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国歌斉唱を教員に強制することについて、どのようにお考えですか?

どうしても嫌ならば、他の職場を探せばいいという意見もあります。条例まで作って「強制」することはナンセンスだという意見もあります。

みなさんの意見を聞かせてください。

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NO.162012-03-31 17:22:00 orcamie 0
>No.15のmkin8aさんの
>僕はもっと日本の良さが伝わってくる曲に変えて欲しいな。

私は日本人がもう少し前向きに歌える国歌だったら
日本人だけではなく、国外にも日本をアピールできるひとつの手段だと思うのです。
私がアメリカの国歌聞いて 何だか一緒に歌いたくなってしまう
そんな印象を日本人以外の人に抱いてもらいたい。
原発事故が起きた今、いっそうそんな国歌が欲しいと思います。

実際のところ、サッカーの国際試合で気持ちよく国歌を歌いたい。
という単純な理由が 一番の動機なんですけどね。



NO.152012-03-30 23:07:08 makin8s 0
国民の一部が負の感情を抱く国歌って、そもそも問題では?メロディも物心付く前から口づさみたくなる方がいいですよね。僕はもっと日本の良さが伝わってくる曲に変えて欲しいな。四季のメリハリとか食文化が好きだから、富士山とか田園風景をイメージした歌がいい。

初音ミクとかでブラッシュアップしてもいい。自分が参画した曲が国歌になるなんて、すごく夢があるじゃない?僕だって歌詞を考えたくなるし、考える過程で愛国心も高まる。君が代廃止は、国際社会からも受けがいいと思うし、宣伝になるから観光客も増えるかも。
テーマから脱線してるかもしれないけど、国歌変更が抜本的な解決策ではないでしょうか?

NO.142012-03-29 20:59:48 orcamie 0
no.12のmakin8s の3才のお子さんが君が代を口づさむ情景を思い浮かべて思わず苦笑です。

>「国歌斉唱で愛国心高めようよ」って言われたらドン引きかな。

国歌を投票してみるっていいですね。新しく作った方がいいのかなって思い込んでました。でも新しくなんて日本でできないんじゃないかと危惧したり。国歌を歌って愛国心を高めようっていうよりももう少し気軽に国歌を歌えないかなって思うんです。それには君が代は似合わないですね。AKB48から選びたい人もいるのかなと思ったり、なかなか楽しいですね。

NO.132012-03-29 20:57:58 masami 0
私は、小学校の音楽で、とても美しい声の先生に、丁寧に歌い方を指導されました。その時の先生の美しく響く声の記憶と共に、君が代のメロディーがあります。ただ、美しさへの感覚は個人的なものですから、すべての人が、君が代を美しい歌と感じるとは思っていません。また、第二次世界大戦中の教育を受け、死んでいった人のことを思うと、歌えない、という人の気持ちも理解できます。もうそのような体験を持つ人は、とても少ないとは思いますが…。

NO.1    rachan さんの
「生徒のための式なのに、何か雰囲気を壊すような気がして気がひけるので、起立しないという選択はしません。」
を読んで、卒業式を迎える生徒の言葉を思いだしました。
「ぼくたちの卒業式なのに、もめないでほしい…。」
彼の学校では、先生たちが卒業式の国歌斉唱、起立のことでもめていたようでした。

この問題で疑問に思うのは、国歌を歌う機会は他にもたくさんあるのに、なぜ、卒業式だけ、このように強制、ペナルティという極端な問題になるのか、なぜ、他の場合は問題にならないのか?という点です。
NO.8rachanさんの
「また、今回の問題は、君が代の起立斉唱の問題に止まらず、それが公務員にルールを遵守させることの試金石になっているのだと感じました。」
は、私の疑問への答えの一つかな、と感じました。
本当に国歌そのものが根本的な問題なら、スポーツの祭典等、他の場で歌われるときも、問題になると思います。
また、愛国心を育てるため、という理由をどれだけの人が納得するかな、と思います。
国歌にそのような力があるとしても、強制、ペナルティを課す理由を私はそこには見出すことができません。
また、学校で愛国心を育てる方法はほかにも考えられるのに、なぜ、わざわざこの“卒業式”の国歌斉唱だけをあえて取り上げるのでしょうか?

日本を愛する、というとき、何を思い描くか人によって異なると思います。
私は、日本の自然や、私が想像できる限りの日本人の生き方を思い浮かべます。
それらを守るために、愛国心があるからこそ、決められた制度や方針に反対することもありうるし、それを許容することができる国が、より良い制度を作り、成熟していく可能性に開かれていると感じます。

また、日本の学校にいるのは、日本人だけ、という状況ではなくなってきています。
国歌を大切に思うなら、卒業式に在籍している他国の国歌も歌おうではないか、と考えることもできると思います。
ちなみに私は、お相撲で外国の力士が優勝したら、その国の国歌も流してもいいのでは?と思っています。
愛しなさい、と強制されて、素直に愛せるほど、人間の心は単純ではないように、強制されて、愛国心が育つとは思えません。

卒業式で国歌を歌うことに反対ではないけれど、強制して、ペナルティを課すことには反対です。
国歌に特別な重みがあるから歌うことを強制する条例には、歌に特別な意味があることを認めつつ、その意味を軽視しているという矛盾を感じます。

卒業式の国歌斉唱については、現場の先生、生徒たちが、各学校で決めればいいと思います。
そこで問題が起これば、その問題と先生方が真摯に向き合うことが、教育の真の姿のように思います。

子ども達は、学校で愛国心ではなく、学校や友達を愛する気持ちを抱いて卒業していくように思います。
卒業式は、その気持ちに沿ったものであってほしいと思います。

NO.122012-03-28 23:36:16 makin8s 0
子供の頃は歌が上手くなくて、メロディが難しいので君が代は好きじゃなかったです。詞も難解で、意味も学校で教わった記憶はないなあ。強制するなら、もっと歌いやすく軽やかで、詞も無難な曲の方がいいんじゃないかな。歌謡曲とかから選んで、投票で変えたら面白いかも。

僕はいわゆる愛国心っていうのがピンときません。日本は嫌いじゃなく、オリンピックとかでも応援はするけど、国歌に思い出はないし、「国歌斉唱で愛国心高めようよ」って言われたらドン引きかな。うちの子は今3歳ですが、急に君が代を口づさみだしたら心配かも・・・

NO.112012-03-28 19:05:04 orcamie 0
I tried to remember how I learned "Kimigayo" as chigusa san asked and I think I didn't learn it at school. I joined a chorus group when I was a child. I learned there because we sometimes sang the national anthem at some ceremonies. At school we just sang the song at the graduation ceremonies.

No.10でchigusaさんが問題提起したので私がいつ君が代を習ったか思い出してみました。そして学校では学ばなかったと思います。私は子どもの頃ある合唱団に所属していました。私はそこでまなんでいくつかの式典で国歌を歌いました。学校では卒業式の時に歌っただけです。卒業式では他の人より自信を持って歌えたかな。


NO.102012-03-27 17:09:32 chigusaotsuki 0
Discuss some of the problems involved in singing of the national anthem.
Yeah, that's all very well, but if you say singing of the national anthem depends on, say, teacher's decisions, then the national anthem is no longer all Japanese property.
Parents, adults and teachers will have a considerable influence on children's choice of the national anthem.
Their attitude will largely determine how well a child adapt to school, at work and into Japan.
I really want to know who teach the national anthem and how.

日本に生まれた子どもに、国歌を教えるのは、誰か、そして、どのように、「国歌」を、子どもに、教えるのかが、大切ではと、思います。

NO.92012-03-25 22:18:34 orcamie 0
まず第一に 国歌を歌うことを強制しなければいけないという事が私はたいへん悲しいと思います。素直に日本人であることを喜び、誇りに思い一緒に国歌を歌いたいと思います。なぜ皆が心を一つにして日本の国を誇りに思えないかということを深く考える必要があると思います。
  
ryosukeさんが国家を歌うのがカッコいいと思った事を書いてくださいましたが、私もサッカーの国際試合で日本代表が国歌を歌うシーンはとても好きですし、感動的だと思います。
英語の“anthem”は国賛歌の意味です。日本は様々な過ちを犯しましたが良心もある国だと思います。世界中の国を見ても100%過ちを犯さない完璧な国なんてないと思うのです。
 
国歌を歌いたくないという人々は 第2次世界大戦における日本のファシズムや他国へ侵略戦争を行なったという歴史を嫌悪するところからくるのだろうと推察します。他の国々では国歌は不変ではなく政治形態などの変遷により歌詞などが変わったりしています。私は「君が代」を皇室讃歌として同じメロデイーで違う歌詞を付けて国歌とならないかなと思ったりもします。私は国歌を歌うことを拒否する人に聞いてみたいと思っていますが、「君が代」が国歌だから歌いたくないのか、それとも違う国歌であっても歌いたくないのかなという点を是非知りたいと思います。

私は「君が代」のメロデイーが好きですが、日本の国民が心から日本に誇りを持って歌える、「私たちは日本国民でよかった」と思って歌える歌があればいいと思っています。なぜなら音楽の力は大きく、不思議です。diadochos さんが言及された『淡い帰属意識』や『一体感』を感じることはある意味重要なことだと思うのです。茂木先生の何かの本に『家庭は子どもにとっての安全基地であるべき』ということが書かれている本があって(すいません、タイトルを今すぐどうしても思い出せなくて。)だから国歌を歌うことによって日本の国が平和で人々が幸せに暮らせるような国にしようとみんなが歌っている1分間に共通認識を持てる事は日本の国民にとってもいいことだと思います。国歌を歌っても即ファシズムに通じることはないでしょう。

国歌を歌うときの誇らしさ、アメリカでもフランスでも私は間近に見ましたがとてもうらやましかったです。私はアメリカ人でもなくフランス人でもなかったのに一緒にその輪に加わりたいと思いました。それをビートルズの楽曲で『All you need is love』の冒頭にフランス国歌「ラマルセイエーズ」が入っています。それを聞くたびにアメリカの独立記念日(7月4日)やフランス革命記念日(7月14日)に聞いたそれぞれの国歌を歌っていた人々の姿がよみがえります。ところでそのフランス国歌は革命を歌った歌詞である為にかなり血なまぐさい歌詞です。EUに加盟することもあって、歌詞を変更しようという意見もあったと思います。しかし実際には変わっていません。きっとそれは、歌詞は変わらなくても人々が変わり時代に応じて生きているから必要ないのだろうと何となく私は納得しています。国歌という存在は簡単にはつくることのできないものなのでしょう。長い間人々に歌い継がれてくることも大事な要素の一つなのでしょう。

NO.82012-03-23 23:35:38 rachan 0
追記です。
昨日同僚に、「なんか、君が代で起立しない先生は他のことでもルールを守らないような気がするんだけど、どう思う?」と聞いたら、同僚は「君が代を起立斉唱しない教員は、他のことでもルールを守らなかったり、組織を掻き乱すようなことをしたりする。そういう教員を排除するには、起立斉唱しない教員を処罰するというのはうまいやり方だ」と言っていました。

今回、私なりに式典における国歌斉唱の問題や大阪府で起こっていることを調べてみて、今は国歌を歌う質的な意味よりも、ルールを守ることを徹底させることに力点が移っており、また、今回の問題は、君が代の起立斉唱の問題に止まらず、それが公務員にルールを遵守させることの試金石になっているのだと感じました。

NO.72012-03-23 16:09:32 greengarden 0
私は、強制には反対です。「決まったことなら何でもやるのか?」と思うからです。
今は、学校の式典で君が代が斉唱され、式典会場には日の丸の旗があるのが普通のようになっていますが、私が学校に通っていた昭和時代は、それは決して普通ではありませんでした。
君が代は、オリンピックで聴くものだという認識でした。
しかし息子の学校の式典では国旗と君が代はすでに普通のことのようでした。参加した私は、これは大変なことになってきているのではないか?と非常に不安に感じました。

私の父は特攻隊の出撃前に戦争が終わって生き延びました。そういう世代の人達は、「決まったことなら何でもやる」ことに手放しで賛成しないでしょう。できないでしょう。
みんなで決めたことではなく、「誰か上の人」が決めたことに、反対の態度をとることができない。
反対の態度をとると、へたをすると職を失うなど生活の基盤を揺るがすような罰則が待っている・・・。
子供たちはそれをみて、「出る杭は打たれる」と学ぶ。

日本人が「おりこうさん」ばかりになった時、みんなを乗せた日本という船はゆっくりと沈没しはじめるとおもうのですがいかがでしょうか。

NO.62012-03-20 19:40:24 makin8s 0
この問題の主役は生徒と考えるべきです。強制されて唱う先生を見て、強制されても唱わない先生を見て、それぞれ生徒がどう感じるのか?前者からはルールは絶対という価値観を受け取り、後者からは国が過ちを犯したという歴史観を受け取ります。

「ルールは絶対」は法治国家の基盤ですが、度を過ぎると倫理観が抜け落ちたり、主体性が身につかない恐れがあります。つまり、「歴史観」も含めて多様性をどこまで認めるべきか?という課題に集約されると思います。国歌斉唱強制により、生徒の多様性に対する許容量を損なうのではないかと危惧しています。

少子高齢化対策や英語教育強化のため移民受け入れが望まれますが、東南アジアからの出稼ぎ教師にも斉唱を強制するのは倫理的に許されないのではないでしょうか。その意味で行政的にもメリットを感じません。

但し、条例化に反対という訳ではありません。経緯は橋下市長のTwitterに詳しいですが、要は公務員は規則を守るべきで、規則を作ったのは教育委員会なのです。国歌斉唱に関して教育現場へ政治介入するのは問題がありますので、教育委員会が規則を変えるべきなのです。口元チェックについても中原徹校長のブログを読めば納得できます。ナンセンスなのは、低次元の報道しかできない大手メディアの質の方ですね。

NO.52012-03-20 10:55:26 diadochos 0
rachanさんの「愛国心は幻想だ」というお考えをふまえて、追記です。確かに危険思想かもしれません。僕もその考えは正しいと思います。ただ同時に、例えば「今日から君が代斉唱やめるから」と言われたり、サッカーの試合前に君が代を歌わなくなったり、卒業式で合奏部が君が代を演奏しなくなったりしたら、何か物寂しさを感じるだろうと思います。僕はその寂しさは、帰属意識の喪失から来るものだろうと思いますよ。すみません、まともな議論になっていませんが、僕の周囲にも同じように寂しさを感じるだろうと言う同級生は多く、その意味で、淡い「団結感」が君が代の斉唱によって生まれているまたは維持されているということが言えるかもしれません。

それからこれも自分の話への反論ですが、私立の学校への入学は何らかの形(高額な学費や入学時の学力など)によって制限されていることが多く、国歌斉唱の有無だけで学校を選ぶことができないということを考えると、国によって思想弾圧が行われやすい環境が、国歌斉唱に関しては、あるのかもしれません。

NO.42012-03-20 10:30:20 diadochos 0
新学期から高校3年になる者です。若輩の考えですが、
まず国公立の学校においては国歌斉唱は強制するべき、私立の学校においてはあくまで奨励という形にして各学校の裁量で決めさせるべき、というのが僕の現時点での結論です。

国公立については要するに、国公立の学校は「愛国心」を育てるための「道徳教育」を実施するべきだから、その一環として国歌斉唱が必要だ、ということです。
国公立の学校は本来、「政府」が「国民」に最低限の教育を与える場として機能する、という存在意義を持っています。その目的は、個々人の幸福の増加(福祉)と国益の増加です。そして、国民や日本在住民に愛国心があることによって生まれる団結感が、国内の人々の生産性を高め、結果として国益が増すであろうことをかんがみると、愛国心を育てる「道徳教育」の一環としての国歌斉唱は、国公立の学校の本来の存在意義に適っています。また、「自分の所属する国がある」という感覚そのものが人の心を安定させるということも、十分ありそうな話なので、この「全員で自分の国の歌を歌っている」という事実そのものが人によっては幸福の一部になるかもしれません。
ともかく、国歌斉唱そのものが国公立の学校の教育の重要な一部であるから、そこで教育を実施する教師は、「国歌斉唱を含んだ道徳教育」を含めて実施することを期待されて雇われているわけで、国歌斉唱に参加しない教師は、契約内容にある「教育の実施」を実行していないから、その学校に雇われ続けることを求める権利はない(クビにされても文句言えない)と思います。だから、国公立の学校の教員は、国歌斉唱を強制されて然るべきです。

私立の学校については要するに、それは私立なんだから国が強制したらマズいよね、ということを僕は言います。私立の学校の意義は、「国で行われている教育以外の教育を施す」あるいは「国で行われている教育を自分も個人的に行う」というところにあります。ということは、これらの学校に国が自国流の教育を実施すれば、思想が国によって弾圧されうるという危険が生まれます。それは避けるべきです(余談ですが、この議論の問題点として、例えば国を壊す目的で生徒を洗脳している学校があったとしたら、国はその学校に、自国の防衛として圧力を加えることができるべきです。自国の領土内で行われている国家転覆作戦ですから。ということは場合によっては、国が管理していない学校にも、国の影響を与えることが必要になります(教育実施要領がその方法の一つかもしれません。あとは、教育関係省庁から監査員みたいな人が来ていた記憶もあります)。その境目の判断は難しいですが、それはここでの話から逸れてしまうと思うので置いておきます)。ということで、私立の学校では、国は、国歌斉唱を強制するべきではありません。ただ、国歌斉唱をやってくれるならやってくれたほうがいい(そのほうが国益が増しそう)ので、「奨励」ぐらいはするべきです(この「奨励」が、半強制的な圧力になってしまうのではないかという議論もありますが)。

NO.32012-03-20 00:13:10 ryosuke85 0
国歌斉唱を強制する事について

現在の大阪において問題となった「口元チェック事件」ともいうべき事柄について、率直な感想としては、「そこまでやる必要があるのか」という所で、日本国国歌を“歌う”事を強制する事は、ナンセンスなのではないか、と。
というのも、日本国国歌を聞いて、そこに薫陶を受けて、言ってみれば“浸る”人もいれば、それを表現として口に出して歌う人もいる、その中でも大きな声で歌う人もいれば、小さく歌う人もいる、と、この様に多様性があってもいいと感じる。

それを強制するという事は、例えばサッカーの各国代表同士の試合では必ず相互国歌の斉唱があるが、その中では必ずしも全員が口に出して歌っているとは言えない。それこそ口に出す選手もいれば、目を瞑って大きな声で歌う選手、目を瞑るだけの選手もいる。選手それぞれに“国の代表としての姿”を表現するのであって(結果的にそうなっているとも捉えられるが)、その辺の自由はあって然るべきだと僕は思う。

橋下大阪市長の主張する「公務員なのだから」という理由にも納得できなくもない。
それは、個人として働く場所を地方自治に定め、人数制限のある中、少なくとも希望して働いているわけで、そこにロイヤリティが存在していなくてはならないと思う。もし、無いのであれば、という条件付きで、僕はそれを歌えない、根底に日本国を背負っているという気概が持てないのであれば職務を拒否し、他の職を探すべきだという意見にも納得できる。そして、教育という立場にいる以上、それを放棄した姿勢を被教育者に見せる事は自らの仕事に対しても誇りを失った行為だとして規定できなくもないのではないだろうか。

ただ、僕個人としての国家に対しての気持ちを述べれば、日本国国歌が非常に好きだし、美しいと思う。何よりも歌っている姿をカッコイイとさえ感じている。
それを一番初めに感じたのは、小学校三年生のころに見たサッカー日本代表のカズこと三浦和良選手が、目を閉じ、左胸に手を当てて胸を握り締めながら大声で歌っている姿に感動したからだ。
それまで学校の授業で“歌わされていた”国歌は、カッコ悪かったし、変な歌だなぁ、という気持ちが非常に強かった。現に授業では歌う振りをして歌わなかったぐらいなものだ。
しかし、三浦和良という選手が与えたインパクトは、僕にとって非常に大きく、今でもイメージを掘り起こせば、いつでも浮かんでくる。それを見て以来、国の代表として国歌を歌える事は、自分の中で“かっこいい事”に変わった。

この個人的な例が何を意味するのかは分からないが、少なくとも“子供たち”にとって、国歌を歌う事がカッコいいことだと言える人間が教育機関では働いてほしいと思うし、国というものを一番身近に意識できるものは国歌を歌う時ぐらいだ。
いくら国歌といえども人の行動を規制する事は出来ないし、それを監視する必要も無いが、国歌に対してネガティブな感情を抱いてしまうのであれば、職を辞する気概を持って働いてもらいたい、という希望を述べて僕の意見とします。

NO.22012-03-19 21:09:23 gotoichi 0
なにかを強制する場合は報酬(あるいは処罰)を用意するのが

経済学のプリンシパル-エージェント問題です。

経営学の授業で経営の最大利得を得るためにやったモデルなのですが、

橋下さんの効用を最大化する問題として、当てはめることが可能だと思います。

また、政治学でも同様の問題が議論されていて、どのように違反を検出するかが

問題になっていて、パトロール型と火災報知機型があったと思います。

経済学では基本的に説明が不可能です。

他者をコントロールするときに報酬を用意しないのは経済学では考えられません。

政治学はあまり詳しくないですが、パトロール型はコストが大きいという指摘が有名です。

実際に機能させるには火災報知機型の通報窓口を用意して運用するのがよいようです。

子どもの目にどういう風に映るかを考えると、先生が従順に従えば、生徒もロボットになるでしょうし、

先生が反発をすれば、自分の信念を貫く子どもになるように思います。

教育というのは理屈ではないので、経済学や政治学で説明しようとするよりも

子どもに寄り添うように考えるべきであると考えています。

先生の個の尊重のない現場でどうやって子どもの個の尊重がありえるのか?

絶対にないと言ってもいいと思います。

教育に権力を持ち込むことはありえないです。

子どもには理解する必要がない世界です。

単に混乱するだけだと言わざるおえません。

反対だというのが結論です。

以上です。よろしくお願いします。

NO.12012-03-19 17:29:26 rachan 0
とても関心のあるテーマです。少し勇気がいるのですが、実例に基づいて自分の意見を述べていきたいと思います。

私は現在高校の教員をしています。
私が現在勤めている職場では、式典の時はテープを流し、管理職が「お差し支えなければご起立ください」と言って、国歌斉唱をしています。

私が赴任する前、おそらく1999年の「国旗国歌法」が成立したのを受けて、教員の間で長い時間、夜遅くまで 式典の時の君が代斉唱をどうするか、を議論したそうです。そして決まったのが上記のようなことです。(私が勤めている学校は、都立や府立とは違い、教育委員会から強制されて従わなければ処罰される、という状況にありません)

そして私の勤務校では、起立しない教員は毎年数名います。生徒や保護者にも起立しない自由はあるのですが、起立しない人はあまりいないという印象があります。私は、起立し、斉唱します。起立しないほどの強い思いがないので、決まっているなら歌う、そして起立して歌わないのは、生徒のための式なのに、何か雰囲気を壊すような気がして気がひけるので、起立しなという選択はしません。

私の学校がこのような状況であるのに、同じことをしてもそれで罰せられる先生方がいるのはいたたまれない思いがあります。

では何が正しいのでしょうか。反対をしている先生にはそれなりの信念があります。軍国主義、戦争への忌まわしい記憶と結びついたり、思想信条に反するとお考えだったり、いろいろあるのだと思います。一方で、今ルールとしてそれが決まっているのであれば、それに従うのが当然、という考えもあります。ただ、そのルールが、誰にとっても妥当なルールではない、だから苦しむ人がいるのです。

私個人は、苦しむ人がいることを、時には処罰の対象、そしてひどい場合には自殺に追い込まれる校長先生が出てしまうような強制をするべきでないと思っています。

強制する側には、国歌を歌うと愛国心が増すとか、一体感を感じられるとか、日本国民としてまとまる、とかそんな幻想があるのでしょうか。そんなの私にとってはやはり「幻想」に思えます。それより、強制というルールを作ることで生じる問題に対応していくエネルギーがもったいない。もっと大事なことはあるでしょう。もっと大事な問題に目を向けてください、と言いたいです。教育そのものの充実だとか、日本の景気回復だとか、震災の復興だとか。起立するしないより、人の命やどうやったら豊かに幸せに生きられるかに関わる問題が重要だと思うのです。
私の知人は、起立しない教員がいることに対し、「ルールは守れ、起立して歌わないんだったら教員やめろ、歌いたくないんだったら国歌を変えるよう自分が動け」とおっしゃいました。しかし、国歌や法を変えるのは、いろんな人のいろんな思惑があり、なかなかそこに行き着かないのだと思います。そして「仕方がないけど、従うしかない」というまま生きていかざるを得ないのは、少し危険な気がします。

ただ、私の中にもいろいろな思いがあるので、最後に軽く本音を言うと、起立しない先生の中には他のことでもルールを守らないことがある先生もいらっしゃり、それは「勝手がまかり通る」と思っているのでは、という思いもあります。組織としてはそれでは困ることもあります。ルールを守ることは学校生活でもスポーツや他の世界でも、何かを始める前提となる基本的なことで、やはり大事です。ただ、そのルールの質が問われていて、国歌斉唱の場合はまさに「混迷」の状態なのでしょう。