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Daily PLANETS20180306〈福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第六章 オタク・メディア・家族 2 子供を育てる子供(2)【毎月配信】〉

2018年03月08日配信
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☆ Daily PLANETS ☆
福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第六章 オタク・メディ
ア・家族 2 子供を育てる子供(2)【毎月配信】
http://wakusei2nd.com
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福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第六章 オタク・メディ
ア・家族 2 子供を育てる子供(2)【毎月配信】



──────文芸批評家・福嶋亮大さんが、様々なジャンルを横断しながら日本
特有の映像文化〈特撮〉を捉え直す『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景
( http://ch.nicovideo.jp/wakusei2nd/blomaga/tag/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%82%B5%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%81%AE%E9%A2%A8%E6%99%AF ) 』。大伴昌司と佐々木守が切り拓いた、子供に居直るのでもなければ、親
として生きるのでもない、むしろ「子供がそのまま主体であり得る世界」に向け
て文化を整理し製作し伝承しようとしたコミュニケーションのあり方の中に、「
オルタナティヴなオタク」の像を見出します。

■ 文化の統合装置としての少年
 一八九六年生まれの加藤謙一編集長のもと、『少年倶楽部』は一九二〇年代以
降、佐藤紅緑、江戸川乱歩、吉川英治、南洋一郎、大佛次郎、山中峯太郎、高垣
眸、海野十三、平田晋策ら大衆作家による幅広いテーマの小説群を展開するとと
もに、川端康成、横光利一ら新感覚派の少年小説も掲載した。ヴィジュアルな方
面でも、三〇年代以降の『少年倶楽部』では加藤や円谷英二と同世代の田河水泡
の『のらくろ』や島田啓三の『冒険ダン吉』のような戦前を代表する漫画が連載
された。紙芝居作家として出発し、そのデッサン力を活かして「絵物語」の分野
を切り拓いた山川惣治も、この雑誌から台頭した。戦後に大ヒットした山川の絵
物語『少年王者』や『少年ケニヤ』は『少年倶楽部』の仕事の延長線上に位置す
る。

 少年の友情や成長を大きなテーマとする一方、小説と漫画を横断しつつ、ジャ
ンルで言えば冒険小説、探偵小説、SF、時代小説まで、地理で言えばヨーロッ
パからアフリカ、戦国時代の日本までを含む『少年倶楽部』は、驚くほど雑多で
「教育的」な雑誌であった。加藤謙一は「課外の読み物である子どもの雑誌は、
一種の教科書であるのは当然のことだろう」という信念を抱いており[39]、その
編集方針が『少年倶楽部』を教育的かつ娯楽的なエンサイクロペディアに近づけ
た(ちなみに、下中弥三郎率いる平凡社が看板事業となる『大百科事典』の刊行
を開始したのは、『のらくろ』の連載が始まった一九三一年である)。明治以降
の文学が「青年」を近代的な自意識(孤独や煩悶)と紐づけたとすれば、昭和の
サブカルチャーは「少年」を文化の統合装置として利用したのだ。戦後の大伴昌
司による雑誌の情報化=百科事典化は、まさにこの戦前の統合装置を再起動する
ような試みである。

 もとより、『少年倶楽部』の作品群も、戦時下の愛国主義と無縁であったわけ
はない(加藤謙一は敗戦後にGHQの指令で公職追放にあった)。にもかかわら
ず、小川未明らの童話とは違って、戦前・戦中の『少年倶楽部』の企ては戦後サ
ブカルチャーのさまざまな分野で継承された。この大胆な「遺産相続」は、戦後
の精神史において異彩を放っている。例えば、加藤典洋は九〇年代後半の論考で
「日本の戦前と戦後はつながらないことが本質である」と述べて、戦前と戦後を
調和させる論理がないことを強調したが[40]、こと少年文化に限っては、むしろ
そのような断絶を屈託なく乗り越えようとする傾向があった。

 現に、第二章で述べたように、高垣眸原作の『豹の眼』や『快傑ハリマオ』の
ように「帝国の残影」を帯びた宣弘社のドラマは、『少年倶楽部』の冒険小説的
な海外雄飛のモチーフを再来させ、かつての大東亜共栄圏のヒーローをテレビに
おいて蘇らせた。あるいは、内田勝も『少年マガジン』を『少年倶楽部』の伝統
を引き継ぐ雑誌として位置づけており、同世代の梶原一騎に協力を依頼するとき
にも「『マガジン』の佐藤紅緑になって下さい」という口説き文句を使った[41]。

 この内田の誘いに乗って『あしたのジョー』や『巨人の星』等のいわゆる「劇
画」の原作者となった梶原もまた、『少年倶楽部』以降の少年小説の嫡子である。
彼は自伝のなかで、劇画のルーツとして敗戦直後の少年誌ブームに言及しつつ、
山川惣治に加えて『大平原児』『地球SOS』の小松崎茂、『黄金バット』の永
松健夫、『砂漠の魔王』の福島鉄二ら「絵物語」の作家たちを挙げた[42]。同じ
ように、大伴昌司も『少年マガジン』の一九七一年の特集「現代まんがの源流」
で手塚治虫を「映画的表現法」の導入者として位置づける一方、山川や小松崎ら
の絵物語についても「後の少年誌が、まんがを中心とした視覚雑誌として発展し
ていくための素地となった」と適切に位置づけている(山川の代表作『少年王者』
を「七〇ミリ映画のような画面構成」と評するのも面白い)。この簡明な漫画史
は『少年マガジン』の劇画、さらには大伴自身のヴィジュアル・ジャーナリズム
の歴史的な「起源」を探索する試みでもあっただろう。


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■ 戦前と戦後をまたぎ越す雑誌とモノ
 私は先ほど、六〇年代後半の『少年マガジン』が現実と虚構にまたがる「総合
雑誌」であったことに注目したが、メディア史的に言えば、その原点には戦前の
エンサイクロペディア的な『少年倶楽部』があり、それを引き継いだ敗戦直後の
少年誌の隆盛があった。この「文化の統合装置」としての少年は、本来つながら
ないはずの戦前と戦後もつないでしまう。社会的に「正しい」とされるメッセー
ジが戦争の前後で反転したのに対して、メディアの特性はかなりの程度継承され
たのだ。戦中は愛国主義教育の受け手となり、戦後は民主主義教育の送り手となっ
た少国民世代には、まさにこの二つの時代のあいだのメッセージ的不連続性とメ
ディア的連続性が刻印されていた。

 情報社会のトリックスター大伴昌司が結びつけたウルトラシリーズと『少年マ
ガジン』は、この少国民世代の飛躍の場となった。六〇年代後半の『少年マガジ
ン』には一九三二年生まれの白土三平『ワタリ』、三六年生まれの梶原一騎原作
の『巨人の星』と『あしたのジョー』、三八年生まれの石ノ森章太郎『サイボー
グ009』等に加えて、三六年生まれの楳図かずおの漫画版『ウルトラマン』も
掲載されていた。彼らは円谷一、飯島敏宏、実相寺昭雄、金城哲夫、佐々木守、
上原正三らとちょうど同世代である。

 この少国民世代を特徴づけるのは「投稿」への情熱である。加藤謙一は『少年
倶楽部』で「親愛なる愛読者諸君」という呼びかけを多用し、読者文芸欄も充実
させていたが[43]、この教育者=編集者=煽動者としての彼が戦後まもない一九
四七年に創刊した『漫画少年』――山川惣治の劇画的な『ノックアウトQ』、加
藤を親のように慕った手塚治虫の『ジャングル大帝』『火の鳥』、長谷川町子の
『サザエさん』、うしおそうじの漫画等を掲載した――は五五年に倒産するまで、
松本零士、梶原一騎、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫、寺田ヒロオ、横
尾忠則、筒井康隆らこの世代の「投稿少年」たちを育てた伝説的な雑誌となった。
彼らは受け手かつ書き手であるプロシューマー(生産消費者)としての子供の先
駆けであり、やがて彼ら自身も「少年」を宛先とする『少年マガジン』の主力と
なっていく。文化的な親子と呼ぶべき加藤謙一と内田勝が成長させた少年誌とい
うメディアは、戦前と戦後をまたぎ越しながら、消費者を生産者に導く回路を作っ
たのだ。

 さらに、ここで見逃せないのは、加藤が小説や漫画に加えて「モノ」によって
読者との接点を保ったことである。『少年倶楽部』は雑誌の「付録」にも力を入
れており、一九三一年に中村星果の設計した大飛行艇ドックス号模型の付録が好
評を博したのに始まり、翌年の新年号では軍艦三笠の模型を実物の縮尺の組み立
て付録にして、六〇万部以上を売り上げた[44]。これも広義の技術教育と言える
だろう。加藤は読者を小さなホモ・ファーベルに変えて、雑誌と子供の絆を深め
た。

 戦後になっても、一九三四年生まれの田宮俊作のもとで兵器のプラモデルの市
場を開拓したタミヤが、小松崎茂の描くダイナミックな箱絵を飛躍のきっかけと
したことはよく知られている(小松崎アートの第一号である「パンサー戦車」は
一九六二年に発売された)。田宮は実際の戦争からではなく、アメリカのアバディー
ンの戦車博物館のようなアーカイヴに取材して、精密な模型を作った。タミヤの
模型は、ソ連製もドイツ製もアメリカ製も日本製もひとしなみに工芸品のような
「モノ」と見なす博物学的な美学に立脚しながら[45]、絵物語の第一人者にして
戦時下の「模型教育」の一翼を担ったこともある小松崎のイラストによって、広
範な受け手へと手渡された[46]。そのタミヤが八〇年代に開発し、子供を模型の
「編集者」に変えた改造可能なミニ四駆は、まさに少年の文化史の末裔に他なら
ない。


■ 少年と少女のあいだ
 六〇年代後半のウルトラシリーズの作り手たちが円谷英二と『ハワイ・マレー
沖海戦』と『ゴジラ』の子供であったように、同時期の『少年マガジン』の作り
手たちも加藤謙一と『少年倶楽部』と『漫画少年』の子供であった。面白いこと
に、佐々木守の経歴はこの双方にまたがっている。

 石川県生まれの佐々木にとっては、地元の貸本屋が少年文化に触れるきっかけ
となった。一九四八年に雑誌『冒険活劇文庫』で連載開始された小松崎茂のSF
的な絵物語『地球SOS』に熱中した彼は、『少年倶楽部』で活躍した山中峯太
郎、佐藤紅緑、南洋一郎、山川惣治らの作品の復刻版に触れた後、一九五五年に
明治大学に入学し、児童文化研究部に入る。佐々木本人による当時の回想を引用
しよう。

──────
ぼくはいつかは山中峯太郎や高垣眸のような小説家になりたいと思っていた。け
れども当時はこういった小説は大衆的な娯楽作品だといって一段低く見られてい
たので、ぼくは児童文学をやるということにしていたのである。[47]


 佐々木はその後、詩人で児童文学者の佐野美津男に出会ったことをきっかけに、
戦前から続く童心主義を批判し、少年の「主体性」を重視し始める。一九五七年
に発表された彼の論説は、「児童文学の戦争責任」を問題にしつつ「新しい児童
文学は近代性をとりかえすことからはじめなければならない」と述べ「自我の確
立」を強く訴えていた[48]。大学卒業後の佐々木は、大島渚の映画に加えてラジ
オとテレビの脚本に活躍の場を求めるが、その仕事の根底には旧来の児童文学へ
の批評意識があった。

 先述したように、佐々木の手掛けた『ウルトラマン』の脚本は「ウルトラマン
の戦争」から距離を置いたが、そこにはメルヘン的な逆転も含まれている。例え
ば、子供の落書きから生まれたガヴァドンのエピソードでは、右往左往する大人
ではなく、むしろ怪獣を創作する子供のほうが「主体性」を帯びて現れてくる。
逆に、ガマクジラやシーボーズ、スカイドンのエピソードでは、科特隊の大人た
ちがまるで子供になったように、怪獣との戦闘を「遊び」に変えてしまう。郷秀
樹という「青年」を中心化した上原正三が『帰マン』で東京を戦時下に変えたの
に対して、遊び好きの「少年」を浮上させた佐々木守はウルトラマンの童話化を
推し進めた。それは子供に「戦争協力」をさせないという、佐々木なりの倫理で
もあっただろう。

 児童文学から出発した佐々木にとって、メディアは子供の感情教育の場であっ
た。例えば、現代っ子がもてはやされていた六〇年代後半に、彼は『ウルトラマ
ン』に続いてTBSで『コメットさん』の脚本を担当し、その超能力者の女性の
お手伝いさんにことさら「現代っ子を鍛え直す」という役割を与えた[49]。佐々
木は戦後民主主義者らしく、権威的な父や教師ではなく異星人の女性のストレン
ジャー(まれびと)を「教育者」として定めたのだ。それは彼が、ウルトラマン
という超人によってではなく、ガヴァドンという珍妙な怪獣によって子供たちを
「教育」したことと並行している。彼は「ヘンなもの」のもつ教育効果をよく理
解していた。

 さらに、『ウルトラマン』から『コメットさん』までを含む佐々木の仕事は、
ジェンダー論的に見ても興味深い。彼は『ウルトラマン』と同時期に梶原一騎原
作のアニメ『巨人の星』の脚本を数話担当した後、一九六九年に同じ梶原原作の
TBSのスポ根ドラマ『柔道一直線』のメインライターとなり、少年の成長物語
をテーマ化した。その一方で、七〇年代前半には大ヒットした『おくさまは一八
歳』をはじめ、中山千夏主演の『お荷物小荷物』――俳優がしばしば役柄を離れ
てその俳優本人として演技した「脱ドラマ」――や山口百恵主演の『赤い迷路』
等の女性中心のドラマが、佐々木のシナリオによって放映された。彼はアニメの
分野でも、一九七四年に放映開始された高畑勲演出の『アルプスの少女ハイジ』
の中盤、ハイジが都会のフランクフルトに出てきて「アーデルハイド」という新
しい名前のもとで生活し始め、やがてアルプスの山に戻ってクララと再会しその
自立を助けるパートの脚本を担当した(その絵コンテの多くを担当したのが富野
由悠季である)。

 周知のように、『アルプスの少女ハイジ』は直線的な成長物語ではなく、山の
少女が都会の少女をゆっくりした時間と自然のなかで治癒するという物語であり、
まさに「子供を育てる子供」の話でもあった。それは同時期に放映された『宇宙
戦艦ヤマト』の日本人の男性の乗組員が、宇宙空間をまっすぐ前進していったの
とは対照的である。一九三五年生まれの高畑の肌理細やかな演出は、異空間に船
出しようとする男根的なヒロイズムにではなく、少女の心身を癒す豊かな日常的
時間にこそ輝きを与えた。その傍らで、佐々木の脚本は『ウルトラマン』を少年
の童話に変えつつ、少女をテレビの新たな主人公として造形していたのだ。


■ 童話化する革命
 ところで、前章で述べたように、佐々木守は一貫して「革命」を夢見ていた脚
本家だが、彼の革命幻想も七〇年代半ばに「少女化」したように見える。そのこ
とは、日本赤軍の著名な活動家・重信房子の口述自伝において顕著である。

 一九四五年生まれの重信はもともと明治大学の児童文化研究部に所属しており、
佐々木の後輩に当たる。佐々木は革命運動に身を投じた重信を取材するために、
同い年の若松孝二とともに彼女の潜伏するレバノンのベイルートに赴いた後、『
アルプスの少女ハイジ』が放映されていた一九七四年に、彼女のインタビューを
構成して『わが愛わが革命』を刊行した。それは臆面のない「物語化」を含んで
いる。佐々木自身、あとがきで次のように断っていた。「一、より感情過多であ
る部分。二、よりアクション的な部分。よりものがたり的な部分。四、事実がフィ
クション化し、フィクションが事実化している部分。これは、結局、ぼくがテレ
ビライターであることから生じたものである。つまり、テレビジョンとは、事実
をフィクション化し、フィクションを事実化するものだからである」[50]。

 大塚英志はこの佐々木の記述を引用しながら、『わが愛わが革命』が「タレン
ト本の書式」で書かれたことに違和感を表明している。彼の考えでは、連合赤軍
事件の永田洋子がその手記で「自らのことばをもって語ろうと」したのと違って、
重信は他人に自己の物語の製作を委ねてしまった。大塚はパレスチナで闘う重信
を撮った足立正生+若松孝二監督の伝説的な映画『赤軍―PFLP』(一九七一
年)も、新左翼運動のアイドルである彼女の「プロモーションビデオ」にすぎな
いと辛辣に述べている[51]。

 この大塚の見解に加えて、私は『わが愛わが革命』が児童文学のように書かれ
たことに注目したい。例えば、佐々木は重信房子と奥平剛士が偽装結婚をしてベ
イルートに到着し、そこで「アラブの仲間」たちから名前を与えられるシーンを
次のように描いている。

──────
 奥平君は「バーシム」
 わたしは「サミーラ」
「サミーラ」――口の中で、ちょっとつぶやいて、横にいた奥平君をチラと見る
と、彼も小さく唇を動かしている。おそらく口の中でわたしと同じように、「バー
シム、バーシム」とつぶやいているのに相違なかった。
「バーシムとサミーラ」
 なんだか、その時を期して、わたしは新しい人間になったような気がした。そ
の日が、新しい女・サミーラの誕生日なのだ。[52]


 ハヤタ隊員がウルトラマンとの出会いによって再生するように、あるいはハイ
ジが「アーデルハイド」という新しい呼び名とともに未知の都会フランクフルト
で生きていくように、重信も「サミーラ」というアラブ人の名前を得て、日本か
ら遠く離れたベイルートで「新しい女」に生まれ変わる。「テレビ的」な虚構化
を躊躇わない佐々木は、ここで重信を児童文学の主人公のように演出していた。


■ 少女の兵士
 もっとも、重信自身はこの男性の児童文学者による「演出」とは別の次元に生
き始めていた。面白いことに、『わが愛わが革命』には彼女が児童文学から離れ
る顛末も記されている。

──────
 中学校の先生になりたいと思っていたわたしは、大学入学と共に児童文化研究
部にも出入りして、児童文学を書いたり、読んだりしていた。アルバイト先の日
刊工業新聞で、そういうわたしを知って偉いなといいながら、自分の家にある古
い童話の本をいっぱい貸してくれた人もあった。
 けれども、童話の世界も、またわたしから少しずつはなれていってしまった。
「白雪姫」の物語を読んでも、魔法使いよりも白雪姫の方が悪いんじゃないかし
ら、そんな風に思えて来たとき、わたしは児童文学とも別れることになったので
ある。[53]


 六〇年代に『ウルトラマン』を童話に変えた佐々木が、重信の自伝にも同じよ
うな物語化を施したのに対して、当の重信はそのような「童話の世界」には早々
に見切りをつけていた。ここには「革命の物語」をめぐる男女のすれ違いが刻印
されている。実際、彼女の「現状報告」として一九八四年に刊行された『ベイルー
ト一九八二年夏』は、パレスチナ・シリア軍とイスラエル軍の戦闘を記録しなが
ら、PFLPとの団結を改めて表明する硬い書物であった。

 ただ、そもそも赤軍派の革命観が、子供っぽい欲望と一体であったことも否定
できない。日本の革命運動を研究したパトリシア・スタインホフが言うように、
学生運動が一般に自衛隊を軽蔑していたにもかかわらず、赤軍派は闘争用語をエ
スカレートさせ、チェ・ゲバラやカストロ、毛沢東を神秘化し、大学の政治活動
の枠を超えた「軍」へのロマン主義的な憧れを学生たちに植えつけた[54]。重信
はまさに美貌の「兵士」として、このロマン主義的想像力を加速させた。

 ここで注目に値するのは、この「女性兵士」としての革命の主体像がサブカル
チャーにおいてたびたび動員されたことである。『ベイルート一九八二年夏』の
刊行と同年に公開された宮崎駿の『風の谷のナウシカ』は、その典型例である。
主人公ナウシカは風の谷から飛び出して他国の兵士とともに強大な帝国と闘うが、
それは重信が日本から飛び出して、レバノンやパレスチナの同志とともに無国籍
的な反米の戦士となったことを髣髴とさせる。ナウシカはいわば「成功した重信
房子」なのだ。さらに、それと似たことは、押井守監督のサイバーパンク・アニ
メ『攻殻機動隊』(一九九五年)の女性主人公・草薙素子にも言えるだろう。軍
人出身の彼女もまた、広大な電子ネットワークの海にダイブして日本を超えた「
無国籍」の存在になっていくのだから(ちなみに押井は二〇一五年にも、いじめ
を受けていた少女がロシアと闘う兵士として「覚醒」する実写映画『東京無国籍
少女』を撮っている)。

 そう考えると、美貌の運動家・重信房子を児童文学の主人公のように仕立てあ
げた佐々木の手法は、宮崎や押井ら男性のアニメ作家の欲望に先駆けていたと言
えるだろう。もし佐々木がアニメーターであったならば、ナウシカのような少女
の兵士を描いたに違いない。前章で述べたように、日本の戦後サブカルチャーに
は軍事的な意匠が目立つが、この「軍」への欲望は右翼のナショナリズムだけで
はなく左翼の革命幻想にも共通するものであった。現実の新左翼運動が沈滞して
いく八〇年代以降、サブカルチャー化した革命幻想は童話の少女によって救済さ
れたのである。


■ 子供を育てる子供
 以上のように、大伴昌司と佐々木守はメディアにおいて子供を教育しつつ、子
供という「統合装置」を利用して少年誌やテレビドラマを作り出した。つまらな
い大人への成熟を拒んだこの両者は、子供を育てる子供であるとともに子供によっ
て育てられた子供でもあった。ウルトラシリーズはこの子供との相互作用の豊か
さを象徴する作品である。

 むろん、佐々木の『わが愛わが革命』が示すように、それは無防備な物語化と
無縁ではない。とはいえ、ここで強調しておきたいのは、ジャーナリズムや児童
文学から出発した大伴と佐々木が、子供に居直るのでもなければ、親として生き
るのでもなく、むしろ「子供がそのまま主体であり得る世界」に向けて文化を整
理し製作し伝承しようとした、そのコミュニケーションのあり方である。彼らは
子供を育てる子供として、言い換えれば世代を超えようとする世代として生きた。
私はそこにこそ、本章冒頭で予告した「オルタナティヴなオタク」の像を認めた
い。

 思えば、彼らの活躍した七〇年代は、二四年組の少女漫画から中上健次の小説
に到るまで、日本文化のさまざまな局面で家族への回帰が目立った時代である。
すでに何度も述べてきたように、後期ウルトラシリーズもファミリー・ロマンス
に傾斜した。ポスト万博の時代に根ざした『帰マン』が兄弟(兄妹)の関係を浮
上させたのを皮切りに、後期ウルトラシリーズでは『タロウ』のような優しい母
と息子の、あるいは『レオ』のような厳しい父と息子のファミリー・ロマンスが
目立つようになる。それらは総じて、孤児が家族を手に入れるという定型化され
た物語をなぞっていた。

 それに対して、前期ウルトラシリーズの人気を支えた大伴昌司や佐々木守は、
「家」をそれほど素朴には受け入れなかった。大伴は『暮しの手帖』の影響を受
けつつも、部屋から家への通路を秘密のままに留め、佐々木はホームドラマの『
お荷物小荷物』で、東京の一家に復讐する沖縄出身の女性を主役とした。だとし
ても、彼らが紋切型のファミリー・ロマンスとは異なるやり方で、世代間のコミュ
ニケーションとメディアでの教育を信じたことは確かである。彼らはメディアの
仕事によって、いわば疑似的な家族を作った。戦後サブカルチャーの風景を形作っ
たのは、この世代を超える家族の力なのである。。

──────
[39] 加藤謙一『少年倶楽部時代』(講談社、一九六八年)一二六頁。
[40] 加藤典洋『戦後的思考』(講談社文芸文庫、二〇一六年)四七六頁。
[41] 内田前掲書、一〇五頁。
[42] 梶原一騎『劇画一代』(小学館、二〇一一年)一二頁。
[43] 尾崎秀樹『思い出の少年倶楽部時代』(講談社、一九九七年)三五四頁。
[44] 加藤謙一前掲書、一五三頁以下。加藤丈夫『「漫画少年」物語』(都市出
版、二〇〇二年)一四〇頁。
[45] 田宮俊作『田宮模型の仕事』(文春文庫、二〇〇〇年)第四章参照。
[46] 戦時下の小松崎は「少国民」向けの科学的啓蒙の一環としての模型教育を
支えた雑誌『機械化』で、空想科学兵器の「図解」を手掛けていた。松井広志「
戦時下の兵器模型と空想兵器図解」大塚英志編『動員のメディアミックス』(思
文閣出版、二〇一七年)参照。この仕事は大伴昌司の図解に直結するものだろう。
[47] 佐々木守『戦後ヒーローの肖像』五六頁。
[48] 佐々木守「児童文学における近代性への疑問」前掲『資料/戦後児童文学
論集2』八一頁。
[49] 佐々木守『戦後ヒーローの肖像』一四七頁。
[50] 重信房子『わが愛わが革命』(講談社、一九七四年)二五四頁。
[51] 大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍』三〇九、三一三頁。
[52] 重信前掲書、三〇頁。
[53] 同上、一七九頁。
[54] パトリシア・スタインホフ『死へのイデオロギー』(木村由美子訳、岩波
現代文庫、二〇〇三年)八二頁。


"▼プロフィール"
"福嶋亮大(ふくしま・りょうた)"
1981年京都市生まれ。文芸批評家。京都大学文学部博士後期課程修了。現在は立
教大学文学部文芸思想専修准教授。文芸からサブカルチャーまで、東アジアの近
世からポストモダンまでを横断する多角的な批評を試みている。著書に『復興文
化論( https://www.amazon.co.jp/dp/4791767330?tag=wakusei2nd0d-22 ) 』(サ
ントリー学芸賞受賞作)『厄介な遺産( https://www.amazon.co.jp/dp/4791769430?tag=wakusei2nd0d-22 ) 』(やまなし文学賞受賞作)『神話が考える
( https://www.amazon.co.jp/dp/4791765273?tag=wakusei2nd0d-22 ) 』がある。

──────本メルマガで連載中の『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』、
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前回:福嶋亮大『ウルトラマンと戦後サブカルチャーの風景』第六章 オタク・
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「Daily PLANETS」

PLANETS/第二次惑星開発委員会
【 料金(税込) 】 880円(税込) / 月
【 発行周期 】 週1回予定

評論家の宇野常寛が主宰する、批評誌〈PLANETS〉のメールマガジンです。 2014年2月より、配信開始! いま宇野常寛が一番気になっている人へのインタビュー、イベントレポート、ディスクレビューから書評まで、幅広いジャンルの記事をお届けします。

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