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希望を持つにはどうしたらいいか

10年前の2002年、村上龍さんは『希望の国のエクソダス』の中で、「この国にはなんでもある。だけど希望だけはない」と指摘しました。2012年になっても日本に希望はないようです。先日も、荻上チキさんによる『僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 』という本が出版されています。
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掲示板へのコメントでも述べましたが、今の日本人にとにかく必要なのは、「希望」だと思います。国民総幸福(Gross National Happiness)も大事だけど、国民総希望(Gross National Hope)こそがさらに大事なのだと思います。では、この国民総希望をどう増やしていけばいいのか。ぜひみなさんにご意見をうかがいたい。そもそも「希望とは何か」といった抽象的な議論から、「こういうことをすると日本人はもっと希望を持てるようになるのではないか」といった具体的で建設的な提案まで、いろいろな切り口でご意見をいただければ幸いです。たくさんの書き込み、お待ちしております。

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NO.162012-12-16 11:15:32 masami 10
Orcamieさん

思い切って書いてくださってありがとうございます。

私も赤毛のアンが大好きで、何度も読んできました。

今日、投票を前にして、アンの政治や選挙に関係のある個所を思い出していました。
リンド夫人が支持政党の話をする場面があったような。
特に印象的なのはマーシャル・エリオットが、支持する政党が勝利するまで剃らないと誓い、長く伸びたひげをひるがえしていたけれど、15年後に支持政党が勝利して、ひげを剃ってあらわれた場面。

支持政党について、政治について、普段の生活の中で話題になる日常の積み重ねによって、民主主義が完成に近づいていくのかな。と思いました。

このような日常が生まれるためには、茂木さんが連続ツイート「新聞に未来があるとすれば」の中で、

「新聞には自分の立場を明らかにする権利があるし、ある意味では義務もあると思う。」

と書かれていたことは、本当に大切だったんだ!と今頃気づきました。


「絶望にしろ、希望にしろ その真実の姿を見極めることが大事だなと感じています。」

とOrcamieさんが、諦めずに丁寧に考え続けられて、最後に書かれたこの言葉に重みを感じました。
そして、真実の姿を見極めながらも、常にそこには自分も含まれていることを感じられるようでありたい、と思いました。


それから今日は投票日なので・・・
先ほど私も投票に行ってきました。私自身が誰かと議論する自信がなく、何も政治の話をしてこなかったという思いがあったので、ちょっと勇気を出して、義父にどこに投票するか聞いてみました。そうしたら、予想と違う政党名を言いました。80歳過ぎても考え方を変えられる、と今回の選挙結果にちょっと希望を持ちました。

NO.152012-12-16 09:25:28 茂木健一郎 10
投票に行ってまいりました。これからの日本に、希望を託すために。

NO.142012-12-15 20:25:06 茂木健一郎 5
orcamieさんも、赤毛のアン、好きなのですね。 Anne of Green Gables, いっしょに読んでいきましょう。Jane やEmilyについても、連載中触れる予定です。

NO.132012-12-15 19:02:27 orcamie 15
希望も絶望も 望の字は同じなんだなと気がついて
No.7ryosuke85さんの
希望と絶望は一体性があると言うのをなるほどと感じています。

私は昨年の311の大地震による原発事故で絶望しました。
日本という国とそれを許してきた自分になんですが
それでもそこでうちひしがれるわけにはいかないので
一番私は何をしたらこの絶望を希望に変えられるかと
知らず知らずに何かを探し求め

そして去年事故後 これだけ原発を推進してきた背景に
エネルギーとして原発にたよる事がいろいろな面でメリットがあったこと。
それでは再生可能エネルギーはなぜだめなのか。
と言う事をいろいろ自分になりに調べ始めました。
それで、かなりのリスクがありながら原発を許してきた日本の政治のあり方にやっぱり失望し
その片棒を私も担いでいたのだと言う事で失望したのでした。
去年から本当にがっかりしてばかりで それでもなんとか希望のかけらがないだろうかと
一生懸命暗中模索する私がいるのです。
今からでも遅くない、再生可能エネルギー100%の国を目指すのになにが必要なのか。
反原発の政治家を私は選びたいし
多くの人に選んで欲しいと思った時に
日本の選挙の仕組みがまだまだ民主主義を実現するのに
改善すべき点がたくさんあること。
選挙で立候補するのに比例との並立に600万円の供託金が必要な事。
金持ちしか立候補できないじゃん!と怒り。
既存の政党交付金がもらえる所が有利じゃん!と怒り。
しかも現首相をリコールする方法ってないのかなって調べたら無いのですね。
今まで無関心をすごく後悔しました。
ネットで首相をリコールする方法を探していた人は
私だけではなくてかなりいましたね。
先日、テレビをつけたらたぶん阿川さんがおっしゃっていたのですが、
亡くなった政治評論家の三宅さんが、民主主義は完成させるのに
長い長い時間が掛かる。しかしそれだけ長い時間を掛けても手に入れる価値のあるものだ。
(すいません。始めからちゃんと見ないでしかもそこですぐ終わってしまったので不正確なところがあるかもしれません。)

そこで気がついたのが
どんなに絶望しても その絶望の真の姿を知る事はとても大切な事だと。
そこで、たぶんドイツの事だと思うのですが
エネルギーのような文明に必要なものはなるべく多くの人が
直接関わるような運営をしていかなければ
民主主義的な国として存続できない。
と言ったような事が話し合われていて
エネルギーの管理を、ある会社や政府に任せきりにするのは止めようということを
決めようとしているらしいのです。
こちらの記事も見失ったので正確な所をご紹介できないのですけれど。
(重ね重ねすみません。)
日本の民主主義はまだまだ未完成なんだとわかった時
少しほっとしました。
民主主義って普通選挙が実施できればいいってものじゃないんだ。
もっともっと工夫がいるんだということ。
おそらく民主主義は果てしなく続く平和と愛を構築しようとする動きであって
その仕組みは 世の中の変化に応じて 変わっていく必要がある。
とこんな具合に 私は自分の国に対して思い始めています。

前回の投稿でポイントいれていただきありがとうございます。
茂木さんにも褒めていただきうれしくなりながら
次にここに書き込むのは少し勇気が要りますね。
また前回紹介した語学学習サイトのbusuu.comは
どちらかというと語学学習コミュニテイという感じです。
毎日いろんな国の人とチャットやらメールのやり取りが可能です。
それでナンパするひともいるので気をつけてください。
今日私はドイツの人とチャットをしましたが
彼女が 日本人は本当に勤勉だと褒めてくれたので私は素直にうれしかった。
ドイツの人も働き者ではないですか。と返事をしたら、
彼女はみんながそうではない。でも多くの人がそうありたいと努力していると
返事が帰って来ました。
こういう謙虚さって大事だよなと思いました。

そして『死』についてですが
私はがんを患い認知症になり亡くなった父を介護して
かなり死というものに絶望していたので
「人間らしい死」(シャーウン・ヌーランド)という本を読みました。
始めは 人間らしい死=安らかな死 を期待して読んだのですが
これがまた、大変読むのが苦痛の本で結局全部読むのに1年かかりました。
ガンや心臓病、認知症など人間が死に到る病の実際の症例をもとに病状を交えながら
どのように死をその人が迎えたのかと言う事が書かれています。
1度読んでから気になる度に何回も開いて読み直しています。
作者は医師であるので非常に冷静な目で書かれています。
そこで私が悟ったのは 安らかな死を迎える人は
大変幸運な人だという事です。
死を前にした時に人間は1匹の動物として立ち向かうしかなく
そこには医療なんて 大変ちっぽけな存在だという事です。
ただ、死を迎えるとき人間は動物になるのだ。
と思ったとき何となく納得している自分がいました。
地球をさんざん汚して勝手に使い放題の人間も
最後は動物に戻っていなくなるのはある種の恩恵かもしれない。
と私の勝手な哲学は悟りました。
だから安らかに死ぬと言う事はそれほど大きな問題ではないのかもしれないということ。
できれば死ぬ時は楽に死にたいと思う気持ちは捨てがたいです。本音です。
どんなに苦しくても死は必ずやってきて無になる事ができるし
その苦しみも終わる。生きている間は苦しくても最後までじたばた生きよう。

それからもうひとつ。
茂木さんが今赤毛のアンを紹介してくださっているので
実は「赤毛のアン」は私にとっても愛読書であり
今も本棚の一番上の棚に全巻村岡花子さん訳で飾ってあります。
私はきっと何回もこの本を読んでいます。
それで思い出したのが確か原本を買ったのにどこに行ったろうか
と言う事で押し入れのを整理したら「Anne of Green Gables」をみつけました。私も原本を読みたいと思いつつ途中で投げ出してしまったのを今またよんでいます。気がつくと私は女性を主人公にした物語が好きです。自分も女性ですので。若草物語にあしながおじさん、ヒルクレストの娘たち。モンゴメリの丘の上のジェーンやエミリーシリーズも大好きです。
物語を読むと主人公が絶望したりした時にどう次に行動したかが
書かれています。
客観的に絶望の正体を見る事ができるような気がします。
絶望にしろ、希望にしろ その真実の姿を見極めることが
大事だなと感じています。

NO.122012-12-12 09:54:45 茂木健一郎 5
みなさま、書き込みありがとうございます! みなさまの「希望」のかたちが、見えてまいりました。

NO.112012-12-11 17:46:51 Tomoikukai 24
私は、平成元年より大田区南馬込にある善照寺というお寺で、お盆とお彼岸には、敦賀から出かけていって、お参りのお手伝いをしています。その善照寺では、ラオスのビエンチャンの近郊、バイハイ村に、小さな小学校を建てて、学用品の提供や学校の保守、修繕を長年にわたって、手助けしています。私も、2010年の3月、東南アジアの英語教育の現状を知ろうと、学用品を持って、この学校を訪ねました。その小学校には、若くて可愛い、女の校長先生がいました。学校の先生は、皆んな英語が喋られないので、英語は教えていなかったのですが、英語に対する憧れは強く、拙い私の英語にさえ、真剣に理解しようと耳を傾けてくれました。私は、今なら英語の紙芝居を持って行って、子供達に読んであげられるのにと思ってしまいます。私が読んだ紙芝居に触発されて、英語熱に火が付き、子供達が、世界中で活躍できるような大人になっていったら、と想像すると、胸がわくわくします。私は、いつの日か、再び、この学校に出かけていって、子供達と英語でおつきあいが出来るようになるよう頑張ろうと思っています。

その時、ビエンチャンのホテルまで迎えに来てくれて、バイハイの小学校に連れて行ってくれたのが、板橋区でベトナム雑貨を扱っている、ホンム・ソンパディーさんと、カナダに移住して、ラオスの発展の為にラオスとカナダを往復しながら、ボランティアをしているジャック・シューさんです。この人達には、学校を援助してやっているという雰囲気は全くなく、先生や子供達とも友達のように接していたのが、印象的でした。思えば、私が、教育において、「等高目線」を特に強く意識し始めたのは、この頃からだったように思います。この何ともいえない優しさを感じる人間関係は、私が以前、青年海外協力隊員として活動した、上下関係意識の強い、バングラデシュの人間関係とは、かなり違った雰囲気を醸し出していました。

そして、この雰囲気は、次に訪ねた、ルアンパバンではさらに強く感じることになります。このルアンパバンは、ラオスの京都とも呼ばれ、寺院が多く建ち並ぶ古都です。たった、二泊三日の滞在だったので、僧侶達の日常を詳しく窺い知ることは出来ませんでしたが、その、おおらかな立ち居振る舞いは、接するものに、幸せと、安らぎを感じさせるに十分でした。人々も穏やかで、ドロボーとかの犯罪のニュースは、絶えて無いということでした。(首都、ビエンチャンには、たまにドロボーがでるようになったそうで、経済発展は何処でも、人の心を壊してしまうようです。)私は、このルアンパバンに、協力隊のシニア隊員として来ている、大西信男氏を訪ねてやって来ました。滞在二日目、彼が勤める農業専門学校の同僚の家で、子供の誕生パーティーがあるというので、私も是非にと誘われ、喜んで招待を受けました。御馳走は日本のように華やかではありませんが、全部手作りで、ちょうど、懐かしい日本の田舎料理のようなものでした。中には、英語を喋られる人もいて、ビールを飲んで、とりとめのないことを喋りながら、本当に心の安らぐひとときを過ごすことが出来ました。ルアンパバンでは、こういうパーティーを三日にあけず、あちこちでやっているそうです。そういえば、遠い昔、お祭りや何やかやと、親戚や知人が多く集まり、大人は酒盛りをしたり、自慢話をしたり、時には、口論もあったかもしれない。子供達は、トランプや、カルタ、百人一首の坊さんめくり、最後は、はしゃぎながら家の中を走り回って、よく叱られたものです。ラオスのパーティーは、その頃の日本の人間関係を思い出させてくれるものでした。そして、その帰り、私は、パスポートや財布、その他大事なものを全部入れた小型のバッグを、椅子の背もたれに懸けたまま置き忘れて帰ったのですが、誰かが追いかけて来て、あなたが忘れたのではないかといって届けてくれました。これが、インドであったらそういうわけにはいかなかったかもしれません。(インドの皆さんゴメン。 日本でも、先日、トイレから出て、エスカレーターに乗っていたら、後ろから男の人がやって来て、私が使ったトイレに財布が置いてなかったかと、青ざめた顔で聞いてきました。その人は、財布を忘れて、すぐ取りにいったのですが、もう無かったそうです。可哀想)

私は今、Tomoiku プロジェクトとして、小さな子供達に英語の紙芝居を読んであげる準備をしています。子供達は、私が日本人だと解ると、どうしても日本語を話すように期待してしまうと思うので、日本語は理解できるけど話せない振りをしようと思っています(Shioi-Moony method Blog; englishinotera)。その為には、シンガポールのお坊さんに変装するのがいいと思って、協力隊の知り合いに黄色い衣を送ってくれるように頼んでみました。でも、なかなか手に入らないみたいで、焦ってる私は、今度は、ラオスで知り合った、あのホンム・ソンパディー さんに頼んでみようと思いました。板橋区の事務所に電話をすると、ホンムさんの奥さんが出られて、「それなら、私が、近いうちにシンガポールへ行くからその時買って来てあげる。」といって、後日、ラオスの衣を送って来てくれました。ラオスの衣(糞掃衣)は、黄色じゃなくて、朱色でした。しかし、今度は、この衣の着方が解りません。また、ソンムさんに電話して、今度は、神奈川県にある、ラオス文化センターという所を教えてもらいました。

12月5日(水)中央林間の姉の家を出て、母(87才)と二人で、厚木に向かう246を通って、ラオス文化センターへ行きました。ラオス文化センターは、愛川町にあるのですが、途中少し混んでいたせいもあって、行くのに一時間程かかりました。そこは、想像していたのとは違って、文化センターというよりは、普通の民家を改造した、小さな寺院でした。そこには、ラオス人の僧侶が三人住んでいて、そのうちの一人は、そこの住職で、20人程の僧侶を抱えるオーストラリアのブリスベンにある寺院の住職も兼ねているということでした。私は早速、ラオスの糞掃衣を着る方法を教えてくれるように頼んだのですが、住職は、私を一目見るなり、「貴方には、教えられません。なぜなら、貴方は俗人だからです。」といわれてしまいました。「でも、私も、小さいけれど、福井県にある寺の住職ですが」といってみたのですが、かれは、「日本の僧侶は、家族も持っているし、肉も食べる(肉大好き)。そういう人は、東南アジアの仏教では、俗人というのです」と言われてしまうと、返す言葉もありませんでした。それでも、私がしょげていると、「お寺の中だけで着ることを条件に、糞掃衣の着方を教えましょう」と言ってくれました。それで、とにかく、着方だけは、知ることが出来ました。

糞掃衣の着方を教わって、お礼を言って帰ろうとしている所に、二人のラオス人とおぼしき二人の婦人が入ってきました。この二人は、日本語がわかるので、私は挨拶してから、私がやって来た目的を話しました。彼女達は、この寺院の檀家さんで、月に一度、教えを聞きにやってくるそうです。住職とは、やはり、ラオスで経験した、あのフレンドリーな態度で接していて、勝手に台所に入っていって、私と母に、ラオスのコーヒーを入れてくれました。その立ち居振る舞いは、優しさのオーラが出ていて、こんな人と結婚した旦那さんは、一生幸せだろうなと思えました。(私は今幸せかって? ムム・・・)私の記憶では、ずーっと昔は、日本人にもこんな優しいオーラが出ていて、仲良し家族が多かったように思います。

神奈川から帰って、私は今、ラオスの糞掃衣を着て英語の紙芝居をすることは、諦めています。
こんな俗人が、あんなに優しいラオスの仏教をけがすことになるからです。でも、完全に諦めた訳ではありません。私たちは今、敦賀の国際交流会館で、毎週金曜日午後一時半から三時半まで  First name gatheringという英語で話す国際交流をしています。(興味があったら気軽に来てください。誰でも大歓迎です)その中に真ちゃんという人がいるのですが、その奥さんが以前、三越のオートクチュール部門で働いていて、今は、敦賀で、夢工房という小さな仕立て直しのお店を開いています。私は、こないだ、そこへラオスの糞掃衣を持ち込んで、衣風のドレスに仕立ててくれるように頼みました。奥さんは、早速、来年の初仕事としてやってくれることになりました。それを着て、先ずは赤崎小学校で初仕事!(赤崎小学校では私が日本人だと言うことは、もうバレているけど、いいさ、かまうもんか!)

そうそう、お題は、「希望を持つにはどうしたらいいか」でした。やっとこれからそのことについて書こうと思います。

先週の日曜日に、通訳ガイドの二次試験が、京都の国際会館でありました。その、面接を受けるまでの雰囲気は、まるで、受験者というよりは、受刑者のような気分でしたが、面接官は、フレンドリーな人達でその人達との会話は、楽しいものでした。その面接官の質問の中に。「日本人はよく、本音と建前があると言われますが、どういうことだか説明してください」というのがありました。私は、日頃、そのことをよく考えているので、ラッキー!と思いながら答えました。

「日本人は、昔は、本音も建前も利他的でした。建前は儒教文化から来ているので、形式的に利他的です。しかし、本音は受験勉強とかで、人と争うことばっかりやっていると、どんどん利己的になっていきます。それで今の日本人は、二つの人格を持つようになって、外国の人からは信じてもらえないようになりました」

と答えました。そう、あのラオスや神奈川のラオス文化センターで感じた、優しさのオーラは、本音からくる利他愛なのです。それに対して、日本で感じる、お金によって得られる優しさは、建前の利他愛なのです。それを見分けるには、本音の利他愛を感じることが出来るセンサーを持つことで、それは、語学の神様が子供の心に宿るように、やはり大人になる前に獲得する能力のように思えます。

私は、先の投稿で、大方の日本人は、育った環境によって本音が利己的になってしまったと書きました。そして、他人から見ると、自分自身が利己的か利他的かはよく見えるのですが、人からどういわれようと、自分が利己的であるかどうかは、なかなか見えてこないようになっていると思います。しかし、この、自分が利己的なのか、利他的なのかは、夢や希望を持つということにとっては、非常に重要な問題だと思います。つまり、利己的な人の持つ夢や希望と、利他的な人の持つ夢や希望は、全く逆の場合が多いということです。利己的な人の夢や希望を突き詰めていくと、結局豊かで贅沢三昧、ローマ帝国のネロのようになりたいと思うだろうし、利他的な人の夢はマザーテレサのように生きるということになっていくと思います。実際の生身の人間は、その狭間で揺れ動くのでしょうか?

だから、私は、結論として、既に利己的となってしまった人は、夢や希望は小さめに。小欲知足を旨として生きていってほしいし。幸いにも利他的に育った人は、夢や希望はどんどん大きくして、大欲(凡ての人を救いたいという欲)をもって、活躍していただきたいと思います。

それじゃ、社会のせいで利己的になってしまった人は浮かばれないって思うでしょうけど、利己的な人がこのままどんどん夢を追い続けたら、この泥舟日本は、あっという間に海の底に沈んでいくというのが現実の姿です。ここは、小舟をいっぱい作って、そこに幼子を乗せて、大海原に船出させてやろうじゃありませんか。私は、その子達が、世界中の人達から見守られて(利他的環境の中で)すくすくと育って、新しい日本を作ってくれることを夢見るだけで、今、希望を持って生きていけます。・・・また、死んでもいけます。

NO.102012-12-11 02:55:52 trasque 19
希望はどこにあるのか。
私は「一歩進もうとする」その中にあると考えます。
その為に「自分のものさしを持つこと」が必要だと思うのです。


●生きる為の希望とは、あやふやなものではない

希望という言葉にはいくつかの意味があります。hopeだったり、wishだったり、wantだったり。私達がここで議論し探りたい希望とは何なのでしょうか。考えていくと、どれも当てはまるように感じます。

「私は、ナットー・スシを希望する」
と言えば、単に納豆巻を欲しがる姿です。
「私は生きる希望を見出せない」
と言えば、何か生きる為の筋のようなものを見つけられずに苦しむ姿に見えます。

私は、ここで議論されるものとしては、後者の方かと考えております。最も近い英単語はhopeになるのでしょうか。また別の表現があるのかもしれません。

しかし、そうして考えているとどうしてもどこかその希望というものがあやふやなもののように感じられて、これだと言えないような、雲を掴む話になってしまいます。
私はもっと、希望とは確固たるものだと思うのです。


●「希望を持てる才能」など存在するのか

なぜ、希望を持てる人と、希望を持てない人が出てくるのでしょうか。そうでなければ、国民総希望のような比較は表れません。希望とは、ある種の才能なのでしょうか? その人を取り囲む環境で、得られる得られないが決まってしまうのでしょうか?
もし本当に、希望が「結果として得られる資格のない人がいる」ものとするならば、これほど絶望的な話はないじゃないかと私は感じます。あまりに無慈悲だと、むなしい気持ちにさえなります。

ここで私は「違う!」と叫びたくなります。
「希望を持てる才能」「希望を持てる状況」といったものにNOと言いたいのです。どんな人であろうと、どんな状況であろうと、確かに人間は希望を持てるはずです。でなければ、絶望しかないからです。そうすると、何の為に生きるのかを問えなくなってしまいます。

言い換えれば、どんな自分であってもどんな状況であっても、最後の最後、根本の根本の部分で「俺は生に満足できる!」と思えることが、希望ではないかと思います。
人生において、何も起こらないことほど不自然な事はありません。何かが起こり続ける事こそが自然であり、生きていることですから、その中でさえ「大丈夫だ」と心から思えるかどうかが希望だと思うのです。
そしてそれは誰かが用意してくれるものではありません。


●何があろうと大丈夫だ、という精神を持つ為に
 <現実から理想>までの全てを受け止める

「希望とはもっと確固たるもの」
「どんな人間であれ持てるもの」
と私はここまで考えを述べました。

何が起ころうと大丈夫だと思える精神というものがどのようにして実現されるのかは、そう簡単な話ではないのかもしれません。言えることは……個人の差こそあれ、観念だけで済むものでもなければ、ただ突っ走るだけで済むものでもないという事です。

私はかねてより自らの病について述べる事がありました。あえて自ら申し上げますが、私はこの病の患者の中では希望を持っている方だと思っております。
一つの例として、同じ様な状況でも、希望に溢れる人と絶望に打ちひしがれる人とがいます。そういった場面はたくさんあると思います。
私とほぼ同じ様な状況にありながら、この先に迷いしか感じられずとてもじゃないが希望などと言うこともできないという人もいます。

なぜ、そのような差が出るのでしょうか。
私は不思議とこの病の状況にあって「それでも満足する生を、送っていける!」と思えます。また、思いたいとも同時に考えています。
No2でterurunさんが仰っているように、私は病状の一つをとってみても「こうなりたい!」といった「問題からの脱却」を熱望している所があります。
それはとても「現実的な問題」です。具体的であり、切実です。時に苦しく、何かを呪いたくもなるような切羽詰った問題に対し「俺はこうなりたい」という<希望=ここではwantに近いでしょうか>を持っている訳です。

私の理想の一つは「病の完治」です。
しかし、特定難病疾患という種類である以上、もしかしたら一生の付き合いになるのかもしれません。理想と現実がどうしても相容れないとも言えます。
ただ、現実的な問題でこのようにもがいているうちに、私の中には「病になっていなければ、こんなことすら考えなかったな」といったような体験が得られたことも間違いではありません。
そうこうするうち「病の完治」という理想も、もっと凄いものになっていけるのではないかと考えるようになりました。
病が例え完治せずとも、それでしか得られない体験を価値に変え、自分で手に入れられるようになったとするならば、それはより素晴らしい理想とも言えるのではないでしょうか。

私は人生に「この病が必要だった」とほぼ確信しています。もちろん、色んな哲学や先人の教え、周囲の手助け、日本の制度の状況などなど…… これらがあったからこそのものに違いはありません。
ただ間違いなく、このような現実的な問題にぶつかっていくという地道な生活の中に「自分にしかない体験」が存在していました。色んな自分や周囲の状況という<今>をすべてひっくるめて「そこから更に一歩先」へ行くにはどうするのか、という連続闘争に乗っているうちに、いつのまにかそれらが「価値」に変わっていったのです。


●「それはお前の状況が良いからだ」という迷い

もし私に近い状況の人が居て、その人が絶望している時、私の話を見ているうちに「それは自分と違って、お前のあの部分の状況が良いからだ」と比較することがあるかもしれません。
確かに私は同病患者の中では現実的に恵まれている方だなと考える事もあります。しかし、例えば乙武さんの活躍を見てさえ「彼の方が状況が良いから、あれだけ凄いのだ」などと言うことは私にはできません。

つまり、結局「比較など意味が無い」のです。
それをすることは巡り巡って上記で触れた「状況によって希望を手に入れられなくなる」と叫んでしまうようなものです。
誰かと比較をして、それに満たされなければ自分に希望がないとするならば、何も変われるはずがありません。
<今>そのものからどこか一歩!を進もうとするかどうかは、完全に本人の勇気に左右されます。自分にしかできないことです。そこに「誰か」との比較など意味があるのでしょうか。
進むための力として、励ましとして「誰か」を見たり、話をしたりといった事は有効だと思います。「自分の一歩を進めるため」のものだからです。
その一歩を進める為には「自分にはなんて状況が悪いんだ」と思う事もあります。それでも、やれるはずなのです。その最後の勇気を出すのは他ならぬ自分の心であり、それが最も難しく、それでいて最も簡単な事だからです。

有り体に言ってしまえば、赤い色を思い浮かべるとか、次に青い色を思い浮かべるとかいう程度の自由さで、勇気を出そうとすることはできます。でも、それを本当に行動に移すかどうかはとても難しい、という事です。他人の状況など、関係ないのです。


●「一歩進むために必要な事」をリアルに捉える

そうは言ってもこのままだと単なる熱血精神論です。
一歩を進めるためには必要な事がたくさんあります。
私にはお金が必要ですし、そのために仕事もします。
難病への救済制度がなければ経済的に立ち行きません。
これらを相談できる身近な人もいます。
親族も理解があり、みな仲良くやっています。
友人にも恵まれています。
そういった状況から「更に一歩」を進めるかどうかが大事なのです。常に、どこまでいっても「更に一歩」です。お金を増やすのか。仕事を変えるのか。難病の制度に意見を出すのか。相談する人を見つけるのか。親族ともっと語り合うのか。友人に手助けを求めるのか。どの部分を進めるか、どのように進めるのかは、その時になってみなければ分かりませんが、進める為には「今の自分」をリアルに細かく捉えていなければなりません。
生活のためにはいくら必要なのか、といった論理的な考え方ができないからです。


●そして「どうしたらいいの」に立ち向かう

現実を把握して気合を入れたはいいけれど、じゃあどこに向かっていけばいいのかに迷ってしまう、ということがあると思います。旅には地図が必要なように、物事にはすべて「基準」が必要です。
私達が陥りやすい過ちとして「自分を基準にしてしまう」という事があります。基準とはものさしのようなものです。ものさしにはまず間違いのない目盛が入っています。この目盛がいつも1ミリと1センチの目盛だからこそ、私達はこのものさしを疑うことなく使い、指針にするのです。
地図には地図のルールが守られていますし、温度計も気分で変わったりしません。基準とは「変わらないもの」ですから、常に変化してしまう自分の心を基準にしてしまうのは、危険なのです。

自分の心と基準を常に照らし合わせる。
これができるから「次の一歩」がわかるのです。
その基準とは「次の一歩」の為に必要な知識かもしれないし、また別のものであるかもしれません。

そして最も根本的な「生きる為の基準」は確かに存在するはずです。それが哲学であったり、古典から得られる普遍性であったり、人によっては信仰であったり、するのだと思います。
それでもそのような「生きる為の基準」が、もし間違っていたら大変なことです。20度と間違って表示されている熱湯に手を入れてしまえば大やけどをします。だから、照らし合わせて「一歩」を踏み出していく中で行動をし結果を出して証明を繰り返していく他ありません。
そのような体験を語ったり聞いたりすることが必要ですから、人間は絶対に「一人になってはいけない」のだと思います。


●希望が無いように見えるのは「希望を知らない」から

No2でterurunさんが仰いました。
「日本はまだその苦しみにまで到達していないから、希望を得ようとしないのではないか」(要約してすみません

私は少し、それは違うと思います。
確かに「苦しみがある → 希望を求める」は成り立ちます。
しかし「希望を求める → 苦しみがある」は必ずしも成り立ちません。

どれほど順調のような人物でも悩みがあります。
「更に一歩」に終わりはありません。
人生が輝いているような人でさえ、希望を持とうとします。むしろ、そうした人は希望で満ち溢れています。
いつだって「更に一歩」を踏み出せると確信していて、それをちゃんと実現できると思える。これこそ希望ではないでしょうか。
例えば金銭的に順風満帆な人が、もう何も「進まなくて良いや」と考えていた時、たとえ生活が豪華であっても、その心根そのものが一つの苦しみに成り得ると思います。(本人にはその時自覚がないかもしれませんが)

先の私の話で「同じ状況で希望を持つ人と絶望する人」がいるとしました。それは苦しみの差なのでしょうか?同じ状況なのに、苦しみに差が出ることはあるのかもしれません。しかし希望を持つかどうかの差は、「一歩を踏み出す」ことと「基準と向きあえる」こととで得られるもの、を知らないからではないでしょうか?


絶対にどこか進められる一歩があるはずなのに、それに気づけず諦めたままとなってしまう。
進みたいのにそれを判断するための地図も磁石もなく、ただただ暗中模索となり恐怖してしまう。


希望を持てない日本があるとするなら、彼等は「知らない」からだと私は考えます。哲学を知らない。普遍性を知らない。信仰とは何かを知らない。 ……考えようとしない。

No8でのterurunさんが仰るように、身近な問題を解決していくという、「現実を改善していく」ことが希望だという点で同意します。
その為に必要な基準を持たねばなりませんし、それらは結局ひとりひとりの「一歩前進」の集合に他ならないからです。


●現実を一歩進められるとの確信が希望につながるのなら
 希望の下地にはキレイなものも汚いものもある

No3 ryosuke85さんが「許容」と仰っていました。
「絶対に一歩を進められる」という希望を実践する為には、今という自分を取り巻く状態を把握し、それを基準と照らし合わせる必要があると述べました。
そうすると、どうしてもきらびやかなものだけではなくなっていきます。terurunさんが「希望というと美しい言葉であるが……」と仰るように、とてもリアルな話になっていくのだと思います。
しかし、人間はどういうものかという基準を知らなければ、人間なら必ず備わっているはずの、一見悪い部分を許せなくなってしまいます。一旦は恐怖を認めよう、ただし打ち克とう!という風になれないのです。希望がありませんね。
様々な「一歩」を試して経験を積んでいくうちに許容できるようになるというのは、その人がある種の基準を手に入れた証明になります。それは希望の下地に、人間の美しい部分も、醜い部分も、一度は直視しなければできないものだからです。


●一人にならない為に

「絶対に一歩を進められる」という希望を実践する為に、様々な基準と照らし合わせる中で、それが本当に間違っていないのか不安になることがあります。
また、自分の知らない基準とどのようにして出会うのかという問題もあります。いま、日本に住む人達の多くはどこか孤独ではないかと思うのです。
tomoikukaiさんのエピソードのように、お寺にご家族で相談に来られるなどの例も含めて、それぞれがふたまわりくらい大きなコミュニティを持っているかどうかというのはとても重要な要素だと感じます。
家族もいない、家族しかいない、限られた友人しかいない、というのはまだまだ孤独ではないかと思うのです。
「生きる為に必要な精神」という基準を同一に持つ、同志のようなものの存在がたくさんいるという状況は強いと思います。私は、そういった面で信仰には役割があるのだと感じる事があります。非常にわかりやすい「基準と自分を照らし合わせる行為」だと思うからです。
だからこそ間違った宗教は本当に怖いものになってしまいます。現実の中にある事を絶対に忘れてはなりません。私達人間の為に宗教があるのであって、それが逆転していてはおかしいのです。
ある基準に沿った実践は結果として残ります。だから「全ての苦悩はある種の価値に成り得る」のです。私が病に対して、ある基準で行動を起こした結果が良ければ、それはまた誰かの勇気になるかもしれません。その体験や結果を、語っていこうとさえ思います。もし結果的に、病の完治等の理想が叶わないにしても、私が「常に一歩前進できると希望を持ち続けた」という姿を実現できるなら、それはまた誰かに引き継がれていくものだと思います。

tomoikukaiさんはお寺に来られた方々に様々なお話をされていることと思います。宗教的な教義や宗派的なことは私にはわかりませんが、「実践する宗教者」が語る話についてはとても現実的なもので、ただ観念を振り回すものではないと考えます。
ですから、tomoikukaiさんが語り、それを同じコミュニティの中で聴いた方が広げているであろう流れは、様々な人の勇気になっていることと思うのです。それが「いざ一歩」につながり、結果として希望となるのではないでしょうか。

地域社会や、宗教というものの本来の役割は、こういったところにあると思います。もっと「一人にならない社会」に近づくために、まず私は色々な方法で(ボランティアですとか)地域に入っていきたいと思いますし、微力ですがちょっとずつ実践しています。


●死の問題

長くなりました。
私はこれまで長々と「どんな人間でも希望は持ち得る」ことを伝えんと述べてきました。人間は平等ではありません。常に理不尽でさえあります。それでも、生命の働きは同じ…… というより、どんな人でもあらゆる人間の要素をちゃんと備えています。
死という誰にでも訪れる最後の課題は、そう簡単に解決できるものではありません。若輩の私が述べるにはあまりにも大きな問題だと感じます。
最後の瞬間にやってくる壮大な空しさを連想させる死を前にして、私達は何に希望を持とうと言うのでしょうか。
結局何をしても平等に訪れるものであるのなら、いっそ希望など苦しんででも手に入れるようなものではないのかもしれません。

私の好きな漫画作品に「ジョジョの奇妙な冒険」というものがあります。(まさに今アニメ化してますねッ!!)
その第五部にとある若いギャングのキャラクターが登場します。彼は以前、純粋な正義感から警官をしていましたが、次第に様々な世の汚さに絶望してしまったのです。
その中で殉職してしまった相棒の警官が夢に現れ、せっせと無謀な証拠集めをしている姿が映る場面があります。その夢の中で、相棒の警官に彼が質問をします。そんな報われそうもないようなことをしてまで、どうして苦労をしょっているんだ?と。

ここから引用します

「そうだな… わたしは結果だけを求めてはいない。
 結果だけを求めていると人は近道をしたがるものだ…
 近道した時、真実を見失うかもしれない。
 やる気もしだいに失せていく」

「大切なのは<真実に向かおうとする意思>だと思っている。
 向かおうとする意思さえあれば、たとえ今回は
 犯人が逃げたとしてもいつかはたどり着くだろう?
 向かっているわけだからな。違うかい?」

私はこの作品のこの場面を、当時ジャンプで連載していた時に読んで以来、強烈な印象を受けてずっと覚えていました。
この後、この元警官のギャングはこの相棒の警官を、自分の保身の為に殉職させてしまった事を思い出します。この夢は、ギャングの彼がまさに死に瀕している時に見たものでした。
しかし彼は死に際、仲間のギャングに大事なものを確かに残す大きな仕事を成し遂げていたのです。

「おまえはりっぱにやったのだ。
 そして、おまえの真実に<向かおうとする意思>は
 あとの者たちが感じ取ってくれているさ。
 大切なのは… そこなんだからな…」


死が例えとても空しいものであったにせよ、それまでに「進み続けた一歩」は残ります。そうして得られた価値は、誰かの希望として残るかもしれません。どれほど壮絶な死であろうと、それまでの歩みに価値があるのなら、それは幸せであると言っても良いのかなと思います。
いまだ私は死を恐れることがあります。それでも、そのようにして「死さえも価値に変えられる」のかもしれないのなら、今からその時が楽しみだな、とさえ考える事があります。
恐らくこれも、進み続ける意思さえ忘れなければ、誰であろうと実現できるもののはずです。


●希望を増やしていくために

日本に希望が足りないのだとするなら……
私は以上から「まず私が私の一歩を踏み出し」ます。
その為の基準を得るために「学ぼうとする事をやめません」。
そしてそれを「常に実践しようとし」ます。
得られた体験を「様々な人と語り合う」機会を作ります。

どこまで出来るかはわかりません。

この掲示板も含め、今回の総選挙の件もそうですが、日本では語ることを恐れる人達が多いのではないかと思います。語る人の人格を必要以上に攻撃してしまう人達が多いのではないかと思います。
それはryosuke85さんが仰る「許容」ができないからだと思います。許容する為には、どんな人間にもあらゆる人間の要素が備わる事を示さねばなりません。それは悩みや苦しみを克服しようとする行動と結果から証明されます。
ですので、terurunさんの仰るように「更に苦しむ事」も個人としては必要だと感じています。
「テキトー」になってしまう世の中に、もっと真剣味を持たせるためには死の問題へ積極的に挑めるようにすることだと思います。masamiさんが仰るように、つきつめれば「希望の為に」死の問題も必要なのです。

語ろうとする人、人の中に飛び込もうとする人が増える事が、日本の総希望を増やす、地道ではありますが、ひとつの方法だと思います。

長くなってスミマセン……

NO.92012-12-09 16:39:28 masami 16
ryosuke85さん

最後の死をどのように迎えるか、と言う点から書いてくださって、ありがとうございます。

「例えば、人生の中に抑揚があるとすれば、波状に変異していくわけなので、その時間の使い方を考え、有効に使っていく事を望む事が希望とも言えるとも考えますがいかがでしょうか。」

そうですね、限られた時間の中でどれだけ希望を膨らませられるか。希望が絶望と一体性があると言われながら、軽やかに希望を考えられている強さは、「許容」することを志していられることから来ているのかな、と感じました。

死に関しては、私が思い描いていたこととは違った視点で、また、前の投稿の、逆算的に考える事、ともつながっているようで、とても興味深く感じました。


死をどのように受け止めるかは、宗教とも関係してくると言えると思います。
「宗教は、死が身近だった時代、乳幼児が簡単に死亡し、寿命が短かく、身近に何人もの方が家で亡くなっていた時代、自分の死を考えざるを得ない中、安心して生きたいという思いから人々の心の中に大きな割合を占めていたが、死が昔よりも日常からはるか遠くに追いやられた今、人々は宗教を以前ほど必要としなくなった。」

というようなことを本で読みました。そのような死や宗教への感覚の変化は、希望の持ち方にも変化をもたらしているのかもしれない、と感じました。

NO.82012-12-09 00:51:54 terurun 24
今日、電車で人身事故があり、2時間電車が動かないと言う事だった。

人身事故が多過ぎて、人身事故と言う言葉としか捉えなくなっている

自分が怖くなるぐらいです。。。

そんな時、ふと思ったことが、

希望と言うものが、

昔は、全ての人々共通して持つような大きな希望(ビジョン)

だったけれど、

もう、これからは、目の前に起こる事の改善でいいのではないか。

とふと思ってしまった。。。


例えば、今年は、電車の人身事故が少なかった。

とか。幼児の虐待が少なかった。

とか、学校でのいじめが少なかった。とか。

身近な問題を解決していくことに未来があるように思えました。

身近な改善が国民総希望になっていくのではないかと思うのです。

つまり、小さい所から大きなビジョンになると言う

今までの反対の考えです。

身近な改善が大きな改善、そして、幸福に結びつくということです。

今日、電車が止まったことより、ryosuke85さんが言うように命は、有限

でありながら、その前に自ら、断ってしまう。。。

その現実を改善することが「希望」かと思う。




NO.72012-12-08 13:21:54 ryosuke85 19
masamiさん

最後の死をどのように迎えるか、という点。
非常に納得できました。

死、というのは、その最後がどのような形になるのか、で大きく変容することだと思うのです。
有名な言葉ですが、Appleの共同創業者であるS.Jobs氏の以下の二つの言葉に何か感じるものがあります。


Your time is limited,so don't waste it living someone else's life.
「時間には限りがある。だから、誰かの人生をいきることで浪費すべきではない」

また、これはMr.Jobsの言葉ではないのですが、氏が感銘を受けた言葉として…

If you live each day as if it was your last,someday you'll most certainly be right.

「毎日を人生最後の日であるように生きれば、いずれその通りになる日がくるだろう」


時間というものが有限である以上…云々。というのは、ホリエモンこと堀江貴史氏がいつも著書の中で述べている事ですが、その“時間が有限である”という認識と“希望”との関係性があるように思えてなりません。

例えば、人生の中に抑揚があるとすれば、波状に変異していくわけなので、その時間の使い方を考え、有効に使っていく事を望む事が希望とも言えるとも考えますが、いかがでしょうか。

NO.62012-12-08 09:07:41 茂木健一郎 5
みなさま、希望について、すばらしい議論ありがとうございます! オバマ大統領が、アメリカ政界にさっそうと登場したときの著書のタイトルは、「希望の大胆さ」(The audacity of hope)でしたね。

NO.52012-12-07 21:39:38 tomotomo 24
希望って何だろう?
うーん、「今」の時点で、「先」について思いを巡らして、こつんと当たる楽しい感覚かな。
うきうき感と言うような。

希望があれば生きていける。
希望がないからつまらない。
希望ってそれほど大事だけど定まった形がない、
「これっ!」と指し示せない。

希望が生まれるのは、
希望が持てるスペースを一人一人がもっているか、
そして希望をあたためるこことに社会がどのくらい寛容であるかによるのではないか。

希望はちょっとぼんやりのなかで、それを求めている人に訪れる様な気がします。




NO.42012-12-06 23:34:15 masami 25
私の希望のイメージは
chigusaotsuki さんの
4歳のときのように、何でもできる! と思って、できた!、できた!を、繰り返していれば、よかったのに、ある日、できないと、思ってしまいました。

でも、自分でも、言葉には、しないけれど、本当は、あきらめている訳では、ないと思うんです。
自分でも、気づいていないけれど、私は、ずーっと、英語を勉強しています。
英語が、できるようになると、思っているんです。

と殆ど同じです。

希望を持っている人とは、もっと新しいことを知りたい、もっと新しいことができるようになりたい、と思える人のように感じます。
同じ状況で、希望を持たないことも希望を持つこともできると思います。
例えば、子どもたちに何かを教える時、これだけのことがわかっているから、ちゃんと理解してください、覚えてください。と伝えるのと、ここまではわかっている、こういうことはできるけれど、ここから先はこんなことがわからない、こんなことが実現できていない、だから今度はあなたたちがそれらを考える番だよ、と伝えるのとでは、聴いている方の気持ちが全然違うと思います。
それと同じように、こんなことも知ってる、あんなこともできる、だからもういい、ではなく、自分の知らないことがまだあるから知りたい、やったことがないことがあるからやってみたい、そう思うことが、希望を持つということだと思います。
知らないことがたくさんあって、できることが少ない子どもが希望に満ちあふれているように、この世のすべてを知り尽くしている人などいないのですから、どんな人も希望に輝くことはできると思います。
希望を持っている人は、自分が新しくなれる存在、変われる存在であることを、知っている人だと思います。

それから
Terurunさんの苦しみから抜け出したいから、持つ物
ryosuke85さんの絶望との一体性

と近いところでは、私の中では、希望を深くつきつめていくと、死をどのように受け止めるかということと深く関係してくると感じています。

NO.32012-12-06 09:10:49 ryosuke85 27
今回は、“希望とは何か”という点からお話をさせていただきたく思います。

僕個人として希望に対して抱いているのは「絶望」と一体性がある、という事です。それは、絶望とまではいかなくとも、「不安」や「恐怖」とも認識できるものだと考えていて、そういう点で言えば、常に恐怖感を抱きながらも、自らの行動に対して希望があふれてくる僕は幸せ者かも知れません。

守りたい、と思うものが増えてくるにつれて、絶望や不安、恐怖感というのは増大してきていて、それが「大人」になってきた証拠なのかなぁ、とも思います。

それが認識できていなかった暦年を「子供」とし、認識できるようになった暦年を「大人」と規定し話を進めさせていただけば、それを認識していなかった時と現段階での「希望」に対する認識、気持ちの抱き方に明確な違いがあるのかと言えば、違いはありません。

ただ、「希望」のもう一つの“顔”を把握する事が出来るかどうかの違いはあります。
自分の抱いている気持ちと現実から計算をした上で、それが自らの、もしくはその周りにいる人間の人生に対してどのように作用する話になるのかを逆算的に考える事が出来る様になりました。

ですが、根本的に自らが進みたいと思っている道に対しての高揚感は、上記した「子供」の時と何ら変化はありません。

常に「子供」でいる必要は無いと思いますが、「子供」の時の様にポジティブな希望の持ち方をすべきだとは思います。そう思う理由は、「大人」になるにつれてドンドンとネガティブな言葉を使う人が増えてくるように感じるのです。

ネガティブというよりも“案じ過ぎて動けなくなってしまう人”が増えてくるという様な印象です。

以前の議題に上がった「カムバックについて」や「いじめについて」、「責任を取るとはどういうことか」という中での社会的な「大人」を見る目に冷たさを感じる事が大きな要因になっているのかもしれません。

だから、という訳ではありませんが、僕は、僕の周りという小さな社会から「許容」する様にしています。もちろん、何もかもという訳ではないのですが、やってみないと分からない事が多分にあるにも拘らず、それをさせないというのはもったいない話だと思うんですね。

そう思うからこそ、僕は周囲の人間が少しでも自分の抱く「希望」を絶望や不安、恐怖感に苛まれながらも立ち向かえるように「許容」していこうと思います。

NO.22012-12-06 08:50:45 terurun 26
希望とは、

苦しみから抜け出したいから、持つ物で、苦しみも無いのに、希望を持つ事は

無いと思う。

もし、希望を持てない日本であるとするなら、そこには、まだ、どうにもならない

苦しみまで到達していない日本の状態があるのではないかと考える。

それは、多くの素晴らしい能力者が、日本を一気に落ちる所まで落ちないように

一生懸命、ゆっくり下降させていることにも、反面、感謝しなくてはいけない

とは本当に思っているし、心から感謝しています。

しかし、どうにもならないほどの苦しみまで日本が落ちるということは

絶望であり、救いが無いということだから、正直、私も想像したくないです。

希望とは、生温い世界には、存在しないと思う。

希望と言うと美しい言葉であるが、

厳密に言うと、苦しみから抜け出したいと言う気持ちだと思う。

そうしなければ、人間は、生きて行けないから。

希望は、生きて行くための、一つの妄想であると思います。

現実は、ただ、辛い状況から、抜け出したい。それだけ。

多くの世界の改革者になる人達が、とてつもなく、苦労している人が多いのは、

やはり、希望を持たなくては生きて行けなかった状況があるからだと思います。

「生きて行くことを可能にする、否定されない」ということそのものが

本来、「希望」だと思う。

NO.12012-12-05 17:06:58 chigusaotsuki 27
子どものときに、私には、希望で、いっぱいになる、ひとつの質問が、ありました。
それは、「大人になったら、何になりたい?」という、質問です。
大人になったら、何になるか? を、考えるとき、私は、幸せと希望に満ちていて、時間を忘れて、ただただ、想像していました。
はじめは、お母さんと同じに、なりたかったから、「看護婦さん!」と、4歳の私は、こたえていましたが、ある日、「私は、お嫁さんになりたい。」と、こっそりと考えを変えて、毎日、毎日、ウエディングドレスの、ぬりえに、夢中になっていました。

いつまでも、夢中になれることがあるのが、希望のようです。

4歳のときのように、何でもできる! と思って、できた!、できた!を、繰り返していれば、よかったのに、ある日、できないと、思ってしまいました。
でも、自分でも、言葉には、しないけれど、本当は、あきらめている訳では、ないと思うんです。
自分でも、気づいていないけれど、私は、ずーっと、英語を勉強しています。
英語が、できるようになると、思っているんです。
でも、どうやら、それは、私の無意識のようです。
4歳の頃のように、意識の表面には、出てきません。

でも、私は、英語に、iPad に、夢中になれます。
英語を学ぶことが、私の生きる希望なのです。
そして、無意識の中で、私は、希望を持っているからこそ、あきらめることが、できないんです。

4歳の時より、今の自分は、複雑になってしまいました。
でも、安心できる人の前では、自分らしくしていられそうです。