「カムバック」について考える
安倍晋三さんが、自民党の総裁にカムバックしました。それを受けて、「一度、総理大臣を放り出した人にもう一度チャンスなんてあげていいの?」といった意見も聞こえてきます。シリコンバレーのように「一度失敗した」という経験は、むしろプラスに評価されて、より多くの出資金が集まる文化もある一方で、日本ではどんなに優秀な人でも、一度でも失敗すると、「もう駄目」の烙印を押されてしまう傾向があるように思います。
みなさんは「カムバック」ということについて、どうお考えですか? ご意見お待ちしております。また、もしよろしければ自身のカムバックの経験なども書き込んでいただけると嬉しく思います。
NO.122012-10-12 17:48:44 茂木健一郎 5
みなさま、今回も、ご自身の体験に基づく、あるいは大局的な見地に即した書き込みをいただき、ありがとうございます。
さきほど、樹下の微睡みのCEOの井之上達矢さんと打ち合わせをして、みなさんの書き込みについて振り返りました。次号のメルマガに、掲載されると思います。
このフォーラムが、幕末の適塾のような切磋琢磨の場になるよう、私も今後ともがんばりますので、みなさまとの麗しき共同を、これからもよろしくお願いいたします。
茂木健一郎拝
さきほど、樹下の微睡みのCEOの井之上達矢さんと打ち合わせをして、みなさんの書き込みについて振り返りました。次号のメルマガに、掲載されると思います。
このフォーラムが、幕末の適塾のような切磋琢磨の場になるよう、私も今後ともがんばりますので、みなさまとの麗しき共同を、これからもよろしくお願いいたします。
茂木健一郎拝
NO.112012-10-09 23:53:31 masami 14
安倍晋三さんが、党首になったことを、カムバックというのか、と驚いて、今回もちっとも考えがまとめられませんが、なんとかテーマから大外れしないように書いてみます。
カムバックといわれて思い描くのは、スポーツの世界。
そしてテニスの伊達公子選手。
引退後に結婚した夫は、自分がテニスプレーヤーとして現役だったころの姿を知らない。その夫に、現役テニスプレーヤーとしての自分の姿を見て欲しいという気持ちもあって、引退後12年経ってから現役に復帰し、現在日本のトッププレーヤーとして活躍中。以前の現役時代よりも、精神的にとても強くなったように感じます。
いやー、カッコいいな、と思って、心の中で応援してます。
スポーツ選手は実力が落ちてくると、当たり前のように引退しますが、たとえ実力が落ちても、自分が現役でありたいと思ったら、サッカーの三浦和良選手のように、プレーし続けることにこだわったり、しばらく休んでまたカムバックすることも、気軽にできるようであってほしいと思います。
ということで、カムバックには大賛成です。成績や成果、結果がどうであれ、挑戦したいという自分の気持ちに素直に生きる姿は、周囲の人に、自分の生き方を振り返るきっかけを与えてくれるように思います。
そして、安倍さんですが、総理を辞任してからも彼はずっと国会議員でしたよね。政治家を引退したわけではないのに、カムバックと言うこと自体が、私にはピンとこないからどう考えたらいいか・・・。以前辞任した理由が、今、安倍さんが党首の役目を果たすのに、どのような影響があるか、という視点で語られるなら理解できるけれど、カムバックすること自体に焦点があてられているとしたら、それは、首相がくるくる変わる日本の政治の在り方の一端を示しているように思います。
最後に、私の体験?と考えてみて・・・
引退もカムバックもあり得ない。生きている限り、生きることの現役かな、と思いました。
カムバックといわれて思い描くのは、スポーツの世界。
そしてテニスの伊達公子選手。
引退後に結婚した夫は、自分がテニスプレーヤーとして現役だったころの姿を知らない。その夫に、現役テニスプレーヤーとしての自分の姿を見て欲しいという気持ちもあって、引退後12年経ってから現役に復帰し、現在日本のトッププレーヤーとして活躍中。以前の現役時代よりも、精神的にとても強くなったように感じます。
いやー、カッコいいな、と思って、心の中で応援してます。
スポーツ選手は実力が落ちてくると、当たり前のように引退しますが、たとえ実力が落ちても、自分が現役でありたいと思ったら、サッカーの三浦和良選手のように、プレーし続けることにこだわったり、しばらく休んでまたカムバックすることも、気軽にできるようであってほしいと思います。
ということで、カムバックには大賛成です。成績や成果、結果がどうであれ、挑戦したいという自分の気持ちに素直に生きる姿は、周囲の人に、自分の生き方を振り返るきっかけを与えてくれるように思います。
そして、安倍さんですが、総理を辞任してからも彼はずっと国会議員でしたよね。政治家を引退したわけではないのに、カムバックと言うこと自体が、私にはピンとこないからどう考えたらいいか・・・。以前辞任した理由が、今、安倍さんが党首の役目を果たすのに、どのような影響があるか、という視点で語られるなら理解できるけれど、カムバックすること自体に焦点があてられているとしたら、それは、首相がくるくる変わる日本の政治の在り方の一端を示しているように思います。
最後に、私の体験?と考えてみて・・・
引退もカムバックもあり得ない。生きている限り、生きることの現役かな、と思いました。
NO.102012-10-09 21:06:55 orcamie 19
カムバッック
安倍さんのカムバックについては他の一般的なカムバックと分けて考える必要があると私は思います。
まず第一に重い難病を克服されて党首に返り咲いたと言う点では大きく評価できると思います。
その病のせいで首相の座を降りたこと私はそれほど無責任だとは思えません。それより病で任務を遂行できないと判断されたのは良かったと思います。私の周囲にも同病の方がいるので体調を調節して健康な人と同じ生活を送ると言うのは本人の意に反してなかなかうまくいかないのを目にしています。私の父も癌で人工肛門を装着していたのでその困難さをかなり具体的に理解できます。だから安倍さんがカツカレー食べて党首選に臨んだ意気込みもわかるような気がします。私の父は晩年体調の維持が困難でそれでも生涯現役を望んで週に1度会社にでるのですが前日からほぼ絶食で会社に行くという感じでした。だから潰瘍性大腸炎を患う人に対して予定通り行動できないと精神が弱いのではないかと心無い人がいうのを聞いて、周囲の理解を得るのは、端から見るよりとても難しいことだと思います。それを実現されたのですから同病の方や難病を煩う人たちにとってはたいへんな励みになりますよね。
第二に安倍さんは安倍家の人であり、父親の安倍晋太郎さんもまた衆議院議員でありその地盤を引き継いでいる二世議員だと言うことです。父方の祖父、安倍寛氏(衆議院議員)、母方の祖父岸信介氏(内閣総理大臣)、大叔父佐藤栄作氏(内閣総理大臣)、兄寛信さんは三菱商事の重役です。すごい家系です。日本のケネデイ家のような家の方です。
さらに安倍さんのお父さんは中曽根内閣で外務大臣を勤められ外交における人脈を色々おありの事と思います。親米派でアジアにもパイプがあるということなので領土問題も噴出している中期待されることが多々あるのでしょう。安倍さんのお父さんの安倍晋太郎さんが外務大臣でニュースに登場されると私は憧れを持って眺めていました。ちょうど英語に興味を持ち始めていたころで安倍外務大臣がダンデイで知的だなという印象が残っています。
私は日本社会のあらゆる分野でカムバックがもっと容易に実現するといいと思います。例えば社会人として病から回復して仕事に復帰すると言うことに対しては広く認められるべきだと思います。が、特別な立場、特に首相という立場の人は一度退いたら首相ではない立場で活躍される方がよいのではないかと思っています。ただし、国民から大きな支持がある場合はカムバックもありかなと思います。trasqueさんがカムバックは希望だとおっしゃってました。その通りですね。今まではきっと日本では財力もあり人脈もある安倍家のような家の人々が政治家となるべく色々学んで政治家になっている人が多いと思うのです。自民党の党首選全員が二世議員でしたよね。でもきっとそういう学び方だけでは日本のリーダーになれても世界にプレゼンスを示せるリーダーにはなれないのではないかと私は思ってしまいます。大学や大学院で学ぶとか大会社で責任ある地位を任されるとかアメリカやイギリスの大学に留学するなどということの他にご自分の世界とは別な世界を知るというような経験が必要なのではないかと思います。だから安倍さんが病をコントロールして首相になられて、前回の首相の時と同じ事をされようとするならば意味がない。その時とは違う視点で政治を見つめ首相になられるのなら期待できる部分もあるかもしれないと少しだけ思います。そして安倍さんのカムバックは、安倍さん自身が党首ひょっとしたら首相に帰り咲くことより、難病の人が色々な場所で安倍さんと同じようにカムバックできるように安倍さん自身がサポートすることができたなら、本当に意味あるカムバックだと思います。恵まれた安倍さんだから可能だっただけで終わらせたら、首相となられても、その価値は安倍さん個人には大きくても日本の国にとってはどうなのかなと思います。
安倍さんのカムバックについては他の一般的なカムバックと分けて考える必要があると私は思います。
まず第一に重い難病を克服されて党首に返り咲いたと言う点では大きく評価できると思います。
その病のせいで首相の座を降りたこと私はそれほど無責任だとは思えません。それより病で任務を遂行できないと判断されたのは良かったと思います。私の周囲にも同病の方がいるので体調を調節して健康な人と同じ生活を送ると言うのは本人の意に反してなかなかうまくいかないのを目にしています。私の父も癌で人工肛門を装着していたのでその困難さをかなり具体的に理解できます。だから安倍さんがカツカレー食べて党首選に臨んだ意気込みもわかるような気がします。私の父は晩年体調の維持が困難でそれでも生涯現役を望んで週に1度会社にでるのですが前日からほぼ絶食で会社に行くという感じでした。だから潰瘍性大腸炎を患う人に対して予定通り行動できないと精神が弱いのではないかと心無い人がいうのを聞いて、周囲の理解を得るのは、端から見るよりとても難しいことだと思います。それを実現されたのですから同病の方や難病を煩う人たちにとってはたいへんな励みになりますよね。
第二に安倍さんは安倍家の人であり、父親の安倍晋太郎さんもまた衆議院議員でありその地盤を引き継いでいる二世議員だと言うことです。父方の祖父、安倍寛氏(衆議院議員)、母方の祖父岸信介氏(内閣総理大臣)、大叔父佐藤栄作氏(内閣総理大臣)、兄寛信さんは三菱商事の重役です。すごい家系です。日本のケネデイ家のような家の方です。
さらに安倍さんのお父さんは中曽根内閣で外務大臣を勤められ外交における人脈を色々おありの事と思います。親米派でアジアにもパイプがあるということなので領土問題も噴出している中期待されることが多々あるのでしょう。安倍さんのお父さんの安倍晋太郎さんが外務大臣でニュースに登場されると私は憧れを持って眺めていました。ちょうど英語に興味を持ち始めていたころで安倍外務大臣がダンデイで知的だなという印象が残っています。
私は日本社会のあらゆる分野でカムバックがもっと容易に実現するといいと思います。例えば社会人として病から回復して仕事に復帰すると言うことに対しては広く認められるべきだと思います。が、特別な立場、特に首相という立場の人は一度退いたら首相ではない立場で活躍される方がよいのではないかと思っています。ただし、国民から大きな支持がある場合はカムバックもありかなと思います。trasqueさんがカムバックは希望だとおっしゃってました。その通りですね。今まではきっと日本では財力もあり人脈もある安倍家のような家の人々が政治家となるべく色々学んで政治家になっている人が多いと思うのです。自民党の党首選全員が二世議員でしたよね。でもきっとそういう学び方だけでは日本のリーダーになれても世界にプレゼンスを示せるリーダーにはなれないのではないかと私は思ってしまいます。大学や大学院で学ぶとか大会社で責任ある地位を任されるとかアメリカやイギリスの大学に留学するなどということの他にご自分の世界とは別な世界を知るというような経験が必要なのではないかと思います。だから安倍さんが病をコントロールして首相になられて、前回の首相の時と同じ事をされようとするならば意味がない。その時とは違う視点で政治を見つめ首相になられるのなら期待できる部分もあるかもしれないと少しだけ思います。そして安倍さんのカムバックは、安倍さん自身が党首ひょっとしたら首相に帰り咲くことより、難病の人が色々な場所で安倍さんと同じようにカムバックできるように安倍さん自身がサポートすることができたなら、本当に意味あるカムバックだと思います。恵まれた安倍さんだから可能だっただけで終わらせたら、首相となられても、その価値は安倍さん個人には大きくても日本の国にとってはどうなのかなと思います。
NO.92012-10-08 11:11:30 ryosuke85 19
カムバックについて考えてみる
日本において、何故ここまでカムバックについて拒絶的になるのかを考えてみました。
そこで一つ自分の中で思い当たる節があって、以前にこの掲示板でも議論された責任の取り方や、前回の子供との接し方との関連もあると思います。
子供の頃から考える事をせずに答えだけ用意され、大人の為に都合のいい様に準備され、その道を少しでも外れれば怒られる。
こんな経験を積み重ねた結果、考える事を放棄し、尚かつ周りの目だけを気にし、失敗に対しての責任の取り方も分からずに怯えながら行動する。
かなり乱暴な言い方になっていますが、根本的に大人が一人の人間として接していないからこそ、育まれてきたものだと思うのですが、その根本的な原因が個人的には「切腹」にあるように思えて仕方ありません。
以下はWikipediaからの引用です。(切腹:http://bit.ly/UMuYGu)
「切腹が習俗として定着した理由には、新渡戸稲造が『武士道』(Bushido: The Soul of Japan、1900年刊)の中で指摘した、「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰」から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされたとの説が、広く唱えられている。」
とあり、その前には歴史的な背景を記述していますが、この切腹について、私は何とサディスティックでマゾスティックな方法かと畏怖しています。
過去において重罪を犯したものに対して斬首されていたわけですが、自ら腹を切り、その上から首を落とされる、という刑罰の方法を考えると、現代に生きる私からしたら、とても理解の出来ない行動です。
完全に私見になるのですが、罪を犯した人間は、究極的に自分を痛めつけた上で、それを罪だと認識している人間によってトドメを刺される(首を落とされる)訳です。
自分のした事の大きさを自らの痛みを持って感じた上で殺されろ、という風にとってしまいます。
腹を切る事が尊厳死だという風潮になったが為に、失敗を犯した人間に対して「あなたはこんな大きな罪を犯したんだから、腹を切りなさいよ。その姿は大罪を犯した人間でも腹を切れば、美しく映るから、その上で殺してあげる。」という人を見ずにいう事がまかり通ってきたんだと(本当勝手に)思っています。
海外でもいくつか例はあるみたいですが、非常に日本的なシステムの見てみない不利をする為の中央集権的なシステムであったのではないでしょうか。
失敗をした人間に対して、腹を切る事を求めてきたからこそ、「なんだお前、あんな失敗したにも拘らず、恥ずかしげも無くまだ生きているのか」というのが現代の日本においても存在しており、それが失敗を許容できない。
その失敗を踏まえた上で次の行動を起こせる人間を見てこなかった日本だからこそのカムバック拒否姿勢ではないだろうか、というのが今回の自分の意見です。
今回もかなり強引な持っていき方だと思いますが、どうかよろしくお願いします。
日本において、何故ここまでカムバックについて拒絶的になるのかを考えてみました。
そこで一つ自分の中で思い当たる節があって、以前にこの掲示板でも議論された責任の取り方や、前回の子供との接し方との関連もあると思います。
子供の頃から考える事をせずに答えだけ用意され、大人の為に都合のいい様に準備され、その道を少しでも外れれば怒られる。
こんな経験を積み重ねた結果、考える事を放棄し、尚かつ周りの目だけを気にし、失敗に対しての責任の取り方も分からずに怯えながら行動する。
かなり乱暴な言い方になっていますが、根本的に大人が一人の人間として接していないからこそ、育まれてきたものだと思うのですが、その根本的な原因が個人的には「切腹」にあるように思えて仕方ありません。
以下はWikipediaからの引用です。(切腹:http://bit.ly/UMuYGu)
「切腹が習俗として定着した理由には、新渡戸稲造が『武士道』(Bushido: The Soul of Japan、1900年刊)の中で指摘した、「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰」から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされたとの説が、広く唱えられている。」
とあり、その前には歴史的な背景を記述していますが、この切腹について、私は何とサディスティックでマゾスティックな方法かと畏怖しています。
過去において重罪を犯したものに対して斬首されていたわけですが、自ら腹を切り、その上から首を落とされる、という刑罰の方法を考えると、現代に生きる私からしたら、とても理解の出来ない行動です。
完全に私見になるのですが、罪を犯した人間は、究極的に自分を痛めつけた上で、それを罪だと認識している人間によってトドメを刺される(首を落とされる)訳です。
自分のした事の大きさを自らの痛みを持って感じた上で殺されろ、という風にとってしまいます。
腹を切る事が尊厳死だという風潮になったが為に、失敗を犯した人間に対して「あなたはこんな大きな罪を犯したんだから、腹を切りなさいよ。その姿は大罪を犯した人間でも腹を切れば、美しく映るから、その上で殺してあげる。」という人を見ずにいう事がまかり通ってきたんだと(本当勝手に)思っています。
海外でもいくつか例はあるみたいですが、非常に日本的なシステムの見てみない不利をする為の中央集権的なシステムであったのではないでしょうか。
失敗をした人間に対して、腹を切る事を求めてきたからこそ、「なんだお前、あんな失敗したにも拘らず、恥ずかしげも無くまだ生きているのか」というのが現代の日本においても存在しており、それが失敗を許容できない。
その失敗を踏まえた上で次の行動を起こせる人間を見てこなかった日本だからこそのカムバック拒否姿勢ではないだろうか、というのが今回の自分の意見です。
今回もかなり強引な持っていき方だと思いますが、どうかよろしくお願いします。
NO.82012-10-08 08:18:57 thnkks0304 19
失敗しても何でもやり直すことができる社会に必要なのは、我々が失敗を許容する寛容な目であると思います。そして、当然努力もせずに、失敗ばかりする人を再度這い上がらせるのは間違いであり、当事者にも責任と情熱、気概が必要であると思います。失敗しても周囲の人たちを、再度奮い立たせるほどの説得力が必要です。
しかしこれは一国の総理大臣とベンチャー企業に対して同じように考えられるものではありません。現在の日本は何度も総理大臣が代わり、最低限任期を務めることができる総理大臣を我々は必要としています。そのためにも、総理大臣になる人は誰よりも身体と精神が万全でないといけないと思います。確かに病気があるからといって、挑戦を退けるのは良くないと思いますが、それはそれで一国の首相とは異なった適切な立ち位置というものがあると思います。したがって、一度体調を崩した元総理大臣が再度総理大臣になるのは、現在の日本の現状、過去の総理大臣の遍歴を考慮すると、妥当ではないと思います。
竹内健太
しかしこれは一国の総理大臣とベンチャー企業に対して同じように考えられるものではありません。現在の日本は何度も総理大臣が代わり、最低限任期を務めることができる総理大臣を我々は必要としています。そのためにも、総理大臣になる人は誰よりも身体と精神が万全でないといけないと思います。確かに病気があるからといって、挑戦を退けるのは良くないと思いますが、それはそれで一国の首相とは異なった適切な立ち位置というものがあると思います。したがって、一度体調を崩した元総理大臣が再度総理大臣になるのは、現在の日本の現状、過去の総理大臣の遍歴を考慮すると、妥当ではないと思います。
竹内健太
NO.72012-10-07 15:50:50 chigusaotsuki 2
NO.5 Tomoikukai さんへ
ありがとうでしゅ。(*^◯^*)
Chigusa Otsuki
ありがとうでしゅ。(*^◯^*)
Chigusa Otsuki
NO.62012-10-07 08:08:07 yamaguti 21
カムバックに関しては、trasqueさんに同意です。
失敗した分だけ経験値が上がって同じ失敗をする確率が下がってきますので、失敗していない人を探してきて登用するよりもむしろリスクが低いと思います。
もちろん、失敗を繰り替えす懲りない人もいますので、政治家を選ぶ際には人間性を考慮する必要があると思います。
話は逸れてしまいますが、同じ失敗を繰り返す人は、失敗を直視して反省できない人だと思います。「反省する」と、文章にすると簡単なのですが、実際にきちんと反省できている人はかなり少ないし、自分自身もあやしいときがあると感じています。もちろん対人的には迷惑をかけた人にはきちんと謝って処理できる人(とき)が大半なのです.
但し、本当に正しく自分自身に物語っているでしょうか。例えば、ことの顛末を親しい人に相談するときなどには、失敗のきっかけが他人のちょっとしたことから始まる話になっていたり等、自分のプライドを保つ為に事象にちょっと脚色をしてしまいがちです。この話は人に話す際に脚色したものであるのは自分で当然解っているはずなのですが、話すという行為が自分の物語を整理する作業になり、作った話は自分に都合が良い話なので、自分自身がその話を信じてしまって、結局失敗した原因に直接向き合わないことになり、責任転嫁を量った分だけ反省し損ねることになります。もっと悪い場合には、作った話に対する対策をしてしまいます。
これは、何か世間で話題になる問題が生じた際に、各省庁が対策を発表して、その後財団法人が雨後の竹の子のように発生することに似ているように思います。
政治家は人前で謝ることで立場を失ってしまったり、利害関係が生じてしまう仕事なので、自己肯定をしてよく話しますよね。そのことによく不安を覚えるのですが、反省の弁を口にしていた安部さんのがんばりには期待してます。(政策的には同意しかねることが多いのでが・・・)
話が、カムバックに否定的感じになってしまいましたが、制度的にはもっとカムバックできるようにすべきだと思います。銀行の保証人制度など企業や国が、リスク管理を怠っているのに個人や法人おのおのの自己責任にしてしまい、挑戦する心を縛って活性を奪っています。銀行や不動産業界の保証人制度などは最悪です。消費者金融に無担保ができてなぜ銀行にそれができないのでしょうか。
また、人口減少に伴い、出産後の女性の積極的な社会復帰が必要だと感じています。教育過程自体は男性と同じか、むしろ真面目に取組むことの多い女性が出産・子育てで職場から離脱してしまい、元の職種・職場に戻り難い現状はもったいないし、生きがいを奪う社会になっていないかと思っています。
カムバックが容易にできる社会にした方が、社会全体の活性が高く、生産性が上がるはずです。
失敗した分だけ経験値が上がって同じ失敗をする確率が下がってきますので、失敗していない人を探してきて登用するよりもむしろリスクが低いと思います。
もちろん、失敗を繰り替えす懲りない人もいますので、政治家を選ぶ際には人間性を考慮する必要があると思います。
話は逸れてしまいますが、同じ失敗を繰り返す人は、失敗を直視して反省できない人だと思います。「反省する」と、文章にすると簡単なのですが、実際にきちんと反省できている人はかなり少ないし、自分自身もあやしいときがあると感じています。もちろん対人的には迷惑をかけた人にはきちんと謝って処理できる人(とき)が大半なのです.
但し、本当に正しく自分自身に物語っているでしょうか。例えば、ことの顛末を親しい人に相談するときなどには、失敗のきっかけが他人のちょっとしたことから始まる話になっていたり等、自分のプライドを保つ為に事象にちょっと脚色をしてしまいがちです。この話は人に話す際に脚色したものであるのは自分で当然解っているはずなのですが、話すという行為が自分の物語を整理する作業になり、作った話は自分に都合が良い話なので、自分自身がその話を信じてしまって、結局失敗した原因に直接向き合わないことになり、責任転嫁を量った分だけ反省し損ねることになります。もっと悪い場合には、作った話に対する対策をしてしまいます。
これは、何か世間で話題になる問題が生じた際に、各省庁が対策を発表して、その後財団法人が雨後の竹の子のように発生することに似ているように思います。
政治家は人前で謝ることで立場を失ってしまったり、利害関係が生じてしまう仕事なので、自己肯定をしてよく話しますよね。そのことによく不安を覚えるのですが、反省の弁を口にしていた安部さんのがんばりには期待してます。(政策的には同意しかねることが多いのでが・・・)
話が、カムバックに否定的感じになってしまいましたが、制度的にはもっとカムバックできるようにすべきだと思います。銀行の保証人制度など企業や国が、リスク管理を怠っているのに個人や法人おのおのの自己責任にしてしまい、挑戦する心を縛って活性を奪っています。銀行や不動産業界の保証人制度などは最悪です。消費者金融に無担保ができてなぜ銀行にそれができないのでしょうか。
また、人口減少に伴い、出産後の女性の積極的な社会復帰が必要だと感じています。教育過程自体は男性と同じか、むしろ真面目に取組むことの多い女性が出産・子育てで職場から離脱してしまい、元の職種・職場に戻り難い現状はもったいないし、生きがいを奪う社会になっていないかと思っています。
カムバックが容易にできる社会にした方が、社会全体の活性が高く、生産性が上がるはずです。
NO.52012-10-06 19:33:03 Tomoikukai 30
一昨日、iPone5 をソフトバンクショップで予約してきました。ココロは、back to the 小学5年生です。敦賀は田舎だからモノが来るのは2ヶ月先になるそうですが、待ちきれないココロが2ヶ月も続くなんて幸せすぎる!これで、hungry priest に iPad, Mac Air, iPhone5 の三種の神器が揃います(但し、iPhone5 は、家族の共同使用だけど)これでもう少し、若かったら、若い頃にカムバック!・・・ちょっと苦しいか・・・
・・・ということで、今回は、日本のカムバックについて書いてみようと思います。
今、日本は本当にダメになりました。私が、バングラデシュで協力隊の野菜隊員をしていた30年ほど前までは、日本はキラキラ輝いていました。インドやバングラ、東南アジアの国々、いやいや、中国、アメリカ、ヨーロッパ 世界中の人々が、日本製品に憧れていました。貿易障壁もなんのその、世界中の人が欲しがるせいで、日本からモノが溢れ出て行きました。貿易黒字は、止めようとしても止まるものではなかったのです。おかげで、国外在住の我々も日本人ということで大いに誇りを感じていました。日本製品を手に取った人達にとって、それを作った日本人のいる日本に行くことも、また憧れだったのです。バングラのカウンターパートは、日本製品の強さをこう解説してくれたものです。
「アメ車は左ハンドルを変えないけれど、日本車はその国に合わせて、ハンドルの位置を変える。アクセサリーもその国に合わせて、欲しいものがついてくる。消費者が何が欲しいのかをちゃんと解って、モノを作っているから何でもよく売れるんだ。」
その頃の日本人は、「ナベ蓋売り」で鍛えられる近江商人の集まりかと思うような感じで、まじめで、一生懸命何が売れるのかを考え続けていました。一抹の不安は、大使館の一等書記官でさえ英語が流暢に喋られなかったことでした。これでは、外交ではとても勝負にならないわな、と思っていました。そんなこともあって、私はカウンターパートに、いつも「日本は今、絶頂期だけど、奢りすぎると、三代目が身上を潰すのたとえ通り、そのうちダメになるからネ。その時は、バングラデシュの皆に助けてもらうようになるかもしれないからね。」と言っていたものでした。これは結構本気だったんです。
時が進んで、日本に帰ってきてからは、バブル経済が始まりました。この頃はもう、人のココロは、「お金、お金」で、何もかもお金で解決してしまおうという気分で覆われていたような気がします。そんな中で、何が大切なのか,何が本当にしなければならないことなのかが、どんどん曖昧になって、大切な人との大切な絆もどんどん断ち切られていったような気がします。しかし、この間も、日本製品は飛ぶように売れていましたから、株高、円高、物価高が同時に進行し、日本人は有頂天になり、だんだん傲慢になっていったようです。私は、人に会えばいつも「三代目の悲劇」論を繰り返していたのですが、耳を貸してくれる人は、現役を引退したお年寄り達ばかりでした。そんな中で、日本人は,日本のモノ作りの原点であった、使う人の身になって考えるという手法を忘れ、日本人が作ったモノだから間違いない、という独りよがりな態度で製品開発をするようになっていきました。これでは何もかもがガラパゴス化していくのも仕方のないことでした。それに変わって、現地のニーズを把握しながらモノ作りを進めてきた韓国が日本を追い越すのは時間の問題だったといえるでしょう。
そんな中、私は、平成元年、バブル期の真っ最中に突如思い立ち、パソコンと英語をマスターすることを決心しました。今、思い起こすと、何故そう思ったのかは定かではありませんが、何もかもが曖昧な世の中に、何か確かな足がかりになるものを求めていたような気がします。パソコンはNECで、MS-DOS と一太郎、ロータス で始めました。その頃はまだ、インターネットが使える環境ではなかったので、ゲームやポルノにハマらずにコンピューターの何たるかを学べたのは幸いでした。今、ジョブズの三種の神器に出会って、それを使いこなせることの喜びは、この頃の MS-DOS 君との格闘があったからこそ感じることが出来るのだと思います。私の英語の方も、ユックリではあるけれど、パソコン環境の進化と共に着実に上達していったような気がします。
ということで、元に戻って、日本は今、本当にダメになりました。でも、その「ダメ」に気付いていない人のなんと多いことか。「ダメ」と気付いていない人に対して、「日本のカムバック(日本の復活)」を説いてみても、ただ「変人」扱いされるだけでしょうが、「日本はダメだ」という認識から出発しないと、復活どころか、敗者復活戦にさへ出られなくなるというところまできているというのが、「このままでは日本はダメだ」と感じている人達の共通の認識だと思います。
それでは、なぜ、多くの人は日本はダメだと認識することが出来ないのでしょうか?まず考えられるのは、奇跡的な戦後の復興によってもたらされた、成功体験による奢り。多くの人は、外国には、観光ぐらいでしか行ったことがないのに、日本ほどいい国はないと真底思っている。そして、その奢りから生じた、英語音痴(ほとんどの人は、外国人に対して、日本に来たんなら日本語を話すのが当然と思っている。日本語が話せないとわかると、ココロを閉ざすか、バカにする)そして、パソコン音痴である。(ほとんどの人は、インターネットと聞くとポルノを見るかゲームをするものだと思っているし、フェイスブックと出会い系サイトとの区別がつかない)
日本が世界の中でどういう位置にあるのか、日本は外国人からどう理解されているのかを知る為には、今の世の中では、英語とインターネットを使って世界中の人々とコミュニケーションすることが欠かせませんが、日本人は両方とも力不足で、外国の状況を知るには、英語がわからない故に、物事の本質を捉えることの出来ないと思われる、マスコミの人達(多くは匿名か素人)のもたらす偏見に満ちた記事や番組に頼ることになってしまいます。Think globally, act locally. 以前誰かが書いておられましたが、内政をしっかりと行う為には、世界的な視野を持って考え、行動することが要求されます。しかし、今の日本の多くの人達には、とにかく、Think globally が欠けているように思われます。こんな状況で、我々は、これから日本を引っ張っていけるような指導者を選ぶことが出来るのでしょうか?
政治家のレベルはその国の国民のレベルで決まるとよく言います。確かに、バブルの前までは、農業系議員が多数を占めていたし、バブルになってからは建設族議員が新幹線や高速道路を餌にして、景気が良かった。バブルがはじけてからは、あっちへふらふら、こっちへふらふら。とても国民のレベルを自慢できるというものではなかったのは確かです。だからこそ、これからはみんな一生懸命英語をマスターして、ジョブズの三種の神器をそろえて、英語でツイッターをして、フェイスブックで茂木さんと友達になって、国民のレベルを上げる努力をしなければなりません。衆議院選挙まであと、2、3ヶ月しかないので、ユックリしている暇はありません。すぐ取りかかりましょう・・・なんて、もしかしたら、戦後の高度成長期には、結構本気で取り組む人がでてきたかもしれませんね。今は、若い人でも、英語がネックになって、この、満々たる ICT(インターネット アンド コミュニケーション・テクノロジー)の大海を自由自在に泳ぎ回れる人はごく少数に限られるのではないでしょうか。
国民のレベルは、今すぐに上げることは不可能です。それじゃ、やっぱりそれに合わせて政治家のレベルも低いままで・・・と言う訳には行きません。それでは、永久に低いままで、いつか、日本は沈没します。何かいい工夫はないものでしょうか? つまり、レベルの低い国民を、レベルの高いところまで引き上げてくれるレベルの高い政治家を選ぶ方法です。今回の選挙は、ここのところが一番のポイントではないでしょうか? それに対して、今までの選挙では、志の高い人は、一部を除いて、その志の高さ故に選挙には勝てなかったのではないでしょうか。
茂木さんにお願いしたいのは、メタ認知力をはかる装置を開発して、立候補者が出そろったらツイッターで、候補者一人一人のメタ認知力指数を発表するとか、ミラーニューロンの活性化程度を投票の参考に出来るシステムを開発するとか・・・そのままでは無理でも、なんかそれに類する方法はないもんですかね。アメリカでは、国民は、そんなことを、優秀なニュースキャスターによる、インタビューかなんかで知ることが出来るのだと思います。
私が考えた方法は、候補者一人一人に日本語が喋ることの出来ない友達(恋人でもよい)がいるかどうかを聞いて、いたら、スカイプで、今話題になっている政治問題の中から一つ選んで、ディスカッションしてもらう。もう一つはポルノとゲーム以外で、インターネット環境をどのように使っているのかを話してもらう。これで、多分、老害候補者は皆無になると思いますよ。とにかく今回の選挙では、英語を使うコミュニケーション能力にすぐれて、パソコンに強い議員が選ばれるようにしないと、世界から見放されてしまうことは疑いがないように思いますが、いかがでしょうか?
まだまだ心配のつきない今回の衆議院選挙ですが、民間の私らとしては、結構、国民のレベルを上げるのは、諦めていますが、ただ、普通の人々が、気軽に英語を使うようになる環境が作れないものかといろいろ画策しています。勿論話しの中心はアブソーベント・エイジの子供達とそのお父さんお母さん達。昨日、青年海外協力隊の関係者の方にお願いして糞掃衣(東南アジアのお坊さんがきている黄色い衣)をスリランカから送ってもらうように頼みました。ひと月程したら届くそうです。iPone5 程ではないですが、待ちどうしくて、今もウキウキしています。
それを着てどうするのかって? シンガポールのお寺の坊さんになりきるのです。裸足で歩いて、日本語は聞けるけど話せないことにして、子供達に英語の紙芝居を読んであげようと思っています。
Tomoiku eye (目線) Tomoiku hug (ハグ) Tomoiku love (双愛)
の実践です。
chigusaotsuki さん、くよくよしてないで、インド人に変装して子供達に英語の紙芝居や、絵本を読んであげてくれませんか?きっと新しい世界が生まれると思いますよ。
それから、「子どもとのつきあい方」について考える で 「神との契約」について、プロテスタントの教義について,解説してくださった draw_spine さん、大変参考になりました。ありがとうございます。
でも、「如来の目」については、少し誤解があるようなので、説明させてください。私は、「如来の目」は特に自我執着に焦点を当てて、それを客観視する目を戴くと書きましたが、それを客観視するのは、自分であって自分でない。つまり、浄土真宗では、それを他力と名付けているのです。それで、親鸞も、法然聖人のおおせには、「源空(法然)が信心も,如来よりたまわりたる信心なり。善信房(親鸞)の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。」と、教えを伝えているように、一人一人「如来の目」が違う訳ではなく、draw_spine さんの言われる、「神」と同じように「如来の目」にも同一性があると言っていいと思います。しかし、それが、実際に自分に働く時には、「神」も「如来の目」も「メタ認知」という形を取って、自分を客観的に眺められる能力が身に付くということではないでしょうか。「メタ認知」は自分の煩悩が見えるのに対して、「神」や「如来の目」はその煩悩を操る「黒子」を見破るという感じでしょうか。しかし、神の方は、七才までに意識的に導入されるのに対して、他力の方は、自意識が芽生えた後になって「気付く」というかたちを取るということが違いと言えば違いでしょうか。私は、日本も昔は、幼い頃に、自由に遊びながらも、他人に対する思いやりや、自立のココロを育むプログラムが、社会全体に仕組まれていたのだと思っています。つまり、「如来の目」に気付く土壌は、幼い頃の養育環境に織り込まれていたのだと思います。「日本のカムバック」には、日本の歴史に育まれた、かっての「日本製品」に見られるように、この「メタ認知」がふんだんに盛り込まれた文化の復活が鍵となるでしょう。
纏めると、今度の選挙は、「日本のカムバック」が成るか成らないかの選挙であり、日本の将来を切り開いていく人材を見つけるまたとないチャンスでもある。そして、日本の明日を切り開く為にもっとも重要な施策は開国であり、そのためには、全面的な教育の見直し、特に、アブソーベント・エイジを中心とした、英語教育とICT教育、それに、利他心に焦点を当てることである。
今回は、反論や訂正がなければ 投稿は「いっかいこっきり」とします。
・・・ということで、今回は、日本のカムバックについて書いてみようと思います。
今、日本は本当にダメになりました。私が、バングラデシュで協力隊の野菜隊員をしていた30年ほど前までは、日本はキラキラ輝いていました。インドやバングラ、東南アジアの国々、いやいや、中国、アメリカ、ヨーロッパ 世界中の人々が、日本製品に憧れていました。貿易障壁もなんのその、世界中の人が欲しがるせいで、日本からモノが溢れ出て行きました。貿易黒字は、止めようとしても止まるものではなかったのです。おかげで、国外在住の我々も日本人ということで大いに誇りを感じていました。日本製品を手に取った人達にとって、それを作った日本人のいる日本に行くことも、また憧れだったのです。バングラのカウンターパートは、日本製品の強さをこう解説してくれたものです。
「アメ車は左ハンドルを変えないけれど、日本車はその国に合わせて、ハンドルの位置を変える。アクセサリーもその国に合わせて、欲しいものがついてくる。消費者が何が欲しいのかをちゃんと解って、モノを作っているから何でもよく売れるんだ。」
その頃の日本人は、「ナベ蓋売り」で鍛えられる近江商人の集まりかと思うような感じで、まじめで、一生懸命何が売れるのかを考え続けていました。一抹の不安は、大使館の一等書記官でさえ英語が流暢に喋られなかったことでした。これでは、外交ではとても勝負にならないわな、と思っていました。そんなこともあって、私はカウンターパートに、いつも「日本は今、絶頂期だけど、奢りすぎると、三代目が身上を潰すのたとえ通り、そのうちダメになるからネ。その時は、バングラデシュの皆に助けてもらうようになるかもしれないからね。」と言っていたものでした。これは結構本気だったんです。
時が進んで、日本に帰ってきてからは、バブル経済が始まりました。この頃はもう、人のココロは、「お金、お金」で、何もかもお金で解決してしまおうという気分で覆われていたような気がします。そんな中で、何が大切なのか,何が本当にしなければならないことなのかが、どんどん曖昧になって、大切な人との大切な絆もどんどん断ち切られていったような気がします。しかし、この間も、日本製品は飛ぶように売れていましたから、株高、円高、物価高が同時に進行し、日本人は有頂天になり、だんだん傲慢になっていったようです。私は、人に会えばいつも「三代目の悲劇」論を繰り返していたのですが、耳を貸してくれる人は、現役を引退したお年寄り達ばかりでした。そんな中で、日本人は,日本のモノ作りの原点であった、使う人の身になって考えるという手法を忘れ、日本人が作ったモノだから間違いない、という独りよがりな態度で製品開発をするようになっていきました。これでは何もかもがガラパゴス化していくのも仕方のないことでした。それに変わって、現地のニーズを把握しながらモノ作りを進めてきた韓国が日本を追い越すのは時間の問題だったといえるでしょう。
そんな中、私は、平成元年、バブル期の真っ最中に突如思い立ち、パソコンと英語をマスターすることを決心しました。今、思い起こすと、何故そう思ったのかは定かではありませんが、何もかもが曖昧な世の中に、何か確かな足がかりになるものを求めていたような気がします。パソコンはNECで、MS-DOS と一太郎、ロータス で始めました。その頃はまだ、インターネットが使える環境ではなかったので、ゲームやポルノにハマらずにコンピューターの何たるかを学べたのは幸いでした。今、ジョブズの三種の神器に出会って、それを使いこなせることの喜びは、この頃の MS-DOS 君との格闘があったからこそ感じることが出来るのだと思います。私の英語の方も、ユックリではあるけれど、パソコン環境の進化と共に着実に上達していったような気がします。
ということで、元に戻って、日本は今、本当にダメになりました。でも、その「ダメ」に気付いていない人のなんと多いことか。「ダメ」と気付いていない人に対して、「日本のカムバック(日本の復活)」を説いてみても、ただ「変人」扱いされるだけでしょうが、「日本はダメだ」という認識から出発しないと、復活どころか、敗者復活戦にさへ出られなくなるというところまできているというのが、「このままでは日本はダメだ」と感じている人達の共通の認識だと思います。
それでは、なぜ、多くの人は日本はダメだと認識することが出来ないのでしょうか?まず考えられるのは、奇跡的な戦後の復興によってもたらされた、成功体験による奢り。多くの人は、外国には、観光ぐらいでしか行ったことがないのに、日本ほどいい国はないと真底思っている。そして、その奢りから生じた、英語音痴(ほとんどの人は、外国人に対して、日本に来たんなら日本語を話すのが当然と思っている。日本語が話せないとわかると、ココロを閉ざすか、バカにする)そして、パソコン音痴である。(ほとんどの人は、インターネットと聞くとポルノを見るかゲームをするものだと思っているし、フェイスブックと出会い系サイトとの区別がつかない)
日本が世界の中でどういう位置にあるのか、日本は外国人からどう理解されているのかを知る為には、今の世の中では、英語とインターネットを使って世界中の人々とコミュニケーションすることが欠かせませんが、日本人は両方とも力不足で、外国の状況を知るには、英語がわからない故に、物事の本質を捉えることの出来ないと思われる、マスコミの人達(多くは匿名か素人)のもたらす偏見に満ちた記事や番組に頼ることになってしまいます。Think globally, act locally. 以前誰かが書いておられましたが、内政をしっかりと行う為には、世界的な視野を持って考え、行動することが要求されます。しかし、今の日本の多くの人達には、とにかく、Think globally が欠けているように思われます。こんな状況で、我々は、これから日本を引っ張っていけるような指導者を選ぶことが出来るのでしょうか?
政治家のレベルはその国の国民のレベルで決まるとよく言います。確かに、バブルの前までは、農業系議員が多数を占めていたし、バブルになってからは建設族議員が新幹線や高速道路を餌にして、景気が良かった。バブルがはじけてからは、あっちへふらふら、こっちへふらふら。とても国民のレベルを自慢できるというものではなかったのは確かです。だからこそ、これからはみんな一生懸命英語をマスターして、ジョブズの三種の神器をそろえて、英語でツイッターをして、フェイスブックで茂木さんと友達になって、国民のレベルを上げる努力をしなければなりません。衆議院選挙まであと、2、3ヶ月しかないので、ユックリしている暇はありません。すぐ取りかかりましょう・・・なんて、もしかしたら、戦後の高度成長期には、結構本気で取り組む人がでてきたかもしれませんね。今は、若い人でも、英語がネックになって、この、満々たる ICT(インターネット アンド コミュニケーション・テクノロジー)の大海を自由自在に泳ぎ回れる人はごく少数に限られるのではないでしょうか。
国民のレベルは、今すぐに上げることは不可能です。それじゃ、やっぱりそれに合わせて政治家のレベルも低いままで・・・と言う訳には行きません。それでは、永久に低いままで、いつか、日本は沈没します。何かいい工夫はないものでしょうか? つまり、レベルの低い国民を、レベルの高いところまで引き上げてくれるレベルの高い政治家を選ぶ方法です。今回の選挙は、ここのところが一番のポイントではないでしょうか? それに対して、今までの選挙では、志の高い人は、一部を除いて、その志の高さ故に選挙には勝てなかったのではないでしょうか。
茂木さんにお願いしたいのは、メタ認知力をはかる装置を開発して、立候補者が出そろったらツイッターで、候補者一人一人のメタ認知力指数を発表するとか、ミラーニューロンの活性化程度を投票の参考に出来るシステムを開発するとか・・・そのままでは無理でも、なんかそれに類する方法はないもんですかね。アメリカでは、国民は、そんなことを、優秀なニュースキャスターによる、インタビューかなんかで知ることが出来るのだと思います。
私が考えた方法は、候補者一人一人に日本語が喋ることの出来ない友達(恋人でもよい)がいるかどうかを聞いて、いたら、スカイプで、今話題になっている政治問題の中から一つ選んで、ディスカッションしてもらう。もう一つはポルノとゲーム以外で、インターネット環境をどのように使っているのかを話してもらう。これで、多分、老害候補者は皆無になると思いますよ。とにかく今回の選挙では、英語を使うコミュニケーション能力にすぐれて、パソコンに強い議員が選ばれるようにしないと、世界から見放されてしまうことは疑いがないように思いますが、いかがでしょうか?
まだまだ心配のつきない今回の衆議院選挙ですが、民間の私らとしては、結構、国民のレベルを上げるのは、諦めていますが、ただ、普通の人々が、気軽に英語を使うようになる環境が作れないものかといろいろ画策しています。勿論話しの中心はアブソーベント・エイジの子供達とそのお父さんお母さん達。昨日、青年海外協力隊の関係者の方にお願いして糞掃衣(東南アジアのお坊さんがきている黄色い衣)をスリランカから送ってもらうように頼みました。ひと月程したら届くそうです。iPone5 程ではないですが、待ちどうしくて、今もウキウキしています。
それを着てどうするのかって? シンガポールのお寺の坊さんになりきるのです。裸足で歩いて、日本語は聞けるけど話せないことにして、子供達に英語の紙芝居を読んであげようと思っています。
Tomoiku eye (目線) Tomoiku hug (ハグ) Tomoiku love (双愛)
の実践です。
chigusaotsuki さん、くよくよしてないで、インド人に変装して子供達に英語の紙芝居や、絵本を読んであげてくれませんか?きっと新しい世界が生まれると思いますよ。
それから、「子どもとのつきあい方」について考える で 「神との契約」について、プロテスタントの教義について,解説してくださった draw_spine さん、大変参考になりました。ありがとうございます。
でも、「如来の目」については、少し誤解があるようなので、説明させてください。私は、「如来の目」は特に自我執着に焦点を当てて、それを客観視する目を戴くと書きましたが、それを客観視するのは、自分であって自分でない。つまり、浄土真宗では、それを他力と名付けているのです。それで、親鸞も、法然聖人のおおせには、「源空(法然)が信心も,如来よりたまわりたる信心なり。善信房(親鸞)の信心も如来よりたまわらせたまいたる信心なり。されば、ただひとつなり。」と、教えを伝えているように、一人一人「如来の目」が違う訳ではなく、draw_spine さんの言われる、「神」と同じように「如来の目」にも同一性があると言っていいと思います。しかし、それが、実際に自分に働く時には、「神」も「如来の目」も「メタ認知」という形を取って、自分を客観的に眺められる能力が身に付くということではないでしょうか。「メタ認知」は自分の煩悩が見えるのに対して、「神」や「如来の目」はその煩悩を操る「黒子」を見破るという感じでしょうか。しかし、神の方は、七才までに意識的に導入されるのに対して、他力の方は、自意識が芽生えた後になって「気付く」というかたちを取るということが違いと言えば違いでしょうか。私は、日本も昔は、幼い頃に、自由に遊びながらも、他人に対する思いやりや、自立のココロを育むプログラムが、社会全体に仕組まれていたのだと思っています。つまり、「如来の目」に気付く土壌は、幼い頃の養育環境に織り込まれていたのだと思います。「日本のカムバック」には、日本の歴史に育まれた、かっての「日本製品」に見られるように、この「メタ認知」がふんだんに盛り込まれた文化の復活が鍵となるでしょう。
纏めると、今度の選挙は、「日本のカムバック」が成るか成らないかの選挙であり、日本の将来を切り開いていく人材を見つけるまたとないチャンスでもある。そして、日本の明日を切り開く為にもっとも重要な施策は開国であり、そのためには、全面的な教育の見直し、特に、アブソーベント・エイジを中心とした、英語教育とICT教育、それに、利他心に焦点を当てることである。
今回は、反論や訂正がなければ 投稿は「いっかいこっきり」とします。
NO.42012-10-05 12:07:48 yamanorisu 28
私は、これまでの人生で、3度、リタイア&カムバックしました。
そのたびに、給料は激減しましたが、幸福度は高まっていると感じています。
1度目のリタイア&カムバックは、公務員の福祉職として働いて10年目の退職とその後です。
組織の秩序、ルール、制度…を守りながらでは、障がいのある人たちの「人生」を支えることはできない…と感じ始めて数年。施設に暮らす人たちの、どうにもできない人生を見続けることに苦しくなってしまって、リタイアしました。
その後民間の社会福祉法人で働き始めてみて感じたのは、自由な人生にはとても大きな責任があるということと、結局、制度やルールを守りながら、その中で最大限の工夫をしていくしかできないというジレンマでした。
今思えば、公務員を続けていたら、この制度やルールを変えたり、運用の自由度を高めたりする仕事ができたのかもしれないとも思いますが、責任を負いながら、障がいのある人たちの人生の豊かさに少しでもたくさん関われる仕事をすることで、自分の幸福度が高まったことのほうが、価値があったと感じています。
2度目のリタイア&カムバックは、娘の出産を機にした退職とその後。
ちょうど、家人の転勤もかさなり、いつかは…と思っていた、里山暮らしが実現することになったことと、子どもの成長・発達にじっくり、ゆったり寄り添いたいと思ったことからのリタイアです。
子どもを産み、育て始めてすぐに、子どもの成長・発達を通して、それまで関わってきた知的なあるいは発達に障がいのある人たちの障がい特性(脳の機能)や、その人たちへの関わりかたで、わかっていなかったことがたくさんあったことに気づきました。
子どもから教えられるたくさんのことを、このままにしてはもったいない…!でも、山暮らし&子育てをしながら、前のように働くことはできないし…と考えて、今の自分にできるやり方として、フリーで、「障がいのある人たちを支援する人を応援する」をコンセプトに仕事を再開しました。
今までに関わりのあった人たちからつながって、いろいろな支援現場に寄り添った地道な積み重ねを応援する仕事です。
子育てから学び自分の中で力となっていると感じることが、思っていた以上に大きく、それまでわかった気になっていたことを反省することが度々…。
また、人を育てるにはとてつもない労力と時間と忍耐力を必要とすることを子育てから学んだことで、それまでは、ガンガン進められない人に寄り添えなかった私が、小さな努力を重ねている人たちに共感できるようにもなっていました。
3度目は、関わっていた仕事先の混乱に深く関わりすぎ、激務と人間関係のストレスから、エネルギーを消耗しすぎで軽いうつ状態となった時です。
1年ほど仕事を一切しないで、過ごしていたのですが、「そろそろ元気になったかぁ!」と山奥まで会いにきてくれた仲間たちに、生きててよかったぁ!まだやれることがあるのかぁ!と思えるエネルギーをもらって!!また、できることをできるだけ…の仕事を続けています。
今は、「応援」を超えて、もう少し積極的に、「障がいのある人を支援する人を育てる」ことにポイントを置いて仕事をしています。
初めにも書きましたが、仕事をしての実入りは、確実に減っています。が、自分自身にとっては、今が一番価値のある大切な仕事をしていると感じています。その中には子育ても含まれます。
日本は…少なくとも、障がい福祉分野は、人を育てるということに、もっともっと価値をおき、大切にするべきだと、感じています。(本音?(笑)こんなに地道な努力に、見返りがないのでは…生活がなりたちませ~ん…)
こんなふうに、自分のリタイア&カムバック歴を振り返ったのは初めてですが、こうしてみると、リタイアというのは、カムバック=再チャレンジのきっかけになっていたんだなと感じます。
No.1のtrasqueさんが、「カムバック、つまり復活です。要するに「ちゃんと乗り越えられる」という事です。それも、何か価値を見出して、手に入れて、成長して!です。」と書かれているように、失敗やリタイアが、新しい価値を創造するチャンスとなる、チャンスにできる、そして、その新しい価値に見合うだけの評価がつく、そんな風土になっていってほしいですね。というか、していかなければいけませんね!
trasqueさん、「「カムバック」は希望を作り続ける」名言だと思います!
そのたびに、給料は激減しましたが、幸福度は高まっていると感じています。
1度目のリタイア&カムバックは、公務員の福祉職として働いて10年目の退職とその後です。
組織の秩序、ルール、制度…を守りながらでは、障がいのある人たちの「人生」を支えることはできない…と感じ始めて数年。施設に暮らす人たちの、どうにもできない人生を見続けることに苦しくなってしまって、リタイアしました。
その後民間の社会福祉法人で働き始めてみて感じたのは、自由な人生にはとても大きな責任があるということと、結局、制度やルールを守りながら、その中で最大限の工夫をしていくしかできないというジレンマでした。
今思えば、公務員を続けていたら、この制度やルールを変えたり、運用の自由度を高めたりする仕事ができたのかもしれないとも思いますが、責任を負いながら、障がいのある人たちの人生の豊かさに少しでもたくさん関われる仕事をすることで、自分の幸福度が高まったことのほうが、価値があったと感じています。
2度目のリタイア&カムバックは、娘の出産を機にした退職とその後。
ちょうど、家人の転勤もかさなり、いつかは…と思っていた、里山暮らしが実現することになったことと、子どもの成長・発達にじっくり、ゆったり寄り添いたいと思ったことからのリタイアです。
子どもを産み、育て始めてすぐに、子どもの成長・発達を通して、それまで関わってきた知的なあるいは発達に障がいのある人たちの障がい特性(脳の機能)や、その人たちへの関わりかたで、わかっていなかったことがたくさんあったことに気づきました。
子どもから教えられるたくさんのことを、このままにしてはもったいない…!でも、山暮らし&子育てをしながら、前のように働くことはできないし…と考えて、今の自分にできるやり方として、フリーで、「障がいのある人たちを支援する人を応援する」をコンセプトに仕事を再開しました。
今までに関わりのあった人たちからつながって、いろいろな支援現場に寄り添った地道な積み重ねを応援する仕事です。
子育てから学び自分の中で力となっていると感じることが、思っていた以上に大きく、それまでわかった気になっていたことを反省することが度々…。
また、人を育てるにはとてつもない労力と時間と忍耐力を必要とすることを子育てから学んだことで、それまでは、ガンガン進められない人に寄り添えなかった私が、小さな努力を重ねている人たちに共感できるようにもなっていました。
3度目は、関わっていた仕事先の混乱に深く関わりすぎ、激務と人間関係のストレスから、エネルギーを消耗しすぎで軽いうつ状態となった時です。
1年ほど仕事を一切しないで、過ごしていたのですが、「そろそろ元気になったかぁ!」と山奥まで会いにきてくれた仲間たちに、生きててよかったぁ!まだやれることがあるのかぁ!と思えるエネルギーをもらって!!また、できることをできるだけ…の仕事を続けています。
今は、「応援」を超えて、もう少し積極的に、「障がいのある人を支援する人を育てる」ことにポイントを置いて仕事をしています。
初めにも書きましたが、仕事をしての実入りは、確実に減っています。が、自分自身にとっては、今が一番価値のある大切な仕事をしていると感じています。その中には子育ても含まれます。
日本は…少なくとも、障がい福祉分野は、人を育てるということに、もっともっと価値をおき、大切にするべきだと、感じています。(本音?(笑)こんなに地道な努力に、見返りがないのでは…生活がなりたちませ~ん…)
こんなふうに、自分のリタイア&カムバック歴を振り返ったのは初めてですが、こうしてみると、リタイアというのは、カムバック=再チャレンジのきっかけになっていたんだなと感じます。
No.1のtrasqueさんが、「カムバック、つまり復活です。要するに「ちゃんと乗り越えられる」という事です。それも、何か価値を見出して、手に入れて、成長して!です。」と書かれているように、失敗やリタイアが、新しい価値を創造するチャンスとなる、チャンスにできる、そして、その新しい価値に見合うだけの評価がつく、そんな風土になっていってほしいですね。というか、していかなければいけませんね!
trasqueさん、「「カムバック」は希望を作り続ける」名言だと思います!
NO.32012-10-03 07:59:45 茂木健一郎 15
あるシリコンバレーの方に聞いた話です。彼の友人の大学教授が、三回ベンチャー企業を立ち上げて、三回とも失敗した。その度に、友人が住んでいる家が、大きくなったそうです。
失敗しても、それを人生の前向きのステップにできる。ベンチャーキャピタルの定義とは、「失敗したら返さなくていいお金。」起業しようとしたら、自宅を抵当に入れなければならない日本の風土とは、だいぶ違っていますね。
失敗しても、それを人生の前向きのステップにできる。ベンチャーキャピタルの定義とは、「失敗したら返さなくていいお金。」起業しようとしたら、自宅を抵当に入れなければならない日本の風土とは、だいぶ違っていますね。
NO.22012-10-03 07:55:50 chigusaotsuki 14
「Come back from my sorrows」
I haven't had a very easy life. Till now, this ongoing incident has made me feel depressed. Such life event is apparently linked to the "End of relationships". This external event that I felt to deeply sad is now described the severity of the depression.
Since I said goodbye, I had been consistently down in the dumps, avoiding other people, oversleeping and feeling alone, which others might perceive my problem as. For instance, I found it difficult to communicate, because my feelings ware painful and I lacked energy. However others might feel they couldn't reach me, and rejected.
But I now know that if I tend to react and respond in a new way, I will be able to breeze through challenges to copy and defend my psycho-therapists behavior. Any behavior! ;-)
So I usually say "Hey, this is an important point, so let's explore it!".
I need to assess how I can approach my sorrows in order to handle them better. These need discipline, direction and training in new skills.
Now I am learning and gaining wisdom. Someday I might even thank my all end of relationships. After all, I would have grown so much with them.
Chigusa Otsuki ;-)
I haven't had a very easy life. Till now, this ongoing incident has made me feel depressed. Such life event is apparently linked to the "End of relationships". This external event that I felt to deeply sad is now described the severity of the depression.
Since I said goodbye, I had been consistently down in the dumps, avoiding other people, oversleeping and feeling alone, which others might perceive my problem as. For instance, I found it difficult to communicate, because my feelings ware painful and I lacked energy. However others might feel they couldn't reach me, and rejected.
But I now know that if I tend to react and respond in a new way, I will be able to breeze through challenges to copy and defend my psycho-therapists behavior. Any behavior! ;-)
So I usually say "Hey, this is an important point, so let's explore it!".
I need to assess how I can approach my sorrows in order to handle them better. These need discipline, direction and training in new skills.
Now I am learning and gaining wisdom. Someday I might even thank my all end of relationships. After all, I would have grown so much with them.
Chigusa Otsuki ;-)
NO.12012-10-03 01:12:32 trasque 42
○カムバックの経験
6年前、大学生として最後の年を迎えようとしていた冬の日。年が明けて間もない頃、私は難病となり倒れました。掲示板では何度もお話させて頂いておりますクローン病に、この時罹患しました。真夜中、先輩の車で運ばれそのまま手術となりました。腹を開き、麻酔でしびれ、意識の覚束ない中で、執刀医が開腹部を思い切り引っ張るような感覚を受けたことを、今でもおぼろげながら覚えています。
当時、大学の最終学年を目前に控えていた私は、研究室の所属に悩んでいました。部活を通して知り合った教授のゼミを三年次に取っていた事もあってか、大きく評価して下さり「君の志望を待っている」とまで言って頂いた時には本当に嬉しく思いました。
いわゆるIT系の学部でした。幼い頃からTVゲームが好きで、何か「画面」「コンピュータ」が関連しているものなら何でも良いといった形で、そのままの流れでこのような学部を選択していたこともあり、私にはどこか働くにしても「ITの関連した何か」でなければどうにもならない、というような思いがありました。
大学の近くにある寮で一人暮らしをしていたことと緊急手術の為に、大学のある市の総合病院に入院することとなりました。これに重なるようにして、父が望まない転職となってしまいました。収入は激減しました。更に父は、友人が購入する車の連帯保証人となりましたが、その友人は購入をすませるとすぐに車ごと姿をくらませてしまい、結局全額を父が払わねばならないこととなってしまいました。妹の進学も重なりました。元々学生の間、私はバイトをして実家へ毎月少しずつ仕送りをしていましたが、手術・入院費用等も相まって、結局どちらにせよ四年次の学費は捻出できない事となりました。
入院中に祖父が亡くなったりと、ほんとうに「起こる時は起こる」ものだなと今では思います。不幸自慢をする訳ではないのですが、現段階で私は改めて一人暮らしを再開し、しっかりと就職も勝ち取りました。昨年、父は「保証人」としてのお金も完済しました。その友人も車ごと見つかりました。妹も無事、その後進学しました。心配していた学費も、大学側の配慮で「三年次」の分も支払わなくて良いとして下さいました。
この学費を一年分払わなくて良いという話は全く予期していなかったので、すぐに母へ電話しました。母はその報告に涙を隠しませんでした。電話の向こうでも、わかるほどでした。余程、家庭にかかる経済的な負担でプレッシャーを感じていたのだろうと思います。
様々な場面で、6年前の3月は私にとって「死んだ日」でした。しかしこうして私は今「カムバック」しています。少し時間は掛かりましたが、私は堂々と「復活した」と言えるようになりました。「何にもできることが無い」と思っていた私は「いや、むしろ退院したら何をやってもいいじゃないか!」と思いなおしました。思えば、この時が私の「カムバック」だったのかもしれません。周りがどう言おうと、私自身が納得できていることが「カムバックしたかどうか」として大事な大事な一点だと思うのです。
○安倍さんの話
表題で茂木さんが触れられている安倍晋三さんは、今や有名となりました特定難病疾患の「潰瘍性大腸炎」を患っています。
これは「炎症性腸疾患」というものに分類されます。IBDと表記されます。
IBDにはもう一つ存在していて、それが実はクローン病なのです。
ほとんど双子のような存在で、双方の患者同志で色々と交流がもたれる事があります。
その病状、注意する点、治療法、社会での悩み……
これらがよく似通っている為に、この度安倍さんが起こされた行動については、一般的な面での様々な意見とは別にして、一種独特な患者達の反応というものがありました。
私は主にTwitterでしかそのような反応を見られないので、かなり偏っていますがご容赦下さい。
一般的な反応としては「3500円のカツカレー食べて庶民感覚がない」「病気ですぐやめてたけど大丈夫なのか」「お腹痛いでやめちゃったんだろう」といったものもありました。あるニュース番組でコメンテーターが「たかが腹痛で、子供みたい」などと言ったとして、Twitterで一部炎上していたりってこともありました。
これらの反応とは別に、Twitterでフォローさせて頂いている同IBD患者の方々のご意見はまた少し違った視点がありました。
IBDは「油分」「刺激物」「食物繊維」に対して弱いとされていたり、たんぱく質の分解吸収がうまくいかずに炎症を起こしてしまったり、そしてそれが人によって違い過ぎてうまく指導もできないといった難点があります。慢性的にずっと腹の調子が悪い人もいれば、私のように5年に1度程度の割合で、突然腸の一部が固く絞られてしまい、切り取る手術を要するという患者もいます。
つまり「ごちそうはほとんど大敵」という患者が多いのです。ラーメン、からあげ、キムチ……などなど。ですから、安倍さんがカツカレーを食ったというのは結構衝撃的なことで「カツ」も「カレー」も、いったのか!?といった驚きが先に来ていました。
もちろん問題なく食べる患者も居ますし、しばらく節制して体調を整えて「イザ!」ごちそうにありつかんという涙ぐましい食生活の患者もいます。もし「年に数回しかカツカレーを食えない」状態で、それも「毎日色々と気を使わないといけない」としたなら、できるだけ高級なものを食べたくなりますよね?人情ってものです。庶民感覚かどうかは、分かりませんが……
他にも「いかにも治ったかのような振舞いは、患者としては社会での理解に偏見が混ざるのでは」といったような意見や、「あえてしっかり働ける実績を残してくれるなら、それはそれで同患者として良い指針になるのでは」といったような意見もあり、患者の中でも色々と方向性があります。
安倍さんが今回の勝負をどう切り抜けるかと勘案した中で選んだ一つの戦術に過ぎないと私は考えています。「素晴らしい治療薬が開発された」「それによってほぼ問題なく活動できる」と主張するのは、恐らく事実だと思います。IBD患者としては、全てがそうやってうまくいくと思われるのは困る場合がある、という不安が来るのです。でも、それを全て明確に説明したり配慮したりしていては進められるものも進まなくなる恐れがあります。私も、就職活動ではあえて持病を積極的に公表することはしませんでした。ですから、安倍さんの行動如何によっては「IBDに対して変な勘違いをする人が増えるかもしれないな」という心配を持ちながら、「もし自分だったら、確かに元気さアピールを先に持ってくるかもしれないな」という思いが、矛盾しているようで、同居するのです。
○本題に入ります。
私は、究極的には全ての「カムバック」は許されて良いと考えています。
ただし「誰かが何かをしても、みんな見てみぬフリで許してしまう」といったこととは異なります。
あくまでも「復活」です。復活とは、自ら生き返り、立ち上がる事を指します。
自分の足で、もう一度。それがカムバックだと考えます。
ですから、周りが「もう駄目」と烙印を押そうとも、是非戻って欲しいと評価されようとも、本当は関係ないのだと思います。何か一つを乗り越えて、また立ち上がり、そこに何らかの納得を自ら手に入れる。こうしてカムバックした人は必ず何か一つの「価値」を得て戻ってきます。ですから、全てのカムバックは許されて良いと、私は思います。
はじめに載せた私の体験の中で、私は「死んだ日」と表現しました。大げさな表現なのかもしれません。しかし、私達人間に限らず様々な物事は死んだり生きたりを繰り返しています。眠って起きて。陽が沈んで昇って。失敗して学んで。星が爆発してまた星が生まれて。「カムバックを許さない」「もう駄目の烙印を押す」ということは、その法則めいたような「死んだり生きたり」を否定しているように私は感じるのです。
三島由紀夫が言った(とされる)言葉に<治りたがらない病人などには本当の病人の資格はない>といったものがあります。ある欠陥を呈したことで失脚した人物に対して<もう駄目>としてしまうことは、とりもなおさず「復活の機会」すら奪いかねない、生命への暴力と言ってもよいのかもしれません。
私は難病になった事で、当時「レールから外れてしまった」と考えた時期がありました。IT系でしか働けない。大学も中退になってしまった。他に何も出来ない。身体も弱い。この先どうしたら良いのだろう。もう弱者として細々と生きていくしかないのだろうか。そんなことを考えたのです。
一般的に「人の敷いたレールに沿って生きる」というイメージには、どうもネガティブな要素があるように思います。親が決めたことでした動けない、とか。大学という権威に頼らねばどうにもならない、とか。だからこういう時に使うレールという言葉に、どこか冷たいものを感じていました。
今思えば私はレールから落ちてはいないと感じます。私と同じ様な境遇の方々と交流する中で、私は自分自身が病気に対して「喜び」のようなものを持っているなと思う事があります。「なってよかったな」と。その一方で、同じ様な境遇にも関わらず「絶望」し「落ちて」行く人もいます。
「レールから落ちる」とは、そういう人の状態ではないかと思います。
そこに何の差があったのかは分かりません。一つ言えるのは「復活は一人ではできない」ということです。家族の支え。考え方の指針。尊敬する人。インフラ。医療。難病支援制度。友人。仲間。偉人の言葉。色んなものがあってはじめて、私は「死」という闇夜に「価値」を見出して、復活の曙光を臨むことができました。
大昔、鉄道の建設には大勢の血や命の犠牲があったと聞きます。いま私の足元には確かにレールが敷かれています。見渡せば大地を整える人、資材を運ぶ人、レールを組む人、調査する人、休憩する人、色んな人が目に入ってきます。まだまだ先は続いていないかもしれないレールですが、理想に向かって建設が進められています。「カムバック」したことで、私にとってのレールはとても熱いものとなりました。
○「カムバック」は希望を作り続ける
>日本ではどんなに優秀な人でも、一度でも失敗すると、「もう駄目」の烙印を押されてしまう傾向があるように思います。
とする茂木さんの表題は、できれば改められて欲しい日本の現状かなと思います。
端的には、よく例として取り上げられる「入試・就職失敗での絶望」があります。
先に申し上げましたように「ただ失敗を見逃す」で良いという主張ではありません。
失敗は失敗として、どんなものでも「カムバックできる」という風土になって欲しいのです。
カムバック、つまり復活です。要するに「ちゃんと乗り越えられる」という事です。それも、何か価値を見出して、手に入れて、成長して!です。
様々な哲学や、偉人の言葉に「夜明け前の闇こそが、最も暗い」というようなものがよく見られると思います。それに関連して、ニーチェは「よし!親愛なる我が心よ!不幸な目に遭ったな。その不幸を、お前の幸せだと思って楽しむことだ!」という言葉を残しています。本当の賢者なら、目の前の苦を喜べるのだという事です。なぜなら、その為に「カムバックできる」からです。新たな価値を携えて「生き返る」からだと思います。
「死ぬこと」も生命活動の一つです。人間自体は死んだら終わっちゃいますが、死んで、生きる、その流れこそ自然だと思いますので、もし何かの不幸が重なる事があっても、それは「カムバック」の為に必要な事なのだと考えられます。もしこのように思えたのならば、これほど確かな希望はないかなと思うわけです。
○安倍さんは何を乗り越えるか
IBD患者として気になることは「完治という診断は本来的にできない」という点です。
現状どのような治療が必要なのか。トイレ等の頻度や、食事の考慮などは、どの程度不自由を及ぼすのか。緊急時にはどんなバックアップ体制がとられるのか。総合的に、実際として何年も激務に耐えられるのか。
そういった事はもちろん議論されて当然だと考えます。
「本当に大丈夫なの?」というのは、患者でない人々からすれば当然の疑問です。
また、難病はなかなか理解されるものではありません。
私が罹患してから、母はかなりクローン病について勉強していました。
根菜類が元々苦手なのもあり、出さないように話をしていたのですが、それでも夕食に揚げ物や根菜類をふんだんに使った料理を並べてしまったりといったことが、結構ありました。当時私はそれに腹を立てていましたが、それもかなり理不尽な事をしてしまったなと、今では申し訳なく思います。実の息子が大病していようと、細かいところまで把握するのは難しいのです。そういったことは、余程プロが身近にいるでもなければ、患者本人が常に表現し、気を配り、できるかぎりきちんと自分でやらねばなりません。
安倍さんは「難病」というリスクのほかに「すぐに総理をやめてしまった」というイメージがついています。だからこそ、より力を付け、力を出さねばなりません。そのようにして「価値」に変えていけるのならば、安倍さんは本当に「カムバック」できたのだろうと思います。
6年前、大学生として最後の年を迎えようとしていた冬の日。年が明けて間もない頃、私は難病となり倒れました。掲示板では何度もお話させて頂いておりますクローン病に、この時罹患しました。真夜中、先輩の車で運ばれそのまま手術となりました。腹を開き、麻酔でしびれ、意識の覚束ない中で、執刀医が開腹部を思い切り引っ張るような感覚を受けたことを、今でもおぼろげながら覚えています。
当時、大学の最終学年を目前に控えていた私は、研究室の所属に悩んでいました。部活を通して知り合った教授のゼミを三年次に取っていた事もあってか、大きく評価して下さり「君の志望を待っている」とまで言って頂いた時には本当に嬉しく思いました。
いわゆるIT系の学部でした。幼い頃からTVゲームが好きで、何か「画面」「コンピュータ」が関連しているものなら何でも良いといった形で、そのままの流れでこのような学部を選択していたこともあり、私にはどこか働くにしても「ITの関連した何か」でなければどうにもならない、というような思いがありました。
大学の近くにある寮で一人暮らしをしていたことと緊急手術の為に、大学のある市の総合病院に入院することとなりました。これに重なるようにして、父が望まない転職となってしまいました。収入は激減しました。更に父は、友人が購入する車の連帯保証人となりましたが、その友人は購入をすませるとすぐに車ごと姿をくらませてしまい、結局全額を父が払わねばならないこととなってしまいました。妹の進学も重なりました。元々学生の間、私はバイトをして実家へ毎月少しずつ仕送りをしていましたが、手術・入院費用等も相まって、結局どちらにせよ四年次の学費は捻出できない事となりました。
入院中に祖父が亡くなったりと、ほんとうに「起こる時は起こる」ものだなと今では思います。不幸自慢をする訳ではないのですが、現段階で私は改めて一人暮らしを再開し、しっかりと就職も勝ち取りました。昨年、父は「保証人」としてのお金も完済しました。その友人も車ごと見つかりました。妹も無事、その後進学しました。心配していた学費も、大学側の配慮で「三年次」の分も支払わなくて良いとして下さいました。
この学費を一年分払わなくて良いという話は全く予期していなかったので、すぐに母へ電話しました。母はその報告に涙を隠しませんでした。電話の向こうでも、わかるほどでした。余程、家庭にかかる経済的な負担でプレッシャーを感じていたのだろうと思います。
様々な場面で、6年前の3月は私にとって「死んだ日」でした。しかしこうして私は今「カムバック」しています。少し時間は掛かりましたが、私は堂々と「復活した」と言えるようになりました。「何にもできることが無い」と思っていた私は「いや、むしろ退院したら何をやってもいいじゃないか!」と思いなおしました。思えば、この時が私の「カムバック」だったのかもしれません。周りがどう言おうと、私自身が納得できていることが「カムバックしたかどうか」として大事な大事な一点だと思うのです。
○安倍さんの話
表題で茂木さんが触れられている安倍晋三さんは、今や有名となりました特定難病疾患の「潰瘍性大腸炎」を患っています。
これは「炎症性腸疾患」というものに分類されます。IBDと表記されます。
IBDにはもう一つ存在していて、それが実はクローン病なのです。
ほとんど双子のような存在で、双方の患者同志で色々と交流がもたれる事があります。
その病状、注意する点、治療法、社会での悩み……
これらがよく似通っている為に、この度安倍さんが起こされた行動については、一般的な面での様々な意見とは別にして、一種独特な患者達の反応というものがありました。
私は主にTwitterでしかそのような反応を見られないので、かなり偏っていますがご容赦下さい。
一般的な反応としては「3500円のカツカレー食べて庶民感覚がない」「病気ですぐやめてたけど大丈夫なのか」「お腹痛いでやめちゃったんだろう」といったものもありました。あるニュース番組でコメンテーターが「たかが腹痛で、子供みたい」などと言ったとして、Twitterで一部炎上していたりってこともありました。
これらの反応とは別に、Twitterでフォローさせて頂いている同IBD患者の方々のご意見はまた少し違った視点がありました。
IBDは「油分」「刺激物」「食物繊維」に対して弱いとされていたり、たんぱく質の分解吸収がうまくいかずに炎症を起こしてしまったり、そしてそれが人によって違い過ぎてうまく指導もできないといった難点があります。慢性的にずっと腹の調子が悪い人もいれば、私のように5年に1度程度の割合で、突然腸の一部が固く絞られてしまい、切り取る手術を要するという患者もいます。
つまり「ごちそうはほとんど大敵」という患者が多いのです。ラーメン、からあげ、キムチ……などなど。ですから、安倍さんがカツカレーを食ったというのは結構衝撃的なことで「カツ」も「カレー」も、いったのか!?といった驚きが先に来ていました。
もちろん問題なく食べる患者も居ますし、しばらく節制して体調を整えて「イザ!」ごちそうにありつかんという涙ぐましい食生活の患者もいます。もし「年に数回しかカツカレーを食えない」状態で、それも「毎日色々と気を使わないといけない」としたなら、できるだけ高級なものを食べたくなりますよね?人情ってものです。庶民感覚かどうかは、分かりませんが……
他にも「いかにも治ったかのような振舞いは、患者としては社会での理解に偏見が混ざるのでは」といったような意見や、「あえてしっかり働ける実績を残してくれるなら、それはそれで同患者として良い指針になるのでは」といったような意見もあり、患者の中でも色々と方向性があります。
安倍さんが今回の勝負をどう切り抜けるかと勘案した中で選んだ一つの戦術に過ぎないと私は考えています。「素晴らしい治療薬が開発された」「それによってほぼ問題なく活動できる」と主張するのは、恐らく事実だと思います。IBD患者としては、全てがそうやってうまくいくと思われるのは困る場合がある、という不安が来るのです。でも、それを全て明確に説明したり配慮したりしていては進められるものも進まなくなる恐れがあります。私も、就職活動ではあえて持病を積極的に公表することはしませんでした。ですから、安倍さんの行動如何によっては「IBDに対して変な勘違いをする人が増えるかもしれないな」という心配を持ちながら、「もし自分だったら、確かに元気さアピールを先に持ってくるかもしれないな」という思いが、矛盾しているようで、同居するのです。
○本題に入ります。
私は、究極的には全ての「カムバック」は許されて良いと考えています。
ただし「誰かが何かをしても、みんな見てみぬフリで許してしまう」といったこととは異なります。
あくまでも「復活」です。復活とは、自ら生き返り、立ち上がる事を指します。
自分の足で、もう一度。それがカムバックだと考えます。
ですから、周りが「もう駄目」と烙印を押そうとも、是非戻って欲しいと評価されようとも、本当は関係ないのだと思います。何か一つを乗り越えて、また立ち上がり、そこに何らかの納得を自ら手に入れる。こうしてカムバックした人は必ず何か一つの「価値」を得て戻ってきます。ですから、全てのカムバックは許されて良いと、私は思います。
はじめに載せた私の体験の中で、私は「死んだ日」と表現しました。大げさな表現なのかもしれません。しかし、私達人間に限らず様々な物事は死んだり生きたりを繰り返しています。眠って起きて。陽が沈んで昇って。失敗して学んで。星が爆発してまた星が生まれて。「カムバックを許さない」「もう駄目の烙印を押す」ということは、その法則めいたような「死んだり生きたり」を否定しているように私は感じるのです。
三島由紀夫が言った(とされる)言葉に<治りたがらない病人などには本当の病人の資格はない>といったものがあります。ある欠陥を呈したことで失脚した人物に対して<もう駄目>としてしまうことは、とりもなおさず「復活の機会」すら奪いかねない、生命への暴力と言ってもよいのかもしれません。
私は難病になった事で、当時「レールから外れてしまった」と考えた時期がありました。IT系でしか働けない。大学も中退になってしまった。他に何も出来ない。身体も弱い。この先どうしたら良いのだろう。もう弱者として細々と生きていくしかないのだろうか。そんなことを考えたのです。
一般的に「人の敷いたレールに沿って生きる」というイメージには、どうもネガティブな要素があるように思います。親が決めたことでした動けない、とか。大学という権威に頼らねばどうにもならない、とか。だからこういう時に使うレールという言葉に、どこか冷たいものを感じていました。
今思えば私はレールから落ちてはいないと感じます。私と同じ様な境遇の方々と交流する中で、私は自分自身が病気に対して「喜び」のようなものを持っているなと思う事があります。「なってよかったな」と。その一方で、同じ様な境遇にも関わらず「絶望」し「落ちて」行く人もいます。
「レールから落ちる」とは、そういう人の状態ではないかと思います。
そこに何の差があったのかは分かりません。一つ言えるのは「復活は一人ではできない」ということです。家族の支え。考え方の指針。尊敬する人。インフラ。医療。難病支援制度。友人。仲間。偉人の言葉。色んなものがあってはじめて、私は「死」という闇夜に「価値」を見出して、復活の曙光を臨むことができました。
大昔、鉄道の建設には大勢の血や命の犠牲があったと聞きます。いま私の足元には確かにレールが敷かれています。見渡せば大地を整える人、資材を運ぶ人、レールを組む人、調査する人、休憩する人、色んな人が目に入ってきます。まだまだ先は続いていないかもしれないレールですが、理想に向かって建設が進められています。「カムバック」したことで、私にとってのレールはとても熱いものとなりました。
○「カムバック」は希望を作り続ける
>日本ではどんなに優秀な人でも、一度でも失敗すると、「もう駄目」の烙印を押されてしまう傾向があるように思います。
とする茂木さんの表題は、できれば改められて欲しい日本の現状かなと思います。
端的には、よく例として取り上げられる「入試・就職失敗での絶望」があります。
先に申し上げましたように「ただ失敗を見逃す」で良いという主張ではありません。
失敗は失敗として、どんなものでも「カムバックできる」という風土になって欲しいのです。
カムバック、つまり復活です。要するに「ちゃんと乗り越えられる」という事です。それも、何か価値を見出して、手に入れて、成長して!です。
様々な哲学や、偉人の言葉に「夜明け前の闇こそが、最も暗い」というようなものがよく見られると思います。それに関連して、ニーチェは「よし!親愛なる我が心よ!不幸な目に遭ったな。その不幸を、お前の幸せだと思って楽しむことだ!」という言葉を残しています。本当の賢者なら、目の前の苦を喜べるのだという事です。なぜなら、その為に「カムバックできる」からです。新たな価値を携えて「生き返る」からだと思います。
「死ぬこと」も生命活動の一つです。人間自体は死んだら終わっちゃいますが、死んで、生きる、その流れこそ自然だと思いますので、もし何かの不幸が重なる事があっても、それは「カムバック」の為に必要な事なのだと考えられます。もしこのように思えたのならば、これほど確かな希望はないかなと思うわけです。
○安倍さんは何を乗り越えるか
IBD患者として気になることは「完治という診断は本来的にできない」という点です。
現状どのような治療が必要なのか。トイレ等の頻度や、食事の考慮などは、どの程度不自由を及ぼすのか。緊急時にはどんなバックアップ体制がとられるのか。総合的に、実際として何年も激務に耐えられるのか。
そういった事はもちろん議論されて当然だと考えます。
「本当に大丈夫なの?」というのは、患者でない人々からすれば当然の疑問です。
また、難病はなかなか理解されるものではありません。
私が罹患してから、母はかなりクローン病について勉強していました。
根菜類が元々苦手なのもあり、出さないように話をしていたのですが、それでも夕食に揚げ物や根菜類をふんだんに使った料理を並べてしまったりといったことが、結構ありました。当時私はそれに腹を立てていましたが、それもかなり理不尽な事をしてしまったなと、今では申し訳なく思います。実の息子が大病していようと、細かいところまで把握するのは難しいのです。そういったことは、余程プロが身近にいるでもなければ、患者本人が常に表現し、気を配り、できるかぎりきちんと自分でやらねばなりません。
安倍さんは「難病」というリスクのほかに「すぐに総理をやめてしまった」というイメージがついています。だからこそ、より力を付け、力を出さねばなりません。そのようにして「価値」に変えていけるのならば、安倍さんは本当に「カムバック」できたのだろうと思います。