公務員という職業はどうあるべきだと思いますか?
大阪市長に当選した橋下徹さんは、公約として、現状の年功序列式から職責に応じた給料を支払う形にする給与制度の改革や、職員数の大幅削減などを掲げています。
今、公務員のあり方が、問われているのだと思います。公務員は「日本社会の非効率性の象徴だ」という考え方もありますし、一方で、「公務員でなければできない仕事がある。苦しい今こそ『公』を大事にしなくてはならない」という考え方もあります。
また、若者の中には、この不透明で就職難の時代に、公務員というのは、「安定した数少ない職業」として人気を集めている現実もあります。
公務員のあり方について、みなさんはどのように考えますか。多くのご意見をお待ちしています。
NO.82011-12-16 13:22:43 trasque 0
motakeenさんに紹介して頂いたBLOGOSの記事を読みました。とても勉強になります。ありがとうございます。
「構造」に着目したところは、勇気ある話だなと感じます。考えてみれば「保健所」の例も、一風変わった事務所の構造がさせていたのかもしれません。
もっと私達一般の人々が、公務員の現状を知っていかねばならないと痛感します。公に関わることを「任せっきりではいけない」なと反省するばかりです。
「構造」に着目したところは、勇気ある話だなと感じます。考えてみれば「保健所」の例も、一風変わった事務所の構造がさせていたのかもしれません。
もっと私達一般の人々が、公務員の現状を知っていかねばならないと痛感します。公に関わることを「任せっきりではいけない」なと反省するばかりです。
NO.72011-12-16 11:01:04 motakeen 0
これを機会に、いろいろ公務員に関することを読んでみました。
その中でこれ!!全く同意します!!という記事を読んだので、追記したいと思います。
中田宏さんという横浜市長を2期された方のインタビューです。
(すみません、私はこの記事を読むまで、この方のことは全然知りませんでした。)
大阪の副市長になるかもしれない人みたいです。
http://blogos.com/article/26798/?axis=&p=1
市役所の統廃合、処理効率を高めること、これらがどうしてこんなに難しいのか。
どうして大きな改革がなされず、今年の予算ベースで来年の予算が組まれるのか。
税収がどんどん増えているときはそれでもよいかもしれない。
でも年金の負担はどんどん増える一方、税収は増えない。赤字は増える。
これじゃいけないと、みな思っている。
でもそれは公務員の意識が低いからではない。
首長が怠慢だからではない。
それはそういう構造になっているから。
また、その構造を変えようとするとどれだけ対抗勢力が押し寄せてくるか。
記事の中でとても丁寧に話されています。
(メディアの役割も大きいと私は思っています。
例えば先日産経新聞をIphoneで読んでいたら、一面に「地域独裁がもたらす脅威」と橋下氏を批判、社説に「公務員天国にただ呆れる」と公務員の年金に踏み込まない民主党を批判。本当にいったいどっちやねん!!!といいたい。
政治にリーダーシップが足りない!とたたき、一方でリーダーシップを発揮している人をたたく。
もしかしたらこれでバランスをとってるつもりなのかな?)
ざっと読んだだけですが、私も橋下氏のすべての政策に賛成しているわけではありません。
(充実した福利厚生がどんどん悪いほうに引きずられる、という事自体は、私も問題だとは思います。でも、経済が縮小していく中、あらゆる方向で痛み分けがおきるのは仕方ないのかな。。。他に何ができるのか。難しい問題です。。。)
強固に固められた構造を作り変えていくのは、相当のエネルギーが必要。
確かに強引に見えますが、逆に言えばこれくらいしないと何も変わらないということの現われではないでしょうか。
正直、たたけばたたくほど、彼は頑なになり、自分の主張を通すためには権限を増やすしかない、と彼は考えるでしょう。 ならばせめて、逆行に立ち向かい、なんとかしようとしている人をきちんと評価し、サポートすることが大事なのでは。その上で、反対しなくてはいけない論点は、それぞれ議論し妥協案を探ればよいと思います。
カウンターオファーも無く、ただ反対するだけして、「私は最後まで戦い抜きました」などと言う人のほうがよっぽど問題かと思います。
その中でこれ!!全く同意します!!という記事を読んだので、追記したいと思います。
中田宏さんという横浜市長を2期された方のインタビューです。
(すみません、私はこの記事を読むまで、この方のことは全然知りませんでした。)
大阪の副市長になるかもしれない人みたいです。
http://blogos.com/article/26798/?axis=&p=1
市役所の統廃合、処理効率を高めること、これらがどうしてこんなに難しいのか。
どうして大きな改革がなされず、今年の予算ベースで来年の予算が組まれるのか。
税収がどんどん増えているときはそれでもよいかもしれない。
でも年金の負担はどんどん増える一方、税収は増えない。赤字は増える。
これじゃいけないと、みな思っている。
でもそれは公務員の意識が低いからではない。
首長が怠慢だからではない。
それはそういう構造になっているから。
また、その構造を変えようとするとどれだけ対抗勢力が押し寄せてくるか。
記事の中でとても丁寧に話されています。
(メディアの役割も大きいと私は思っています。
例えば先日産経新聞をIphoneで読んでいたら、一面に「地域独裁がもたらす脅威」と橋下氏を批判、社説に「公務員天国にただ呆れる」と公務員の年金に踏み込まない民主党を批判。本当にいったいどっちやねん!!!といいたい。
政治にリーダーシップが足りない!とたたき、一方でリーダーシップを発揮している人をたたく。
もしかしたらこれでバランスをとってるつもりなのかな?)
ざっと読んだだけですが、私も橋下氏のすべての政策に賛成しているわけではありません。
(充実した福利厚生がどんどん悪いほうに引きずられる、という事自体は、私も問題だとは思います。でも、経済が縮小していく中、あらゆる方向で痛み分けがおきるのは仕方ないのかな。。。他に何ができるのか。難しい問題です。。。)
強固に固められた構造を作り変えていくのは、相当のエネルギーが必要。
確かに強引に見えますが、逆に言えばこれくらいしないと何も変わらないということの現われではないでしょうか。
正直、たたけばたたくほど、彼は頑なになり、自分の主張を通すためには権限を増やすしかない、と彼は考えるでしょう。 ならばせめて、逆行に立ち向かい、なんとかしようとしている人をきちんと評価し、サポートすることが大事なのでは。その上で、反対しなくてはいけない論点は、それぞれ議論し妥協案を探ればよいと思います。
カウンターオファーも無く、ただ反対するだけして、「私は最後まで戦い抜きました」などと言う人のほうがよっぽど問題かと思います。
NO.62011-12-15 21:59:51 simattie 0
公務員は、イメージとして年功序列で安定していてノルマや結果が求められているわけでもなく、それほど頑張らなくても給料は変わらないためにdisられる。教員の不祥事や酒気帯び運転では勤務先と名前が新聞に載って、溜飲を下げる対象になっています。
じゃあ公務員をすべてクビにして無くしてしまったらと考えたらどうでしょう。
なにも困らずみんなで協力すれば自律していける、経済原則に任せれば効率もいいかもしれません。しかし、利益を求めたらやっていけないところも見えてきます。
警察官や消防士は利害関係により対応に差があったりストされたらたまりません。
教育なら私立学校がありますが、授業料や寄附金が高く誰でも入れるものではないため、一定の教育が保障される公立学校が必要でしょう。
法律や条令に定められた許可や認可は、利害が絡むことも多く恣意的に運用されるものではないため役所がやるべきですし、弱者を保護救済する業務、住民の最低限の生活を保障する業務は、効率を求めるものではではなく、対象も限られるので役所の仕事だと思います。
また、広域的な交通体系、地域産業の育成や文化的なグランドデザイン、災害対策を決めるのも個々の私企業がやることではないでしょう。
まだいろんな分野が思いつくかもしれませんが、公務員(行政)の仕事は法律の規制によって生活の秩序を保つことと考えられます。その行政が無駄と思えるようなところまで肥大化したのは、われわれが様々な要求を繰り返してきたことの裏返しとも言えます。
例えば、それほど交通量の多くない道路の交差点、お互い譲り合ったり気をつけていればいいのですが、何回か事故があるといつのまにか信号が付いていて面倒に感じることがあります。行政とはそんな感じの存在かと思います。
Trasqueさんが言われたように、公務員の制度そのものは「システム」でしょう。私たちがその「システム」への依存を減らし頼らない考え方ができればスリム化されていくのだと思います。年功序列式でなく職責に応じた給料はモチベーションが上がるかもしれません。不要な公共部門を削減したらリストラや早期退職制度も必要です。それによってサービスが低下してほしくはありませんが。
じゃあ公務員をすべてクビにして無くしてしまったらと考えたらどうでしょう。
なにも困らずみんなで協力すれば自律していける、経済原則に任せれば効率もいいかもしれません。しかし、利益を求めたらやっていけないところも見えてきます。
警察官や消防士は利害関係により対応に差があったりストされたらたまりません。
教育なら私立学校がありますが、授業料や寄附金が高く誰でも入れるものではないため、一定の教育が保障される公立学校が必要でしょう。
法律や条令に定められた許可や認可は、利害が絡むことも多く恣意的に運用されるものではないため役所がやるべきですし、弱者を保護救済する業務、住民の最低限の生活を保障する業務は、効率を求めるものではではなく、対象も限られるので役所の仕事だと思います。
また、広域的な交通体系、地域産業の育成や文化的なグランドデザイン、災害対策を決めるのも個々の私企業がやることではないでしょう。
まだいろんな分野が思いつくかもしれませんが、公務員(行政)の仕事は法律の規制によって生活の秩序を保つことと考えられます。その行政が無駄と思えるようなところまで肥大化したのは、われわれが様々な要求を繰り返してきたことの裏返しとも言えます。
例えば、それほど交通量の多くない道路の交差点、お互い譲り合ったり気をつけていればいいのですが、何回か事故があるといつのまにか信号が付いていて面倒に感じることがあります。行政とはそんな感じの存在かと思います。
Trasqueさんが言われたように、公務員の制度そのものは「システム」でしょう。私たちがその「システム」への依存を減らし頼らない考え方ができればスリム化されていくのだと思います。年功序列式でなく職責に応じた給料はモチベーションが上がるかもしれません。不要な公共部門を削減したらリストラや早期退職制度も必要です。それによってサービスが低下してほしくはありませんが。
NO.52011-12-14 23:42:18 trasque 0
中学一年の時の担任の先生を思い出します。ここではK先生とお呼びさせて頂いて。
当時の中学では土曜日とか中途半端なところに道徳というこれまた中途半端な科目が設定されていました。こんな事を言うと怒られてしまいそうですが、他の科目のように「コレコレを教える/学ばなければならない」というようなものではありませんでした。
小学校の頃からありましたが、教師によっては生真面目に「道徳の教科書」を使って授業をする人もいれば、ほとんど長時間ホームルームのように使ってしまう教師もいました。中には教師独自のゲームで面白おかしく勉強をさせてくれるような人もいました。
K先生の道徳の授業は「雑談」でした。しかしこれが面白かったのです。毎回クラス中が爆笑の渦でした。隣のクラスの先生が「何を騒いでいるんだ静かにしなさい!」と注意しに来るほどで、まさか騒がせてる張本人が担任とは思っていませんから、微妙な空気になってたのもそれはそれで楽しい思い出です。
”公務員”という単語で私がまず思い出すのは、この「雑談」の中の一つです。
たまたま車を使っていて、ヘッドライトが片目になっている事に気付かず走行し、慌てて修理屋にかけこもうとしたところで警官に止められてしまったというだけの話です。K先生は小柄でしたがスマートな筋肉がついており、サッカー部顧問として部員のだれよりも上手く、生活指導的な立場ではあるもののやさしさのある厳しさを持つ人でした。しかし常に坊主頭で、ちょっと犯罪者っぽい顔立ちをしております。
警官に「職業はなんだ」と問われるK先生。 「……公務員です」 警官「嘘をつくな!!」 というだけのオチでクラスは大爆笑でしたが、何か印象的な話だったのでよく覚えています。
「教師」と答えると信じてもらえないだろうという遠慮から「公務員」と答えたのに結局信じてもらえない程コワモテでした。その時は「教師→公務員」という意識はあまり強く持っていませんでした。
私が特定難病疾患の受給者票を申請する為、毎年お世話になっている保健所があります。市役所や、No4:TedKawanishiさんが挙げている支所などで受ける印象は「とても事務的」だという部分があります。事実私も役所に行く度に「お役所仕事だなあ」と、少し不満を持ってしまうのが正直なところです。
ですが、私がお世話になっている保健所は「一味違うな」と思わされます。普通、役所と言えば郵便局のようにカウンターが並んでいて、役割ごとに細かく窓口が設定されていて、どうにも分かりにくく融通の利かないイメージがあります。
その保健所は、入るなりカウンターが見つからず、丁度学校の職員室のような、雑然とした事務所のような構造をしています。「とりあえず中に入っちゃって下さい」というような内容の張り紙が入り口にあるほど雑然としています。中に入ると気付いた職員が案内をしてくれます。簡単に用件を伝えると、すぐに連携されて窓口となっている「辺り」まで案内されます。
難病疾患の申請は色々と書類が多く、年によって少しずつ必要な書類が変わったり、収入や職場の変動でも必要な書類が変わったりとなかなか把握しづらい部分があります。
そういった事は、基本的には申請する側がしっかり全て揃えていなければ門前払いされてしまいますが、その保健所ではどこかのサービス業かと思うほどに柔軟で、きちんと相談に乗ってもらえます。
書類の不備をそのまま通すような事はしませんが、保健所でできるのかアヤシイ部分もまずはトライしてくれる姿勢などはかなり心強いなと感じる事もありました。
公務員といってもあまりに多岐に渡るのだと思います。
「おカタい仕事」と思われるのは、それが「公」であるが故に、リスク回避の方向へと極端に振り切れてしまう傾向があるからなのではないか、と考えたりします。お役所仕事といわれるのは、まさにそういうことではないでしょうか。
小・中学校の教師などは、そんな事を言っていたら勤まらないようにも思います。多くの教師は必死でしょうし、部活の顧問などはほとんどボランティアのようになっているよなあと、今思えば苦労をかけてしまったなと反省するくらいです。
保健所の(個人的にですが)印象の良さも、どちらかというと「そこで働く人達」によるものだなと思わされております。公であるが故にガチガチになりやすいトコロを、どのようにしていくのか。それを考えただけでも大変だなと思う訳で、そうなると保健所のそういった嬉しい対応は私が見える範囲の裏側で、私では気付けないような色んな苦労があるのではなかろうとか、とも思います。
これは非常に厄介な問題でもあります。とにかく「評価」しづらいからです。公であるが故に、ルールから外れた事はできない、と多くの人が(公務員でない人までもが)考えていると思います。コスト削減は大事な話だとは思いますが、これまで存在している「心ある公務員」達の首を絞める可能性もあると思うと、そう簡単にカットカットとは言えないなあ、と考えてしまう訳です。
私は公務員こそ「柔軟」であってほしいと考えています。「実際」を研究する立場にあるのではないか、と思うからです。最大効率、人員キュウキュウで回せ、とまではおそらく誰も思っていないだろうと思います。公務員は金持ちになるな、とも私は思いません。教師や消防士など、現場で必死にやっている方々にはもっと余裕と給料が与えられてもいいんじゃないか、と素人ながらに考えてしまいます。
保健所の例を出しましたが、公務員であるなら「自分たちで好き勝手にやる」のは許されないと考えます。普通の営利企業のように、顧客を選び、より会社に取って都合の良い部分だけに力を入れる訳にはいきません。
割り当てられた市民へ、できるだけ公平にサービスできるようなものが求められているからです。ですから、大方針に職員全てが従っていくという部分は基本中の基本であると思います。そうでなければ、好き勝手に自分たちの主張を展開するだけの個人集合になってしまい、求められているものに応えられないからです。
直近の例では「国家を歌わない」と主張した教師のようなものでしょうか。
先の保健所では、私に対して「保健所の役割」を十分公平に与えて頂いた上で「より良いもの」を目指せているのではないかと思います。つまり、きちんと「大指針には従っている」に過ぎない訳です。公務員として求められているもの、それを達成するための指針、これらがある事と「ガチガチになってしまう事」は、実は別問題ではないかとも思います。
橋下さんの全ての主張を読んでいる訳ではないので恐縮ですが、橋下さんが行おうとした事は結局「大指針をもっと明確にしよう、きちんとしよう」というだけの事だったのではないかと思います。
教師の大指針は、まず「子供たちへのより良い教育」を見据えるべきものである事に違いはありません。子供たちへの教育をもっともっと良くしよう、それも公務員として公平に。だからこそ指針が必要だ、それをもっときちんとしよう。それだけの事だと思います。
その指針に<則った上で>、さらに一人一人がどんな創意工夫に挑戦できるかという部分が「人間」の仕事ではないでしょうか。私は橋下さんの言っていた事が「独裁」だと受け止める事はできませんでした。
恐らく、教育現場を通じて、本気で子供たちの事を考えて橋下さんに反対した教師もいる事と思います。私はそれを批判するものではありません。むしろ、そうであるなら私はその教師も「人間らしく悩みぬいた人なのだな」と考えます。
公務員の制度そのものは「システム」ですが、公務員は人間であり、そのサービスの矛先も、基本的には人間の為であるはずなので、そこさえ忘れなければ、忘れてほしくないなと願うばかりです。
当時の中学では土曜日とか中途半端なところに道徳というこれまた中途半端な科目が設定されていました。こんな事を言うと怒られてしまいそうですが、他の科目のように「コレコレを教える/学ばなければならない」というようなものではありませんでした。
小学校の頃からありましたが、教師によっては生真面目に「道徳の教科書」を使って授業をする人もいれば、ほとんど長時間ホームルームのように使ってしまう教師もいました。中には教師独自のゲームで面白おかしく勉強をさせてくれるような人もいました。
K先生の道徳の授業は「雑談」でした。しかしこれが面白かったのです。毎回クラス中が爆笑の渦でした。隣のクラスの先生が「何を騒いでいるんだ静かにしなさい!」と注意しに来るほどで、まさか騒がせてる張本人が担任とは思っていませんから、微妙な空気になってたのもそれはそれで楽しい思い出です。
”公務員”という単語で私がまず思い出すのは、この「雑談」の中の一つです。
たまたま車を使っていて、ヘッドライトが片目になっている事に気付かず走行し、慌てて修理屋にかけこもうとしたところで警官に止められてしまったというだけの話です。K先生は小柄でしたがスマートな筋肉がついており、サッカー部顧問として部員のだれよりも上手く、生活指導的な立場ではあるもののやさしさのある厳しさを持つ人でした。しかし常に坊主頭で、ちょっと犯罪者っぽい顔立ちをしております。
警官に「職業はなんだ」と問われるK先生。 「……公務員です」 警官「嘘をつくな!!」 というだけのオチでクラスは大爆笑でしたが、何か印象的な話だったのでよく覚えています。
「教師」と答えると信じてもらえないだろうという遠慮から「公務員」と答えたのに結局信じてもらえない程コワモテでした。その時は「教師→公務員」という意識はあまり強く持っていませんでした。
私が特定難病疾患の受給者票を申請する為、毎年お世話になっている保健所があります。市役所や、No4:TedKawanishiさんが挙げている支所などで受ける印象は「とても事務的」だという部分があります。事実私も役所に行く度に「お役所仕事だなあ」と、少し不満を持ってしまうのが正直なところです。
ですが、私がお世話になっている保健所は「一味違うな」と思わされます。普通、役所と言えば郵便局のようにカウンターが並んでいて、役割ごとに細かく窓口が設定されていて、どうにも分かりにくく融通の利かないイメージがあります。
その保健所は、入るなりカウンターが見つからず、丁度学校の職員室のような、雑然とした事務所のような構造をしています。「とりあえず中に入っちゃって下さい」というような内容の張り紙が入り口にあるほど雑然としています。中に入ると気付いた職員が案内をしてくれます。簡単に用件を伝えると、すぐに連携されて窓口となっている「辺り」まで案内されます。
難病疾患の申請は色々と書類が多く、年によって少しずつ必要な書類が変わったり、収入や職場の変動でも必要な書類が変わったりとなかなか把握しづらい部分があります。
そういった事は、基本的には申請する側がしっかり全て揃えていなければ門前払いされてしまいますが、その保健所ではどこかのサービス業かと思うほどに柔軟で、きちんと相談に乗ってもらえます。
書類の不備をそのまま通すような事はしませんが、保健所でできるのかアヤシイ部分もまずはトライしてくれる姿勢などはかなり心強いなと感じる事もありました。
公務員といってもあまりに多岐に渡るのだと思います。
「おカタい仕事」と思われるのは、それが「公」であるが故に、リスク回避の方向へと極端に振り切れてしまう傾向があるからなのではないか、と考えたりします。お役所仕事といわれるのは、まさにそういうことではないでしょうか。
小・中学校の教師などは、そんな事を言っていたら勤まらないようにも思います。多くの教師は必死でしょうし、部活の顧問などはほとんどボランティアのようになっているよなあと、今思えば苦労をかけてしまったなと反省するくらいです。
保健所の(個人的にですが)印象の良さも、どちらかというと「そこで働く人達」によるものだなと思わされております。公であるが故にガチガチになりやすいトコロを、どのようにしていくのか。それを考えただけでも大変だなと思う訳で、そうなると保健所のそういった嬉しい対応は私が見える範囲の裏側で、私では気付けないような色んな苦労があるのではなかろうとか、とも思います。
これは非常に厄介な問題でもあります。とにかく「評価」しづらいからです。公であるが故に、ルールから外れた事はできない、と多くの人が(公務員でない人までもが)考えていると思います。コスト削減は大事な話だとは思いますが、これまで存在している「心ある公務員」達の首を絞める可能性もあると思うと、そう簡単にカットカットとは言えないなあ、と考えてしまう訳です。
私は公務員こそ「柔軟」であってほしいと考えています。「実際」を研究する立場にあるのではないか、と思うからです。最大効率、人員キュウキュウで回せ、とまではおそらく誰も思っていないだろうと思います。公務員は金持ちになるな、とも私は思いません。教師や消防士など、現場で必死にやっている方々にはもっと余裕と給料が与えられてもいいんじゃないか、と素人ながらに考えてしまいます。
保健所の例を出しましたが、公務員であるなら「自分たちで好き勝手にやる」のは許されないと考えます。普通の営利企業のように、顧客を選び、より会社に取って都合の良い部分だけに力を入れる訳にはいきません。
割り当てられた市民へ、できるだけ公平にサービスできるようなものが求められているからです。ですから、大方針に職員全てが従っていくという部分は基本中の基本であると思います。そうでなければ、好き勝手に自分たちの主張を展開するだけの個人集合になってしまい、求められているものに応えられないからです。
直近の例では「国家を歌わない」と主張した教師のようなものでしょうか。
先の保健所では、私に対して「保健所の役割」を十分公平に与えて頂いた上で「より良いもの」を目指せているのではないかと思います。つまり、きちんと「大指針には従っている」に過ぎない訳です。公務員として求められているもの、それを達成するための指針、これらがある事と「ガチガチになってしまう事」は、実は別問題ではないかとも思います。
橋下さんの全ての主張を読んでいる訳ではないので恐縮ですが、橋下さんが行おうとした事は結局「大指針をもっと明確にしよう、きちんとしよう」というだけの事だったのではないかと思います。
教師の大指針は、まず「子供たちへのより良い教育」を見据えるべきものである事に違いはありません。子供たちへの教育をもっともっと良くしよう、それも公務員として公平に。だからこそ指針が必要だ、それをもっときちんとしよう。それだけの事だと思います。
その指針に<則った上で>、さらに一人一人がどんな創意工夫に挑戦できるかという部分が「人間」の仕事ではないでしょうか。私は橋下さんの言っていた事が「独裁」だと受け止める事はできませんでした。
恐らく、教育現場を通じて、本気で子供たちの事を考えて橋下さんに反対した教師もいる事と思います。私はそれを批判するものではありません。むしろ、そうであるなら私はその教師も「人間らしく悩みぬいた人なのだな」と考えます。
公務員の制度そのものは「システム」ですが、公務員は人間であり、そのサービスの矛先も、基本的には人間の為であるはずなので、そこさえ忘れなければ、忘れてほしくないなと願うばかりです。
NO.42011-12-14 17:04:09 TedKawanishi 0
私は、東京都大田区に住み、港区で小さな会社を経営しています。
その範囲で見えることを述べたいと思います。
先ず、区役所の支所。
非効率とかそういう問題ではなく、ただの無駄だと思います。
あんなたくさんの支所がいる筈がありません。
調査をしたわけではなく、私の感覚ですが、全廃はしないまでも、半分か1/3で十分ではないかと思います。改革だ改善だという意識をせずに、ふと気がついただけですが、支所を減らすだけで、何人か人員削減はできるでしょうし、その建物を貸すなり、売却するなりすれば、財政的にも多少なりとも好転するでしょう。
住民票を出すのに2人も必要ありません。
大田区報を良く読めば区役所で何をやっているのか、良く解ると思いますが、いつも読まずに資源ゴミになっています。これも大田区のホームページに同じ内容は出てるわけで、大田区報も廃刊にしても誰も困らないのではないかと思っています。廃刊にするだけで、制作の人件費、印刷代、紙代がセーブできます。
支所を減らしたり、区報を廃刊したりすることで出る余剰人員を人員不足と言われている介護やケースワーカーに配置転換すればいんじゃないかと思います。
また、公務員の問題というより、法律が現状と合わなくなっているケースも多々あると思います。
そういう時代に合わない法律を改正するには、TPPのような外圧がないと何も変えられないのかもしれないと感じています。
その範囲で見えることを述べたいと思います。
先ず、区役所の支所。
非効率とかそういう問題ではなく、ただの無駄だと思います。
あんなたくさんの支所がいる筈がありません。
調査をしたわけではなく、私の感覚ですが、全廃はしないまでも、半分か1/3で十分ではないかと思います。改革だ改善だという意識をせずに、ふと気がついただけですが、支所を減らすだけで、何人か人員削減はできるでしょうし、その建物を貸すなり、売却するなりすれば、財政的にも多少なりとも好転するでしょう。
住民票を出すのに2人も必要ありません。
大田区報を良く読めば区役所で何をやっているのか、良く解ると思いますが、いつも読まずに資源ゴミになっています。これも大田区のホームページに同じ内容は出てるわけで、大田区報も廃刊にしても誰も困らないのではないかと思っています。廃刊にするだけで、制作の人件費、印刷代、紙代がセーブできます。
支所を減らしたり、区報を廃刊したりすることで出る余剰人員を人員不足と言われている介護やケースワーカーに配置転換すればいんじゃないかと思います。
また、公務員の問題というより、法律が現状と合わなくなっているケースも多々あると思います。
そういう時代に合わない法律を改正するには、TPPのような外圧がないと何も変えられないのかもしれないと感じています。
NO.32011-12-13 09:41:29 chigusaotsuki 0
A public servant or civil servant is a person who works in the public or civil service through the central or local government such as a good education, health and social care or transport etc.
I know how important he or she is.
But the most important thing is its function.
This means its good purpose, aim and role of the public or civil service.
It is noteworthy that a public servant or civil servant differs from other employment in salary.
An office worker gets a salary every month from a company.
However a public servant or civil servant gets a salary from taxes in Japan.
We can presume that if an office worker works to make a company's profit, a public servant or civil servant has to work for the maximum benefits of Japan.
On balance, this leads to the national interest clearly.
I know how important he or she is.
But the most important thing is its function.
This means its good purpose, aim and role of the public or civil service.
It is noteworthy that a public servant or civil servant differs from other employment in salary.
An office worker gets a salary every month from a company.
However a public servant or civil servant gets a salary from taxes in Japan.
We can presume that if an office worker works to make a company's profit, a public servant or civil servant has to work for the maximum benefits of Japan.
On balance, this leads to the national interest clearly.
NO.22011-12-06 13:18:13 motakeen 0
私は公務員の実態をよく知らないので、分からないことを前提に考えてみました。
企業は、雇用をつくり、利益を出すこと(どちらが強いかは国によって違いますが)を第一義の存在理由かと思いますが、行政の存在理由とは何でしょう。たとえ税収が下がったとしても、毎年確実に入ってくる。どのような状態になると、財政破綻となるのか。チェック&バランスはどこで行うのか。
私は、財政があまりに苦しければ、公務員を減らす努力、できる限り市営を民営に変えていくという努力はありだと思っています。
例えば、現在財政破綻寸前のギリシャは、地下鉄・鉄道も国営らしいのですが、あまりの赤字で、電車をとめて、すべての乗客にタクシー代を渡したほうが損が少なくてすむくらい、壊れたシステムらしいです。これは誰がきいてもおかしいと思いますよね。すぐにでも民営にしたほうがいいと思います。たとえ運賃が上がったとしても。(というか問題は、運賃を払わず乗る人が多いためにこういう事になっているらしいですが。)
おそらく、市役所とか区役所が現在のように配置されたのは、紙での処理が多いのでその処理能力に応じて配置されたのではないでしょうか。多くがコンピューターで処理できる現在、1市役所が処理できる住民の数は、格段に増えているはず。逆に処理効率が変わっていなければ、それこそ何か見直さなくてはいけないのでは。なので市役所や区役所を統合するのも賛成です。利便性は一旦下がるかもしれませんが、郵送やオンラインで処理できるものも増やしたらいいと思います。
その一方、公務員でなければできないことがあるのも事実です。例えば老人介護、生活保護、虐待されている子供たちの保護に携わるケースワーカーはもっと増やした方がよいと思いますし、権限も増やしたほうがいい。他にも増やしたほうがよい業務はあるでしょう。
リソースの再配分、ここの選択は慎重に行ってほしいし、十分に情報公開をしてほしいと思います。
(ただ一点質問、昔勉強したことなので、もしかしたら間違ってるかも知れませんが、確か公務員って団体交渉権がないから、解雇できない制度ではなかったでしたっけ?)
企業は、雇用をつくり、利益を出すこと(どちらが強いかは国によって違いますが)を第一義の存在理由かと思いますが、行政の存在理由とは何でしょう。たとえ税収が下がったとしても、毎年確実に入ってくる。どのような状態になると、財政破綻となるのか。チェック&バランスはどこで行うのか。
私は、財政があまりに苦しければ、公務員を減らす努力、できる限り市営を民営に変えていくという努力はありだと思っています。
例えば、現在財政破綻寸前のギリシャは、地下鉄・鉄道も国営らしいのですが、あまりの赤字で、電車をとめて、すべての乗客にタクシー代を渡したほうが損が少なくてすむくらい、壊れたシステムらしいです。これは誰がきいてもおかしいと思いますよね。すぐにでも民営にしたほうがいいと思います。たとえ運賃が上がったとしても。(というか問題は、運賃を払わず乗る人が多いためにこういう事になっているらしいですが。)
おそらく、市役所とか区役所が現在のように配置されたのは、紙での処理が多いのでその処理能力に応じて配置されたのではないでしょうか。多くがコンピューターで処理できる現在、1市役所が処理できる住民の数は、格段に増えているはず。逆に処理効率が変わっていなければ、それこそ何か見直さなくてはいけないのでは。なので市役所や区役所を統合するのも賛成です。利便性は一旦下がるかもしれませんが、郵送やオンラインで処理できるものも増やしたらいいと思います。
その一方、公務員でなければできないことがあるのも事実です。例えば老人介護、生活保護、虐待されている子供たちの保護に携わるケースワーカーはもっと増やした方がよいと思いますし、権限も増やしたほうがいい。他にも増やしたほうがよい業務はあるでしょう。
リソースの再配分、ここの選択は慎重に行ってほしいし、十分に情報公開をしてほしいと思います。
(ただ一点質問、昔勉強したことなので、もしかしたら間違ってるかも知れませんが、確か公務員って団体交渉権がないから、解雇できない制度ではなかったでしたっけ?)
NO.12011-12-06 00:26:01 yamaguti 0
私の兄が地方公務員で、父は国家公務員でした。どちらも俗に言うエリートでは無いので、日々の業務に追われ、割と忙しく真面目に仕事しています。
議題の給与改革についての感想ですが、公務員にはなじまないと考えます。
つまり、公務員には日々カイゼンして利益を残す必要性がないうえ、失敗は減給や退職につながる恐れがあるので、確実性を尊び、変化を嫌う傾向にあります。これは部署を転々とさせられて、専門性が身についてないことや、特殊な業務でつぶしが利かないことにより、転職が難しい(と思っている)ことも理由の一つでしょう。
市の職員(地方公務員)の事務処理能力は高いと思いますので、紙の書類や手続きをデータベースとインターネットを利用するように、仕事の仕組みのカイゼンと省力化を推進できる人材を登用し、その仕組みが上手くできれば、職員の削減は可能かとは思います。
議題の給与改革についての感想ですが、公務員にはなじまないと考えます。
つまり、公務員には日々カイゼンして利益を残す必要性がないうえ、失敗は減給や退職につながる恐れがあるので、確実性を尊び、変化を嫌う傾向にあります。これは部署を転々とさせられて、専門性が身についてないことや、特殊な業務でつぶしが利かないことにより、転職が難しい(と思っている)ことも理由の一つでしょう。
市の職員(地方公務員)の事務処理能力は高いと思いますので、紙の書類や手続きをデータベースとインターネットを利用するように、仕事の仕組みのカイゼンと省力化を推進できる人材を登用し、その仕組みが上手くできれば、職員の削減は可能かとは思います。