夜┃間┃飛┃行┃
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“The Book Project 夜間飛行”では、次世代の「本」の形を提案します
┏┓名越康文メールマガジン 生きるための対話(dialogue)
┗□───────────────────────────
2011年4月4日 Vol.001
名越康文です。第1号から購読いただいた皆さん、ありがとうございます
。
このメルマガで僕がやりたいことは2つです。
1つは、僕がテレビやラジオでは伝えられなかった話を皆さんに直接お伝
えすること。もう1つは、皆さんと僕とが、直接“対話”(dialogue)を
交わす場を作る、ということです。
対話には、答えはありません。しかし、そのプロセスの中ではじめて開け
てくる世界がある。それは時に、未来を開くこともある。そんな時間を皆
さんとともに、リアルタイムで体験していくことが、このメルマガの目的
です。
【「夜間飛行」編集室より】
・質問、悩み、記事への感想などは、nakoshi@yakan-hiko.com(400文字
以内/お一人様一問)までお送りください。「カウンセリングルーム」コ
ーナーなど、メルマガ内のコンテンツで適宜、取り上げます。「こんなコ
ーナーを作ってほしい」「こんな話題を取り上げてほしい」といったご要
望もお待ちしています。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
※有料メルマガの購読、課金に関するお問い合わせは、
support@yakan-hiko.comまで。届かない場合などは迷惑メール等に分類さ
れている場合もありますので予めお確かめください。
※バックナンバーは下記からウェブ経由で購入することができます。有料
です。
https://yakan-hiko.com/nakoshi.html
※発行日は第1、第3週の月曜日です。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
┏┏┏┏ ━━━━━━━━━━━
┏┏┏┏ 今週の目次
━━━━━━━━━━━━━━━━
01 震災の“その後”を生きる
02 カウンセリングルーム
03 名越の視点 東京スカイツリーの素敵さについて
04 幸福論 幸せと自由の微妙な関係
05メディア出演・講座情報
【今週のつぶやき】
私がやるべきことの第一は常に目前にある。
なぜなら目前の対象は常に私の内面奥に、そして未来に繋がっているから
。
━━┯━━━━━━━━━━━━━
01 │震災の“その後”を生きる
━━┷━━━━━━━━━━━━━
ここを通るたび、不思議な気持ちになる
■文化的タブーとしての放射能
「夜間飛行」のプレオープンサイトに、今回の震災について「震災がもた
らした心の奔流」というメッセージを寄せました。
そこでは、直接的には被災していない私たちの心の動揺について、以下の
ように論じました。
>>>>>>
危機的状況が訪れたとき、
僕らの身体はおそらくほとんど自動的に、オープンな、開かれた状態にな
ります。
それはいわば、僕らの"動物"としての本来の機能が、
マックスに開かれた状態といってもいいでしょう。
50km向こうの獲物を見つける肉食獣のように、
身体のアンテナ的な機能が最大限に高まっている状態です。
だから今回の震災においても、
何百キロも離れたところで起きた被災地の声や思いといったものに、
これまで以上に多くの人が感応しているのだと思います。
>>>>>>
この捉え方は、多分に仮説の域を出ない部分を含んだものではありますが
、ここではもう少し、僕の言わんとすることを補足しておきたいと思いま
す。
ここでいう「感応」というのは、簡単に言うと「自分の外側」で起きたこ
とが、「自分の内側」に反応するということです。そしてそれは、すごく
重層的な形で生じます。震災のニュースを見て僕らの心が揺り動かされる
のは、そこで見聞きしたことが、その人自身の過去の体験や記憶、あるい
は基底にある文化などに感応するからです。
感情は一瞬で心を揺り動かすため、ものすごくリアリティがあります。し
かしつぶさに観察してみると、それは「いまここで生じた感情」というよ
り、その人が過ごしてきた長い時間のなかで累積した感情や、その社会集
団が共有してきた文化的な基盤のようなものが、重層的・複合的に感応し
あって生じたものであることがわかります。
こうした認識に立つと、福島の原子力発電所が事故で制御不能になってい
ることが、なぜ僕らの心を大きく揺さぶるのかという理由の一端がわかり
ます。
放射能への恐怖って、日本人にとっては根源的なものです。こんなことを
言うとオカルトだと怒られるかもしれませんが、どこの国でも文化的なタ
ブーはクリエイティビティの源泉です。文化はタブーによってつくられま
す。日本人の場合、広島、長崎の原爆体験に起因する、核、放射能という
いわば重い歴史性を背負う言葉というものは、様々な文脈や状況、それを
発する立場によって、大きな意味や様々な感情を巻き込むわけですね。
ですから原発事故にかかわる言葉は、言葉自体の意味をはるかに越えた大
量の感情や、大量かつ複雑な連想を包含しているわけです。私はこうした
事態をあえて文化的タブーと呼びます。語っても語っても、語り切れない
悲しみや苦しみ。だからこそおいそれとは切り出せない重みをもつ言葉や
事物のことです。
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“The Book Project 夜間飛行”では、次世代の「本」の形を提案します
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2011年4月4日 Vol.001
名越康文です。第1号から購読いただいた皆さん、ありがとうございます
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1つは、僕がテレビやラジオでは伝えられなかった話を皆さんに直接お伝
えすること。もう1つは、皆さんと僕とが、直接“対話”(dialogue)を
交わす場を作る、ということです。
対話には、答えはありません。しかし、そのプロセスの中ではじめて開け
てくる世界がある。それは時に、未来を開くこともある。そんな時間を皆
さんとともに、リアルタイムで体験していくことが、このメルマガの目的
です。
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01 震災の“その後”を生きる
02 カウンセリングルーム
03 名越の視点 東京スカイツリーの素敵さについて
04 幸福論 幸せと自由の微妙な関係
05メディア出演・講座情報
【今週のつぶやき】
私がやるべきことの第一は常に目前にある。
なぜなら目前の対象は常に私の内面奥に、そして未来に繋がっているから
。
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01 │震災の“その後”を生きる
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ここを通るたび、不思議な気持ちになる
■文化的タブーとしての放射能
「夜間飛行」のプレオープンサイトに、今回の震災について「震災がもた
らした心の奔流」というメッセージを寄せました。
そこでは、直接的には被災していない私たちの心の動揺について、以下の
ように論じました。
>>>>>>
危機的状況が訪れたとき、
僕らの身体はおそらくほとんど自動的に、オープンな、開かれた状態にな
ります。
それはいわば、僕らの"動物"としての本来の機能が、
マックスに開かれた状態といってもいいでしょう。
50km向こうの獲物を見つける肉食獣のように、
身体のアンテナ的な機能が最大限に高まっている状態です。
だから今回の震災においても、
何百キロも離れたところで起きた被災地の声や思いといったものに、
これまで以上に多くの人が感応しているのだと思います。
>>>>>>
この捉え方は、多分に仮説の域を出ない部分を含んだものではありますが
、ここではもう少し、僕の言わんとすることを補足しておきたいと思いま
す。
ここでいう「感応」というのは、簡単に言うと「自分の外側」で起きたこ
とが、「自分の内側」に反応するということです。そしてそれは、すごく
重層的な形で生じます。震災のニュースを見て僕らの心が揺り動かされる
のは、そこで見聞きしたことが、その人自身の過去の体験や記憶、あるい
は基底にある文化などに感応するからです。
感情は一瞬で心を揺り動かすため、ものすごくリアリティがあります。し
かしつぶさに観察してみると、それは「いまここで生じた感情」というよ
り、その人が過ごしてきた長い時間のなかで累積した感情や、その社会集
団が共有してきた文化的な基盤のようなものが、重層的・複合的に感応し
あって生じたものであることがわかります。
こうした認識に立つと、福島の原子力発電所が事故で制御不能になってい
ることが、なぜ僕らの心を大きく揺さぶるのかという理由の一端がわかり
ます。
放射能への恐怖って、日本人にとっては根源的なものです。こんなことを
言うとオカルトだと怒られるかもしれませんが、どこの国でも文化的なタ
ブーはクリエイティビティの源泉です。文化はタブーによってつくられま
す。日本人の場合、広島、長崎の原爆体験に起因する、核、放射能という
いわば重い歴史性を背負う言葉というものは、様々な文脈や状況、それを
発する立場によって、大きな意味や様々な感情を巻き込むわけですね。
ですから原発事故にかかわる言葉は、言葉自体の意味をはるかに越えた大
量の感情や、大量かつ複雑な連想を包含しているわけです。私はこうした
事態をあえて文化的タブーと呼びます。語っても語っても、語り切れない
悲しみや苦しみ。だからこそおいそれとは切り出せない重みをもつ言葉や
事物のことです。
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2011年3 月11日。この日付は間違いなく、
10年、20 年後にも、ある種の転換点として記憶されることになるでしょう。
この日発生した地震は、岩手、宮城を中心に、東北および関東広域を襲いました。
津波の被害、そして、福島の原子力発電所で、
人類史にも大きく刻み込まれるであろう、大事故が起きました。
犠牲者に哀悼の意を表するとともに、
いまも被災地で行われ続けている救援活動によって、
一人でも多くの方が救われることを祈っています。
今回の震災で特徴的なことは、被災地や周辺地域にとどまらない、
ほとんど日本人全員といっていい多くの人たちの心が、
これまで体験したことがないくらい大きく揺さぶられていることではないかと思います。
思わず 買い占めに走った人 、疎開する人、東京にとどまれと呼びかける人、
原発の安全性を語る人、危険性を語る人、
あるいは、テレビを見ているだけで涙が出てしまった人、罪悪感を覚えた人、
いろんな方がいらっしゃったのではないでしょうか。
実はこれらの反応は、あらわれ方が違うだけで、
震災に感応し、心が大きく揺さぶられているという点からあえて見てみると、
大きな違いはないと僕は捉えています。
危機的状況が訪れたとき、
僕らの身体はおそらくほとんど自動的に、オープンな、開かれた状態になります。
それはいわば、僕らの"動物"としての本来の機能が、
マックスに開かれた状態といってもいいでしょう。
50km向こうの獲物を見つける肉食獣のように、
身体のアンテナ的な機能が最大限に高まっている状態です。
だから今回の震災においても、
何百キロも離れたところで起きた被災地の声や思いといったものに、
これまで以上に多くの人が感応しているのだと思います。
もちろん、これは必ずしも悪いことだけではなくて、
僕らの認識の幅が広がり、これまで慣れ親しんできた殻を破るチャンスである、
という側面もあります。
ただ、僕らはその状態に慣れていないから混乱し、
ある人は買い占めなど、一見不合理だけれど、目先の安心を得られる行動に
飛びつこうとします。
一方で、大量の情報を集め、論理を構築し、
"理性の砦"を作り上げ、そこに閉じこもって身を守ろうとする人もいる。
そうやって、その人なりの適応を模索している状態だと思います。
感情の波に飲み込まれるのも、
理性の砦に引きこもってもしまうのも、
あらわれ方が違うだけで、
抑えきれない心の動きをなんとかおさめようとする反応として捉えられます。
しかし、今回の震災は、いろんな意味で
僕らの心を激しく揺さぶり続けています。
もしかするとこのままでは、
心の動きを支え切れなくなってしまう人も出てくるかもしれません。
はじめて体験する大きな心の荒波をどうやって乗り越えていくのか。
それがいま、僕らにつきつけられている課題の1つということは言えるでしょう。
どうすればいいのか。
確たることは言えませんが、まず、「自分は動揺している」ということを理解すること。
そして、それを一度リセットするためには、
身体的なアプローチを覚える必要があるというのが、僕の意見です。
たとえば、自分が動揺しているな、と思ったら、
ゆっくりと息を吐いてゆくことからはじめる深呼吸をしてみる。
ハイになりすぎていると思ったら、一度熱いシャワーを浴びてみてもいいでしょう。
そうやって身体を通して、意識的に自分の心をリセットする。
今回の震災の影響は、長い時間に及ぶでしょう。
「震災後の世界」で生きていくために、自分の心の状態を観察し、
それを身体からコントロールしていくことを、
ひとりの町医者として提案したいと思います。
2011.3.21 名越康文
10年、20 年後にも、ある種の転換点として記憶されることになるでしょう。
この日発生した地震は、岩手、宮城を中心に、東北および関東広域を襲いました。
津波の被害、そして、福島の原子力発電所で、
人類史にも大きく刻み込まれるであろう、大事故が起きました。
犠牲者に哀悼の意を表するとともに、
いまも被災地で行われ続けている救援活動によって、
一人でも多くの方が救われることを祈っています。
今回の震災で特徴的なことは、被災地や周辺地域にとどまらない、
ほとんど日本人全員といっていい多くの人たちの心が、
これまで体験したことがないくらい大きく揺さぶられていることではないかと思います。
思わず 買い占めに走った人 、疎開する人、東京にとどまれと呼びかける人、
原発の安全性を語る人、危険性を語る人、
あるいは、テレビを見ているだけで涙が出てしまった人、罪悪感を覚えた人、
いろんな方がいらっしゃったのではないでしょうか。
実はこれらの反応は、あらわれ方が違うだけで、
震災に感応し、心が大きく揺さぶられているという点からあえて見てみると、
大きな違いはないと僕は捉えています。
危機的状況が訪れたとき、
僕らの身体はおそらくほとんど自動的に、オープンな、開かれた状態になります。
それはいわば、僕らの"動物"としての本来の機能が、
マックスに開かれた状態といってもいいでしょう。
50km向こうの獲物を見つける肉食獣のように、
身体のアンテナ的な機能が最大限に高まっている状態です。
だから今回の震災においても、
何百キロも離れたところで起きた被災地の声や思いといったものに、
これまで以上に多くの人が感応しているのだと思います。
もちろん、これは必ずしも悪いことだけではなくて、
僕らの認識の幅が広がり、これまで慣れ親しんできた殻を破るチャンスである、
という側面もあります。
ただ、僕らはその状態に慣れていないから混乱し、
ある人は買い占めなど、一見不合理だけれど、目先の安心を得られる行動に
飛びつこうとします。
一方で、大量の情報を集め、論理を構築し、
"理性の砦"を作り上げ、そこに閉じこもって身を守ろうとする人もいる。
そうやって、その人なりの適応を模索している状態だと思います。
感情の波に飲み込まれるのも、
理性の砦に引きこもってもしまうのも、
あらわれ方が違うだけで、
抑えきれない心の動きをなんとかおさめようとする反応として捉えられます。
しかし、今回の震災は、いろんな意味で
僕らの心を激しく揺さぶり続けています。
もしかするとこのままでは、
心の動きを支え切れなくなってしまう人も出てくるかもしれません。
はじめて体験する大きな心の荒波をどうやって乗り越えていくのか。
それがいま、僕らにつきつけられている課題の1つということは言えるでしょう。
どうすればいいのか。
確たることは言えませんが、まず、「自分は動揺している」ということを理解すること。
そして、それを一度リセットするためには、
身体的なアプローチを覚える必要があるというのが、僕の意見です。
たとえば、自分が動揺しているな、と思ったら、
ゆっくりと息を吐いてゆくことからはじめる深呼吸をしてみる。
ハイになりすぎていると思ったら、一度熱いシャワーを浴びてみてもいいでしょう。
そうやって身体を通して、意識的に自分の心をリセットする。
今回の震災の影響は、長い時間に及ぶでしょう。
「震災後の世界」で生きていくために、自分の心の状態を観察し、
それを身体からコントロールしていくことを、
ひとりの町医者として提案したいと思います。
2011.3.21 名越康文