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領土問題について考える

僕は基本的に、ありとあらゆる主権国家の間には領土問題があると思っています。動物学では、二つのグループがあれば、必ずオーバーラップゾーンというものがあって、そこでは活動がかぶる。そこでどうしても争いが生まれるという研究があるそうですが、人間も同じだと考えています。

ただ一方で、領土問題が先鋭化しやすいのは、両当事国の民主化度が低い時だという研究もあるようです。なぜそうなるかといえば、民主主義とは、自分と対立する意見の持ち主と議論をしていくプロセスそのものを指すからです。そして、今回の尖閣諸島の問題、あるいは竹島の問題を見るかぎり、やはり、中国、韓国の民主的な成熟度は、残念ながら低いんだと思います(中国は民主主義国家ではないので、当然といえば当然ですが)。

しかし、相手国の成熟度について文句を言っていても仕方がありません。このような状況の中で、いったい日本としては、どう振る舞うべきなのか。

今回の領土紛争が、東アジア地域の国のあり方や国際関係のあり方に非常に大きな示唆を与えていることは事実です。さまざまな立場の方がいらっしゃると思いますが、ぜひみなさんの意見をお聞かせください。

ちょっと書きにくいかもしれませんが、在日韓国人や在日中国人の方のご意見もぜひお伺いしたいと思います。もしこの掲示板を読まれている方がいらっしゃいましたら、お待ちしております。

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NO.182012-09-02 17:05:37 orcamie 5
No.17のTomoikukaiさんのご意見は最もと思うのですが
>他人や他国と平等な立場で、正しい議論ができるように

とありますが、私はその平等な立場で議論ができる場合は稀なのではないか
と思っています。
日本が 民主主義を成熟させれば それが実現するかというと
それもまたむずかしいのではないかと
というのは、議論する相手の国の民主主義の成熟度も問題になる為です。
だからといって 民主主義を無視せよということでもありません。

しかし ここで領土問題について考える場合
民主化度と言うのは国内的には 影響はあるけれど
国外的には それとは別の問題ではないかと私は思います。
領土問題で 中国と武力衝突のような事態がないことを願いますが
そういう最悪の事態も政府は 想定しているかなと考えてしまいます。

また、領土問題を解決するのには 歴史的経緯は重要ではあるけれど
それだけに 領土の正当性を主張するだけでは十分な根拠となりえないと
感じています。
今回の中国や韓国の反日運動を見ていると
第二次世界大戦で 敗戦国であったと言うことを強く意識せざるを得ません。
でも、私たちは過去に生きる訳ではなく、未来に向けて生きるのですから
戦後 日本が国連に加盟し、他国に対する支援や
国連そのものに対する支援を行なってきた功績を各国に再評価してもらうべきで
敗戦国だからと言う理由で 領土問題は不利であって当然というような
中国や韓国の考えに 私は異を唱えたいし、政府もその点は胸を張って主張していいのではないかと思います。今はどうかわかりませんがユニセフへの拠出金はしばらく日本が第一位の時期があったと思います。

No.17のTomoikukaiさんの 議論のレベルを高いものとすることに異論はありません。
しかし、現在の状況でそれを実現するのは更なる個人の工夫と切磋琢磨が必要なようです。
例えば、今回のように領土問題を取り上げたら 
もう2週間 領土問題のさらに○○の問題というように
範囲を狭めてもう一度議論するということもあればいいのかなと思います。
また、2週間という制限の中で知恵を絞って一つのテーマに考える
このスタイルを私は 結構好きなんですけれどね。
巡り巡って、原発問題については2度ありましたしね。
一つの問題を巡って 議論を深めることも面白いですが
色々な問題を議論しながら、 日本はこれからどこへ向かうのかということを
考えるのもまた楽しいかなと思っております。

NO.172012-08-31 17:58:45 Tomoikukai 14
No.16 chigusaotsuki さんへ

議論には、いろいろな種類、レベルがあると思います。chigusaotsuki さんが挙げられた、ひとつの英語のセンテンスでも、いろんな解釈が成り立つ、というのはそのとおりだと思いますが、議論の場において、お互いが誤解に基いて議論を戦わせたら、それは単なる口論にしかすぎません。民主主義というものは茂木さんの言われる通り、議論のプロセスそのものを指すのでしょうから、その議論をレベルの高いものとする為には相手を理解する、つまり誤解を取り除くという作業を同時にやる必要があると思います。相手の論点をはっきりと理解して、それでも納得できないことは、きちんと指摘したり、質問したりする。こういう作業の繰り返しが質の高い議論を生み、お互いを精神的な高みへと導くことになるのだと思います。

今回の場合でいうと、私が反論の対象としたのは茂木さんの意見の中で、韓国と中国の民主化度を低いとしておきながら、日本の民主化度を問題にしていない点です。私は、日頃から、日本は形だけの民主主義の国であり、成熟度としては、かなり低いと思っています。つまり、日本は民主主義国だといえるだけの、他国と対等に議論できるだけの能力が国民の身についていないと思うのです。これから国際化して行く為には、正しい議論の仕方を身につけることがどうしても必要になってくると思います。他人や他国と平等な立場で、正しい議論ができるようになった時、日本の民主主義も成熟したといえるようになるのではないかと思います。

NO.162012-08-30 22:54:57 chigusaotsuki 4
NO.14 Tomoikukai さんへ

I don't eat an apple this morning.

この文章は、7つの意味があります。

つまり、

I don't eat an apple this morning.
I DON'T eat an apple this morning.
I don't EAT an apple this morning.
I don't eat AN apple this morning.
I don't eat an APPLE this morning.
I don't eat an apple THIS morning.
I don't eat an apple this MORNING.

と、なります。

なんとなく、この感じが、伝わるでしょうか?

掲示板で、議論することは、大賛成です。
でも、それゆえの難しさが、この例文に、あらわれていると、思います。

この1つの例文で、私たちは、少なくとも、
7通りの意味を、持つことが、できるのです。

これは、日本語でも、同じだと、思います。
上の例文を、日本語で、そのまま訳していただけたら、
いいと思います。
ーーーーーー

また、同じ言語でも、文化によって、意味が、変わります。
例えば、British が、I almost agree. と、言ったときに、
Dutch は、He's not far from agreement. と思ってしまうのですが、
British は、I don't agree at all. という意味で、言っているのです。

日本でも、地域によって、文化が、さまざまで、
上記の7通りの意味も、加えると、
必ず、「誤解」が、起こっていると、推察します。

私は、この掲示板は、人を成長する機会を、与えてくれる、
素晴らしいものと、思いますが、
一方で、たくさんの誤解をしているとも、思います。

茂木先生の、昨日の、ユーストリームでも、
おっしゃられていましたが、
「事実」というものを、客観的に、判断することができて、
はじめて、反省する、ことができるのであって、
イギリスでは、とっても分厚い、歴史の、高校生用の教科書が、ある一方で、
日本の、薄い、教科書でしか、歴史を知らない、私が、
自信を持って、言えることなど、あまりないです。
歴史は、グラフや、表、数値などから、総合的に判断する必要性が、
あるからです。

>人に悪いから厳しい意見は控えようなどという、一見思いやりのありそうな意見ばかりだと、お互いの、思想や哲学には、何も変化を起こさないという結果になってしまうことが多いと思います。

とのこと、本当に、申し訳ないです。
私は、すでに、プリンシプルを、持って、生きているので、
プリンシプルは、変わらないんです。
でも、個々のケースにおいて、最善の方法を、選択するために、
議論できたらいいと、思っています。
ご理解いただけたら、何よりです。

NO.152012-08-30 21:08:12 orcamie 5
実は 私は茂木さんにずうっと聞いてみたいことがありました。
それは 国連憲章の敵国条項第53条についてどう思われるか聞いてみたいと思っていました。それからここに投稿してる方たちがどのくらいこれについて知っているのかなということも。

領土問題をきっかけに、ひょっとすると韓国の人も中国の人も日本のことをナチスと同じように考えているのだろうかとふと思いました。日本人の私としては私たちはナチスほどひどくはないと思いたい。ですが本当にそうだったんだろうか。
日本が第二次世界大戦でナチスのような存在であったとしたら今の私たちはどうあるべきなんだろうかと悩みます。

その一方でドイツの人たちはどうやって今を築いたのだろうか。同じように敗戦国であり、先に述べた国連憲章の敵国条項第53条に該当国としてどのように今に至ったのだろうかと思う時、そういうことを私は学校で何も教わらなかったような気がしています。ひょっとしたら私が学ばなかっただけかもしれませんが。

それはドイツが現在再生可能エネルギー100%を目指す社会を築きつつある一方で日本は原発推進をずっとしてきたというエネルギー政策の違いを見ても愕然とするところがあります。

311の大地震・原発事故を経て日本は今変わろうとしているとは思っていましたが、No.1のchigusaotuskiさんの中国・韓国も同じように変わろうとしているという意見には驚きました。領土問題は以前から存在していて(日本政府の見解は竹島・尖閣諸島に関しては存在せずですが)私はまた同じようにゴリ押しいていると感じただけだったので。しかし今回の韓国・中国の以前よりも強い姿勢には背景的に動きがあるのかもしれません。チュニジア・リビア・エジプトの政変の影響もあるのかもしれませんね。

日本政府だけではなく、日本人の外交に対する姿勢・考え方がどうも私はチャンネルが不足していると感じます。世界中で領土問題があるというのはその通りだと思います。ヨーロッパ社会で言うとキリスト教的基盤があると相互理解が政府以外のチャンネルを通してのアプローチが解決への手助けとなっているのではないかと思われます。同様なことはイスラム社会でも見られます。産・官・学界すべてにおいて多角的にチャンネルをオープンにする。おそらく学界の中に宗教を含め、さらに民、本当の草の根交流というのも大事にしなければいけない。そういう意味で政府によるそういう国際的な交流への支援をもっと規制緩和して結果を求めず行なっていって欲しいと思います。
もうひとつ、日本人の効率性への飽くなき追求がこういう時の
多角的なアプローチへと導くきっかけをつぶしているのではないかとも感じています。

その一方でこういう領土問題などの国際間の摩擦が生じたときにこそ 国としての尊厳を表向きは保ちつつ、メンツをすててあらゆるチャンネルに可能性を求める姿勢も必要ではないかと思います。いつもあるチャンネル以外を開拓する。こういう問題が生じた時こそ新しいチャンネル・新しい交流への飛躍の機会と捉えて挑戦していく姿勢が日本人に必要なんだろうと思うのです。

NO.142012-08-29 17:37:17 Tomoikukai 9
時は幕末、緒方洪庵が適塾を開いていた頃、塾生だった福井藩士橋本左内や、私の通った小学校の名前の由来となった、梅田雲浜、それに、吉田松陰も、安政の大獄で、処刑されたり、獄死したりしています。武田耕雲斎始め、水戸の天狗党は、尊王攘夷の訴えを京都の徳川慶喜に届けようとして、その慶喜に阻まれ、敦賀で捉えられて、350名余りが斬首となりました。坂本龍馬も暗殺されたし、明治維新には戦争以外でも、国を変えようという志士達の多くの血が流されています。国の体制をかえようというときは、既成勢力の抵抗が途方もなく大きく、新しい時代を築こうとすれば、いずれの形であれ、多大な犠牲を払わなければならないのは、いつの時代でも、どこの国でもあり得ることでしょう。

幕末の時代の対立点は、尊王攘夷とか、倒幕、佐幕とか、一見、見えにくいように感じますが、基本的には、鎖国を続けるか、開国か?ということに収まるのだと思います。何と、今の対立軸である、TPP を受け入れて、経済、文化の壁を取っ払うのか?日本文化を守る為に、外国から入ってくる文化に対する壁を厚いまま残すのか?つまり、鎖国状態、ガラパゴス状態をこのまま続けるのか、の戦いと、大きく重なるように思います。

人で言うなら、小泉純一郎(引退してしまいましたが)、大阪市長の橋下徹氏が、開国派なら、小沢一郎、亀井静香氏が攘夷を唱える守旧派と言えなくもないような気がします。幕末は、開国か攘夷かで、敵味方渾然一体となって、血みどろの戦いを繰り広げましたが、最終的には、攘夷派も、その不可能さを悟り、一致団結して、脱亞入欧に舵を切りました。今の政治も、徹底的な討論を通して、グローバル化が避けられないものならば、一致して、教育、年金改革に取り組み、新しい日本の骨組みを1日も早く練り上げてほしいものだと思います。

前置きが長くなりましたが、ここで、明治維新に、適塾の果たした役割について考えてみたいと思います。適塾は、明治維新で活躍した多くの人材を輩出しましたが、愚考するところ、この人達が、いろんな分野で活躍できたのは、いろんな知識を詰め込まれたからではなくて(自学自習が基本だったと聞いています)自立自尊の人が多く育ったからではなかったかと思われます。その中から、福沢諭吉が出た訳ですから、その教育内容は、個人と個人のぶつかり合い(議論を通して)が人格の成長を促したのではないかと想像されます。私は、個人の中で、思想や、哲学が紡ぎだされるときは、多くの質の高い議論を通してその基礎が築かれるものだと思います。適塾の議論の伝統は、ナンバースクールや早稲田、慶応、自由民権運動等に引き継がれて行ったのではないでしょうか。

語り明かさん今宵かな〜アア 星影冴ゆる記念祭(四高寮歌より)

それで、本題ですが、このメルマガを、質の高い議論の場として活用してみるのはいかがでしょうか。既にもうなっていると言われれば、そうかも知れませんが、なかなか議論沸騰という具合にはなっていないように思います。それは、先の投稿でも述べましたように、日本人は、質の高い議論の方法が身に付いていないということに由来するようです。質の高い議論とは、議論のルールを守りながら、ポイントをついた鋭い反論が必要となります。お互いが、反論や、異論を戦わす中で、ことの本質に近づいて行く時、意見が同じ部分や、違った部分があぶり出されて、妥協ができるのか、あるいは、別の解決策を模索しなければならないのかが特定されてくるのだと思います。人に悪いから厳しい意見は控えようなどという、一見思いやりのありそうな意見ばかりだと、お互いの、思想や哲学には、何も変化を起こさないという結果になってしまうことが多いと思います。勿論自分の思ってもみなかった、ユニークな意見に接したときはその限りではありませんが。

先の投稿で、私は、茂木さんの意見に反論を試みたつもりです。自分なりの根拠を示したつもりですが、質の高い反論になっていたかどうかはそれほど自身はありません。しかし、私としては、その意見がいいとか、悪いとかを評価していただくよりは、私の意見を分析して、ルールに則った反論を、改めてしていただく方が、どれだけ励みになるか知れません、それが例え、完膚なきまでに叩きのめされたとしても、そこから、這い上がる力が、人や社会を動かせる力となって、私の中に、あらためてみなぎってくるのだと思います。茂木さんもせっかく、投稿者として参加してくださるということなので、是非とも我々を鍛えていただきたいと思います。

私は、このメルマガが、喧々諤々の、しかも、質の高い議論の場になった時、少しでも、これからの新しい日本の進路に対して影響を及ぼして行ける存在になっていくような気がします。

テーマから大きく外れた議論をしてしまいましたが、このメルマガの、いずれのテーマであれ、そのそこに流れる大きなテーマとして捉えていただくとありがたいと思います。




NO.132012-08-27 15:37:48 rachan 9
領土問題に関心はあるものの、自分の基礎知識が不足していて、なかなか何かを語るまでに行き着かないのが現状です。

まず気になったのは、なぜ今立て続けに日本の領土問題が問題になっているのか、です。
ロシア、韓国、中国、それぞれ政権交代や大統領選挙など政治が絡んでいるのが1つの要因のようです。
しかし、それ以上に日本の国力が弱っているため、「なめられている」というのもあると思います。
経済的にも政治的にも弱体化している、アメリカとの関係も弱くなっている、そういう日本は畏れるに足らず、の相手なのでしょう。
また、オリンピックがある年はナショナリズムが高揚しやすいということなので、そのような背景もあるかと思います。

職場で、領土問題について話題にしたところ、割と世界情勢に詳しいと思われる方があっさりと「そんなの解決しないよ、もう戦争して分捕る以外に解決方法はないでしょ」とおっしゃっていました。
また、韓国では、「独島は韓国の領土です」と書かれた鉛筆が売られていて、学校でもそういう教育をしっかりされているのだかとか。 

今回、領土問題と一口に言っても、北方領土は既にロシアの人が住んでいて、他の国の世界地図にではもうロシアの国土して色が塗られているのが現状、竹島、尖閣は無人島で、竹島などは韓国の大統領が勝手に上陸できる有様、それぞれあり方と対処の仕方も違うと思います。

共通する対処法としては、日本の領土であることを毅然とした態度で言い続ける(個人的には北方領土に関してはかなり奪回は難しいと感じていますがそれでも)、また竹島や尖閣については、漁業領域や島自体の扱いについて、きちんと話し合いの場を設けることが必要でしょう。ただ、双方の言い分が絶対正しいと信じて一歩も譲らないけんかであり、また国という大きなものを背負っているので、実際は前に進まないのが現状ではないでしょうか。

政治家と国民が歴史認識(日本から見たということになってしまいますが)をきちんと踏まえ、毅然とした態度で主張し続ける、解決しなくても一歩も譲らないという姿勢を貫く、それが取るべき態度だと考えます。

日本の政治家の外交手腕を磨く、日本の経済力、政治力を高める、(軍事力についても重要ですが難しい問題ですね)ということも必要です。

また、もう少し多くの国民が歴史的経緯を知ることが必要ではないでしょうか。私個人の無知もありますが、日本自体が、歴史的経緯などについてはあまり知る機会がなく、学校でもただどの場所が問題となっている、程度も扱いです。その溝を埋める学びをどこかで行わなければいけないのですが、歴史的経緯について学校でもう少し教えておいてもいいのではないでしょうか。今回の掲示板のように議論の場を設けることも、認識を深めるいい機会になると思います。


NO.122012-08-25 17:26:56 gotoichi 8
領土問題について、僕は中学生に教える感じで書いてみたいと思います。

よし、今日は領土問題についてやろう。

今、韓国と中国と日本の関係があまりよろしくない状態なんだ。

その理由は領土問題でね。韓国とは竹島、中国とは尖閣諸島が

どちらの国の領土か?ってことで問題になってる。

どうやって解決をしたらいいだろうか?

どう思う?

戦争は論外。ありえない選択肢なんだってことはわかると思う。

制裁(嫌なことをして、相手を説得すること)はあまりよくないのは

わかるかな?やったほうがいいか?

そうだな。時には必要だ。もちろん、相手だってやってくるからな。

舐められたら、ダメだって意見はもっともだ。

別に逃げる必要なんてない。堂々と言いたいことは言ったほうがいい。

でも、どっちが折れるのか?っていうチキンレースになると思わないか?

やられたら、やりかえすって方法で、本当に両方が納得いく解決ができるだろか?

よく考えてみよう。




NO.112012-08-25 09:49:49 masami 8
NO.9 chigusaotsuki さん

説明ありがとうございました。
丁寧なクラスの説明、分かりやすかったです。ひとつのことに対して、どこに光を当てるか、というイメージが湧いてきました。

ひとりひとりが、国に対して持っている意見、考えそして意味によって決まるなら、ひとりひとりが、その人ならではの他国を知る様々な体験を積み重ねていき、一般論だけではなく、そのような自分の体験を判断のよりどころにすることが、領土問題の解決方法のひとつのように感じました。

NO.102012-08-25 04:35:57 mactoo 6
子供の頃、赤道というの赤いラインがあるのかと思っていました。まわりの大人から目に見えないんだよと言われても釈然としなかったのを覚えています。国境についても同様に感じていました。
目に見えないのに地図に描いてあるというだけで、どうして大人はありがたがるのか今でもちょっと謎です…。
宇宙の片隅のちっぽけな星の鼻くそみたいな土地を奪い合い、殺しあうなんて馬鹿げてる話しだと思います。話している言葉、宗教、肌の色がが違うだけで、どうして人間はこうも排他的になれるのか、文化、文明の発展は人々を繋げるためじゃないの?それがどうして分断へ向かうの?
国境のない世界はありえないのかな…。

と考えていたところ、コスモポリタリズムという考え方がありました。
(参照 ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/コスモポリタニズム )

以下引用ーーー
古代ギリシャのディオゲネスが初めて唱えた。その背景にはポリスの衰退により「ポリス中心主義」が廃れたこととアレクサンドロス大王の世界帝国構想があった。その後のストア哲学では禁欲とともにコスモポリタニズムを挙げて人間の理性に沿った生き方を説いた。 近代ではカントがコスモポリタニズム的な思想を打ち出した。さらにザメンホフによるエスペラント語の考案により、一層充実したものとなった。
コスモポリタニズムの発展形態として世界国家構想が挙げられる。これは「人種・言語の差を乗り越えた世界平和には全ての国家を統合した世界国家を建設すべきである」という考え方に立って主張されたものである。
ーーー引用おわり

インターネットに初めて触れた時の、時空を超えた意思の疎通ができた時の感動。もはや国境はないのだと、とっくにわかり切っている事の確認でした。

NO.92012-08-25 03:20:53 chigusaotsuki 3
NO.8 masami さんへ

「我々を悩ますのは物事自体ではなく、それらについて我々が抱いている意見、考えである。」
エピクテトス

「良い物、悪い物など存在せぬ。我々の思考がそうするだけだ。」
シェイクスピア

これらの言葉は、論理階型理論の言葉を使えば、どんな意見・考え・意味といったものでも、それらは当の対象物に対して、メタ位置にあることを、あらわしています。
クラスというのは、例えば、ここに、赤いコップがあるなら、それは、赤い物のクラスとして見ることもできるし、コップというクラスにも入れられるし、子どもの砂遊びのオモチャというクラスにも入れられるように、クラスは数限りなく造り出せます。

国の帰属が、どんなクラスに属するかは、エピクテトスの言葉を借りるならば、ひとりひとりが、国に対して持っている意見・考え、そして意味によって決まるのです。

うまく説明できていなくて、申し訳ないです。

参考文献

P.Watzlawick/J.H.Weakland/R.Fisch
Change
Principles of Problem Formation and Problem Resolution

P.ワツラウィック/J.H.ウィークランド/R.フィッシュ
長谷川啓三 訳
変化の原理
問題の形成と解決

りぶらりあ選書/法政大学出版局

NO.82012-08-24 15:04:08 masami 10
このテーマを見たとき、緒方貞子さんが語られていたことを思い出しました。
緒方さんは、UNHCRの体験(国内紛争で隣国に逃れようとした人々が、隣国に受け入れられない場合、自国内にいるので民として認定されず、UNHCRは条約上援助できない。しかし、クルド難民問題の時、彼女は、命を救うという基本原則に基づいて、援助を決断しました。)から、国境と国境の間に安全地帯を設けるというアイデアを語られていました。
No.3 Tomoikukai さんが書かれていたように、実際に国境線はないけれど、地続きの世界なら、ベルリンの壁のように線を引こうと思えば引けるでしょう。それでも、現実問題に対処するために、国境の行き来をスムースにしたり、どの国にも属さない、安全ベルトを設けようという考え方と比べると、小さな島の領有権で争いを繰り広げることにどれだけの意味があるのだろうか?と感じました。あるいは、現実的な衝突があまり切実ではないからこそ、上陸して、領有権を主張するといった過激なアピールが可能なのかもしません。中国と、他のアジアの国々の間でも、島の領有権問題が起きているとの報道も見ました。そのような現在、排他的経済水域のような解決策ではない解決策が必要な時代になっているのかもしれない、と思いました。領有権の主張に伴って問題になるのは、海洋資源、海底資源の所有権だけであるならば、共同水域を設けて、その領域内での活動に関して定期的に話し合えばいいのでは?などと考えましたが、この問題が自分にとってあまり切実ではない者の安易な考えなのかな、とも思いました。

N0.1 chigusaotsuki さんの
中国や、韓国に限らず、日本でも、見られると、思うのですが、尖閣諸島、竹島は、実在物ですが、概念として触知することで、つまり、ある領土に対する概念的あるいは感情的な構えや見方を、私たちの心が造りあげてしまうことで、もしかしたら、領土の、あるいは、領土に関わる意味を、変えてしまおうとしているかも、しれません。

という視点は私にはなかったです。

実在物としてではなく、意志の力で解決しようとするならば

という部分が、難しくて具体的にどういうことを意味するか、思い描けませんでしたが、

解決策は、常に、理論を超越してゆくことでしかなく、どんなに厳密に概念化することができても、それでも、全く新しい洞察は得られないと、思います。

は、なんとなくわかるように思いました。

国の帰属を、他のクラスに変化させる、
というのも難しいです。茂木さんの、説明から推測するに、一人一人の中で、「○○国民だから、~~する、~~である」という形で語られる割合が変化する、ということでしょうか?????
よかったらどなたか説明お願いします。<(_ _)>

前回に引き続き、内田樹さんが外交問題という視点で、領土問題について書かれているのでよかったらご覧ください。
私は、中国の国境の概念が印象深かったです。
http://blog.tatsuru.com/2012/08/21_1554.php

NO.72012-08-24 13:36:02 sunameli 10
韓国の教科書には「反日教育」といっても過言ではない
内容が記述されているということを耳にします。

韓国の過熱報道を聞くにつけ、「ああ、ちょっと前までは、日本もこういう国だったのだろうな・・・」という感じがします。

自国を正当化する、ということは別に韓国だけではなく、
今でもある程度はどの国でも見られる現象ですよね。
アメリカの教育に組み込まれている「原爆正当化」も日本からすると受け入れがたいものです。

韓国にとっての竹島問題は、
日本にとっての沖縄返還なのではないでしょうか。
もちろん歴史的、客観的な事実としてはまったくそうではないと思いますが韓国側から見ると、それに近いものなのかもしれません。

つまりかつてのライバル(日本)に対して肩を並べるだけの経済的な成長を遂げた今、「我々は被害者の立場から立ち上がった英雄だ」「一貫して、悪いのは日本だった」という不満や自尊の入り混じった感情をぶつける対象を外に求めているように見えるということです。

「竹島奪還」というストーリーを共有することで、影響を受けていた国から精神的な独立を叫び、愛国心を盛り上げている。今の経済的発展の裏には所得格差や受験競争の過熱など、負の社会現象もたくさん生まれているでしょう。
その不満のはけ口を求めているようにも見えます。

領土問題というより愛国心の話になってしまいました。
しかし愛国心、その裏に存在している縄張り意識といったものがなければ
領土問題はそもそも存在しないのではないでしょうか。

ーーー

しかし日本の外交意識が、ほかの国と比べて一貫して弱い・鈍い気がするのは、
やはり海に囲まれた島国ゆえの油断なんでしょうか。


NO.62012-08-23 22:38:23 yamaguti 7
領土問題について考える…

連日マスコミが騒いでますが、島の捉え方としては基本的にはchigusaotsukiさんと同じで、実際の島の有用性を重んじて争っているのではなく(当地の漁師さん以外は)、領土問題での島は概念的なものとして扱われ、その問題は面子、プライドの問題だと感じます。(北方領土は、かに漁の船が良く拿捕されていたので、子供の頃はかにを巡って争っているんだと思っていましたが…。)

一連の報道から感じる問題点は、私もTomoikukaiさんと同じで、民主主義の成熟度だけでは無いのではないかと思います。
不等占拠されているはずの、ソ連(ロシア)との北方領土問題では、そんなに報道が過熱している印象を受けませんが、韓国との竹島問題へは手厳しいように感じます。これはロシアが常任理事国であり、争っても勝てないからでしょうか。
第一次から二次大戦の植民地、戦勝国、敗戦国であった過去が相互に影響してないでしょうか。
私は歴史を深く研究していないので、戦争時の問題に対して中国や韓国に責められると、なんとなく言わんとすることはわかりますが、不当に責められている感が否めません。
韓国や中国が、他国の教科書の中身に異議を唱える異常行動は、日本及び日本人には迷惑をかけられた、被害を受けた、つまり貸しが有るんだから少々無理筋の訴えでも聞いて当り前だろうとの意識が働いてないでしょうか。そこが民主主義の未成熟故だと言われればそうかもしれませんが、日・中・韓での領土問題は、貸し借りの問題、喩えていうと肉親や兄弟の相続争いのように感じます。
教育から他国への憎悪を教えているようでは冷静に話ができるようになるまでには時間がかかるでしょうが、中華圏で、多少紛争を起しながらも、約2000年近しく交流してきたのですから、当面話ができるようになるまで先送りしていれば、先鋭化せず平和的に馴染んでしまう時が来ると思います。(楽観的でしょうか?)

NO.52012-08-23 07:49:20 Tomoikukai 5
No.3 のTomoikukai です。一部間違えましたので訂正します。

「アーギュメントをして行く上で避けるべき8つの "fallacies" があります。」のうちの8番目

8. a fallacy that urges listeners to reject an idea because of the allegedly poor character (or) the person voicing it (人格攻撃論法) の (or) の部分が本当は (of)

8. a fallacy that urges listeners to reject an idea because of the allegedly poor character of the person voicing it (人格攻撃論法) が正しい・・・でした。

日本人にとっては一番犯しやすい誤った論法なのに・・・ご免なさい。まだまだ誤りがありそうですが、肝心な場所が間違っていれば、又、訂正させてください。失礼しました。

NO.42012-08-22 21:15:31 kabutobotoke 8
◆第34回のお題◆
<領土問題について考える>

双方の国が、それぞれ確固たる根拠をもって自国の領土であると主張する。
確固たる根拠とは、各自の歴史解釈や法解釈、あるいは国民感情などによって醸成された複合的なものである。
その形成過程がいかなるものであるにせよ、その国にとってそれは真実である。
領土問題とは、二国間の、二つの真実の衝突である。

故に国際司法裁判所がそれを裁く。
しかし提訴しても、相手国が取り合わなければ裁判にはならない。
提訴を受けないことで、たとえ国際的信用が失墜したとしても、
領土を実効支配できるならばよしと判断したとき、
裁判所は解決の場としての意味を失う。
また、国際司法裁判所とは、国連がどのような権限を与えたにせよ
その判決に従わなければならないのか。
裁判そのものを拒否することは可能だが、
判決においても拒否することは可能ではないのか。
国際司法裁判所の出自を問うことさえ可能ではないのか。

例え判決で不法占拠とされても、
自国の国民感情を考慮し、政権を維持しようとすれば、
その政府は戦争も辞さないだろう。

国際法でなく、国際政治からみれば、実効支配している国の立場が圧倒的に強い。
つまり、武力である。
言葉でなく、銃弾が領土を守っているということだ。
これが現実である。
日本のように、憲法によって軍隊を持ちえない国が法的に提訴しても、
他国から見れば、負け犬(敗戦国)の遠吠えにすぎない。
所詮怖くないのだから、適当にあしらわれるだろう。

即ち、正常な二国間関係を築くためには、
国際法の遵守、自国領土の武力支配、その双方が必要である。

故に、北方領土及び竹島は奪還不可能であろう。
尖閣諸島は、時を置かず、自衛隊を配置すべきである。
(自衛隊は軍隊ではないが、警察官を配置するより良いと思う)

以上

河村隆夫

NO.32012-08-22 19:53:46 Tomoikukai 11
宇宙飛行士毛利衛さんの「宇宙からは国境線は見えなかった」という言葉に、多くの日本人が共感しながら、領土問題が持ち上がるたびに、突然に愛国者となって、外国人(主にアジア人)嫌いを増幅させることに、あいも変わらぬ日本人の二重性を感じさせられます。

私個人にとって、国境とは、無用の長物以上に、単に厄介者でしかありません。アジアを旅行中、陸路で国境線を越える度感じる、あの、犯罪者にでもなったかのように扱われる情けなさ。パスポートをなくした時の困惑と、その後の手続きの煩わしさ。日本へ入国する為のビザがとれずにすぐそこまで来ている友達と会えない無念さ。一歩日本の外へ飛び出せば、国境があることで、気軽に外国の友達と交流できない事情が山ほど出てきます。

一方、ヨーロッパの中では、スウェーデン人とオランダ人の夫婦がデンマークの田舎に仲良く住んでいたり、国境を越える時は、電車の車掌さん(入管職員?)がパスポートを確認するだけというところもあり、一度に六カ国を回る旅でも、ほとんど国境越えの煩雑さを経験することはありませんでした。

いま、TPP へ参加等、日本のグローバル化を推進することが叫ばれていますが、グローバル化とは、そもそも、国境線の意味がなくなり、人と人とが、考え方や文化の違いを乗り越えて、理解し合う関係を築くということを意味しているように思います。そういう視点に立てば、竹島問題も、尖閣列島の問題も、日本が本当の意味で、韓国や中国とまだまだ理解し合える仲にはなっていないということを証明しているのだと思います。つまり、この三国の国際交流というものは、物流や経済、その他物質的、表面的な交流はあっても、精神的な交流はほとんどなされていないということになるのではないでしょうか。

茂木さんは、領土問題が先鋭化するのは、民主主義の成熟度の問題であり、日本と違って、中国や韓国には、それは無いと断じておられますが、それは果たしてそうなのでしょうか?

私は、韓国や中国の人たちとは、政治の問題で話をしたことはあまり無いので、韓国や中国に民主主義があるのか、また、それが成熟したものかどうかを議論できる材料を持っていません。しかしながら、日本には成熟した民主主義があるかのように言われることに対しては、どうしても同意することはできません。茂木さんは、民主主義とは、自分と対立する意見の持ち主と議論していくプロセスそのものだと言われますが、そのプロセスには、違った意見や文化を理解していくことも当然含まれなければならないと思います。そういった議論を日本人ができるかというと、わたくしは、全くできないと言わないまでも少なくとも得意ではないと思います。以下にその理由を述べます。

日本人は、明治以来、西洋文化を受け入れ、政治、教育、産業、法律、その他ほとんどの社会システムを模倣し、近代化を成し遂げてきました。民主主義システムもその一つです。しかしながら、この民主主義による問題解決、または、政策遂行にとって、必須のものは、その社会を構成する個の独立と議論する能力の獲得です。明治維新の時、福沢諭吉や、夏目漱石はそのことを何よりも理解し、どれだけ人々を説得しようと心を砕いたことでしょう。しかしながら、それからの全体主義国家日本には、個の独立や、議論する能力の獲得に心を向ける余裕はありませんでした。子供が、ひとと同じ行動をとることを求められ、理屈を言うのをいやがられるようになったのもこの頃からでしょう。例えば、金沢には「理屈ななー」という褒め言葉があり、昔は、物事や、話にちゃんと筋道が通っていることが賞賛されていたことを伺わせるものです(金沢えらい!)。この、個の独立や議論を深める能力を獲得していなかったことが、戦後思いがけなく与えられた、民主化のチャンスに日本の民主主義が成熟することができなかった大きな理由だと思われます。そのことが、教育の偏差値依存を招き、全国一律の金太郎アメ教育を喜んで受け入れてしまったのだと思います。その教育の結果生み出されたひとが、今、日本国民のほとんどを占めています。こういう訳で、そんな今の日本で、真の意味で民主主義的議論によって、いろんな問題の解決を図るのは、少しく無理があると思うのです。

それでは、今からでも、少しでも、民主主義の質を高めていく方策は無いのでしょうか? はっきり言って、大人が変わるのは至難の業だと言わざるを得ません。個が独立し、正しい議論の能力を獲得する為には、どうしても初期教育に焦点を充てざるを得ないようです。

三十年ほど前、私どもの家の隣にオランダ人と日本人の夫婦が住み着き、二人のお子さんが生まれました。その、長男の太郎君が、6才になって小学校へ入ろうという時になって、橋本・コリーナ一家はオーストラリアに永住権を得て、引っ越していきました。その理由をコリーナさんに尋ねたところ、日本の学校では、ひとと同じになることを要求されるが、彼女の考えでは、一人一人が個人として、独立した考えを持つことができるように育てたいということでした。確かに彼女がしていた小さい時からの躾も個性あふれるものだったと思います。ほかに何人か西洋文化で育ったお母さんがたにもお話をうかがう機会がありましたが、躾に個性を重んじる点では共通していたように思います。このことは、個の独立や、正しく議論する能力は、初期教育でこそ成し遂げられるということを意味しているのではないでしょうか。

ちなみに、個の独立で言えば、日本では、「誰々ちゃんができるのになんであなたはできないの」と叱ってみたり、「誰々ちゃんが持ってるから私も買って」と言われてすぐ買ってやるとか、ひとと同じことをよしとするが、西洋では、自分がやりたいことは、ちゃんと理由を言って納得できるものしかやらせてもらえないということが大きな違いだろうと思います。

それから、正しい議論をする能力という点では、植田十三・妻鳥千鶴子著「英語で意見を述べる」の中にしてはいけないアーギュメントの原則というのがあったので書き出してみようと思います。

アーギュメントをしていく上で避けるべき8つの "argument fallacies" があります。

1. Hasty Generalization: a fallacy that makes claims based on insufficient or unrepresentative examples (不十分な例で主張をサポートする誤り)

2. Post Hoc Ergo Proper Hoc: a chronological fallacy that says a prior event caused a subsequent event (時間の前後関係を因果関係と混同した虚位の論法)

3. Slippery Slope: a fallacy of causation that says one action inevitably sets a chain of events in motion (エスカレート論法)

4. Red Herring: a fallacy that introduce irrelevant issues to deflect attention from the subject under discussion (ひとの注意をそらす論法)

5. Appeal to Tradition: a fallacy that opposes change by arguing that old ways are superior to new ways (伝統を重視する論法)

6. False Dilemma: a fallacy that confronts listeners with two choices when,in reality, more options exist (偽りのジレンマ論法)

7. Bandwagon: a fallacy that determines truth,goodness, or wisdom by popular opinion (大衆意見による正当化論法)

8. Ad Hominem: a fallacy that argues listeners to reject an idea because of the allegedly poor character or the person voicing it (人格攻撃論法)

どうでしょう? 私など日本人と議論する時は、必ずと言っていいほど、7番8番の意見を聞かされて前に進めないといったことが起ります。ネトウヨの匿名ツイッターも時には見ることもあるのですが、正に、してはならないアーギュメントのオンパレードのようです。

この八つは、言葉で言うと、議論する時のルール、文法のようなものです。大きくなってからマスターするのでは、本当のところは理解できないし、議論がぎこちなくなってしまうのは、大きくなってから英語をマスターしても、なかなかスムーズにはしゃべられないのと似ています。これらのことは、西洋では、言葉同様、体でマスターして、こどもたちに、躾としてしみ込ませているようです。

ということで、これらのことを子供達が体でマスターすることができて、初めて日本の民主主義も成熟の域に至るということができるのではないかと思われます。そして、この時、初めて、近隣諸国との領土問題が、領土問題のまま、問題にならない時が来るのではないかと思われます。 ・・・・・えっ そんなに待てないって?なあに地球の時間に比べたら、20年なんてほんの一瞬ですよね。北陸新幹線なんか40年待ってるひともいるよ。



NO.22012-08-22 09:25:30 茂木健一郎 9
No.1 のChigusaotsukiさん、国の帰属を、他のクラスに変化させられる、チャンスであるというのは本当にそうだと思います。グローバル化の中、一人の存在のうち、「国家」がどのくらいの割合を占めるかは変わっていくでしょう。二重国籍、ノマド、亡命者。そんな中で、東アジアは古いかたちでの国家主義が噴出するフェイズを迎えており、その要因は、民主主義が成熟していない韓国、民主主義が存在しない中国の国内的事情によるものが大きいと考えます。

NO.12012-08-21 16:35:42 chigusaotsuki 16
今回の尖閣諸島の問題、あるいは竹島の問題は、おそらく、中国や韓国の、物の考え方や、現実のカテゴライズの仕方が、国の中で、うまく適することができていない状況を、あらわしていると、思います。
ただし、中国や、韓国に限らず、日本でも、見られると、思うのですが、尖閣諸島、竹島は、実在物ですが、概念として触知することで、つまり、ある領土に対する概念的あるいは感情的な構えや見方を、私たちの心が造りあげてしまうことで、もしかしたら、領土の、あるいは、領土に関わる意味を、変えてしまおうとしているかも、しれません。
領土問題を、生理的および感情的に論じてしまうと、解決できないだけでなく、これまでのように、領土問題を、繰り返すだけになってしまいます。
尖閣諸島、竹島は、実在物であり、心理的な構成物では、ありません。
それでも、実在物としてではなく、意志の力で解決しようとするならば、解決策は、常に、理論を超越してゆくことでしかなく、どんなに厳密に概念化することができても、それでも、全く新しい洞察は得られないと、思います。
明治以降、私たちは、以前とは違う新しい民主主義を、見てしまったのであり、旧い時代を素朴には続けさせなくしてしまったのです。
そう考えると、今や、中国や韓国は、国の帰属を、他のクラスに変化させられる、チャンスであるとも、言えると思います。