テレビって何だっけ?
ずばりあなたはテレビを観ますか。あるいは、テレビは観る価値があるものだと思いますか。
先日収録でご一緒したタモリさんは、自分の出る番組も含めて一切テレビは観ないそうです。一方で、明石家さんまさんは、自分の出演した番組はすべてチェックするだけでなく、他の人の番組もよくよく研究していると聞きます。テレビに出ている人でもそれぞれなわけです。ちなみに僕は時間があまりにもなくて、自分の出演した番組も含めてテレビはほとんど観ることがない日常を送っています。
僕は、「テレビを観ない」というポリシーを持っているわけではありません。ただ、自由な時間ができたときには、インターネットなどテレビ以外のものを観るようになってきたのも事実です。実際、仕事先のホテルに入ったときに真っ先にすることは、テレビを付けることではなくて、PCをネットにつないで、メールをチェックしたり、動画を観ることです。
一方、テレビの力が低下してきているとは言われながらも、ネットからはなかなか「メジャー」なものはでてこない。日本国民の誰もが知っているような本当に「メジャー」なものはテレビ発のものが多いというのも事実です。
また、震災時には、一日中テレビを付けっ放しにして情報を得ようとした人も多かったと思います。3.11のような緊急事態においては、テレビは一定の役割を果たしたとも言えます。
みなさんは、今のテレビに対して、率直にどのような感想をお持ちでしょうか。テレビはこれからも必要なのでしょうか。もし必要だとしたら、テレビはこれからどのような役割を負うことになると思いますか。あるいは、そもそもテレビというのは、どのようなものだったのか。みなさんの考えをお聞かせください。
私の場合、ネットの動画は、自分でセレクトしたものだけを見がちで、
テレビは、もちろん、番組表やコマーシャル等で予告を見て、セレクトもしますが、
本当のところ、時間がある時にパチパチとボタンを押して(笑)、その時に、その瞬間に、
気に入った番組を見るというのが、私のテレビの見方なのです(笑)。
偶然性というのでしょうか・・・。
例えば、深夜、ふと疲れていて、テレビをつけた時に、「あらびき団」という番組に
目が止まってしまったのですが(笑)、その時に、偶然にも、今や大人気になってしまった
「楽しんご」さんを見たのです。。。
その時は、私は、「楽しんご」さんを知りませんでした。
だから、その当時、まだ、知られていなかった「楽しんご」さんをネットで調べたり、
見たりすることは、絶対無いわけなのです。。。
しかし、テレビだと、勝手にそのチャンネルに合わせたことにより、好き嫌い関係なく、
視覚的に知ることが出来るんですよね。。。
それが、テレビってすごいなぁ。。。と思うんです。。。
偶然性の連続と言うか・・・
ネットでの情報は、私の場合、どうしても、自分の興味のあることだけを知ろうとする傾向があります。。。
ネットは、自分の好きな分野や興味のあることだけに使うことが多い。
でも、テレビは、自分の好きなこと、嫌いなこと、関係なしに流れる(笑)。
それをたまたま見て、発見することや驚くことや今まで興味が無かったけれど、
何度が見ているうちに好きになったり、興味がわいたりすることもあるので、
テレビは、規定観念を壊してくれる一つの道具とも思っていました。。。
生活の中でもそうですが。。。
自分以外の誰かが「これおもしろいよ。」って教えてくれることが大好きなので、
そういうことがテレビにもたくさんあったらいいなぁといつも思います。。。
自分の知らないものが、パチパチ適当にボタンを押して、情報として流れる。。。
というのも、適当のようで、結構、大事な偶然性を持っていると思います。
しかし、最近、パチパチしても、目に止まるほど、興味のわく映像は、現実として
減ってしまったかもしれません。
それは、自分の規定観念を覆す程の映像が減って来ているからではないかと
思います。
テレビ局の皆さんが自分達の生活のために「みんなが求めているもの」「「期待しているもの」に
力を入れて、お金を稼ぐことに固着したので、本来あったであろう新しいもの、斬新なものが、
消えたように思います。
いい番組を作るから、みんなが見る。
みんなが見るから、広告も増える。
そういう循環が今や、反対になっている。
みんなが見ないから、広告も減る。
広告も減るから、いい番組も作れない。。。
自分の知らない世界がテレビには、あったのだけれど。。。
一種の作品と言うか。。。
今は、それが減ってしまいました。。。寂しいですね。。。
子供べやだったところに私専用のテレビとエアロバイクを持ち込み、ペダルを踏みダンベルを持ち上げるというエクササイズを、NHKの番組「プロフエッショナル仕事の流儀」の録画を見ながらするということをしばらく続けました。
体力が付き体重が減りましたが、なんといってもより良く生きている方々の映像と言葉とナレーション、茂木さん、住吉さんのインタビューに励まされ、脳が活性化したように思います。
テレビは、映像と音声を複数の人間が作業をしながらキャッチできます。
それぞれが良い使い方をすることと、人に有益な番組であふれることを願います。
ひとり暮らしなので文句を言う人もいなくて幸いですが、家族がいたらなかなか難しいでしょう。
代わりにラジオを聴きます。
気分によってam、fm、ネットラジオを聴いています。
ニュースもネットで十分です。
テレビの難点はなんと言っても「テレビの前にいなくてはならない」ことです。
ラジオなら用事をしながらでも情報が耳から入ってきますからね。
私は意思が弱いのでテレビをつけるとついつい見てしまうのです。
しかも、いちいち突っ込みますし、「それでどうなるの?」「どうなったの?」と思います。
でも、テレビはその答えがない。
やり場がないのでフラストレーションが溜まります。
最近ではテレビが大きくなりましたでしょ。そりゃ世界遺産とか大画面で見えるのもいいでしょうが、同時に犯罪や政治のニュースも大きい画面で犯罪者や政治家の顔を見なくてはならないのです。
目で見たものはやはり脳に刻まれると思うので、そういう「負」なイメージを無駄に脳に刻みたくないというのも大きな理由です。
どうして会ったこともない自分の人生にまったく関係のない人の顔を脳に焼き付けなくてはならないのででょうか。テレビはそれが強制的です。イヤでも飛び込んでくる。
私は飲食店をしていますが、テレビがない理由でお客さんとの会話に困ることはないですね。
私があまりにも知らないのでお客さんがおもしろがって色々教えてくれます。
人と言うのは教えたい生き物ですから、それくらいがちょうどいいのかと。
そもそもテレビでやっているはやりごとは猛スピードで古くなるのでいちいち覚える必要すらないと思います。
でも本当のところタモリ倶楽部だけは見たいと思います。
今の地上波の番組がつまらないという意見もたくさんありますが、それよりも電波というとても貴重で希少な公共財をどう有効活用するかが今後日本の経済成長のために重要だと思います。
テレビ局が地上波放送を止めて衛星放送とネットで放送を行い、空いた周波数を携帯に周波数オークションで割り当てるのが理想ですが、そこまでしなくても今テレビ局に割り当てられている周波数帯で空いている部分があるので、その空きを使った無線通信技術(コグニティブ無線)などを検討すべきだと思います。
学歴なしで人を判断するとどうなるんだろうと考えながら結論が私の中では出ない中で次のお題になってしまいました。LAMPRIGERA さんが人を判断するときに自分の地力を発揮するということそれをどうやって実現させるかと考えると手探りです。手探りの手の感性を磨きたいと思いました。
テレビを考えるとき 他のメデイア媒体についても考えを巡らすと、最初は新聞、そしてラジオ白黒テレビ、カラーテレビ、パーソナルコンピューターと変遷してきました。
テレビは 他のメデイアに比較して 情報を 具象→具象というカタチで大勢に伝える役目を実現しています。しかし 情報→□→情報→私たちと伝わる過程で テレビ局という箱に入って出てくる過程で私たちが思っている以上に編集されているということを311以来私はいやというほど知らされてきました。情報を一度編集して大勢に広めるという過程で その情報の真実かどうかという判断はテレビの運営媒体に任されてきた。正確にはテレビ局とそのスポンサーということかもしれません。
他方インターネットは 具象→具象 というテレビ局という媒体なしに情報を発信してひろめることができることに大きな意義がある。発信元が多数になり テレビの運営媒体が密室で判断していた真実への信憑性が箱から出てきたような感じがします。感じがするというのは、これから情報を操作したいと思う大きな力が、きっとインターネットを上手く利用して情報を操作しようと考えるでしょう。その力が人道的立場に立って 平等で持続可能な発展とともに平和を実現する視点に立って行われるなら普通の人間にとって安心できます。がしかし真実かどうかの判断は人任せにするべきではないのでしょう。というのが311以来のわたしの結論です。
たまたま去年からtwitterを始めていろんな情報にアクセスできて私はとても楽しんでいる。そのtwitterでテレビの情報がかなり操作されていることを知って以来すきだったドラマも音楽番組も前ほど熱意を持ってみられなくなりました。元々あまりテレビに執着していなかったこともあるのかもしれません。それから311以来同世代の友人がtwitterに限らず、mixi, facebookなどに 自分のアカウントをもっていても情報の制御ができるかどうか自信がないために始めないという人の方が多いのです。テレビの情報で十分だというのです。それ以来私は友人達との間に見えない溝を感じています。彼らをこっち側に引きずり込むのにはいろんな知恵が必要だなあと感じています。
マトリックスという映画をご存知ですか?映画のような世界になるのはありえないと思いましたが、311の原発事故で 今この世界がマトリックス的な要素を持っていることを痛いほど知りました。自分が思っているよりずっと世界は醜かった。テレビはそれをきれいに見せる。インターネットはテレビよりももっとありのままに情報を提供する。テレビは全ての情報をエンターテイメント・ショーにしてしまう。そこまでしないまでもきれいに化粧して見せてくれる。そのきれいなものを確実に提供してくれるテレビを信頼するのは間違っていると思います。参考程度にとどめておくべきだと。ですが、私の友人の多くを見ていると 本人達が思っている以上にテレビに信頼を置いている。テレビを楽しむのはかまわないと思うのですが、偶像崇拝のようにテレビで放送されるすべてのことが真実かどうかテレビ局にゆだねない。自分で判断するという信念を失ってはいけないと思うのです。
ただしインターネットというかpcで実現するのが難しいことがある。テレビは家族の団らんを作ってくれた。現在我が家は各個人がpcをもち自室で好きなことをしている。ときどきつまらなくても家族が見ているテレビを一緒に見るように心がけます。みんなが一緒の部屋にいる機会がとても少なくなったので。私は海洋ほ乳類の保護に興味があります。といっても具体的な活動はしていませんが。カナダのバンクーバー島のそばのハンソン島のオルカ(シャチ)のライブを聴くのがすきです。今年はできませんでしたが、家族全員でイルカやオルカの声を聞くということをしたことがあります。pcとインターネットでどうやって家族団らんをすごすか。それぞれのpcを持ち寄り一緒に居間でなにができるかなって模索中でもあります。
用事をしながら、ちらちらとニュースや天気予報を見たり、たまたま心惹かれた番組を見始めることはあります。
テレビから得た情報や知識もあるし、美しい景色を楽しむこともありましたから、私にとって、見る価値のある番組もあると思いますが、生活時間と合わなかったり、テレビの前に座っていることができない忙しさで見ないのかな、と思います。
私が興味を持っていて、テレビでなくては得られないものがあるか、と改めて考えてみると、それはもうないかもしれないと思いました。
多様な情報源の一つの選択肢として、あってもいいかな、と思います。
インターネットを使わない人や、高齢者には、テレビを見ている人が多いのでは?と想像しますから、テレビがなくなったらそういう人たちは困るだろうな、とも思います。
今回のお題から、テレビのことを考えていて頭に浮かんだのは、テレビで常に何かの番組をやっている状態は、自分にとって息苦しく感じる、ということでした。これまでずっと、テレビに何も映らない時間があってもいいような気がしてきました。
昨日の茂木さんのtweetに、白洲信哉さんがクイズの答えをスルーしたことがありましたが、そういうところが息苦しいのかもしれません。
一定の時間に何らかのことを言わなければならない、何らかのことを示さなければならない場を見せられているような息苦しさを感じる時があります。
たくさんの間があるのに編集して、ギュッと時間内に収めていることも、息苦しさに通じるのかもしれません。
本当に表現したいことだけ表現されているわけではない、その時間を埋めるためだけのものは、息苦しく感じるのかもしれません。
もちろん、作る人が見る人を意識することはどんな表現にも大切なことなのでしょう。表現とは、作る人とそれを受け取る人とで作り上げている、ともいえるのだと思います。
そこの部分で、今のテレビは、かつての居間の中心にあって家族が揃って見ていた時代の感覚から抜け出せていないのかもしれない、とふと思いました。
So, which is the most important primary source?
It would appear that the Internet is treated separately from the main body of the TV program.
Are journalists happy if the evidence they find is convincing or powerful?
I do not think so.
They will try to establish the fact.
They will not distort the facts in order to claim that their evidence are undeniable, I hope.
Moving on, what makes using the Internet different from TV is that it is often organized through a virtual learning environment (VLE) which provides discussion areas.
It is unbelievable that the important new information has allegedly been gained from the TV program or the Internet.
In either case, be an honest man!
ネットはマスコミ報道にはない視点や情報があり、また知らない人とつながりができることもあり、重宝していますが、テレビ以上に時間を食ってしまう面があるのが困っています。
興味のある番組は録画してますが(全部は見れませんが)、民間地上波テレビの番組は、朝の出勤前は綺麗なお姉さんの天気予報を見るためにつけていますが、探偵ナイトスクープやタモリ倶楽部等ごく一部を除き見たい番組はほとんどありません。
見たいコンテンツと、大画面ハイビジョン画質で、これからもテレビを視聴すると思います。NHKやスカパーなど、金を払ってでも見たいと思います。
テレビを見るのかどうか、という点で言えば、直接的に見たいけれど実質的に見る事の叶わないスポーツや音楽などを多く見ます。見ていて面白いと感じるのは、刹那感のある生中継で、それ以外の編集が入る番組については、どうしても収録された討論番組や報道番組で発言者の意図がそのまま通っているのかを信じられない事が多々あります。
テレビの行き先を、現状を踏まえた上で想像すると、これからの日本においてテレビを見る人の多くが高齢化するという文章を本日(10/3)確認しました。http://j.mp/r3cYt5
という事は、テレビを貴重な存在として扱うのはある程度の年齢を過ぎた人達で、これからの時代に新しく生まれてくる人達はそもそもインターネットがあるという状況で生まれてくる。この事を踏まえると、テレビの重要性は今後薄れていくように思います。インターネットで生活の中のある程度の事が済ませることが、今後はそれ以上の事が可能な時代に生まれて来る訳ですから、それを扱い始める年齢が低いほど上手に適応していくでしょうし、そうなると受信する事しか出来ない、選択性の低いテレビの可能性はなくなって行くとしか思えません。
茂木さんのお話に出てきたタモリさんは、以前からテレビの中で「自分は自分の番組を見ることはないし、そもそもテレビを見ない」という発言をされていました。
それを初めて聞いた時は「何で?」と思ったものです。これは僕の勝手な推察なのですが、刹那主義とでも言いますか、瞬間的に感じた事を発信する心底即興人間なのだと思うのです。
そう考えるとタモリさんのネタや話す内容は基本的に即興的なものが多く、毎回微妙に違うものの、我々はそれを“同じように期待”します。
また、さんまさんのテレビを研究される姿勢も根本的にはタモリさんと一緒で、刹那的な物を自ら確認し、それを踏まえた上で次の刹那に持ち込むための準備だと思います。ここにも我々がタモリさんと同じように“同じように期待”する部分があることを裏付けるのかな、と思います。お二人に対する我々の期待は“即興的に面白い事”を言ってくれる、という期待で、二人のとられている行動は真逆ではあるものの、人との掛け合いという刹那的で即興性が不可欠な物をすごく大切に考えているからこそ、という部分では共通しているのではないでしょうか。また、ああ見えてお二人とも凄く慎重な方々なのではないか、とさえ思っています。
話をテレビの存在意義について戻すと、3.11の大震災時に情報源としてテレビを使用した事は否定しません。しかし、その中で生まれた不信感は拭えないものとなりました。原発関連の報道や震災報道の秩序の無さなど、受信者側が一方的に受け取る事しか出来ないテレビの限界を強く、そして激しく感じた機会となった事は言うまでもありません。
テレビという媒体を通して見える各新聞社の思惑や意図。
報道番組を見ても、紹介する紙面は各テレビ局と強い支持関係にある新聞のみ。
ここに旧来的なメディアの脆弱性を感じてしまいます。
というのも、1つのテレビ局が一つの新聞紙面の文章しか紹介しない、という点で、もう全く持って理解できない。おかしな文章を批判するでもなく、その文章を元に、遠いところから見ている人たちが触りのないコメントを述べる。
小学生の頃から感じていた違和感(テレ朝なら朝日新聞、日本テレビなら読売、フジテレビなら産経、TBSなら毎日、など参考にする新聞が一つだったこと)が何故なのかをここ最近になって理解でき、それと共に僕のテレビに対する信頼感は失われ、こと報道番組に関しては“見たくなく”なりました。
ただ、ここ最近のNHKの番組には僕と茂木さんを繋いだプロフェッショナルを始め、面白みを感じるコンテンツがあり、そこには「広告費」を受け取っていない公共放送ならではの変な自主規制に縛られない強みが出ているのかな、と思います。が、だとしても、僕のテレビに対する考えは、信頼すべきに値しない発信媒体となっている。という点は拭えません。だからこそ、自分で情報を収集するという事が必要だと感じています。