざ一人で苦しくなっても「いや、俺も負けてなるものか」と奮起できます。
また、自分自身も何かで活躍して彼らへの勇気の一端となれたらと願えるようにもなりました。
そんな時に私はいつも「人間としてもっと大きくなりたい」と願うのです。
私には電撃的な出会いや別れはありません。
祖父母が亡くなった時は少し泣きました。それぞれ私に伝えようとしてくれたメッセージがありました。彼らの言葉や、私にしてくれた行動は、私の中で残っています。
私が生きようとするかどうかで、彼らの意味に価値を生み出せるのだ、と思う事があります。
確かに戦争で青春を奪われた世代なのかもしれません。しかし彼らは私へ常に希望を持てと教えてくれました。
資産もなく地位もない祖父母達で決して健康ではありませんでした。第三者的には不幸な人生と映るかもしれません。
それでもこの私がこの人生の中で、今全力で生きてやるぞと燃えているならば、彼らの人生に大きな意味があったことになるのだと思います。
それを決められるのは今生きているこの自分自身なのだと思える訳です。
以上が私の出会いと別れです。
生きる、ということを伝え、お互いに価値を生み出していけるものと思います。
私は電撃的な出会い別れは特にありません。
前回の投稿でも触れたような、「ネット」を軸にした人間関係がこれまで僕の人生に影響してきました。もちろん地元の友達、のような旧友との付き合いもあります。
あまり自慢できる話ではありませんが、これまでいくつかネットゲームにハマってきました。
年単位で続いたゲームはこれまで三つのタイトルがあります。
どれも「もはやリアルの友達」と呼ぶ方が自然、な関係になった友人が出来たという共通点があります。
ゲームそのものが楽しかった事は基本として、そのような人達とはゲーム内で毎日のように言葉を交わしていました。
前回の大学生二人、はまた別ですので、はじめにネットゲームで知り合って以降、今でもお世話になっている方とは既に十年を超える付き合いとなっています。
私自身が連絡不器用で、高校などの旧友とあまり絡まなかった時期がありました。
それでも時々飲みに誘ってくれる友人達がいましたが、なかなか参加できずにいました。
ふとした事で、MSNのメッセンジャーだったり、SkypeやTwitterのアカウントを交換するなどして改めて交流が深くなったり、といった事があります。
最後にハマったゲームでの仲間は同世代が多かったので、次第に仕事や進路の事でゲームから遠ざかっていきました。
時々飲むだけですが、そのチームでたまに集まると何だか「ホーム」に戻ったような安心感があります。
今では、当時ゲーム内で連日馬鹿騒ぎしていたのが嘘のように思える程、交流は少なくなりました。
チームの一人が何かの拍子に、出世したとか、これを達成したとかいう報告が、ポツッとSkypeのチャンネルに書き込まれる事があります。
私自身、なんだかんだで社会的に自立できていなかったり、病気でうまくいかなかったりするのですが、そんな報告をひとつ聞くだけで勇気を与えられたように思えるのです。
そのチームのメンバーとはじめて出会ったのは秋葉原の駅前の事でした。やたら気軽に、ちょっと会ってみっか!というだけのものでしたが、今でもその時の情景は鮮明に思い出せます。
その時は、それ程大事な仲間として付き合えるとは思ってもいませんでした。
ゲーム内でちょっと行動が違っていたら、知り合いすらしなかったかもしれない、はじめはそんな程度のものだったのです。
先日高校の旧友達と飲みました。
今では月に一度の頻度で、幹事を持ち回りしてやっています。
気のおけない友人達の空間がこれほど幸せな事だとはと、帰りの電車でいつも思います。
そういった出会いがあって、頑張っている事さえわかれば、いざ一人で苦しくなっても「いや、俺も負けてなるものか」と奮起できます。
また、自分自身も何かで活躍して彼らへの勇気の一端となれたらと願えるようにもなりました。
そんな時に私はいつも「人間としてもっと大きくなりたい」と願うのです。
私には電撃的な出会いや別れはありません。
祖父母が亡くなった時は少し泣きました。それぞれ私に伝えようとしてくれたメッセージがありました。彼らの言葉や、私にしてくれた行動は、私の中で残っています。
私が生きようとするかどうかで、彼らの意味に価値を生み出せるのだ、と思う事があります。
確かに戦争で青春を奪われた世代なのかもしれません。しかし彼らは私へ常に希望を持てと教えてくれました。
資産もなく地位もない祖父母達で決して健康ではありませんでした。第三者的には不幸な人生と映るかもしれません。
それでもこの私がこの人生の中で、今全力で生きてやるぞと燃えているならば、彼らの人生に大きな意味があったことになるのだと思います。
それを決められるのは今生きているこの自分自身なのだと思える訳です。
以上が私の出会いと別れです。
生きる、ということを伝え、お互いに価値を生み出していけるものと思います。
小学6年生の二学期いっぱいで転校するケンカ友達がいた。
終業式の日に髪の引っ張りあいをする位激しいケンカをしていた。女の子だからおたがい口も達者で引く事を知ら
なかった。悔しくなった私は「早く転校してしまえ!!」と言ってしまった。
彼女は泣かずに言い返したが、明らかに傷ついた表情だった。わたしも言い過ぎた、と瞬時に悟った。彼女は回りにいた他の子に慰められながら帰っていった。私はプライドが邪魔をして謝れなかった。
そのまま会うこともなく、謝りたくても謝れず苦い思い出として30年近く残っている。口に出す前に考えないといけないと痛切に感じた取り返しのつかない別れだった
終業式の日に髪の引っ張りあいをする位激しいケンカをしていた。女の子だからおたがい口も達者で引く事を知ら
なかった。悔しくなった私は「早く転校してしまえ!!」と言ってしまった。
彼女は泣かずに言い返したが、明らかに傷ついた表情だった。わたしも言い過ぎた、と瞬時に悟った。彼女は回りにいた他の子に慰められながら帰っていった。私はプライドが邪魔をして謝れなかった。
そのまま会うこともなく、謝りたくても謝れず苦い思い出として30年近く残っている。口に出す前に考えないといけないと痛切に感じた取り返しのつかない別れだった
祖父が亡くなったとき、私は、毎日、泣いていました。
そんな私に、お医者さんは、教えてくれました。
これはね、仕方がないんだよって。
愛すれば、愛するほど、その人との別れは、つらいものになる。
愛されれば、愛されるほど、その人との別れは、つらいものになる。
私は、祖父に、とても愛されていたから、
祖父が亡くなって、今、私は、とても、悲しんでいるんだよ、と。
そして、お医者さんは、祖父が亡くなっても、私は、生きていくことを、教えてくれました。
そうして、私は、悲しみから、立ち直ったのですが、
お医者さんの言葉を、何度も、ずっと、思い出していました。
そして、それでも、私は、全力で、人を、愛していくんだ、という決意が、生まれたのです。
でも、その日は、訪れました。
飼っていた猫が、死んでしまったのです。
私は、泣き崩れて、立ち上がることが、できませんでした。
それでも、また、立ち直って、
今度は、前以上に、全力で、人を、猫を、愛することにしたのです。
それから、私は、別れや、死について、考えるようになりました。
いなくなってから、その人の存在や、思っていたかもしれない気持ちに、気づくのならば、と、
その人の空白を、想像することで、
その人の存在が、どれほど、大きなもので、失うと、どれほど、悲しいものかを、想像しています。
だから、私は、出会いを、とても、大切にしたいです。
その人を、とても、大切に、したいのです。
人が死ぬとき、最後にできることは、別れてあげることかも、しれないそうです。
でも、私は、最後は、愛を、自分の心を、気持ちを、伝えようと、思っています。
お医者さんの言うとおりだと、私が亡くなると、
私が愛した人は、私を愛してくれた人は、私との別れは、とても、つらくなるはずです。
だから、人を愛すると決めた以上、
私は、生き続けることを、考えねばならない、と、思っています。
そんな私に、お医者さんは、教えてくれました。
これはね、仕方がないんだよって。
愛すれば、愛するほど、その人との別れは、つらいものになる。
愛されれば、愛されるほど、その人との別れは、つらいものになる。
私は、祖父に、とても愛されていたから、
祖父が亡くなって、今、私は、とても、悲しんでいるんだよ、と。
そして、お医者さんは、祖父が亡くなっても、私は、生きていくことを、教えてくれました。
そうして、私は、悲しみから、立ち直ったのですが、
お医者さんの言葉を、何度も、ずっと、思い出していました。
そして、それでも、私は、全力で、人を、愛していくんだ、という決意が、生まれたのです。
でも、その日は、訪れました。
飼っていた猫が、死んでしまったのです。
私は、泣き崩れて、立ち上がることが、できませんでした。
それでも、また、立ち直って、
今度は、前以上に、全力で、人を、猫を、愛することにしたのです。
それから、私は、別れや、死について、考えるようになりました。
いなくなってから、その人の存在や、思っていたかもしれない気持ちに、気づくのならば、と、
その人の空白を、想像することで、
その人の存在が、どれほど、大きなもので、失うと、どれほど、悲しいものかを、想像しています。
だから、私は、出会いを、とても、大切にしたいです。
その人を、とても、大切に、したいのです。
人が死ぬとき、最後にできることは、別れてあげることかも、しれないそうです。
でも、私は、最後は、愛を、自分の心を、気持ちを、伝えようと、思っています。
お医者さんの言うとおりだと、私が亡くなると、
私が愛した人は、私を愛してくれた人は、私との別れは、とても、つらくなるはずです。
だから、人を愛すると決めた以上、
私は、生き続けることを、考えねばならない、と、思っています。