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日本の様々なローカルな文化を世界に伝える効果的なアイデアとは?

お正月に初めて箱根駅伝を見て、「非常に日本のローカルな文化だけども、とても面白い」と思いました。「襷をつなぐ」という精神から、「山の神」といった呼称まで、日本人である私達の心をしっかり捉える作りになっている。でも、僕が同時に考えたのは、「これは世界で通用する」ということでした。

グローバル化とは、世界が均一になることではありません。むしろローカルなものがグローバルに結びつくことを意味するので、ローカルなものの価値が上がる傾向にあります。日本人はそのことについてあまり意識的でないように思います。

今回の掲示板では、駅伝に限らず、日本のローカルな文化だけれども素晴らしいものを、どうすればグローバルに伝えていくことができるのか、みなさんからのアイデアを募集したいと思います。

国家が絡むような大きなアイデアでも良いですし、一人一人ができる身近なアイデアでも結構です。みなさんで知恵を出し合いましょう。

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NO.172013-01-21 07:42:08 茂木健一郎 0
みなさま
今回も、たくさんいろいろなご意見をお寄せくださり、ありがとうございました。
この掲示板にあふれている豊饒は、照葉樹林のようで素敵です。

次回もよろしくお願いいたします!

NO.162013-01-20 07:52:44 masami 14
NO.10    sana805 さんと同じように、わたしも日本に住む外国の人が日本について驚いたことを語っている番組を見ました。

わたしの国では〇〇が当たり前だけど、日本では△△
わたしの国にはなかったけど、日本に来て初めて出会った

みたいに、常に自分の国と比較した形で表現されてました。

やはり、日本人が日本にいて日本の良さを知るのは難しいのだと思います。


外国の人に、ごく当たり前の日常を体験してもらって教えてもらうしかないのかな?

日本人が一生のうち一度は一年くらい外国で暮らすことを奨励して、日本の外に出て日本を見つめる機会を持つとか、日本の地方の伝統的な暮らしや行事に、外国の人が参加しやすくなるように、発信していくとか・・・

残念ながら、それくらいしか思いつかなかったです。

誰かのことを素敵だな、と思うのは、自分にとっては大変に思えることを、その人がごく当たり前にやっている、自然な姿にぐっとくるところがあるような。

最近よく、トルコと日本の友好関係で取り上げられる、エルトゥールル号遭難事件も、その当時の人々にとって、人間としてごく当たり前だと思うことをやっただけだと思います。

愛される日本は、日本という国のなかで、人間としてごくあたりまえなことを、
NO.13    terurun さんが、繊細な 
と表現されたような日本人独特の感覚があるとしたら、そういう感覚で、日常を一生懸命に生きていくことで、自然と外から見出されることなのかな?と思いました。

NO.152013-01-19 20:21:49 Tomoikukai 13
前回の投稿の後、本屋さんへ行ったけれど、William H Saito の「The Team (日本の一番大きな問題を解く)」が置いてなかったので、また、急いで家に帰って、Amazon.com で本を注文、コンビニ払いのコンビに受け取りというやつがあって、送料もいらずに便利。注文二日後に本が届いた。昨日読み終えて、今日はそのことについて一日中考えていました。・・・そして又一日。読んだ後、アイデアが頭の中で、奔流となってぶつかり合い、まとまりがつかない。
・・・それでも書く。書かなくっちゃ。

日本の一番大きな問題を的確に指摘したこの本は、私なりに観察、分析して来た日本社会の現実の問題点と完全に一致しているように思えました。当然私の方は、末端の役所や、生活の現場での問題点ですが、それが、日本の中枢でも同じく起きていることは、想像はしていましたが、改めて確認が出来、益々問題の所在が明らかになったように思います。「日本に、チームが無い」とは、つまり、人と人の間に対等な信頼関係が存在しないということに他ならないのではないでしょうか。言い換えれば、現在の日本のあらゆる組織(この中には、家族も入るかもしれない)は、上下関係の中の不信関係により成り立っているということではないでしょうか。中には、上下関係は存在するが、不信関係というのは、言い過ぎだという人がいるかもしれませんが、官公庁や学校では、人間関係に垢がつくという理由で、ほとんどが二・三年ごとに移動さされているようだし、銀行や、他の金融機関等、外部に信用を確保しなければならない機関は、内部者に対する不信感は年ごとに増しているような気がします。この頃は、警察官でさえ、部下からの密告を気にせざるを得ない状況になっています。家族が心休まる最後の砦となってくれているといいのですが・・・

今、日本には「チーム」が無いという。それでは、あの戦後日本の高度経済成長はどのようにもたらされたのでしょうか? その頃、私自身が、働く現場にいなかったので、軽々にいうのは、はばかられるのですが、あえて言うならば、敗戦によって、儒教による上下関係の強さが弱まり、それまでもあった、目上のものが目下のものを育て、いたわるという、完全に形骸化してしまう前の儒教の教えが人と人との結びつきに信頼関係をもたらし、あたかも「チーム」のように機能させていたのではないかと思うのです。そして、上下共に、お互いを思いやる教えが消えた今、数値で選別する上下関係が、前にもまして強まり、人間不信の関係が新たに作り出されたということではないでしょうか。そして、ひとは、思いやり無しの上下や金銭関係だけで支配される時、保身の為に、心に不信感を成長させながら、どんどん本音と建前を使い分けるようになるようです。つまり、William Saitoのいう、Teamとなる為の前提条件である、Team の中で、自分の弱点を話題にできるという事が出来ない人間となってしまうということでしょう。そして、それを無理に続けると心を病み、始めから出来ないものは、社会や学校からからドロップアウトし・・・今、様々な社会問題が、このようなことを背景にもたらされているように思えてなりません。

今回の、桜宮高校の体罰によるキャップテンの自殺問題も、この上下関係の中の不信関係から生み出されたものと考えていいと思います。そして、このような状況は、何度も言うように、ひとり、体罰が常套化してしまっている運動部の現状に止まらず、キャップテンがリーダーであるはずのクラブにおいて、そのキャップテンを道具のように扱い、顧問や監督が支配者として君臨する構図は、日本の組織のあらゆる部門に蔓延していると言ってもいいだろうと思います。かの、角田美代子の似非家族事件も、オームの支配関係も、現代の日本の凡ての組織に共通する、乗り越えなければならない日本の最大の問題と考えなければいけないと思うのですが、いかがでしょうか。

この度、橋下大阪市長は、桜宮高校の事件を受けて、教育界に対して、本質的な変革を要求しています。本来なら日本全国にその矛先を向けるべきでしょうが、それは、総理大臣になってさえ、一挙には無理です。今回の事態は、小さな小さな一歩ではあるとは思いますが、大阪から教育が、日本の錆び付いてしまったコンビナート組織が崩れ落ち、再生する一歩として、一つの現実的な第一歩として、その狼煙を上げたと理解したいと思います。

最後に、William Saito さんには、新しい日本の先導役として、組織変革に、ますます全力投球をお願いしたいのですが、より日本的日本人である私として、ひとつ、いいにくいことを言わせてください。「ザ・チーム」の中で、取り上げられている、個人主義化している日本、チームで鍛えるアメリカとありますが、私は、今でも、アメリカ人の方が圧倒的に個人主義だと思っています。日本人には個人主義ということが理解できていないし、個人主義の反対である集団主義者が圧倒的に多いです。そして、チームを作るには、一人一人が独立して尊厳を持つ、個人主義が不可欠だと思うのですがいかがでしょうか? これはなにも、William さんが間違っているというのではなくて、明治維新に、日本人が individualism を個人主義と訳し、集団主義的感覚の強い日本人が、個人主義を人とは関係を持たない利己的、孤立主義的というような感覚で使うようになった事からくる、用法の齟齬のようなものだと思います。そこで、私が提案したいのは、「ザ・チーム」で使っている「個人主義」という言葉を「自分主義」というような言い方にしたらどうかな、と思うのですが、どうでしょう? William さんが見てなけりゃしょうがないか? でも、もし、この投稿を読んでる人が「ザ・チーム」を読んだとして、そこの所を考えながら読んでくれたらうれしいなと思います。

NO.142013-01-17 11:02:51 茂木健一郎 10
terurun さんの、「すごい日本から 愛される日本へ。」というスローガン、とてもいいと思います。そして、愛される日本が、実は、いちばんすごい日本なのではないでしょうか。

NO.132013-01-15 11:37:17 terurun 25
すごい日本から

愛される日本へ。

日本は、世界一愛される性格と才能を持っていると私は勝手に思います。

私は、日本が大好き☆だから、他の国も大好き☆

私の友達は、日本が大好きと言います。

日本人は、競争も本当は嫌い。日本人は、みんな優しくて、頑張り屋さん。

人を傷つけるのも嫌い。大げさも嫌い。感情をおもてに出すのも苦手(笑)。

繊細な精神を持っているので、どうにも、動揺する(笑)。

静かな国、そして、何と言っても、大きいものを見ると、隠れたくなる

衝動にかられる(笑)「「可愛い国」」日本!

これから、もっともっと日本人も日本のものも愛されて行くと思う!

「「可愛い」」と言うのは、世界に誇れるローカルな文化だと思います♪

大きく出なくていいと思う。日本は、そういう繊細な国なのだから。

私は、この静かな感じがとっても好き☆可愛い感じがとっても好き☆

グローバルとは、世界に合わせるのではなく、その国の個性を浮き彫りにして、

世界にアピールすることだと考えます。

すごい国やナンバーワンなんて、言われなくていいと思う。

私は、多くの国に愛されるオンリーワンな日本に向かっていって欲しいと

勝手ながら、思います。

可愛いって素晴らしい言葉ですね♪私もおばあちゃんになったら、可愛いおばあちゃんって

言われたいです(笑)。

NO.122013-01-14 16:30:25 茂木健一郎 5
日本のよいところと、悪いところは、複雑な複合体となっている気がします。

だから、批判、称賛は、相手が生命体である、という覚悟と認識をもってしなければならないのかと、自分でもときどき言い聞かせています。

ウィリアム斉藤の本、とてもいいです。ぜひ読んでみてください!

NO.112013-01-12 17:05:26 Tomoikukai 14
大阪の高校で、また、極めて今日の日本的な事件が発生しました。私が、儒教の形骸化と呼ぶ人間関係の不具合の典型です。バスケット部の顧問の教師は、部員を自分の支配下においているという認識を持っていたものと思われ、部全体のことを思った自分の意志は、暴力で強制しても、正当性は確保されると感じていたのでしょう。これは、明治以降、教育勅語や軍人勅諭で洗脳された、「上には逆らえない」という精神構造が端的に現れている事例だと思います。これは、日本人同士の人間関係には、強弱の違いはあれ、あらゆる場面で観察することが出来ます。親子、男女、上司下司(下司は、私の造語。でも、何で、上司はあって下司はないんだろう?)、先生生徒、サービスする側される側、外国人との関係でも、白人は上だし、黒人やアジア人は下。まだまだ上下関係に関する例はつきませんが、そうそう、年齢の違いや、先輩後輩もそう。これらの上下関係は、理屈抜きに、社会通念として日本人の大方の人に受け入れられてしまっているようです。例としてあげれば、日本人の会話には、尊敬語や謙譲語がもっぱら活躍し、多くの人が、日本語に敬語があることを誇りに思っている(ちなみに、昔から商人の町だった敦賀弁には、敬語がほとんど無く、私は、京都での予備校時代は、目上の人と話すことが、全くできなかった。)。方や、この上下関係に心から従う教えというか、躾は、戦後は特に、教育することは望まれなかったし、ほとんどの人は、憲法や、法律との矛盾を避けて、手つかずのままで放置してしまった。結果、子供達の心には、少なくとも、内面では、上から目線を受け入れる精神土壌は、現在、ほぼ、無くなってしまったと断言してもいいと思います。ひらたくいえば、昔は、ちょっとキツく説教すれば皆んないうことを聞いたけれど、いまは、会社を辞めてしまうか、自殺してしまう。件の、高校生は、暴力を受けたのが、原因というよりは、精神的に追いつめられたことが自殺の真の原因だと思われます。

これら、「上には逆らえん」「上からもの言われると反対できない」「上から目線には耐えるしかない」といった日本の文化は、戦後の一時期反省されて、民主化を求める気分が巷にあふれていました。私の小学校の頃の先生の中には、「例え、先生にでも、たたかれたら、正当防衛だから思いっきり仕返しする権利が貴方達にはあります」とまで、言い切った方もおられました。私なんかは、私より体格のいい悪ガキ三人して襲われた時にでも、人目も気にせず泣きながら刃向かっていったものです。この気骨は大人になっても変わらず、今でも上から目線の人間が、ちょっと上からものを言ったら、その人が、いくら地位が高くても、理不尽なことだったら、黙って見過ごすようなことは、決して、しません。当然、気位の高い人からは、嫌われまくりです。私は、そんな戦後の、戦う民主主義の申し子のようなものだと思っているのですが、そんな空気が変わり始めて、以前の全体主義に戻り始めたのは、偏差値依存教育が、どんどん進行して、点数やお金で人の値打ち(即ち、上下)を計ることに慣れていったことと大いに関係があるように思います。そして、今や、多くの人が、人より少しでも点数や資格、学歴を身につけて、人を支配しようとしているように見えます。件の、バスケットボール部の顧問は、色んな資格を身につけてやっとその地位に辿り着き、思うままに部員を支配していたのでしょう。高校野球の監督も、三日やったらやめられないというのも、人を支配することの心地よさを表現したものではないでしょうか。

ここ数日、この事件に対するツイートや解説が出る中で、元巨人の桑田選手によるコメントが、ことの本質を見事についているように思います。即ち、「「絶対に仕返しをされない」という上下関係の構図で起きるのが体罰です。監督が采配ミスをして選手に殴られますか?スポーツで最も恥ずべきひきょうな行為です。」私はこれには、異論があります。何処だって?・・・へへっ 「スポーツで」ていうとこ。明らかに、「人間として」です。

絶対に仕返しをされない状況で、上下関係関係の構図を基に起こる暴力は(言葉の暴力も含めて)人間として恥ずべき卑怯な行為です。

これが今、日本で、ローカルな文化として起こっている「がん細胞」なのだと思います。これこそが、日本人同士の人間関係を苛んでいる病理の本質だと私は思っています。「上官の命は、朕の命令と心得よ」軍人勅諭の亡霊は、今や、偏差値依存学歴社会、即ち、官僚支配国家として、マニュアル(憲法、法律を含む)を武器として自由な発想を閉め出し、人々を何処までも管理し支配しようとしている。(誰も意識していないのでしょうが、構図としてインプットされてしまって、それに従わざるを得ないような心理状態が多くの人々に蔓延してしまっている)

そんな中で、日本のローカルな文化を世界に発信することは、まだまだ時期尚早なのではないかと思います。勿論、形や形式は伝えることは可能でしょうが、それに伴う、「心」は、伝えられません。今や、オリンピックの柔道は、とても武道とは呼べないでしょう?ここは、先ず、日本の病理にメスを入れて、大胆に世の中を改造し、それから、本物の日本の文化を心の面からも復活させて、そして、いわずと知れた、それらを表現できる英語能力を手に入れてと、長い目で見た戦略を日本の復活と絡めながら実現していくのが、望ましいのではないかと思われます。

しかし、この「がん細胞」をどうにかしてやっつける方法は無いのでしょうか?私は免疫療法もあるのではないかと思っています。つまり、「やられたらやり返せ」式の下克上を認めてやれば、上司も下手に手出しは出来ないと思うのです。バスケ部も一人で無理ならチームワークでやっつけてしまえばいいとも思うのですが、まあ、今の日本では、殆どの人から顰蹙を買うのがオチでしょう・・・困った困った・・・というようなことを考えている時に、NHKワールドを見ていたら、ニュースの中で William H Saitoさんがインタビューされてて、Saitoさんの本「ザ・チーム(日本の一番大きな問題を解く)」の内容を紹介されていました。・・・なんかこれ、ボクのもやもやした頭の中にはっきりした像が描けそうな・・・ということで、今から本屋さんに言って来まあ〜す。

NO.102013-01-12 16:01:44 sana805 13
話がずれたらスミマセン。
ふと、思い付きで。
昨日、テレビをつけたら、世界番付という番組がやっていて面白くて見入ってしまいました。
日本の凄いところをテーマに日本に来ている外国人に街頭調査していました。
スタジオにはG20という外国人タレントが日本の凄いところについてさらに色んなコメントをしていました。
日本の良さを改めて気づかせて貰った。
私は、個人的に、日本人のお客様は神様です思想が、好きではありませんでした。何故ならその思想が、サービスして当たり前みたいな、そんな様々な弊害を生んでいると感じることが多かったので。
でもその思想と日本人の勤勉さとが融合して、様々な商品や技術や店が海外の人たちを助けていたり、喜ばれて利用されているのに驚きました。
自分もそんな努力の上で助けられている生活があるのに、当たり前すぎて甘えてて気づかなかったです。

日本の勤勉さや相手への思いやりは素敵な国民性。駅伝も先に走る仲間の努力や想いを繋ぎ次へ繋ぐ。
テレビ観戦するときは、どのチームにもドラマがあり、そんなコメントを聞きながらがむしゃらに努力して走る姿に感動を貰っている気がする。

近すぎて気づかなかった日本の良さや素敵なもの。
アイデアは自分達が日本の良さを気づき自ら発信し生かすことから始まる気がしました。
何となくぼやんとしてますが。

伝えるために多くの外国人に日本へ来て貰いたいし、こちらからも海外へ行く機会が有れば交流したいですね~♪

trasqueさん
いつも興味深いコメント勉強になります。
ローカル文化が独自性の勝負って名言かも!
伝統やこだわりの中に、その地域の風土や思考があり、それが個性としての味になってる気がします。
生きた文化かどうかという言葉にも心囚われます。
不易流行。核になるものが息づいてるもの。生活の中に振り返ると見られるかも。

あと、個人的に、とりあえずやってみちゃうって精神、私は好きです。
やってみなくちゃわからない。やってみてから考える。そんな感じで。
といっても、そんな海外で成功するという凄い野望はありませんし、偉そうなこと言えませんが
身の丈で少し冒険することから始めてるって感じで、、(汗)

NO.92013-01-10 20:44:38 trasque 24
「軽やかさがあるように」…… 確かにそうですね。
ただ軽いのではなく、ちゃんとした実力があるからこその安定感と言いますか……

またしても画期的なアイデアという話ではないのですが、
「とりあえずやってみちゃう」という精神って、なかなか侮れないように思います。
とりあえず海外でやっちゃおうとか、そんなところです。

でもその為には必要な事があります。
一つは実力です。現実的で明確なチカラが無ければできません。個人の実力がものを言うかもしれないし、ローカル文化そのもののポテンシャルが必要とされるかもしれません。

もう一つは柔軟性です。どこまでの実力が必要なのかを見極めるという能力が問われる事もあると思います。また、アウェイの中でどこまで「ローカル本来の姿」を出していくのか、変化させていくのかという判断力が試される場面も考えられます。

ローカル文化を言い換えると、独自性の勝負とも考えられます。
長く続いた伝統を変化させる事なくこだわってきたからこそ、価値があるとも言えます。
でも、その長い歴史の時々で現役を張っていた人達が自らの身体を通して、少しずつ文化そのものを成長・変化させていったからこそのものとも考えられます。
恐らくそこに絶対的な答えはありませんし、現代においても常に伝統と変化のせめぎあいが、それぞれのローカル文化でリアルに行われているのだろうと思います。

そういった切実な闘争が、そのローカル文化の中にあるかどうか……
海外に伝えてから、一つのローカル文化が素晴らしいものだとして残り、続けられていく為には、切実な闘争といった「生きた文化かどうか」が問われる部分が少なからずあるのではないかと私は思います。

NO.82013-01-10 09:03:31 茂木健一郎 5
「ショー・コスギ」さんのようなパイオニアの方には、シリアスな部分とともに、軽やかさがあるように感じます。

NO.72013-01-09 19:32:23 trasque 18
アイデアとなると中々思いつきませんね。
お題を読んだ時に思い出したのが、父から伺った「ショー・コスギ」さんの話でした。
詳しい話ではなかったのですが「彼はまだまだ日本への理解が少ない中で、一人苦労をされて有名になったんだよ」という風に、小さいころ私に話してくれました。

私の勝手なイメージで恐縮なのですが……
村上隆さん、中村勘三郎さんといった方々にも、共通するものがあるように感じます。

本当に大切なところは「個人」にあるのかなあ、なんて考えます。
「国」としてとか、「公共事業」としてとか、そういうものは何かうまくいかないような…… それでも、成功したそれらはきっと「熱い一人」が牽引してたのではないかなと思ったりします。

NO.62013-01-09 10:23:36 sana805 8
chigusaotsukiさん

ほんまやね~。信頼関係は大切。

いじめって、相手がちょっと関係を持ちたくてからかうだけでも、信頼関係がないと
本人は不安になり孤立を感じ、いじめを受けた感覚になる。
人間関係の積み上げは外せないね。

そうそう、食べ物もこちらで用意するなら、相手の立場を考えるの大切だよね。
食にしても何にしても、何をどうしていきたいのか、一緒に考えることから始める姿勢は
大切やなと感じました。

横道失礼~

NO.52013-01-09 06:45:25 茂木健一郎 5
サハラ砂漠駅伝、いいですね! もともと、箱根駅伝は、アメリカ大陸横断駅伝の「練習」として構想されたようですし。日本の文化を、グローバルな舞台に持っていくと、あんがい凄い可能性を秘めているのかもしれません!

NO.42013-01-08 14:30:53 chigusaotsuki 18
私は、アメリカに、住んでいたときに、
アメリカ人を、喜ばせようとして、
日本食を、作って、パーティーに、持っていこうとしたのですが、
それは、難しいと、断られました。
日本食を、気持ち悪がる人がいるから、ということでした。
小学校でも、お弁当に、卵焼きが、入っているのを見て、
気持ち悪いと、いじめられる、日本人の子どもが、いたそうです。

自分が、受け入れているものを、全部、
受け入れさせようとしたのが、いけなかったと、反省しました。
しかも、パーティーには、まったく会ったことのない、
人たちばかりで、ストレンジャーの集まりですよね。

まずは、仲良くなること、信頼されることが、
大切と、思い直しました。
でも、これ、いいよ!って言っても、やってみよう!って言っても、
それを、いいとは、思えない人はいて、それでもよくて、
それは、人は、多様であるからだけれど、
そんな、ひとりひとりを、見つめて、
こちらから、じゃあ、どんなことが趣味なの?と、
相手を、尊重できたら、いいなあと、思います。
そして、むこうも、私を、尊重してくれたときに、初めて、
実はね、日本には、こんなことが、あるんだよ、って、
伝えられたら、いいなあと、思います。

この、私の見方では、
日本人と、仲良くなる、というよりは、
個人で、仲良くなるのに、近いと、思います。
でも、ひとりひとりが、どんどん、つながったら、
みんなで、大きなことも、成功できそうです。

NO.32013-01-08 10:03:03 sana805 8
ryoichickさん

サハラ砂漠駅伝!! すごいね。 なんて シュールな発想。その視点はなかった。
きっと水が本当に美味しいだろうね~!
サハラ砂漠駅伝に、ダンボールで砂滑りなんて入れていいですか?(冗談)www♪

NO.22013-01-08 09:04:15 sana805 16
おはようございます☆彡
日本の様々なローカルな文化を世界に伝える効果的なアイデアとは?
パッと浮かんだものを、ブレーンストーミング的に羅列。

けんみんSHOW
日本昔話
お祝いごと。
節句
浮世絵、漆、神社、日本食、伝統工芸

他国の文化との接点。
食、衣、住、仕事、余暇
朝鮮学校 交流 学校同士 開かれた学校 異文化理解
子供と老人
日本文化

ごちゃごちゃ出てきて、ぱっと浮かんだのはオリンピック!!
子どもの頃、私は奈良に住んでいました。奈良国体があった時、国体選手が一般の人のお宅に宿泊する為、バスからズラズラ降りてきたのと偶然出くわし、国体の入場行進で持っていたチューリップの花を頂きました。その嬉しかったことふと思い出したのです。

それでね。
まず、日本にオリンピックが来たら、選手や関係者は難しさがあるかと思うので、
日本に来たお客を、日本の家に招待するの。
食や文化は生活や人との関わりに感じるものだと思ったから。
それか、地域でおもてなしの準備をする。準備する方も目的があっていろんな繋がりができて、
大変だけど結果、地域の人とのつながりもできるかもしれないし、自分の糧になる気がする。

また、脈絡ないけど、日本の遊びって面白いしお互い伝え会えるといいなと思いました。
日本の折り紙とか缶蹴りとか面白い遊びっていっぱいある。共通の遊びもあってもいいかも
トランプ一つでもきっと日本のゲームと海外のゲームあそび方が違うかも。。

すみません。何だか思いつきでの書き込みでまとまってません、、。
でもなんか楽しいですね~。いろいろ考えると♪  
まだまだ浮かびそうですがとりあえずこのへんで。

NO.12013-01-07 22:59:20 ryoichick 18
実際に世界各地に展開していくこと、ではないでしょうか。箱根駅伝改め、サハラ砂漠駅伝、など、その土地土地にあるものと融合していく。そういった新しいローカルに親しむ現地の人々が、ふと「あ、これって発祥は日本の箱根駅伝というものなんだ!」という瞬間が、日本のローカル文化を世界に伝えるということだと、私は思います。