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「結婚」について考えてみよう!

一昔前までは、ある年齢になると結婚をするというのが「当たり前」と考えられていました。異性との出会いがあまり多くない環境で生活していたとしても、「お見合い」といった形で周囲の人が相手の人を紹介してくれるような、いわゆるセーフティネットもあったわけです。

でも今はそういったものはほとんどなくなってしまいました。また、ライフスタイルも非常に多様化していて、結婚をして子供を作るということが唯一の「幸せの方程式」ではなくなりました。ヨーロッパではすでに結婚をしない形での男女の結び付き、あるいは同性同士での結び付きも当たり前になってきています。

一方で、「婚活」という言葉にも代表されるように、日本人はいまだに結婚にこだわる側面も残っている。それなのに、男性にしても、女性にしても、適当な相手がいない、どうしたら出会えるか分からない。そんな悩みをよく聞きます。もしかしたら、こうした結婚に対する保守的な考え方が、日本人を不自由にさせているのかもしれません。

みなさんはこれからの結婚のあり方、あるいは結婚という形にこだわらない男女の結び付きのあり方について、どのようにお考えですか? 教えてください。

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NO.102011-09-18 13:32:36 orcamie 0
遠藤さん viajero さん ご結婚おめでとうございます。

前のお題の「古典」で私は「赤毛のアン」と書こうかなと思いながら書きませんでした。茂木さんの「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」に私の漠然と感じていたことが字になっていたので「赤毛のアン」を持ち出せなくなってしまっていました。ですが私の「結婚観」を語るのなら赤毛のアン抜きにしては考えられない。それくらい「赤毛のアン」は私の中で生きている。彼女は私にとって親友のような存在です。「赤毛のアン」は変わった女の子として物語は始まるのですが 結局は良妻賢母となってしまう。良妻賢母が悪い訳ではないのですが、そこを目指したくない私がいました。自分自身を生きるのに良妻賢母を優先したくない。つまり私はアンにはなれないのだという事を悟りました。それでも「赤毛のアン」は私の大事な本というのは変わりませんでしたが。
大学に行って専門が仏文学なので、かねてから興味のあったボーヴォワールの「第二の性」にようやくたどり着き、ボーヴォワールとサルトルの関係は素敵だけれど私には真似できなくらいボーヴォワールは強い女性でした。私が人生の中で目指していたのは女性だから男性だからということよりも自分の人生を生きるということでその中で子育てもしたいし結婚もしてみたいと考えていました。20代の頃は私は結婚はしたくないけれど、子どもは欲しいと漠然と考えていました。実際の私は既に結婚して3児の母でありその後離婚してシングルマザーで生きています。

なんで失敗しちゃったのかなっていうことは今では はっきりよくわかる。結婚と愛情は切り離せないものですが、毎日暮らして行くのに愛情とのバランスというものは絶妙のものじゃないと長続きしないんだなってしみじみ思います。それからお互いに暮らして来た環境というのは本当に大きい。出会った頃はそれぞれの立場の違いは ひとつひとつ話し合えば解決できると双方堅く信じていたのですが、それぞれの常識のラインが少しズレていると話し合っても解決しないということもわかりました。どんなカップルでもそういうことはあると思いますが 解決しないことをどう毎日の暮らしで折り合いをつけていくかちょっと視点を変えていたら折り合いつがいたかもしれないとも思えます。が、どうしても変えられない視点というのがあるんだということもわかりました。

3人の子どもたちは私と暮らしました。今それぞれかなり大きくなりました。ときどきは父親のところに会いにいったりしています。私が彼らに願うのは私母親ともいい関係でいて欲しいのと同じ位父親ともいい関係を築きながら大人になって欲しいということです。その為に私は彼らの父親への私自身の感情的な憎悪というものを消そうと格闘してきました。それはそう簡単なことではなかったです。ただ何か困難に直面するといつもその憎悪が怒りになってこんなことでくじけてはいけないと自分を鼓舞するのに役立ってくれた。そういう意味では愛情を介した関係はなくなってしまったものの父親の存在の意義はあったんだなと実感しています。

ここで No8のmasamiさん の<ただ、日本は、一度制度を作ると、お互いにそこから外れる人を監視するような空気が生まれやすく、制度を柔軟に変えることが難しい国のように感じますから、そう簡単には変わらないかもしれませんね。
masamiさんの 「制度から外れると監視するような空気」というのまさにぴったりな言葉です。
日本の柔軟性を欠いた面というのは国民性なのでしょうか。シングルマザーにとってそのことを公にするかしないかは大きな問題です。オープンにした場合の不利益としない場合の不利益はどっちが大きいのかなと私はよく考えます。オープンにした場合それを知った周囲のおかあさんが気を使って夫の話題をださないという気遣いが返って距離感を作ってしまい友人が作れないこと。オープンにしないシングルマザー達を見るとそれはそれでそのことを隠すために周囲から孤立することが前提になってしまいます。シングルマザー同士で家族のようになり互いの不都合をカバーし合っていたり新しい家族のカタチかなとうらやましくも思いました。

No.9のyamadaswitchさんの<もしも夫が浮気したら、浮気相手と決闘をして
闘っているうちに友情が芽生えるぐらいに。
(そして相手をサブメンバーに受け入れるぐらいに…)
何事にも、真心を持って取り組んでいきたいと思っています。

こんな多様性を受け入れるたくましさ私も是非身につけたいと思います。

北海道は都道府県別に見ると青森、高知に次いで相対離婚率3位です。(相対離婚率=離婚率÷婚姻率 これは厚生労働省人口動態統計2005年の資料をもとにした結果と思われます。)
自然と私の周囲にはシングルマザーがたくさんいます。シングルマザーである点を私は比較的オープンにしていましたがどちらかというとしない方のおかあさんが私の年代では多かった。でも最近では気軽にオープンにする人が増えてきました。 例えばお子さんを抱えて資格を取る勉強をされている人がいます。彼女たちは強いです。シングルだとは知らずに勉強頑張りますね。と言ったところ「夫がいたら勉強はできない」と言われて日本の国の結婚という制度の中で未だに強く男女の役割分担が決まっていてその枠にはまったままの人が多いんだなと感じました。

社会・政治・経済というあらゆる仕組みの中で日本の結婚という制度は奴隷制度みたいな観がある。本当の奴隷制度よりは緩くても、例えば会社が属する経済という枠組みの中で都合の良い存在としての家庭は型にはめられている。そこに生きる人間も決められた家庭という型紙のなかに
はめ込まれている。はめ込まれている側がそこから外れると人生が立ち行かないというような強迫観念があるんじゃないかなともときどき感じます。それはそこである種の思考停止のようなものだと思うのですが。

若い時にフランスで2ヶ月ホームステイしたことがあります。現在の私は茂木さんに近い年齢です。私の年齢をどのへんで明らかにしようかなと色々考えあぐねていましたがここらで言ってしまいます。年齢を言ってしまうと自分にブレーキを掛けてしまうかもしれないという危惧がありました。すでに言ってしまっているので今更ブレーキはかからないであろうと言ってしまうことにします。さて2ヶ月間フランスに滞在していろいろなカップルに会いましたが本当に自由だということ。シングルマザーであることがある種の尊敬の念を持っていわれていたような気がします。No8のmasamiさんがフランスのシングルマザーの権利が保障されているということが大きいのでしょうね。日本のシングルマザーはまだまだ仕事を得るということでたいへんな苦労があり生活が安定しないという問題があります。私の出会ったフランス人のカップルは奥さんが看護婦さんで夫は主夫で2歳の娘さんの世話を彼が担当していました。最近の日本では主夫ということをやってらっしゃる方も出てきてうれしいです。テレビドラマでも主夫がとりあげられるようになってます。主夫になったときの障害の一つには保育園や幼稚園でのおかあさん達と良好な関係や距離感を築けるかどうかということがあります。主婦たちが主夫と良好な関係を築けるかということはその子がそこで幸せな幼時期を過ごせるかということでもあります。幼稚園に迎えにくる人が母親だけでなく父親がいてもいいじゃない。という多様性があっちでもこっちでも普通にあると自然と子どもも個性豊かな子どもが多くなるであろうと思いたい。

私自身もシングルマザーで職場にもう一人シングルマザーがいますがお子さんのことで急に休むということがときどきあります。そんな時にカバーしてくれる相方がいないとほんとうに辛いです。仕事に穴をあけるわけにはいかないですから。祖父母のサポートがあるといいのですがそれも無い場合、わたしもそうでしたが風邪で熱を出して保育園や学校を休んでも家で一人で寝ているという事を子どもが体験しなければいけない。その当時の私は子どもに対しては本当にごめんという気持ちと こういうことがあまり続くと父親から保護者として不適切ということで子どもの親権を奪われるかもしれないという強迫観念との闘いもありました。周囲を見回しても子どもにしわ寄せが行くか仕事を失うかのどちらかが多いです。そこは子どもを預かる先と職場にも仕事を果たすという機能の他に社会で子どもを育てるということに対して使命感を持って欲しいですね。日本の少子高齢化の問題は 他のどの国よりも急激に起きてしまったということにあります。イギリスを始めとするヨーロッパの国々が少子高齢化社会を経験はしているもののそれが日本よりもゆっくり100年位かけて起きて来たことで様々な対応が可能だったのに対して日本では急激すぎて後手に回っているのが現実です。

結婚というお題ですが私の投稿は少し本題からずれてしまったかもしれません。私の失敗例が何かの参考になればいいなと思います。長い投稿となりましたが最後までお読みいただきありがとうございます。もう少し短くまとめたかったのですができませんでした。最近結婚された方やこれから結婚する方には心よりお祝いを申し上げます。色々な結婚のカタチがありそれぞれがみんな幸せになれる日本であって欲しいと思います。

NO.92011-09-17 11:50:22 yamadaswitch 0
ryosuke85さん、viajeroさんご結婚おめでとうございます!
結婚を通してたくさんの人のいろんな人生が垣間見えるような気がして、
今回の投稿をとても楽しみにしていました。

私は結婚8年目になるのですが。
結婚のよいところは、ある時期子どもを育てるために
夫婦がタッグを組んで取り組めることかと思っています。

でも、ここからが結婚の落とし穴というかなんというか。

物事は想定外を予想しながら進めないといけないというか。
結婚しようとすまいと、想定外のことは起こるもので。
例えば、うちの夫は浮気をしませんが
普通の生活に飽きた夫が突然浮気をして出ていくとか、
突然の事故で死んじゃうとか、
同居している祖父母が突然脳卒中になった場合も想定すると、
子育ての上に老人介護問題、シングルマザーデビューも
いきなりスタートするわけで。

それでも結婚したからには、
その次々に襲い来る難問を解いていかなければならないわけで。

そのためにわが家では、
普段からメインメンバーである家族の他に、
サブメンバーの育成を図っています。

ようは、家族以外の人が頻繁に
わが家の食卓には同席するわけですが、
そうしているとあまり、生活に飽きが来ないんです。
しかも、子ども達はたくさんの大人に遊んでもらえて、
たくさん構ってもらえるという喜びを持っています。
そして、いずれはサブメンバーをわが家に受け入れて
下宿を始めようかとも考えています。

関係ない話ですが
私が20代の前半に、白塗りのダンスチームにいたときのことですが。
メンバーの男の子がバイト先の女性と今、不倫をしているという
話をした時の女の子達の反応が、
一様に「信じられない!」だったことと
男の子達の反応が一様に、「やるやないけ!(やるじゃないか!)」
だったことが思い出されるのですが。

何故か私は女子であるのに、
その女子の「信じらんない!」という反応があまり好きじゃ
なかったんですね。
それで数年経ってからあの「信じらんない」は
どういう意味だったのだろうかと考えてみたところ、
あれは、「私の脳では処理できない!」という
ことだったのだと思うんですね。

そもそも、現実に起こっていることを
処理しなくてどうする…っていう。
もっと前向きに処理していこうよっていうか。

もしも夫が浮気したら、浮気相手と決闘をして
闘っているうちに友情が芽生えるぐらいに。
(そして相手をサブメンバーに受け入れるぐらいに…)
何事にも、真心を持って取り組んでいきたいと思っています。


NO.82011-09-16 06:55:37 masami 0
ご結婚された遠藤さん、そしてご結婚を決められたNO.7 viajeroさん、おめでとうございます。

結婚への思いは、それぞれの年齢や体験によって違うのが当たり前で、その時その時の感慨を大切にしてほしいと感じるので、今まで投稿を躊躇っていました。(このように思う私は、茂木さんとほぼ同じ位の年齢です)

もし、結婚、特に日本の結婚という制度について何かを言うとしたら、普通の結婚、というイメージに縛られてしまうのはもったいないかな、ということだと思います。

10組の結婚があれば、10組の人間模様がある、普通の結婚はない、そのように思います。
結婚もまた、人間関係の一つなのだから、当たり前のことなのに、なぜか、結婚、そして家族、親子といった言葉には、普通、というイメージが他の人間関係よりもしっかりと絡みついていて、そのことによって心に傷を負う人もいるのではないでしょうか。
結婚という制度を、自分の人生をより良きものにするために自分なりに活用してもいいと思います。そこに二人の、またその二人を囲む人間がかかわってくることから起こる問題は多々あると思いますが…。

殆どの人は、生きている間ずっとつながっている、私、という感覚を持ってると思います、その私は、子ども、青年、成人、老人に、なる、のではなく、そのようにひとくくりにされるような時代を体験すると捉えるように、結婚、家族という体験をしていると捉えると、それらの体験と、私、という存在を分けて考える、普通、とひとくくりにするのとは違った視点が生まれるような気がします。

一方で、結婚は単なる制度、と片付けてしまえるほど簡単なものでもないかな、とも感じます。
事実婚から結婚という状態になった女優さんが、周りの友人との関係に、変な距離感がなくなった、と話されていました。自由に見える芸能界でもそうなのですから、結婚しているかしていないかは、当事者にも、まわりの人の心にもとても大きな影響を及ぼすのでしょうか。結婚してこそ一人前、といった見方がまだ根強くあるのだろうか、と感じさせられましたし、結婚して家族になることが前提の制度の中で、結婚している人は、気づかないうちに、社会的に、また他者との関係において、とても有利な立場を享受しているのかな、と思いました。

フランスでは、現実に社会で起こっている現象を制度の中に取り入れるため、結婚という制度を変えたわけではなく、シングルマザーに、既婚者と同じような権利を与えました。このことによって、フランス社会における結婚や、女性の在り方そのものが変化してきているように感じます。

日本で今、大勢を占めるであろう、結婚に対する見方も変わっていくものだと思います。

ただ、日本は、一度制度を作ると、お互いにそこから外れる人を監視するような空気が生まれやすく、制度を柔軟に変えることが難しい国のように感じますから、そう簡単には変わらないかもしれませんね。

このような所にも、最初の頃のテーマ、個の確立、が関係しているのかもしれないな、と感じます。

NO.72011-09-13 10:39:23 viajero 0
遠藤さん、ご結婚おめでとうございます。

また、私も私事ですが10月に挙式をあげることになりました。
私の場合、結婚に至る経緯、結婚を決めた時にかんしては遠藤さんとはちょっと異なる感じでした。遠藤さんのいう「刺激を受けられるかどうか」はすごく大切なものだと思いますが、私の場合はタイミングでした。長く交際をして、年齢的にも適齢期になってきて、子供のことを考えるとそろそろという感じで結婚に至りました。

このことを考えるとある意味保守的で、結婚して夫婦になるという一区切りのための儀式的なものを感じます。しかし一方で、妻はとても安心した心地よさを感じているように思っています。私より年が2つ上だったということもあり、焦りがあったのかもしれませんが、結婚が決まってからはなんか安定しているというか、こちらが見ていても幸せを感じてしまいます。なので、結婚という形にこだわらなくてもいいと思いますが、それによって人が幸せになれるのであればいいことだなと感じます。

さて、natsumeさんの投稿で感じるのは、社会や法が時代の流れに全く追いついていないということです。この保険金の請求であったりっていうのは、ただ人々の生活を窮屈にしてしまっている。日本では結婚に関わることだけでなく、古く、かたいものがありすぎて生活を窮屈にしてしまっていますね。


NO.62011-09-12 16:16:38 chigusaotsuki 0
Congratulations! ryosuke85-san!
It is fortunate that you have such a good lady!
(I changed a word. Sorry.)

NO.52011-09-12 16:06:34 chigusaotsuki 0
Hello there!

Congratulations! ryosuke85-san!
It is fortunate that you have such good lady.

It is nice to meet you, natsume-san!
I am a friend of yours now.

So how are things going, trasque-san?

It would seem that everyone feel that a marriage is an important thing.
Many people marry purely for themselves, for instance to outweigh their drawbacks.
Some people will explain how my boyfriend or girlfriend is different from others.
The reasons for and purpose of the marriage will vary, depending upon situations and relationships.
So do not worry everyone. It is O.K. with me.

NO.42011-09-10 10:15:32 natsume 0
初めて投稿します。

今、私は法的には「既婚者」であり、夫がおりますが、
実は若い頃から結婚に興味が無くて、ずーっと独身でした。
それよりも人生を賭けて、夢中になって取り組みたい仕事があったので…。
結婚する事をまったく考えずに、40歳を過ぎました。
結婚はひとごとでした。

というのも、私は物心ついた時には既に両親は亡くなっており、
後見人はおりましたが父母のいるいわゆる「家庭」の中で育っていません。
その上生まれつきの心臓疾患があり、大人になるまで生きられないだろうと言われていました。
周りの大人が何を言っても、私は生きたかったのでその見込みを信じず、自分のやり方で子供の頃から「生き延びて大人になり、好きな事をして生きる」事だけ考えてきました。
幸い、周囲の人々や運に恵まれ、淋しい心細い思いもせず、愛されて育ち幸せな子供時代を送りました。
父母はいなかったけれども、私にとってはそれは普通の事で、友達をうらやんだ記憶はまったくありません。
そんな生い立ちなので、家庭という概念が他の人とは違っているんじゃないかなと思います。
私にとってもし「家庭」というものがあるとしたら、それは友達というコミュニティであったり職場でのチームメイトなんだと思います。
それでなんの不足もありません。

だから、結婚という選択肢を自分の人生設計に組み込む事がピンと来ないのではと思っています。

しかし、とある事情で数年前に結婚しました。
私と同じような理由で結婚を考えてこなかった旧友と話し合って、婚姻届を出しました。
その事情とは、生命保険の「保険金代理請求」は配偶者でなければできないという現実があるからです。
40代になると、この保険金を使う事になる事態に陥る可能性が高くなると判断して、もしもの時にお互い助け合おうという事で…。
高校時代からの親友なので、身寄りのない私にはこれ以上信頼の置ける適任な人物はいません。
同じく今は身寄りを持たない友人にとっても、それは同じです。
そんなわけで紙の上だけの婚姻関係なのですが、これから先の人生を生きていく上で、お互いに大きな安心を得られました。

そして、ここからは私にとっての「結婚とはなにか」という理解なのですが。

私はカトリック教徒です。
「結婚」とは教義的には「秘蹟」のひとつであり、信徒にとっては「神との契約」です。
修道者になるために「召し出し」が必須であるように、「結婚」も同じように出会いや縁が決め手になると思いますが、しいて言えば私には「結婚という神との契約」に必須な「召し出し」にあたるものがたまたまやって来なかったんだと解釈しています。

それなのに、その「結婚」という、教義では「聖なるもの」を、いとも事務的にひとつの制度としてドライに利用しているわけです(笑)
もちろん教会には内緒です。そんなに融通の利くところではないので。
とはいえ、この国の婚姻制度を利用しているだけで戒律は犯していませんから…。
教会法では私は独身です。

これからもずっと、仕事を通してどれだけ社会に貢献していけるだろうか考え実践していく上で「入院などの非常時の備え」という後ろ盾がある安心感は、私の挑戦し続ける志向にはかかせないものとなっています。

私の「結婚」は、かなり特殊な例かも知れませんが…特殊じゃなくなる時代が到来するかも知れないですね。

NO.32011-09-08 01:09:10 trasque 0
まずは遠藤さん ご結婚本当におめでとうございます!

この所、私の友人を含めて結婚の報告を伺う機会が増えており「そういえばもうそんな年齢なんだよな」と少し焦っている次第です、とはいえ何か行動を起こしている訳でもないのですが…
結婚については女性との関わりがほとんどなかった私にとって未知の領域で、なにもわからん!という状態ですから、この度は皆様に色々と教えて頂きたいなという体裁でいきたいと考えております。

凄くシンプルにしますと「気の合う人、美人で僕のわがままを多少聞いてくれる人」と出会えたらいいなとか思いながら、それって自分にとってただ都合が良いだけなのでは?なんてぐるぐると考えていたりします。
5年前に難病を持ってから、意識していた訳ではありませんが、私は女性との関係を持とうとしては来なかったように感じています。(モテてないだけじゃん!とは言わないで!)

これを言うと情けないのですが、仮にも難病とされているモノを持っていること、経済力もまだまだ弱く不安定なこと、何か情熱を傾けているものが実はなかったりすることなどから、私の中で「お付き合いや結婚はしてみたいが、相手の女性に申し訳が立たない」と言った様な、ある種の自信の無さがくすぶっています。
「そういうことは問題ではない」とアドバイスを頂きますし、私自身もだからといって行動をしないというのでは元も子もないと頭では考えておりますが、どうも「不安」になってしまうのです。
結局結婚せずにいれば、それなりに良い生活もできるし、自由だし、分っている苦労をかける必要も無い、などと考えて「気楽で良い」とオチついてしまったりもする訳です。

先日、森薫さんという漫画家さんの作品「乙嫁語り」を購入しました。
とても綿密に書き込まれた描画、遊牧民達の生活が空気まで見えるように伝わってくる描写など、素晴らしい作品だと思いました。主人公の夫婦はまだ若いのですが、読んでいると何となしに「こういうの、良いなあ」と思ってしまうのです。そこで、やっぱり自分も「そういう生活」が欲しいのだなあなんて気付かされます。

思えば男女に関わらず「この人と生きていたい!」と強く願った事はありませんでした。たとえ家族であろうと、家族だからこそ「ナアナア」なのかもしれません。
人からのアドバイスでは「お互い同士を見合っているよりも、二人が同じ目標(方向)を見ている関係が良い」と伺うことがあります。私は「恋愛がしてみたい」と思うことはありますが「同じ目標を追ってみたい」ということは確かにありませんでした。
最近になって、何か自分で大きな目標を作り、そこへがむしゃらになってみようと考えました。がむしゃらに走る中で、気がつけば隣に、同じ目標へ併走してくれるパートナーが見つかるのかもしれないと考えたのです。
この考え方は、どうなのでしょうか。ご結婚されている方々の、出会いなり生き方なりをたくさん聞いてみたいなと思います。

NO.22011-09-07 20:01:47 ryosuke85 0
結婚について

個人的な報告から一つ。
僕、遠藤涼介は先日、8月22日に入籍し、この9月10日に式と披露宴を
執り行います。
という非常に個人的な報告から“結婚について”の意見を述べたいと思います。

男女のつながりは、その前提として「人間的な魅力が感じられるかどうか」が、
男女としてよりも、人として付き合う上で必要なことではないか、と考えています。
僕が結婚を決意した大きな理由は、刺激を受けられるかどうか、が大きな点でした。
僕に生きる上での刺激を与えてくれるような熱い人間が僕には必要で、
これは、この掲示板に意見を投じている皆さんにも熱いものを感じますし、
実際に顔を突き合わせて、表情を確認できる位置にいる関係性の人間にでも
同じことを感じる人間とは一緒にいます。

自分としての意見がきちんと持てて、現状に対して自分が出来ることが何かを考え、
“当たり前”を当たり前として受け入れずに、考えた上で、自分が納得した上で
次の行動に出る。
そこで、意見の相違があれば議論をする。

そういう熱い気持ちを持っている人が僕の人生には必要であり、
言うなれば松岡修造さんの様な熱い気持ちを持つ人に、非常に魅力を感じます。
本気になれる事がある、という事がどれだけ魅力的な事か。
本気になれる事に対して全力を投じるという姿勢がどれほどまでに格好いいか。
また、三浦和良選手の格好よさは、なにもサッカーをしているだからでは無く、
本気でサッカーに取り組んでおり、常に全力を投じているからこそ、
見ている人たちに興奮を運んでくれるものだと思います。

中にはそういう熱い部分を「暑苦しい」と煙に巻く人もいるでしょうが、僕にとっては
大変修造さんは尊敬できる方であり、
僕の人生の中でとても大きな存在感を持っている方です。
修造さんまで行かなくとも、“熱いモノ”を持っている人物と接する事で、
自分の熱さを再確認でき、自分の持っている熱と相手の持っている熱を比べた時に、
自分の熱が低かった時にもっと熱くやらなければ…と鞭を打たれますし、
逆に相手よりもこちらの熱が上回っていた場合は、
冷静な物の見方をさせて貰えます。

赤の他人同士が人生のベクトルを“ほぼ”同じ方向へ向けて歩こうとする中で、
お互いに何かを感じて共に行くわけですが、そこには“自分では無い”存在が
同じ空間の中にいることをどう感じ、どう捉え、どう対応していくのか。
人間的な魅力を感じて、共に生きようと決意すると共に、その辺りのマネジメント
もしていく事が重要だと思うのです。
また、そこに面白みがあると思いますし、そもそも、男女関係の駆け引きが
人間関係のマネジメントの中で一番面白いものだと思っています。
ですから、自分とは違う思考、行動、言動をどれだけ引き出しながら、
刺激を受けながら、相手にも刺激になれる様に、というのが、人間関係において
大切なことであり、強いて言えば結婚生活に大切なのかな、と感じています。


ここからは非常に表現が難しく、また、僕の文章力の問題で上手に伝えられるか
自信がないのですが、結婚という形式がなぜ重要なのか、という点について
述べたいと思います。

日本において結婚というものが重要なことだというのは、
家族同士の繋がりが構築されるという古来の風習が大きいように感じます。
また、社会全体として個々人を取り巻く環境が変化しているにも関わらず、
結婚=一人前という通念的な思考に捉われている事もあると思うのです。
現在、まだまだ不完全と言えるかもしれませんが、女性の社会進出も増え、
女性自身が稼ぎを得ることが可能となっている事で、夫婦契約を結ばなくても
自立して生きていけることが結婚の必要性を低下させている様にも思います。

しかし、当人たちのことだけれど、親族など自分たち以外の人間が絡んでくることで、
大切なことと認識されているのだと、僕は自分の結婚を機に感じました。
このあたりは、個人よりも集団に重きを置くメンタリティの根底があるように思います。
自分たちの顔も見た事もない親類にあたる方からお祝いをしていただく事は
非常に嬉しく思う反面、戸惑いを感じてしまいます。
何処まで「ありがとう」「お世話になりました」「これからもよろしく」を言えばいいのか。
勿論、言える方々に最大限の力を込めて伝える事は必要だと思うのですが、
あまりにも強すぎる“親族間の繋がり”は非常に違和感を覚えてしまいます。
それは、良さなのかもしれませんが、それは個人を見るのでは無く、
集団を見る事になり、結局、【○○家】という広い括りで判断されることになり、
結婚を決めた当人たちの事は、その括りの中での出来事として片付けられ、
【○○家】という大きなくくりの一エピソードに“成り下がる”
ようにも思えてなりません。
このあたりの考えは、我が家の両親が半ば駆け落ちのような形で一緒になり、
母方の親族から反対をされながら結婚をした、という経験が僕に伝わり、
そこから親族間の繋がりについて考えるきっかけになったといえます。

勿論、至らない言葉ばかりで表現が難しいのですが、誰のためのものなのか、
という事を認識できないといけないのかな、と思います。

NO.12011-09-06 17:29:33 chigusaotsuki 0
私は、20歳のときに、結婚して、今年で、36歳になるので、結婚して、16年かな?
私は、結婚は、セラピーでは、ないかな?、と、思っています。

癒される人としての、セラピーの意味は、もちろん、癒す人という意味においても、
結婚とか、交際は、セラピーのように、思えるんです。

セラピストである、ということが、私にとっては、結婚の意味なんです。
年を重ねていくと、まわりの、いろいろな人たちの、気持ちが、わかってくる。
セラピストとして、人として、成長するために、私は、結婚したんだと、思います。