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天才とは何か

◆第七回のお題◆
<天才とは何か>

今回の掲示板では、前回の掲示板No.23でterurunさんが話題にしてくれた「天才」について考えてほしいと思います。

最近、僕が大学入試の問題点についてツイートしたら、進学校のなかにも「模試が何点だった」とか、「偏差値がいくつだった」とか、そういうくだらないことを自慢しあうような人たちがいて、それに辟易していますというリプライを返してくれた人がいたんです。

「天才」というのは、試験の点数といった「量」的なモノサシでは測れない存在だと思います。「量」的なモノサシを超越していて、「質」的な飛躍がある。それが天才だと思うんです。日本の社会の不幸の一つは、「天才」という概念が成熟していないことじゃないかなとも思います。

時には偏っていますし、試験の成績が必ずしも良くなかったりもする。だけど今までの人類が見たこともないような風景を見せてくれる。天才というのは、そんな存在だと思います。

みなさんは天才をどういう存在だとお考えですか。それから、天才を育む環境や、天才の邪魔をしない社会というのは、どういうものだと思いますか。現在の日本の大学は天才を育むのに適した場ではないと僕は感じていますが、では具体的にはどういう改革が考えられるのか。僕は小学生の頃にアインシュタインの伝記を読んで、「世の中でアインシュタインが一番偉い人だ」と思い、物理学者を志したのですが、みなさんにとって目標となる「天才」とはどういう人でしょうか。

天才を大事にするということは、結局、「個性」「偏り」「変人」を大事にするということだとも言えるのではないでしょうか。そうしたことに対する考え方についても、議論をしていただけたらと思います。

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NO.242011-07-18 12:17:33 terurun 0
文章能力の無さから、誤解を招くような内容しかかけない事を本当に申し訳なく
思っています。。。すみません。。。

No.21に書いた、船の設計図を書くお子さんについてですが・・・

一つの例としてあげさせてもらっています。。。

学校では、何か作業をしている時に、お友達に名前を呼ばれても聞こえないという

問題や、自分が興味を持ったものに、異常な執着心を持つ等から、

他の学校にある「コミュニケーション教室」という教室に通っているお子さんがいます。

この教室は、社会適応能力を身につける教室のようで、お友達と上手く会話をする能力や相手の

気持ちを理解する。。。等、それはそれで良いと思うのです

が・・・私は、そのことを言っているのでは無いのです。

「天才」にとって、「社会性」は、相反しています。。。

つまり、このお子さんの何か作業している時に「周りの声が聞こえなくなる」という

感覚を「コミュニケーション教室」に入り、「周りの声が聞こえてしまう」感覚に

変えてしまうということは、間違いなく、人並みはずれた「集中力」も失うという

ことを言いたいのです。

前にも書きましたが、天才は、大きなリスクを抱えています。。。

何かに異常に集中できるということは、他の事に気が行ってないということは

脳のことをあまり知らないので。。。上手く言えませんが、言えるのではないでしょうか。。。

しかし、10000人のうち、9999人は、何か作業をしている時に、名前を呼ばれて、

返事が出来るような感覚を身に着けることは、当然良いと思うのですが。。。

そのうちの1人ぐらい、聞こえないのだから、聞こえなくてもいいのではないか?ということなんです。

そういう人を受け入れたいんです。

「天才」という人を私も本当のところ定義出来ません。

ただ、多くの人が異質と思っている人を、どうもみんな、受け入れるのが苦手なように

思います。。。

「天才」を育てるということは、周りの人が異質な人を受け入れるということにも

結びつくのではないか?と思うのです。。。

子供の頃、異質だったのに、結局、いろんな場所でみんな、変わっていってしまうんです。

なぜなら、変われないものは、生きられないからです。。。そういう社会が日本にはあるからです。

だから、日本には、「天才(異質な人)」がいないんだと思います。

正直、友達は、みんな、自分を尊重してくれる自分が居易い国に行ってしまいました。。。

異質な人にとっては、日本は、居心地が悪いんです。。。

その船の設計図を描いているお子さんのお母さんにも「他の国に行って、飛び級して

しまった方がいい」なんて。。。相談してしまいます。。。

もっと、「個性的な人」も住みやすい日本になって欲しいなぁ・・・

と心から思います。

そのためには、まず、多くの人が、他人を受け入れられる心の豊かさや柔軟性、
そういうものを身に着けることが重要ではないかと思います。

他人を受け入れる、認める。

自分の有能さを認めてもらうことばかりでは、他人を受け入れることは出来ないと思います。






NO.232011-07-18 10:47:05 LAMPRIGERA 0
>No.20

Thank you, orcamie-san. I thought flashlight could be a commonly used metaphor to indicate something, but it seems like it isn't.

I now think that gaga had 'web performance (video making)' in her mind, using flashlight as a 'spot light.' I am not sure though.
---------------

>No.21

天才とは、その言葉の成り立ちからして、各人が生まれ持った才能、その独自性が開花した状態に他ならないと思います。ただ、そうした開花を遂げた人物が少ないので、「天才=稀な存在」のような認識が一般的かと思いますが、天才は、可能性としてあらゆる人間の中にあるのではないでしょうか?

guheguhe18さん(No.16)が指摘していることとも近いですが、ある分野に強烈な関心をもって、幼少期のうちに高度の技術的成熟を見せる、というのは才能の一つの形態にすぎないと思います。そのタイプの人たちだけを「天才(変人)」として、「残り」は普通で均質であるとするのは間違った捉え方だと思います。

また、社会性と個性は対立するものではないと思います。

現代のように、事実上、分業をしなければ世の中が回らない状況では、個々人で適性が違わなければそもそも社会が機能しません。

問題は、今の分業体制では、個人の適性(=生まれ持った才能)に合った仕事を各人がしているというよりも、市場の要求する必要を埋める形で仕事を「選ばさせられている」という事だと思います。

NO.222011-07-18 05:44:42 orcamie 0
Takahashi (#17) san commented someone who can influence and fascinate people to change the values or mindset is a Tensai. But I think that geniuses are geniuses even if they aren’t known and realized in public, who couldn’t change the world. I think people with influence and fascination can be called great people. Some of them may be Tensai but the others may be Shusai.


I agree that categorizing people creates a kind of prejudice among people.(by #7chigusotuski) I feel like people in Japan have a tendency to classify too minutely. To make the things worse, there is little mobility among the categorized groups. The ideas and opinions always go from the top to the down.
As it turned out, Japanese can’t help missing much possibility that they may have found .


Maybe we can’t change the character of Japanese so easily and quickly.
We need to seek for the way where we can have enough mobility with classifying. What we need is a lot of chances for communication among different groups beyond the hedge. That may make less prejudice.

As for geniuses too, what is needed is many drastic ways of communication. Since the internet is providing the new communication method to us, we should make the best use of it. If we can have more mobile and flexible communication exchange in many fields over the hedge which is fencing each one of groups, the height of the hedge is going to be shorter. And then we can look at and know each other better than before. To have better communication, the most important thing is to know the opponent before you speak out for or against it.

With geniuses, we’d better provide some place for them to feel free to behave strangely and be genius as much as they want. Although terurun san (#21) mentioned a genius was forced to join the special class once a week, it is not always so bad. Because if the special classes meant the special support classes for LD(learning disability), some of those classes will offer individual support to children with high quality. But problem is not all the classes have enough quality to make progress. (参照:発達障害のこどもたち 杉山登志郎著 講談社現代新書)

I wish not only children with special condition but also all the children in Japan will be able to have individual support in their education especially at elementary schools. Then geniuses may be everywhere in Japan. We’re killing geniuses by classifying and not by supporting them enough.

NO.212011-07-16 01:43:43 terurun 0
自分の体験、経験からしか、お話出来ないのですが・・・

私は、「才能のある人」と「天才」を分けています。

私の思う「天才」というのは、やはり、俗に言う「変わり者」ということかもしれません。。。

私は、周りに本当に「努力」とか「環境」によって、「天才」になった人ではなく、

生まれ持って、特質な人を見てきました。。。

小学校の時の親友は、とにかく、自分を追い込み、「完璧」を目指していました。

小学生で、算数の公式の紐解きをし。。。

自分が食事をしている姿を人には見られているのに、自分には見えていないからと。。。

大きな鏡を自分の前に起き、その姿を見ながら、食事をしていると言っていたし、

左手と右手で同時に文字を書けるようにと何時間も毎日、同時に書く練習を鉛筆で

練習をしていたりと・・・

言われてみれば、そうなのだけれど(笑)、小学生では思いつかないことをやっている

友達がいました。。。

もちろん、頭に何でも記憶される力が強いので、ノートをとらないこともあったし、

勉強も当然、学年で1番でした。。。

話も上手い、走っても男の子より早くて、もちろん、1番で、生徒会長にもなる。

洞察力もあり、センスもいい。

「天才」と言うのは、もう、子供の頃から、かなり変わっている(笑)ように思うのです。

親は、意外に放任だったり、家庭環境の悪い人もいます。

まったく、勉強を教えてもらっているようにも思えないし、子供自身が抜群のセンスを

持っているように思いました。


私の思う、「天才」は、環境や努力と言うものに左右される人のことでは、

私の場合、違います。

最近も、あるお友達のお子さんがそうなんです。

もう、小さい頃から違います。

お母さんが読んでくれる絵本の活字を全部、覚えてしまうのです。

次にあったときは、ページをめくっているだけで、自分で声に出して言っているのです。。。

3歳ぐらいの頃は、

例えば、地球儀の国を全部、暗記してしまうし、惑星の種類、距離感、

気体の性質等・・・全部覚えてしまう。

パソコンでお母さんがロケットの発射映像を見せれば、そのロケットを発射する時の

外国人の言葉を全部、記憶しちゃうんです。。。

そして、今は、7歳にして、趣味は、船の設計図を白紙に書き写すことなんです。。。

しかし、小学校では、お子さんは、異質扱いなんです!!

一度、集中してしまうと、周りの声が聞こえずらくなってしまうということがあって、

それが原因で特別な教室に週1回入れられているのです。。。

私は、とても、納得がいかないのです。。。

人と違うというのは、こういうことじゃないのか?と思うのです。

何かに集中している時に、他の人の声が耳に入るということは、集中している力は

弱いと思うんです。

どうして、そのお子さんの異質な能力をこのような形で押さえ込んでいくのか?

私には、どうしても理解出来ないんです。。。

当然、学校の授業は、簡単すぎて、苦痛のようで・・・、日本に飛び級があったら、

どんなにいいだろうなぁ。。。なんて思うんです。。。


他にも、

ある大学の先生なのですが、

子供の頃は、とにかく、鉛筆の転がり方が気になって、

その転がり方にこだわって、何十時間も鉛筆を毎日、転がしていた。。。と

いう話を聞きました。

もう、気になると学校の授業も聞かないし・・・

とにかく、ずっと、転がしてしまうんだそうです。

脅迫観念にも近いし、思い込んだら、止まらないんだそうです。。。

当然、学校の友達には、いじめられる。軽蔑のまなざし。。。だったそうです。。。

しかし、その先生も頭がいいんですよね(笑)。。。一般的に言う東大に行ってますし。。。

でも、当時、学生の頃、すぐ、先生は、「ユングとは・・・」と言って、1分ぐらい

固まる人でした。そのまま、ずっと固まってしまうんです。。。

そのぐらい変わっている(笑)。。。

私は、そういう人達が、本当に生きずらいのをずっと、見て来ました。。。

いつの間にか、みんな、静かになってしまって、「普通に生きる」ことを一生懸命

努力して、身につけているように見えました。。。

「天才」は、本当にたくさんいるのに、日本は、本当に天才の「個性」を潰すのが天才的だなぁ(笑)

と思うんです。。。

社会性と言うのは、大事だけれど、みんなどんぐりになるように教育しても、

結局、何も生まれない現実があるように思います。。。

「個性」は、尊重すべきと思います。。。

日本にも「変態」「変人」が、何人かいて欲しいなぁ。。。と思うのです。。。

みんなと同じではない。みんなと違う。

そういう人。

いてもいいと思う。

NO.202011-07-15 20:34:06 orcamie 0
NO.18  LAMPRIGERA 引用しといてなんですが、flashlightって字義通り懐中電灯なんでしょうか(^^;?
たぶん ひらめきが flash なので inspirationの意味じゃないかと思います。
ちょっと親父ギャグっぽい感じで 懐中電灯にひっかけてるのかなあ。。。
light には 希望の意味があります.
何か人類に希望をあたえる閃き
だけど手にしてるのはflashlight 懐中電灯だから
誰にだって手に取れるものだから
そんなに難しく考えないで
ちょっと良い考えが浮かんだら
インターネットでは いろんなことができるよっていうことなんだと
勝手に解釈してしまいます。

I always say if you have a flashlight, a cell phone and a good idea, you can make a lot happen wiht the internet.


Maybe Lady Gaga wanted to say : Take it easy and don’t think too difficult.
There are a lot of chances on the net if only you have a good inspiration.
A flashlight is something not special but one of the things most people have one at home. The more people can be careful for their own ideas, the more chances they can find. This is my interpretation. What do you think?

NO.192011-07-15 19:45:34 LAMPRIGERA 0
>「偉大な天才」と「天才」の違い、に通ずる所にはならないでしょうか? 「とても頭は良い」けれども、人間の本質のその先を今一歩掴もうとせずにいる人との微妙な違いだと思います。しかし、それはとてつもなく大きく開いた一歩だとも思うのです。(No.13)

僕も、trasqueさんに同意します。No.1で投稿した、「天才」と「偉大な天才」の対比は、天才がどこまで全人間的な責任を持つべきなのかという点を考えようとしたものです。

僕がこの対比で指摘したかったことは、ある分野で天才が技術的卓越性を発揮した時、彼/彼女は、その社会的な影響をどこまで考えるのだろうかということです。ある専門分野で、圧倒的な才能を発揮する人でも、その外のこと、つまり自分の専門を離れた時、作り出した技術や知見がたどる末路に関しては、あまり考えない人もあるでしょう(ちなみに、ここでで言う「天才」は、どちらかというと、技術的卓越性としての色合いが濃いと思います。したがって、一つ前の話題の創造性とは別に考えを展開します)。

いわゆる「専門家」という人は、多くの場合、専門分野で技術的に卓越していて天才と言いうるとしても、全人的な責任をベストエフォートとしてどれだけ取ろうとしているのか、そのことも重視されるべきだと考えます。自分は専門家として技術や知見を提示するだけでよい、その外の影響には関知しないとするのは、一つの思考停止です。

例えば、アインシュタインは、アメリカでの原爆の開発にも携わっていたと思います。開発された原爆は広島・長崎に投下され、生きた人間の上で炸裂しました。色々な矛盾はありますが、平和主義者とも言われるアインシュタインは、このとき何を感じたのでしょうか。

アインシュタインは、その後、ラッセル=アインシュタイン宣言を発表し、科学技術の平和利用を訴えました。確かに原爆の開発はおぞましいことですが、その後、彼は「専門家」の領域を超えて、全人的な責任を取るべく最大限の努力をしたのだと思います。

NO.182011-07-15 19:43:23 LAMPRIGERA 0
今回の議論には、天才と凡人の対立のような構図がある一方で、trasuqueさんのように「誰もが天才となり得る(No.13)」という捉え方も出てきていますね。

僕は、yamadaswitchさん(No.12)の主張に近いところで、全ての子供は「創造的である」という意味で、本来、天才だと思います。

ただ、子供たちが天才であるのは、いわゆる行動規範のようなものが、まだ子供の精神構造にしっかり組み込まれていないからだと考えています。年齢を重ねて、行動規範が形成されるようになると、その規範に従って「型にはまる」ようになってしまい、創造性を失うのだと思います。

外部から無意識のうちに押し付けられる行動規範を一たび持つと、自由に行動する(生きる)ことが難しくなるのでしょう。

一般的には、子供が社会の中で成長していく過程では、なんらかの行動規範が形成されることは避け難く、大人になる頃にはだいたい全ての人間が創造性を失ってしまうという事は、必然的な流れであるような気がします(親の意識が高く、徹底してオルターナティブな教育を受けさせる場合は、この限りでないかもしれません)。

たぶん、技術的な卓越性ではない、「質的な飛躍」を持った天才は、外の影響力から形成された行動規範を一度解体し、自分にあったものを再構築したか、あるいは、生涯、外部からの行動規範を一切受け入れなかったのかのどちらかだと思います。
---------------

もしこの考え方が正しいとしたら、行動規範さえ解体~再構築してしまえば、だれもが天才になれる、ということになります。

ただ、問題は、ある行動規範にとらわれている人は、自ら「自分が囚われている行動規範」を認識することが難しいということでしょう。

ここで、僕がNo.1でご紹介した9点連結問題に戻るなら、最初、大抵の人は「折れ線は点上でしか曲げられない」という制約(=規範)を持っています。そして、この制約が、意識されることなく、発想を制限しているわけです。この規範、自分が制限されている事実が意識されない限り、そこをはみ出した発想にたどり着くのは至難だと思います。

創造的な天才とは、行動規範に縛られた生き方に満足できず、別の生き方を深く探求したがゆえに、人生に異次元がある(ワクの外で曲がれる)ことを発見するに至った人間なのだと思います。

ということは、やはり凡人と天才は、本当は紙一重の違いなのではないでしょうか?また違いがあるとすれば、それは、天才となった人は、現状に満足せずに「異次元の可能性」を信じていたという、「考え方の違い」だけなのかもしれません。9点連結問題のように、言われてみれば「あっそうか…」というくらい容易な感じで、あるとき規範が消滅し、その先に創造性の地平が広がっていた。それだけのことなのかもしれません。
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ただ、「異次元に挑戦する」ということは、なんだか突拍子もないことで、大抵、だれもやってみようとしないのでしょう。例えば、先の9点連結問題が、解ける問題として出題されたのではなく、「解けない問題かもしれませんけどね…」みたいな状態で出題されていたら、どうでしょう?

現実には、天才という課題は、人生において、解けるか解けないかわからない問題として、あらゆる人に提起されていると思います。

このことと関連して、天才の役割について言及するならば、天才の役割とは、自分が異次元へ突き抜けて行くことで、「ほら、こんな生き方があるんだぞ」と、示すことだと思います。そして、それは特別な人にだけできる生き方なのではなく、あらゆる人に、各々の異次元が存在しているはずです。子供の時、みんなが創造的であったことから考えれば、当然そう言い得ると思います。

僕は、自分を凡人とみなしたり、天才とは全く違うと考えたりするスタンスには、疑問を抱くのですが、それは、だいたい以上のように考えるからです。

もし、誰かが突き抜けたとしても、ただ、「あの人は天才だから関係ないわ」という接し方をするならば、私たちは天才の価値を十分に享受していないのだと思います。

岡本太郎はかつて、「…もしオレのやり方で、岡本太郎を貫き、殺されずに、やりぬいたら、それを見てああオレもやろう、あたしも、というやつらがワアッとあらわれて幾何級数的にあふれてくるだろう。そういう日本を創りたい…」(『岡本太郎が、いる』岡本敏子)という発言をしています。しかし、別の機会には、「…いままで、ぼくはずいぶんと闘ってきたが、世の中が変わらないどころか、逆に悪くなってきている。…」とも言っています(『自分の中に毒を持て』岡本太郎)。

そのもっとも大きな原因は、ほとんどの人が自分の存在の異次元を信じなかったことにあると思います。
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話は変わりますが、昨日の茂木さんtwitterは、レディ・ガガの話題になりましたね。orcamieさんと同様、僕もガガは天才だと思います。彼女は、世間的な行動規範をぶち抜いていますが、同時に内的な規律とでも言うべきものがあって、人に接する時には、とても自然で丁寧な物腰ですね。今回のガガ公式youtubeアカウントの停止は、世界的にも大きなロスだと思います。

ガガの活動のスケールと意義を正しく捉えることができず、近視眼的な著作権保守に走ったのは愚かなことだと思います。 しかし、違反申告側にしても悪気はないんでしょうね。残念なのは、このようなことが悪気なく行われるということです。

ガガくらい突き抜けていれば致命傷にはならないでしょうが、駆け出しのナイーブな天才も、このような「悪気は無いけど浅薄な考え方」の犠牲になる可能性があります。そして、場合によっては完全に才能が葬り去られてしまうかもしれません。

前回のテーマでも書きましたが、「目利き」と「いい芽」が出会う機会を増やすことが必要です。

ガガはネット上での才能の発掘やエンカレッジメントなども、非常に丁寧にやっているようです。せっかくなので、最後にウォールストリートジャーナルジャパンのインタビューから、ガガの言葉を引いておきます。

I always say if you have a flashlight, a cell phone and a good idea, you can make a lot happen wiht the internet.

引用しといてなんですが、flashlightって字義通り懐中電灯なんでしょうか(^^;?
それとも、何かのメタファーかな?わかる方いたら教えて下さい…。

NO.172011-07-15 14:26:26 takahashi126 0
As it is rightly mentioned by chigusaotsuki (#7), there will be enormous diversity of perception about Genius called "Tensai". But I think it is simply someone who can influence and fascinate people to change the values or mindset. In such a sense, "Tensai" must be a strange person.

In my opinion, environment may influence little to nature such an ability of being "Tensai". Whatever s/he saw, whoever s/he have been with, they may think alternatively and create something new. It maybe helpful if there is someone who can support him/her to accelerate generation of new visions/values, etc... but, I don't see any reasonable environment to create "Tensai".

Oops, my 9-month old son started crying... Hope I can come up with better answer through nurturing and homemaking!!!

NO.162011-07-14 04:54:41 guheguhe18 0
AIの分野で、隠れ層という概念があるそうです。
入力層と、中間層(隠れ層)、出力 
という感じで、情報が処理される過程で色々な変化をする層?
ちょっとAIとかよくわかりませんが、詳しくはgoogle先生に。。。

もちろんこれをそのまま人間の脳にあてはめるわけにはいきませんが、
この隠れ層。入力から出力に至る謎の部分に天才の秘密があるように思います。
入力から出力は一瞬です。その一瞬の間に全てがきまる。
モーツァルトは交響曲を一瞬でイメージしたと言いますが、そういうことでしょう。
その一瞬のイメージはもうほとんど決まっていて、後は現実的に時間のかかる
作業ということになると思います。

天才とはつまり色々な蓄えた情報を瞬時に面白く繋ぎ合わせ、構築することが
できる才能ではないかと思います。
そのヴィジョンを得ることは一瞬ですが、現実的にそれを実現させようとする際に
ものによっては時間が何年の単位でかかることはよくあることではないでしょうか。

ここで、問題は、そのヴィジョンを構想することに秀でていたとしても、
それを研究して深めたり発表したりすることができなければ意味がありませんし、
もしもそういったことを発表することに対して何らかの圧力がかかっていると
感じてしまった場合、そうした発想が萎んでいってしまうこともあるでしょう。
才能にあふれた人が、常にバイタリティ豊かな人であるとは限らないでしょうし。

そういった創造を金銭面でも研究の環境面でも支援する雰囲気やシステム。理解しようとする人々。
天才の側はそれを丁寧に説明しカタチにしてゆく。そういう関係がうまく回るように
なると良いと思います。


それと、社会的な天才は2つあると思います。
1つは、既存のルールを壊し、新たなシステムを構築する人。ハード面を新たにする人。
もう1つは、その新たなシステムでできる事をとことん深められる人。
素晴らしいソフトをつくる人。
だいたい両方の才能を兼ね備えていると思いますが、とにかく両方大切で、
そういう人を理解できる人が増えるといいと思います。

まぁ天才かどうかの判断は早期には難しいものだと思います。
早熟の才能を発揮できる分野と、そうでない分野がありますし。
だからといって見捨てるのでなく、見つけ出して大切に育て上げよう。
という環境が整備されてほしいですね。

NO.152011-07-12 22:05:54 ryosuke85 0
今回も英語での投稿にチャレンジ途中ですが投稿させていただきます。
ちょっと苦しくて逃げているのが現実です…。
けど、間に合えば週末までに何とか…

では、お願いします。
今回もサッカーに絡めて面倒な感じですが…

天才
What is the genius.

僕はサッカー競技の中で天才について考えてみました。
I thought to do genius of soccer.

僕は枠組みを突破する存在だと考えています。
I think breakthrough existence of flame.

サッカーという競技の中で天才といわれ人々をワクワクさせる様な選手のことを「マジシャン:Magician」、「ファンタジスタ:Fantasista」や、「エクセレントキッカー:Excellent Kicker」などと表現します。
The genius of soccer player, An expression to magician, Fantasista, ExcellentKicker, and so on, excitement people called.

そういう選手が主戦場にしているポジションは得てして攻撃に加わることの多いポジションにいます。相手チームに決定的なダメージを与えるような攻撃を与える事が出来る、相手チームの意表を突く事が出来る、見ている人たちから感嘆の息が漏れる、そういうプレーをする事が可能な選手が攻撃時にとても必要になるのです。
This player existence many position is about roughly attacking position. He was possible critical attack for enemy team, catch a person off enemy guard, Admire breath to the watch a game people, this case necessary for him.

昨年、南アフリカで行われたW杯でアルゼンチン代表を率いたディエゴ・マラドーナはそういう選手でした。
見ている人たちが「次はどんなプレーをするんだろう…」期待に胸を躍らせながら彼のプレーに見入っているのです。まるで恋人を見つめる様に。そして、試合後にも彼のプレーを思い浮かべて、悦に浸り、次の試合まで持続させる。そして、また試合を見て、彼のプレーを楽しむのです。

サッカーにおいて攻撃は構築していくことだと言われています。その逆に守備は破壊する事だと言われています。
Attacking is called “build up”, defending is bleak out, on soccer.

基礎から積み上げてきたものを壊す。それが守備なのです。
Be a breakthrough to the build up. That is “defend”.
そういう破壊者が立ち並ぶ土地に構築していて、状況が停滞してしまった時に一瞬の閃きからその状況を打破できる存在がサッカーの中における天才と呼ばれる選手です。
A such the breaker by breaker place in the genius play for the breakthrough.

しかし、チームスポーツであるサッカーにおいて、たった一人でどうにか出来る事はそう多くはありません。
But, One people breakthrough is very difficult, because soccer is team sports.

味方のサポートを受け、敵を迷わせる事で、その閃きが決定的になるのであって、周りの人間が非協力的な状況では活きません。


例えば、現在、サッカー界においてスペインのバルセロナのサッカーは極地に達した、日本は見本にすべきサッカーであるとも言われているぐらい質の高いサッカーを展開しているのです。
その中に、メッシというアルゼンチン人の選手がいます。
この選手は確かに素晴らしい選手であり、彼の足に吸い付いていると錯覚してしまうドリブルや小さい足の振りから放たれる強烈なシュートを止める事は大変難しく、まさしく彼はサッカー界における天才です。
しかし、そんな彼を持ってしても、チームとして攻撃時の連動性が無ければ彼の素晴らしさが半減してしまう。
つまり彼の閃きを信じ、支える周囲の協力があってこそ、彼の素晴らしさをわれわれは目にする事が出来るのです。

どんな天才を目の当たりにしようとも、それを信じ、支える協力者の存在なくして、天才は天才たりえない。

サッカーは一人ではできません。
Only one wasn’t play soccer.

一人躍起になって攻撃へ転じた所で、相手が二枚三枚のディフェンダー(守備者)をぶつけてきた場合、それを崩すのは決して簡単なことではありません。
勿論、それをどうにか出来る能力を天才は持ち得ています。
しかし、その能力をもっと得点という目的のために有効活用するには、周囲と協力し、ありとあらゆる選択肢を相手に提示する必要があり、そうする事で、相手に与える衝撃は大きくなります。

そして、より“楽しく”なります。
And, more fun.
見ている人たちが楽しいサッカーというのは、やっている本人たちも面白いサッカーなのです。
勿論、それをする為に、天才たちも努力を繰り返します。
バルセロナの監督であるジョゼップ・グアルディオラは「バルサには素晴らしい選手がそろっている。けど、一番大事なのは努力。努力しなければどんなチームに負けてもおかしくはない」と語っている様に、チームとしての完成度を高めるためには個々人の努力なくして語れない、という事です。

本人たちがやっていて楽しいサッカーを目指す上で、必要な事は本気で目指す事。
好きなことをする為に、目一杯の努力をする事で目指すべきものに到達しようという気概を持っています。

以上のこと踏まえると、サッカーには人生における共通点が多々見られるのかな、と考えています。
僕は“サッカーは人生の縮図”だと感じている人間の一人なのですが、天才を育むと言う事に関しても、どう活かすか、という点で考える必要がありますが、しかし、それは天才という存在を許容できるかどうか、という指導者側の裁量も関わってきます。育成する側の観察する目を育むと言う事も同時進行で取り組んでいかないことには、天才の成長も無いものだと考えます。

それは今回の堀江貴文さんの収監に至るまでの日本においてもそうなのかな、と思います。現在、堀江さんの収監に対して疑問を感じている方は、ライブドア事件が発生した時期と単純に比較しても大きな数の違いがあると感じています。
それは、日本という国の中で、情報を得る事が出来る人が増えたという事と、日本の中にある“問題”が顕在化した事もあると考えていますが、それ以上に“考える人”が増えたのかな、と。考えている人は成長しているんじゃないかな、と。

僕の中で天才というのは、好きなことだから努力を厭わないし、好きなことを考えているから見えない“絵”が見える様になる。
I think genius seen the picture, but we don’t seen.

そして、天才を育む環境としては、周囲が認知・協力し、もっと大きな力へと変換させてあげる様な手伝いをする事が大事なのかな、と。
And, I think that necessary for bring up to the genius. One genius surround a person people need to the converted over the present situation force, We should acknowledge and cooperative.

杓子定規的に決まった形で、押しはめるのでは無く、道を提示しながら見せてくれる景色を楽しみながら。
We are hope to future for genius. No pushed accomplished box, and wait for fun to the beautiful view seen.

結局、今回もサッカーに絡めて長ったらしくなってしまいました。
I’m sorry. After all, This a contribution was lengthy entwine soccer.

よろしくお願いします。
Thanks.

遠藤涼介
Twitter account: ryosuke_endo
Facebook name: 遠藤涼介(Ryosuke Endo)
Google+ account: not acquire. wait accept.

NO.142011-07-12 01:54:03 seiung 0
 僕が思う天才の条件とは
それ迄に無い異質なものを生み出した人

 天才と聞いて最初に頭に浮かぶのが「ジミ ヘンドリックス」彼の音楽とギターサウンドはかなり異質、天才という言葉がふさわしい。
彼は靴が買って貰えない程の貧しい家庭に育ち、シャイで無口な子供だったそうだ。そんな彼がある時「ギターが欲しい」と言い始めた。ギターを猛烈に欲しがるジミを見ていた彼の担任の先生は精神科医に相談して、彼のお父さんを説得して買ってもらい、ジミはやっとギターを手に入れることが出来た。それ以来、彼はそのチューニングが合わない安ギターを調音しながら色々な音を出していたという。
ここで大活躍は担任の先生の観察力、熱意、愛だ。ジミヘンとギターを結びつけたという事は歴史を変えたといって良い。今の学校の先生にも子供の秀でた所を発見しそれを伸ばす、そんな熱意を持った先生がいっぱい居て欲しい。

 天童と呼ばれていた野口英世は村から偉人を輩出したいと願っていた地主や村の人々から支援を受けて学業を続けた。この現象は現在の日本では無いだろう。その代わりと成るものは何だろうと考えると奨学金制度だろうか?なんか違う。野口英世は親戚でもあるたくさんの村人の気持ちを背負っていたのだから。



NO.132011-07-12 01:50:29 trasque 0
書き込みボタンを押したら文章が消えてしまってしばらく気力がなくなっていました(3日程へこみました!)。
毎度やっていた「メモ帳での作成」を怠った時に限って…… 油断は禁物ですよね。

天才だ!すげえ!と憧れる人は個人的に野球のイチロー選手や、独立時計師のフィリップ・デュフォー氏です。個人が誰かを(天才とは限らずとも)尊敬するには、色々と理由があると思いますが、そういった意味で天才というのも結局はそれぞれが勝手に自分が認めたと言っているに過ぎないのかもしれません。
もちろん、誰もが認める天才という人物も存在していますが、そういった「天才」という表現には少しばかり違和感を覚えてしまったりします。

一般的な天才という言葉は「(経済的に)成功した人」や「(数値として)活躍した人」でしか認識できないという面があると思います。もちろん、多くの人々に天才として尊敬される人物はそれだけではなく、人間的な部分や、総合的な部分も含めて評価されてはいると思います。
しかしそれでも表に出てきたとされる天才しか、ほとんどの人達は認識できないのではないでしょうか。

私の母は昭和45年頃(三島由紀夫が割腹自殺をした事件があった年です)に、商業高校へ通っていました。<母の話によれば>母は和文タイプライターの天才でした。勉強も運動も不得意で、それだけが取り柄で、和文タイプライター部なるものにも所属する程だったようです。
和文タイプライターは漢字をも網羅しようとした機械なので「交換用のキー」が漢字の分だけ用意されており、どの漢字キーがどの位置にしまわれているのかを記憶してなければ扱えないという、いわゆる特殊技能の典型だったようです。
この昭和45年の前後という時代は、電卓が安価になって普及したり、ワープロが普及し始める時期だったようで、折角見出した和文タイプライターの才能も、社会に出る頃には無用の長物となってしまったのだそうです。
母が本当に和文タイプライターの天才だったとしても、現代で母を「天才」と呼べるのでしょうか。社会で必要とされなくなってしまった才能が天才的であったとしても、誰が母を天才だと認めるのでしょうか。
(母はあまり和文タイピストとしてはこだわりがなかったようで、聞き出すまで本人が忘れてましたが)


ここまでで私が考えているのは「誰もが天才となり得る」のと「天才は人間の中にこそいる」という点です。

書き込みの中にもたくさんありますが「埋もれた天才」や「目に見えない要素の天才」も、たくさんいると思います。どこかの商店街が平和で賑わっているのも、実は自治会の一人のおっちゃんが「何かの」才能を天才的に発揮していたりするのかもしれません。
才能を「限定技能の特化」として捉えるのには違和感があります。才能なんてものは、人間が分析できるようなものではなく、もっと色んな要素がごちゃまぜになっているもの、それが自然だと思うからです。
ですから天才の数としては「私達が把握している天才」なんかよりも、もっともっと沢山の人が存在しているんじゃないかと思います。「誰もが天才となり得る」とはそういった所です。

同時に「認識される事」も、やはり大事な要素だと思います。いくら主張しても和文タイピストの天才は現在、「社会」には直接必要としている所は無いでしょう。そもそも和文タイプライターすら知られていないかもしれません。
また「どう認識されるか」でもその評価は変わると思います。大きな力を持っているだけでは、天才とは呼べません。その力を人の頭に振り下ろせば一瞬で凶器になるからです。その力の使い方が分っていて、更にその正しい方向へ一気に突き抜けられる人、そういう人を天才だと私は呼びたいと思っています。

No1:LAMPRIGERAさんの書き込みにある「偉大な天才」と「天才」の違い、に通ずる所にはならないでしょうか? 「とても頭は良い」けれども、人間の本質のその先を今一歩掴もうとせずにいる人との微妙な違いだと思います。しかし、それはとてつもなく大きく開いた一歩だとも思うのです。
ですから、特に大きな能力を持たない人であったとしても、目の前の一人だけでもなんとか幸せにしようと本気になれる人に、私は心を動かされます。震災等でそういったエピソードもたくさん聞きます。ある人の決死の行動によって、誰かが救われたり、自由になったりする時、その人こそが「その瞬間、天才だった」とも言えるんじゃないかな、などと考えました。
「天才は人の中にいる」とはそういうことです。

私達は「大きな力」に対して、無条件に従ったり、羨望してしまう事があります。
たとえ「数値上とてつもない天才」だとしても、その力が間違った方向に使われてしまうのならば、私達はその天才と断固戦わねばならないと私は考えます。(武力的な意味ではありませんが……)
天才も人間であって、完全ではない。だから人の中で揉まれる必要があると思います。
その「揉む為の土台」として、人間社会が必要だと思うのです。

土台である人間社会は、私達「凡人」がほとんどを構成しています。
(いっしょくたにして申し訳ありません。ただ、文意を汲んで頂ければと思います。)
天才が天才である条件として、人間的素養を求めるのならば、それは「人間社会が持つ役割」ではないでしょうか。書き込みにも多数上げられていますが、その「力」をまず認める度量や器を持つ事。その構成要素は人間一人一人ですから、それらがこつこつと成長を続けてゆく事。それが積もり積もって「天才をより天才たらしめる」のだと思います。

No10:竹内さんのおっしゃるように、「天才」こそが世界を押し上げるのだとするならば(そして私もそう考えます)、その土台となる私達は天才を育て上げ、受け入れ、時に戦おうとする気概をがっつり持つ事で、結局世界を押し上げる事への貢献となるのだと思います。
「限定能力」による天才の把握や、度量の狭さはこれらに対する抵抗勢力となってしまうと私は考えています。ときどき教育や地域社会が「まず人間中心であるべき」と叫ばれるのは、そういった意味も含まれているのではないだろうか、と考えます。

NO.122011-07-11 04:09:34 yamadaswitch 0
初めまして。
青森県に住んでおります。二児の母です。

「天才とは何か?」という言葉に反応された皆さんの
答えを読むにつれて、「天才とは何か」を考えることが
日本の未来を面白くしていくんだなあと
感じました。

教育とは、型にはめることだと思います。
江川達也さんの漫画「東京大学物語 34巻
」での1シーンなのですが、
主人公の村上君と、その彼女の遥ちゃんに子供ができたときに
やりとりされる会話の中に
現代の天才を殺す教育の問題がギュギュッと表現されています。

遥ちゃん
「どんな子どもだって、生まれた時には天才児なのよ。
でも教育熱心な親が秀才児に育てようとして、
その時代の狭いカタに子供をはめて、
才能をどんどん削って、
最後はつまんない何もできない人にしちゃうんじゃない?」

中略

村上君「じゃあ、親や先生は何をしてあげられるんだ、この子に・・・」
遥ちゃん「何かしてあげようなんて、ひどいこと思わないこと。」
村上君「え?」

遥ちゃん「自分が何をしたいって一番わかっているのは自分!!」
(大幅に中略)
いいのよ。それでいいのよ。
やりたいようにやればいいのよ。
あなたも、この子も、」

・・・・・と、ここからがすばらしいところなのですが、
この先は本を買っていただくことにして。

今現在、上が6歳で下が2歳の子供を育てていて思うことは、
二人ともやばいぐらい天才だということです。
上の長男は、生まれて初めて4コマ漫画を先週描いたのですが、
なんと、主人公が蟻(アリ)なのです。

アリの載っている自動車が
「アリンコジドーシャ」というらしく、
そのアリンコジドーシャがうんこに突っ込んだり、
アリンコジドーシャからアリが降りてきて、
「あるくしかない」と言ったり。

どうしてそんな不思議な世界が出てくるの? と、
驚かざるを得ないほどの世界観を見せてくれるのです。
(言い過ぎですけど)

育児中のこのような毎日を送るにつけ、
茂木さんのおっしゃる「偶有性の海」という言葉を思い出します。

これから起こることの50パーセントは決まっているが
残りの50パーセントは決まっていない
偶有性の海のような毎日を泳いでいるような気持ちになるんです。

多分、このまま子供を放っておけば、
子供は天才に育つと思います。
学校教育で歪められそうになったら、
学校をやめさせればいいんですし。

フリースクールという手もあるので
わざわざ日本の頭の固い人が作った「学校」という
システムに子供を組み込まなくてもいいし、
そういうシステムでも、「それはそういうシステムだから
生きたいように生きなさい」ときつく言って、
気にしない子供を育てるのも手だなあと思うのです。
今の世の中にはインターネットという
大学ような設備も備わっているわけですし。
そこでは様々な考え方が提示されているわけですから。

選択肢の広さというものが
天才を生む土台を作るのではないかと
思ってます(^-^)

二児の母









NO.112011-07-11 00:28:51 orcamie 0
天才とは何か?と考えても答えは?でその本質に迫るのは難しい。

だから天才は星かもしれない。
自ら光る恒星。
自分の中に小宇宙を抱えているかもしれない。

強く光る恒星は 世の中に認められるかもしれない。
光が弱い恒星は ひょっとすると誰も気がつかないかもしれない。
それとも一瞬だけ光って消える流星

However deeply I consider over what is the genius
it is too difficult to understand their core.

So I thought the genius may be stars.
They are the stars themselves.
They may have even the small universe.

The strongly shining star may be recognized widely.
But nobody may be able to find the weak stars.
Some may be the shooting stars sparkling for a moment.

輝く恒星をいくつ見つけられるか
ほんとうは凡人である人間の中にもきっと
小さい光があるはず
それを消しているのか
隠しているのか
自分の中の光を灯し、輝く星を見つけるために
学びが大切なんだろうな。
How many stars can we find?
Probably we mediocrities may have little brightness in ourselves.
We turn off or hide or forgot how to find them.
To turn on our own light and find the shining stars, the genius
Learning is something so precious to do.

My cat started to walk on my pc.
I need to stop otherwise she’ll write her own…..

NO.102011-07-10 21:12:33 thnkks0304 0
「天才」というのは、文明を一歩前に進め、世の中に変化をもたらすことができる人だと思います。

そして「天才」には、今まで誰もやっていないことを見つける能力と、結果を求めて猛烈な努力をする精神が備わっていると思います。
一例を挙げると、FaceBook創設者の1人であるマーク・ザッカーバーグ。彼はFaceBookをすさまじい努力でプログラミングをして、世に送り出しました。そして、現に世界中の多くの人が、利用し、世の中に変化をもたらしています。

しかし、ときに「天才」たちは邪魔者扱いにされます。なぜならば、世の中の人が「変化」を嫌うからです。嫌うというよりかは、「変化」は我々に悪い結果しか生み出さないと、思考する前に情動が反応してしまうからであると言った方がいいかもしれません。人の良いところは見つけるのが難しいけど、悪い部分は簡単に見つけることができるのと同じような感じでしょうか。

そして、我々は既成概念でがんじがらめになっており、「天才」が生み出す変化に、寛容さがなくなってしまっているからであると思います。

したがって、「天才」が育つ環境というのは、我々が既成概念にとらわれずに、「あっ、こういうことも考えられるのか。」と、受け入れられる
知識と思考、判断能力、そして寛容さが必要であると思います。もし、本当に「天才」が生み出したものが、悪い方向にいってしまうのであれば、それを止めたり、修正したりすることができるだけの思考能力が必要となります。

ちなみに、個人的に私の中での「天才」は、ドラゴンボールの作者である鳥山明です(笑)。
ドラゴンボールというマンガの発想力と、作品を世に出す努力、そして多くの子供たちが勇気をもらい社会に変化をもたらした功績を見れば、彼を「天才」と呼んでいいでしょう。鳥山氏を邪魔者扱いした人がいたのかはわかりませんが(笑)。

簡潔ですが、とりあえず投稿します。

竹内健太

NO.92011-07-09 10:52:07 terurun 0
orcamieさん、masamiさん、コメントをありがとうございます。

言っている意味が分からない(笑)、次元がおかしいと言われることが日常生活で
よくあるため(笑)、本当にこのような掲示板で投稿するのは、勇気がいるのですが。。。
読んでくださり、コメントを本当にありがとうございます。

ネットという世界は、本当に素晴らしいですね。。。

多くの人の意見が聞けますし、身近には、自分の考えをそんなに理解してもらえる人が
多くなくても(笑)、どこかには。。。(笑)、いるかもしれないと思えますから(笑)。。。

masamiさんの内容にあるように、

何かの衝動にかられる感情には、理屈はないと思うのです。

その中でも「恋愛」は、究極と勝手に私は思っています。

本質的には、人を好きになるという感情には、理屈は無いと思うからです。

私は、何か行動を起こす時に、この恋愛のような「衝動」を大切にしています。

人がなんと言っても、好きなものは好き。どうしても、好き(笑)。

人がなんと言ってもこのことをやりたい。どうしても、やりたい。

でも、思うんです。そういう気持ちが沸き起こること自体が素晴らしいことだと。

ただ、私達は生きていかなくていけないので、いくらそれがやりたいと思っていても、

それを本当にだた、やっているだけだとmasamiさんの言うように「社会に認められない

と・・・」という問題が出てきて、ご飯食べられなくて、生きていけないんです(笑)

代表的な方々が芸術家だと思うのですが(笑)、これが、辛いところだと思うのです。

肉体がにくいんです(笑)。

でも、「衝動」って、素晴らしいと思います!

最近の自分は、まったく「衝動」がありませんが。。。(笑)。

根拠、理屈の無い気持ち、持ちたいものです(笑)。

NO.82011-07-08 22:28:57 masami 0
NO.1 LAMPRIGERA さんの

“あえて次元という言葉を使わせて頂ければ、偉大な天才というのは異次元から問題を鳥瞰して、希望を示してくれる人物だと思います。”

心に響きました。
卑近な例で恐縮ですが、私自身一定の時間枠の中で一定の成果をあげようとすると、一気に視野が狭くなり、思考の自由度が下がると感じます。

きっと天才的な人は、枠を軽々と越えられるのだろうな、と思いました。

私が想像する天才とは
NO.4    terurun さんの

“感性が、とても鋭く、「インナーボイス」というものを感じて生きている人がとても多いです。”

に似ているように思いました。

考えずにはいられないから考える
表現せずにはいられないから表現する
生きることと
考えること
表現することはその人にとって
殆ど同じこと

そうして
体験するあらゆることが
自分がやらずにはいられないことと
結びついてしまう人

日々の糧を得るために他のことをしていて大変でも
考えずにはいられない
やらずにはいられない
その様子をはたから見れば
ものすごく努力しているように見えるけれど
そして本人も苦しいかもしれないけれど
そうせずに生きることができない人

その結果がどうなるか考えていないから
たまたま社会的な評価と合致して騒がれたら
驚いてしまうような人

でもその人がやらずにはいられないことが
その時代や社会にとって大切だとみなされなかったら
誰にも知られないまま消えていく

社会に認められてこそ天才といえる

という考え方もあるかな
とも思ったけれど
社会的に認められない人
世に知られない天才もいる

と考えたいなと思いました

NO.72011-07-07 12:37:56 chigusaotsuki 0
With respect to the theme of 'tensai', there is an enormous diversity of perception.
Consequently, the concept of 'tensai' is primarily understood differently in different people.

This inevitably poses a question concerning the categorising people.
When you are classifying people, you make explicit mention of the people who are very important or powerful under the heading of age, occupation et cetera.

As a result of classifying people, a comparison of different people provokes a prejudice to a greater extent subjectively.

Although 'tensai' holds many surprisingly new views.

NO.62011-07-07 12:00:49 orcamie 0
NO.1 LAMPRIGERA さんのパズル答え、自分で考えていたときは外で曲がるなんて思いつきもしませんでした。面白かったです。

NO.4 terurun さんの
『天才を守るには、天才がどうこうすることよりも、天才でない者がもっと、
自分の人生に自信を持てるように生きていくことだと思うのです。』

これは目から鱗でした。
天才が育つ環境はという視点で天才に対してどう接するかにばかり
視点が行っていたのが
天才じゃない人間が ちゃんと生きる事が
天才を育てるんだってこと。
すごいと思いました。
まさに 枠外からの視点。

No4 terurun san's opinion inspired me a lot.
I was only focusing on how to deal with the genius.
What is important is for ordinary people need to live their lives, which will also bring up the genius.
This is the idea from the different sphere.

NO.52011-07-07 02:42:00 LAMPRIGERA 0
orcamieさん、「投稿」の英訳に関するご指摘ありがとうございます。初めて使う単語はどうもしっくりこないから、なんか不安になってしまいます。言い換えがきく時は、なるべく自分の知っている単語を選ぶようにしてみます。
---------------

>There are so many puzzles out there that test how big your box is- why can't we build this into the curriculum in the class room? (N0.2)

What an inspiring idea!

But why do you say you are not genius anyway? Isn’t that just a mere hypothesis? You have whole rest of your life to prove it or REJECT it. I think many people believe this hypothesis without much evidence.

Saying that you are a genius also is a hypothesis, but I think this hypothesis can give you more space to grow. If one can give oneself huge space to grow, there might be a chance to become genius… at least I think.

NO.42011-07-07 00:25:56 terurun 0
天才な人を見る度に思うのは、

「自分と他人を比較することがない。自分がライバルで、自分と闘っている。」

こういう印象をいつも、感じて来ました。

感性が、とても鋭く、「インナーボイス」というものを感じて生きている人がとても多いです。

大事なこと、大切なことを、幼い頃から、しっかりと持っていて、いつもそれを

多くの人に伝えることにエネルギーを使っているように思います。

「偽り」など無いし、いつも「本質」のみ。真っ直ぐで、正直。

頭がとても良いから、それが通用してしまうんですよね(笑)。

私は、いつもそれが、とてもうらやましかった(笑)。

そこで、です。

なぜ、「天才が育たないのか?」ということなのですが。。。

そこには、天才の能力は、天才ではない人の「劣等感」を駆り立てるという問題が

あるからだと思うんです。

日本人は、「すごいものをすごい!」と認める力が弱いと思います。

すぐに、妬む(笑)。

優れたものを見ると、受け止められない自信の無さを感じます。

ひどい人になると、引きずり落とそうとします。。。

少しでも出来る人を見ると天才では無い人は、嫌がります(笑)。

天才の友達は、みんな、虐めに遭って、それで、疲れてしまう人もいます。

能力があることが、日本では、逆に生きづらくなってしまうのです。

天才を守るには、天才がどうこうすることよりも、

天才でない者がもっと、

自分の人生に自信を持てるように生きていく

ことだと思うのです。

天才の人たちには、天才の人たちの役割があって、この世に誕生しているのだと

思うのです。

「劣等感」を持ちすぎた日本に、もっと、「自信」を。

と思います。

私は、何も地位も名誉もありませんが、生きていくことに「幸せ」や「自信」を

持てるように、日々、努力していこうと思っています。

他人と比較しても、「自信」は生まれないと思います。










NO.32011-07-06 21:53:41 orcamie 0
No38のLAMPRIGERAさんの投稿の英訳としてcontributionでいいのかなとありました。
確かにそうですが、投稿の内容はLAMPRIGERAさんの考えや意見なので、必ずしもcontributionを繰り返す必要は無いと思います。その他に相当する言葉は comment, idea, thought, column, opinion, view, viewpointなども使えますよね。英語と日本語で必ずしも一つの言葉が 投稿=contributionと考えない方が 英語も日本語も面白いものになると思います。
NO.20 guheguhe18 さんの『思う』と『考える』の英訳は?ということにたいして[「思う」も「考える」も "think" ですよね。

しかし、「思う」とはかなり抽象的というか哲学的ですらある単語だと思います。悪く言えば漠然としすぎている。
かなり詩的な表現で、自分の考えを表現する時には使い方に注意が必要な語のように感じます]

そこで日本語の『思う』に対する英語を並べてみました。
think思考・考察を意味する最も一般的な言葉
 I think of my beloved one.愛しい人を思う。
feel感じる。そこから派生して感性的判断として控えめに考えを述べる場合。
 I feel that you’re right. 君は正しいと思うよ。
expect:予想する。当然・・・すると思う。
 I expect that you’ll make it.きっときみは実行すると思うよ。
suppose:曖昧な根拠で自分なりに考える。
 I’m supposed to be idiot. 私は馬鹿だと思われている。
imagine空想する。明確な根拠が無くあれこれと無く思う。
I imagine they will be happy.彼らは幸せになると思うよ。
guess:限られた根拠に基づき、推測を行う。
 Can you guess who this is? これが誰だと思う?
日本語の方は思う1語に対して英語は様々に思う事を動詞を使い分けて表現することができます。考えるについても同様の事が言えます。
考える:think, consider, believe, imagine, fancy, suppose, guess, feel expect
* WISDOMを参考にしてます。

さて、「天才」についてですが 天才を育てるのは難しいです。 そもそも天才が何を考えて要るか凡人の理解を越えてしまっているから。「天才」という人は自分で育つので周囲はその人の望む環境を用意してあげる必要がありますが そもそも天才がどんな事を希望しているか凡人には理解できないのかもしれないとも思えます。そうすると『天才』は自ら何でもやらなくてはいけない。「天才」である人は 思考の回路が違います。凡人が捕われてしまうような制約をいとも簡単に飛び越して ときどきワープしてしまうと思われます。

 最近来日していたレデイガガさんも天才のおひとりでしょう。「徹子の部屋」にタマネギの衣装で現れました。

ところで 日本の天才と言ったらどなたを思いうかべますか?私もちょっと調べてきます。

First of all, to bring up a genius is very difficult. Because the idea by a genius is beyond comprehension. A genius will grow by herself or himself. What we need to do is to prepare the environment they expect. But basically we may not be able even to understand what they want. So gifted people have to work by themselves to get ready for the learning environment. Their way of thinking is too odd to follow the common way of thinking like we do. They often warp out of the conditions where we are .

Lady Gaga may be one of them who visited Japan recently. She appeared in the TV program 『Tetsuko’s room』in an onion dress.

I wonder who you think as a famous and typical genius in Japan.
I'd like to study .

NO.22011-07-06 19:08:17 motakeen 0
私は凡人なので、天才とは何か、とはかなり難しいお題ですので、才能がはぐくまれる環境、ということを考えてみたいと思います。
思うに才能が伸びる環境(それは、学術的なものでもいいですし、スポーツ、武術、芸術、なんでもいいと思います)は、いくつかの要因が必要だと思います。

1.その道に入るきっかけ
2.才能を発見できる目利き師
3.才能を開花させる指導力のある師
4.そのためにお金がだせるスポンサー

思うにやはりまず重要なのは#1ではないでしょうか。茂木さんにとってのアインシュタイン、ソフトバンクの孫正義さんにとっての坂本竜馬。心が揺さぶられるロールモデル。おそらく多くのスポーツ選手もだれか心にいつもとめているヒーローがいるのではないでしょうか。
これに出会えるかどうかは大きいかと思います。
(残念ながら私はここで躓いています。まだこれ!!というものに出合っていません。でもまだあきらめていません。笑)

大学でこのすべての機能を果たせるか、と言われたらやはり難しいとしかいえません。
ただアメリカの院にいって感じたのは、人と人を結びつける場、としてどこも非常に努力しているということです。
私がいったところは田舎の州立大学ですが、そんな大学でも地元の地域や、様々な企業との結びつきを強くし、いかに学生を売り込むか、ということに非常にリソースを使っているということです。また卒業後も卒業生との結びつきを執拗なくらい求めます。(もううるさい、というくらい。笑)
どのような卒業生を送り出したか、ということは、大学のプライドでもあります。

ただアメリカにいて感じるのは(専門家ではないので本当に感覚だけで書いていますが)、天井も高いけれども、それと同時に底もまた低いということです。
才能、お金があれば、いくらでも延びますが、どちらもなければ、厳しい現実が待っている。
どちらにリソースをかけるのか、これは大きな問題です。


I am the first to admit- I am no genius. But here's my bold attempt to determine the factors involved in "making a genius" be it in the academic world, sports, or arts.

1. Someone or something that would inspire the person to pursue that field- a trigger
2. Someone who has keen eyes to see the talent- a spotter
3. Someone who can lead the talent to the next level- a mentor
4. Someone who is willing to spend the money to cultivate the talent- a sponsor

I think the most important factor is #1, the trigger. it appears that Dr. Mogi's trigger was Albert Einstein. I read somewhere that Masayoshi Son of Softbank idealizes Ryoma Sakamoto. I think many talented athletes have a role model that they aspire. Whether you've met this "something" is HUGE.
(Unfortunately, this is where I hit the wall- I don't have anyone or anything that I aspire. But I'm still searching.)

Can Universities provide all these functions? I would have to say no.
However, from my experience spending a couple of years in graduate school in the US, I would say that they are trying very hard to be the nurturing ground for connecting people. I went to a state university in the Midwest but I saw professors, admission offices, and career centers reach out to the community and to the employers everywhere. Even after we graduated, they try to keep in touch with the alumni at every chance they get.
They have pride in the alumni network.

However, while I am certainly not an expert in this field, I have to say that in the US, while the ceiling is high as you can get, the floor is also as deep as well.
Yes, there is so much opportunity for you if you have the talent and/or money but for people without either one- it's a tough world.
The question is- where do you want to spend the resources? On the upside or the downside?

BTW- I tried the puzzle that LAMPRIGERA-san had posted. Nope, didn't get it. Just pretend that it was because the dimensions were off when I put it on my piece of paper. But I love these kinds of puzzles. I think it is a good (almost a literal) example of "think outside the box". (Americans love this phrase.)
There are so many puzzles out there that test how big your box is- why can't we build this into the curriculum in the class room?

NO.12011-07-06 10:21:57 LAMPRIGERA 0
時間があまりとれないのですが、少しだけ投稿してみたいと思います。

今回のテーマで、天才が「今までの人類が見たこともないような風景を見せてくれる」という表現がありました。すぐに思いついたのは以下で紹介する9点連結問題です。

僕自身は「変化の原理-問題の形成と解決」(ポール・ワツラウィック、リチャード・フィッシュ、ジョン・H・ウィークランド)で紹介されていたことから知りました。今、本が手元にないのですが、今回のテーマとも関わってくる内容だったと記憶しています。

なお、この問題についてネットで調べていたところ、様々なセミナー等でも紹介されているようで、ご存知の方も多いかもしれません。
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(問)下図の9個の点(3x3の格子点)を、連続する4本の直線で結んで下さい(3回曲がる折れ線による一筆書き)。

  ● ● ●

  ● ● ●

  ● ● ●

※行間設定などの事情でタテに長く歪んでます…。

この問題は、9点が形成する正方形の「枠外」を意識することで解決できるようになります。問題自体は全て同一平面上の話ですが、あえて次元という言葉を使わせて頂ければ、偉大な天才というのは異次元から問題を鳥瞰して、希望を示してくれる人物だと思います。

ところで、僕自身は、天才とは「ある分野でずば抜けて優れている人物」だと理解しています。だから天才と聞くと、ひとまず驚異的なスピードで暗算するような人とかをイメージします。

しかし、そのような天才のなかに、その英知を人類のために意識的に還元しようとした人間がいて、そのようなベクトルを持った天才は、偉大な天才なのだと思います。アインシュタインは「偉大な天才」の一人だと思いますが、「偉大な天才」と「天才」の違いについては、できれば後日もう少し詳しく投稿できたらと思います。

以下に、9点連結問題の解答を示します。
---------------


(解)

 ―●―●―●
 \   /|
  ● ● ●
   ×  |
  ● ● ●
     \|


上図のように、正方形の枠外で曲がると「4本の連続する直線」で9個の点を結ぶことができます。無意識のうちに、9つの格子点上で曲がる折れ線しか想起できないために、点の外で折れる一筆書きを思いつくことができないというものです。

掲示板の行間設定などで上手く答えが図になりませんね。
わからない場合は、「メモ帳」かなんかにコピー&ペーストしてみて下さい(^^;