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社会保障についてどう思いますか?

現在、生活保護の受給者は200万人を超え、年間3.5兆円ものお金が使われています。

そもそも働く気がない人もいると思いますが、働きたくても仕事がないという人が増えている。そういう時代において、社会保障というセーフティネットというのは、どのような意味を持つのでしょうか。

セーフティネットが無ければ、人間はチャレンジすることができません。でもセーフティネットのシステムに依存して怠ける人も出てくるかもしれない。

また、今の日本は財政難に陥っていて、いくらセーフティネットが必要だとしても、それを作るには国民がかなりの「痛み」を覚悟しなくてはならない。生活保護だけでなく、年金も支給年齢を遅らせるということが、さかんに議論されています。

自分の力で人生を切り開く自助努力と、社会のセーフティネットは、どのような関係にあるべきでしょうか。みなさんのお考えを聴かせてください。

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NO.182011-11-06 09:06:49 masami 0
小さい子どもがブランコに乗りだがる。
数に限りがあるブランコに一人で長く乗っていたらほかの子供は乗れない。
だから、
「順番、順番」「いーち、にーい、・・・」
と数えながら、並んで自分の順番を待っている。

あれは単にブランコに乗りたければ
「並ぶこと、順番を守ること」
を学んでいるわけではなくて、これから送るであろう社会生活とは、みんなの要求が重なったときはこうやって譲り合うのだよ、ということを学んでいる、と殆どの人は受け取っていると思う。

ブランコの順番待ちで学んだことをそのまま持ち続ければ

人間らしく生きたい
というみんなの要求が重なれば譲り合うのが当たり前、分け合うのが当たり前

助けること、助けられることに、特別な違和感を感じることはないはずなのだけれども・・・。
現実は違うようですね。

NO.172011-11-05 10:07:28 motakeen 0
Occupy Wall Streetのデモ、EU/ギリシャの混乱を見ると、世界経済・資本主義・国際通貨(為替市場)と多くの人が信じてきた概念がきしみ始めているのはないかな、と感じます。

· グリーンスパンまでもが、規制がなくてももっと「大人」の行動をすると考えていたウオールストリートの人々は、実際には自分の利益(しかも至極短期的な利益)のみを追求する「子供」だった。

· しかもそのような行動を厳しく罰せられることもなく、そういった企業を救うために巨額の税金が注入された。(危機が回避された後、多くの金融機関は利子付きで払い戻しましたが。)

· 経営者は、次々とアメリカで雇用を減らし、コストが安い海外に雇用を増やしている。それによって企業の利益が増え、株価が上がり、経営者に億単位の成果報酬が入っている。

· EU経済の中でも1-2%くらいの規模しかないギリシャの財政難が、EU全体の危機につながり、国の統治権という問題までになっている。

· 必死に雇用を守ろうとしている日本の大企業でも、円高、地震・津波、タイでの洪水と厳しい状況の中、新聞では海外移転の話ばかり。

働きたくても働けない人が増える。

また、働けても働きたくない人が増える。


社会保障はふくらみ、国の財政は悪化するばかり。。。


かといって、より規制を!とか社会主義に!とかは思えません。
でも何か、新しい仕組みを模索する動きは、小さいところから出てくるのではないかな、と期待してます。


*暴力的な動きではないとよいのですが。。。ラジオで聞いたのですが、ギリシャでは、今回の国難はドイツからの押し付けで、第二のナチスの侵攻だという論調もあるようです。。。


>Cさんが元々病気がちな人だった場合、民間の保険ではこれをしません。
>民間は営利追求のため、予めCさんを切り捨てます。

全くその通り!にもかかわらず、アメリカでは民間で医療保険を提供しているのでおかしいことになるんです。。。

NO.162011-11-03 23:46:20 trasque 0
>No.15 myyourdreamscさん
例えがとても判りやすいと思いました

自分で言い聞かせるような話なのですが、後者のCさん以外についている「-1」がどういったものなのか。
そういうことを忘れずにいたいと考えております。

NO.152011-11-03 19:16:55 scidreamer 0
私の感覚の「保険」を簡単なモデルで示します。

Aさん、Bさん、Cさん、Dさん、Eさん、Fさん、Gさん、Hさん、Iさん、Jさんの10人がいました。

Cさんが大病を患ってしまいました。

これを看過すれば

A:0、B:0、C:-10、D:0、E:0、F:0、G:0、F:0、H:0、I:0、J:0

となるところを

「保険」があれば、

A:-1、B:-1、C:-1、D:-1、E:-1、F:-1、G:-1、F:-1、H:-1、I:-1、J:-1

となり、Cさんだけ極端に苦しまなくて済みます。


Cさんが元々病気がちな人だった場合、民間の保険ではこれをしません。
民間は営利追求のため、予めCさんを切り捨てます。

だから政府が「社会保険」として、全国民を保障する必要があるのです。

実際に助けられる人間はごく一部であっても、その一部の人間の基本的人権を尊重する。
これが日本国憲法の定めるところでしょう。

NO.142011-11-03 05:18:50 yamadaswitch 0
ここ一ヶ月ほど、人生で一番面白い祭りに参加していたもので、
なかなか掲示板に投稿できませんでした。

さて、社会保障についてですが。
私がよく感じるのは、社会保障を本当に必要としている人に社会保障は、
届いているのだろうか? ということです。

日本は社会保障の行き届いた国ですが、
公園で寝起きする浮浪者の方々は何故、限界近い生活をしながら
社会保障を受けないのだろうか、
それとも受けられないのだろうか? と考えるのですが。

福祉事務所のケースワーカーの方に伺ったお話ですと、
住所を持っていないと生活保護の申請というものは
できないのだそうです。
なぜなら、ケースワーカーは担当区が決まっているので
住所がないと担当者がつけられないとのこと。

なので、多少の資産があっても仕事があっても
生活保護は受けられるのだから、
住所を無くす前に申請に来て欲しいとおっしゃっていました。

しかし、実際に困っているのは
そういった「保護を受ける」という考えにたどり着けない、
情報のない人たちですので
そういった人たちを助けるために「住所を持っていない人担当」
という担当が現れない限り、
本当の意味での社会保障は生まれないのではないかと思います。

ベーシックインカムという制度にして、
社会保障にかかる社会保険庁の維持費や職員を養うために
かかる費用が、そのまま国民の基本所得になるというのは
非常に魅力的なことですね。
公園で寝起きする人もいなくなると思います。
しかし、
そうなった時に人がわざわざストレスのかかる職場で
労働意欲を保っていられるかどうか…というのが
問題なのだと思います。
ベーシックインカムでもらえる額が、
本当に些少なら問題ないのでしょうが。

もし高額だった場合は、表現者はたくさん増えて、
単純作業の現場からは人が一人もいなくなるんじゃないでしょうか。

一人もいなくなるまで行かなくても、減るとは思います。
生活保護を十年以上受給している友人が二人いるのですが、
彼らは二人とも自閉症傾向のあるアーティストです。
一人はボランティアで美術館の手伝いをしている写真家で、
一人は完全な無職で、彼は音楽と文学をこよなく愛し、
英語やドイツ語も話せます。しかし、無職です。

生活保護は、その人の自立を応援する社会保障なので、
就労したら打ち切られるものではありません。
ですが、十年以上生活保護を受給して生きていても、
人を相手にお金を得るということに、そのストレスに
彼らは耐えられないのかもしれません。

ようは、彼らには「生活保護を受ける才能」があるのです。
それはそれで、才能です。
なかなかできることではありません。

ストレスありきの仕事を
楽しむほどの根性がなければ、
お金というものは稼げないのかもしれません。
お金とストレスはワンセットなのです。

5年ほど前ブラジルを訪れた時、
社会保障の全然行き届いていない国では
事故で足や腕をなくしても、新聞配達をして自力で稼ぐ……しか
生きる道がないからこうやって稼いでるんでい! といった感じに
足のない人や腕のない人が
路上でガンガン新聞やらアメ玉を売りつけてくる姿に
迫力を感じました。

お年寄りも年金がほんのわずかしかもらえないので
死ぬまで働き続けています。
あの迫力を、今の日本人は持てないでしょう。
いろいろと細かいところまで整備されてしまってますから。

NO.132011-11-02 02:49:40 trasque 0
私は社会保障のひとつである特定難病疾患の指定を受けておりますので、個人的な数字の話からさせて頂きたいと思います。
規定により、私の現収入では該当する病気に関しての診察や治療・投薬について、「何度行っても月に4000円程度のみを負担すれば良い」というものになっています。
現状で私は、二ヶ月に一度の通院、二ヶ月に一度「レミケード」と呼ばれる薬の点滴、日に12+1の錠剤と日にペットボトル二本分の栄養剤の処方、年に一度程度の腸内検査を行っていて、これら全てが特定疾患への治療行為として対象となります。
特定疾患の票(免許証みたいな感じ)の発行が遅れ、一度通常の保険でいったん支払った事がありますが、その上で四万円近くの支払いになったのでかなり高額です。
また、点滴のレミケードもあまり一般的ではないので、一度の点滴がかなり高額だと伺った事があります。
更に私はこのメルマガが始まるほんの少し前、地震の二日前に入院し手術をしましたので、この費用も特定疾患の助成として賄って頂きました。

(保険を適用し4万円なので、三割負担と考えると二ヶ月に一度は10万円以上助成頂いています。
 レミケードは1回で十数万円とも聞いたことがありますが、定かではありません。
 追加料金の無い部屋にて、およそ40日の入院と、各種検査、手術、食事代を含め、
 その時は月5250円のみの支払いでした。それ以外は助成を頂いたことになります。)

これらを「月に4000円程度払えば」受けられるのが私の社会保障です。
年間で百数十万円もしくはそれ以上の「税金」が使われている事になります。

社会保障はどうしても「コスト」を抜きに語れません。
私はこの話をする事はあまりありません。病気を持っているという点については、個人的に負い目を感じませんが、私の受けている助成は非常に高額になるため「後ろめたさ」を考える事があるからです。
ネットやテレビでも「生活保護の不正受給」等の問題が叫ばれますが、不正ではないにしろ「他より多く税金の恩恵を受けている立場」には変わらないのだと痛感します。
実際ここに書き込むにあたっては割と悩みました。結局お前も守られてるだけじゃないかと言われてしまうのが怖い部分があります。
当然、これらの助成がなければ適切な治療行為は受けられませんし、家族にも更なる負担を強いていたか、私自身これまで生きてこれなかったかもしれないので、受けられるものは受け、感謝を忘れずにできるだけ「経済的に貢献できれば」という思いを日々持つように心がけているつもりです。

=====

生活保護については「絶対に必要な人」もいるのは理解される事ですが、ではその線引きはどうするのでしょうか。
ですので今度は私自身の「実態」について…

現在私は1日8時間、週5日を基本とするフルタイムでの勤務をしています。
厳密に正規雇用ではありませんが技術者としていくつかの現場を任されております。
接客:技術が半々で、基本的に内に篭りっぱなしは不可能な現場で動いているので、何もいわなければ健常者と同様に働けていると判断されます。
日常生活の制限は特になく「気をつける必要のある食品」があり、錠剤などの投薬が必要なくらいで、他は通常通りです。
友人との付き合いで飲みにも行きますし、このようにネットも楽しんでいて、携帯も持ち、ゲームや音楽等の趣味も満喫している状態です。

そういった私が、医療費について多額の助成を受けているという現状。
しかし私自身、それが必要である、とは考えている現状。
生活保護等について憤りを感じる部分は私自身もありますが、さて自分に置き換えると一体どの程度助けてもらえるのが適切なのか、精確に認識はできません。


ところで特定難病疾患は「患者の経済的負担の軽減」が目的の一つである事には変わりありませんが、どちらかというと「研究ありき」の制度とも言えるようです。
特定難病疾患として扱われる為の条件として(おおざっぱですが…
 :症例が少ない(患者数が少ない
 :原因が不明、特定できていない
 :効果的な治療法が確立していない
 :長期的な生活への支障がある
というようなものがあります。
「専門の研究チームがあること」というような条件が必要だとも聞いたことがあります。
私の持つ病気よりも圧倒的に珍しい病気で、その為に研究チームが無く、この難病指定に入らないという話を聞いた事があります。(具体例が見つからず、あやふやな情報ですみません)

どちらにせよ対象となる病気以外は特定難病疾患として扱われないので、通常の支払いが発生します。では、私の持つ病気や現状と指定されない病気を持つ人との差がどこにあるのでしょうか。
また、私と同じ病気を持つ人でも私のように健常者と大差ない生活を送れる者と、ほとんど身動きができない人と、その助成内容に変化はありません。

こういった事を踏まえると、ライン引きの難しさが立ちはだかるように思えます。
私の持つ病気については、患者数が増えてきた事もあり、特定難病疾患からの除外や「軽快者」というような一段下のクッションを設ける案などが話題になった事もあります。
患者として「打ち切られてもおかしくはない」という意識は必要かと私は考えます。

=====

さらに具体的に、私の事例を考えてみたいと思います。
私が受けている治療行為は今のところ「飲み薬と検査」が主になります。
それさえ継続していれば普通なので、これについて助成を受けている事になります。
その額年間100万円と仮定します。
この薬は継続する事で「次に手術が必要になるまでの期間を延ばす」ものです。
多くの場合、5年毎に開腹手術などを繰り返すようなパターンになりますが、この投薬をサボるとサイクルは短くなると言われています。しかし続けていれば、手術が必要にならない限り健常者と同等の生活ができます。
人により、サボっていても20年くらい大丈夫だったという患者もいれば、徹底して医者の言う事をきいていても5年ずつ手術をしているという患者もいます。

では存外元気に生活できるので、どこかコストを下げるとするとどうなるでしょうか。
投薬を途切れば、再手術の恐れが飛躍的に上がってしまう。しかし、直ちに容態が変わる訳でもない。
しかしそれ以外の治療行為がある訳でもなく、投薬量を減らす訳にもいかない。
そうなると、年間100万円か、ゼロかという事になってしまいます。
他の人には「健康的」に見えるにも関わらず…

こうした事は生活保護を含めた他の社会保障にも存在すると思われます。
確かに一人一人の状況を精査する事でより無駄を省いた金額に落ち着ける事は可能だと思いますが、その精査を行うコストの方が大きく上回る可能性も否定できません。

=====

私も「発展的に生きること」に共感を覚えます。
正直に言ってしまえば、ベーシックインカムなり、生活保護なりでもし月に15万程度の収入が働かずして入るのであれば、私はおそらくすぐに仕事を辞め、ネットとゲームだけで遊び続ける自堕落な人間になってしまうだろうと自分で考えてしまいます。
(実際、仕事中に「ゲームだけしてたい!」とか考えちゃいますし)

母との話で「俺が一人暮らしをして、この病気を理由にすれば、確かに生活保護は通るのかもしれないよな」と呟いた事があります。
でも、それは何かが違うと感じてしまいます。
私は「生きていたい」と感じます。ちょっとうまくすれば働かずにそれなりの生活を維持できる、というところに生を感じない程度には「生きていたい」と考えてしまいます。
モノ的視点でのセーフティネットは必要ではあるものの、私は「自助」について言えば、精神的(生命力?的)な支えもしくは指標が必要だと考えます。
ちょっと誤解されそうな話ですが、何らかの哲学であったり、宗教であったり、文化であったりといったものは「お金というコスト<以外>」の部分で自助の燃料として働くものではないかと思う訳です。
それは教育によってある程度育てる事もできますし、地域社会とのかかわりは不可欠だと感じています。また、究極的には年齢も関係ないように感じます。
これらは「いざ」という場面での<自助>を促す強力な要素ではないでしょうか。またそれらが全体として深まるのであれば<共助>への影響として効力を発揮すると私は信じたい訳です。

お金はリアルに必要なものですから、「制度」という形でしっかりと明記されたセーフティネットを構築する必要があります。しかし、そうでは無い部分については「人間的な強さ」を日頃から深めていく事で<無形のセーフティネット>を実現しておく必要があるのではないでしょうか。
これらは個人が個人の中だけで完結していても仕方の無い部分です。あまりに単純な例ですが、生活保護を不正受給して自堕落になっている人も、なんらかの縁によって一念発起するかもしれません。そういった縁こそが地域における<人間的強さのセーフティネット>であると私は考えます。
ですから「若い人たちに広がる孤独感」のような報道が本当なのだとすれば、それは<無形のセーフティネット>が弱まった一つの証拠であると思うのです。

会社の事だけしか考えられないような余裕の無い生活は、それらの直接とは言わずとも原因に成り得るのではないかと私は思います。有形のセーフティネットが税金により成り立つものならば、無形のセーフティネットは人間の生命力のようなものの総和で成り立つように考えます。
仕事に携わる事で死んでしまったようになっていては、それこそ社会の損失ではないかと思う訳です。自らガムシャラに働く事で活き活きとする人もいますし、見極めるのはとても難しい事ですが、会社だとか社会人だからという理由で「お互いを励ます存在にはなれない」というのは間違いではないかと思います。


「自分は大丈夫だ」と心から思えるかどうか
そういった確信のようなものを得られるかどうかは、一つの勝負だと思います。
その一つの方法として「まず自分から人に関わろうとすること」から始める、
これを提案したいなと私は考えます。

NO.122011-10-31 09:30:24 masami 0
今回のお題は、私の知識不足からか、考えがちっとも広がっていきませんでした。

NO.10    motakeenさんの

ただ、セーフティーネットという意味では、社会保障はその一部であって、
社会保障が十分ではない場合、それ以外の形で人々はセーフティーネットを形成するんだなということがすこしづつ見えてきました。

を読んで、このことと関係があるように感じました。

国が社会保障の制度としてできることとは、違うものを今人々は求めているのかな、と思いました。
それは、茂木さんがウォール街のデモの直感、と書かれていた部分にも通じるのではないかな、と思いました。

デモ様子を見た時、私は「エンデの遺言」を思い出しました。NHKの番組を通しての知識ですが、エンデは、人々の生活に必要なものは、変動する貨幣価値とは切り離されているべきだ、と言っていたと記憶しています。そして、その番組では、地域通貨が紹介されていました。地域で賄えるものの限界や、市場に流通する貨幣価値との関係を考えてみても、地域通貨をエンデが語るように、日常生活を支えるような形で実用化することには多くの問題があることは、想像できます。
それでも、そのもとにある、日常生活を利益追求という経済原理で動く大きな力で翻弄するのは、もういい加減やめてほしい、という感情には共感します。

この感情は、茂木さんが書かれていた、根深い問題と関係あるかどうかは分かりません。

ただ、今切実に求められているのは、国の制度としての社会保障とは、少し違う、国というものをどう捉えるかにもかかわってくるように感じました。

国という存在が大きく変化していくなんて、そんなことあり得ない、と思いました。
でも・・・
意外に、ウォール街のデモのような小さな動きが、そこここで静かに広がって、いつの間にか変わって行くものなのかもしれない、とも思えるし、私たちの意識を、国があって私たちがいる、から、私たちがいて、国がある、と少し変えることから始まるのかもしれない、とも思います。

自殺予防に関わっていた方が、セーフティネットは網の目のように、何重にもあって欲しい、これがだめなら、後がない、というのではなく、これがだめなら、つぎはこれ、というように、こぼれ落ちないような細かい網の目のようであってほしい、と言っていました。
網を支えるの太い糸が国の制度であり、細かい網の目を作るのは私たちなのかもしれない、と思いました。

NO.112011-10-31 02:31:40 orcamie 0
今の日本の社会保障ってナンだろうと考えると
足りないものをを補う
困っている人を助ける
そんな印象を受けます。
そして税金払ってる割には恩恵が少ないような気がいつもします。

私はシングルマザーなので
周囲に自然とシングルマザーの友だちが多いのです。
彼女達の多くは 生活保護を受けている
現在札幌では 生活保護を受けられる収入の上限はちょっと
調べる時間がなかったのですが
少し収入がある人は 貰える保護費から収入分を差し引いた
差額を受け取っています。
これは なかなかリーズナブルだと思います。
ただ、いくら収入があったかという給与明細を提出したはずなのに
提出がなかったということで 1ヶ月分受け取れなかったというケースがあって
きつねにつつまれたような出来事に遭遇した友人がいました。
このような事故?を防ぐために 提出したという記録をつけるようにと
助言したけれど わたしにはお役所の方に真心が足りないとどうしても思ってしまうのです。
お役所の方で 紛失したという可能性だってあると思うのですが
そういう可能性を彼らは 絶対起こりえないと考えるらしいのです。
こんな場合 双方痛みの分け合いということでせめて半額折半とかになればいいのに。 
本当に 紛失したと思われる人は責められるべきだとも思います。

社会保障の基本的な考えの中に
日本人全ての可能性を引き出し
一人一人の才能が花開くような
もっと積極性のある考え方のもとに実現されるといいなと
思います。
その意味で ベーシックインカムという考えは新しいの大きな可能性を
持つと思います。
収入がたくさんある人は そのベーシックインカムを返上すればいい。
でも もしも困窮した場合はいつでも受け取れる権利がある。
日本の国の予算を見ていると
予算がついた分だけなるべく全部使っちゃうというのがほとんどらしいので
できたら 余った予算はできるだけ返上するというシステムも作って
無駄遣いを極力へらす確固たる道筋を作るべきだと思います。

NO.102011-10-29 10:21:08 motakeen 0

社会保障と税金
何が公平で何が不公平なのか。
これはどの社会・国でも頭を悩ませているとても難しい問題だと思います。

自分が離婚したら、失職したら、病気になったら、老いたら、というのは簡単に想像できるので、
私ももちろん社会保障制度は賛成です。
そして、想像できるがゆえについつい受給側の問題を中心に考えてしまいます。

  いくらあったら最低限の生活ができるのか。
  必要な人に必要な額わたすにはどうしたらいいのか。
  不正受給やモラルハザードを防ぐにはどうしたらいいのか。

でも反対に、How much are you willing to give? と問われたら、なんと答えたらよいのか。

アメリカでは、来年大統領選挙があることもあって、最近税金議論が盛んに行われています。
オバマ大統領は金持ちに対する税金を増額することを提案し、
共和党では税金率を所得に変わらず一律にする案を提案しています。(=金持ち層の税金をいまより減らす。)
日本から来ている私は、今ですらあまり手厚いとはいえない社会保障をさらに減らしてどうするんだ、と思いますが、自助や小さい政府を推奨する人々には、支持されているようです。

ただ、セーフティーネットという意味では、社会保障はその一部であって、
社会保障が十分ではない場合、それ以外の形で人々はセーフティーネットを形成するんだなということがすこしづつ見えてきました。

子沢山、家族という形のセーフティーネット(メキシコ系移民)。
宗教・教会を通したコミュニティー(黒人)。
寄付金を募って活動している様々なチャリティーグループ。
結婚というのもひとつのセーフティーネットかもしれない。

そういう意味では、日本のように単身者が多い社会というのは、
逆に言えば、一人でも生きていけるという社会で、
それは恵まれていて上記のような安全基地が必要ないから、
ということもいえるのかな、と思ってしまいました。

NO.92011-10-27 19:25:44 masami 0
”自分の力で人生を切り開く自助努力と、社会のセーフティネットは、どのような関係にあるべきでしょうか。”

難しいお題です。

社会をどのようにとらえているかによって、随分と考え方が違ってくるように思います。社会の外に自分を置いて考えてしまうと、社会は自分にとって何なのか、何をしてくれるか、という考え方になってしまいがちだと感じます。
社会の一員として考えようとするときは、どうしても今の自分を基準にするので、あらゆる立場を想像することが難しいです。

NO.1 chigusaotsukiさんの ”だれでも、発展的に生きることを、望んでいるはずです。”
からスタートしてみます。

高齢者施設でのレクリエーションを見たことがありますか?楽しそうに歌を歌ったり、ボール遊びをしたり…。高齢者だからそれでいいとも思えますが…。自分が高齢者になったとき、毎日がそんな風に過ぎて行ったら悲しいような気がしませんか?
ある団体が、高齢者施設で、自分を知るためのワークショップを継続して行ったら、皆さん目を輝かせて参加されたそうです。高齢者だって、新しいことを知りたい、という好奇心があるのです。(そういえば、今日の連続ツイートは、好奇心についてでしたね)

誰でも発展的に生きることを、望んでいるはず。に、同感です。

経済的に、精神的に、生きていることがやっと、という人が、発展的に生きていけるような社会的な支えがセーフティネットである、と考えれば、ベーシックインカムのような制度があったほうがいいと思います。ある程度の痛みがあってもいいと思います。(すみません、財政的なことについては、まったく言及できませんが)

どのように?と具体的に考えるとき、不正受給といった制度上の問題がすぐに思い浮かびますが・・・。

たまたま今日読んだ、「子どもの人権再考」(『新しい思春期像と精神療法』滝川一廣著より)に、人権思想について書かれていました。
”「人権」を扱うとき、これは「神の正しさ」への反省から生まれた「人の正しさ」、誤ることも矛盾することも避けられない、修正や妥協の余地をたえず残す相対的な約束としての「正しさ」であることを銘記すべきであると思う。ここに人権思想の原点がある。”

人間が何らかの制度を作る時、そこには矛盾も誤りも含まれることが避けられない、という覚悟のもと、その矛盾や誤りが、小さくなっていくように変えていく、と考えたらどうでしょうか?
セーフティネットをつくることで依存する人、不正受給する人を許さないのではなく、そういう人が出ることもある程度許容しても尚、成り立ちうるシステムは、ありえないのでしょうか?自分が、生きることがやっとの状態になったとき、そういうシステムがあったら、きっと立ち直る希望を捨てずに済むと思うのですが…。

現実離れした、夢心地の考え方だとは思います。それでも、自分が住む社会が、自分を含めた社会の一員の人権を大切にするものであってほしい、発展的に生きることができる社会であって欲しい、と私は思います。そのための最低限の保証があって欲しいと思います。

何を一番大切にするか、それが社会で共有できれば、まんざら夢でもないようにも思えるのですが…。

NO.82011-10-23 20:45:32 scidreamer 0
社会保障の問題を年金や介護、保険、生活保護だけで議論しようとするには無理があります。
私からは別の視点を提示しましょう。

皆さんは「一番働けない人間」とは誰だと思いますか?
高齢者?要介護者?患者?生活保護者?

全然違います。一番働けない人間とは「子供」です。

子供に働く義務を課す道理はありません。
しかも全ての人間は、まず子供として生を受けます。
そして子供はいずれ大人となって、働ける人間になることが可能です。

子供よりも平等で、働けなくて、可能性のある人間などいません。
その「子供」を日本ではどう扱ってきたでしょうか?

現在、日本の公財政教育支出は対GDP比で見ても一般政府総支出に占める割合で見ても、OECD中で最下位です。
この件についてOECDは日本に対する支援を表明しているようです。

他国の例として、スウェーデンではソ連崩壊という前代未聞の国難の際、大々的な教育改革を行いました。具体的には大学までの学費の無償化などです。現在では児童手当で生活費までもタダ同然だそうです。
これが功を奏してスウェーデンは他の面でも福祉大国となりました。
決して先に「高負担」を強いたのではありません。教育という先行投資をまず行ったのです。その結果稼げる人間が増えたのでしょう。
ちなみに教育内容自体も日本とは別格なようですが、ここでは割愛します。

また、私も最近知りましたが、「スウェーデンは高負担」というのも実は嘘なのです。
「スウェーデンの消費税率は日本より高い」と言われますが、実は「国税収入に占める消費税収入の割合」は日本もスウェーデンも約22%と同程度なのです。

なぜこんなことが起こるかというと、日本の消費税が「網羅的」に課税されているのに対して、ヨーロッパ各国の付加価値税は、
①医療・教育から住宅取得・不動産・金融など幅広い非課税項目があること、
②食料品や医薬品など、生活必需品は軽減税率をとっているためです。

「消費増税」など今の日本がやるべき策ではないのです。

私は、高齢者や病人、生活保護などに費用をかけることを「対症療法」と呼んでいます。
一方、子育てや教育に投資することを「根治療法」としています。
不景気、財政赤字などの病気を治すために、いい加減「根治療法」を講じるべきではないでしょうか。

「子供を大切にする」という点でも、茂木さんのおっしゃる「秘密基地」は的を射ているのかもしれません。
「子供は皆の宝物」なのです。

NO.72011-10-22 15:50:51 gotoichi 0
社会保障について考えるときに

やはり、いわゆる収入と支出の考えは必要だと思います。
また、モチベーションの問題もあります。

まず、前者のことでいうと日本の借金はダントツの世界一で
いろいろと不満が噴出している現状よりもより金銭が行き渡ることは
ありえないということは大切なポイントだと思います。

デフレを批判する声もありますが、経済は人々の期待に沿うように
動いていくので、安いものでないと買わないという消費者を前に
いくら政府が言ってもデフレがなくなることはありえません。

デフレ前提で人々が安心して暮らせるコミュニティづくりがよいと
考えています。金銭の量が少なくても楽しい毎日を送ることができる
成熟した社会の実現です。

個人的にはツイッターなどのソーシャルメディアでゆるいつながりを
つくっていくのがよいと考えています。

お金を遣わなくても楽しく過ごすことは全然可能です。
もちろん、医療費や介護の問題などは別途考える必要があります。

そこが大切だとは思いますが、生活というレベルではお金を遣わないで
幸福を感じられる社会への変容が課題であると考えています。

次にモチベーションの問題があります。
格差は絶対に拡大します。行動しない人は若いときからチャレンジを
しないまま、年齢を重ねていくので、トライアンドエラーがないまま年齢があがります。

まったく、実務経験のない社会人は正直、厳しいので単純労働しかありえません。
でも、グローバル化が進行していくこととIT化が進行していく事のダプルパンチで
賃金は下降していきます。

でも、成功する人は別に世間の状況とは関係なく成功していきますし
今後、30年くらいはアジアを中心に経済発展が見込めます。
BRICSとかアフリカとかも可能性があります。

チャンスはあるわけです。

その格差を日本は許さない風潮があります。
金持ちからはどんどん税金をとってもよい。
金を儲けているヤツは悪いことをしているという
雰囲気です。

あまり、論理的な説明でないとは思うのですが、
そういう風潮があることはご理解いただけると
思います。

そして、成功者は海外へ脱出することになるだろうと結論するのが自然です。
日本にいるメリットがほとんどありません。

この風潮や仕組みを打破することが大切だと考えています。

僕が考えることは個な面でして、制度はあまり重視していません。
不勉強でデータもないし、実際の自分が感じている日本の問題点として
書かせていただきました。

なんというか、制度やマクロの話が多く、個人の生活に落とした議論が
もっと活発になったほうが実際的であると考えています。

ひとりの人間を数字と考えているとしかおもえないのも大きな問題だと思います。

以上です。

よろしくおねがいします。

NO.62011-10-22 11:12:04 eight8 0
社会保障について

私は、社会保障というセーフティネット必要だと考えます。
そこに、中立公平な(ズルを許さない)ジャッジメントがあって、ということが大前提ですが。


(順序が逆ですが、)セーフティネットをなくすべきではないと考える理由は、
地域社会には、先天的にも、後天的にも不自由さを担なう人は必ずいます。
優しすぎて責任を負いすぎて、心が疲弊してしまう人もいます。

地域社会を形成する根源は、自律、利他の精神。

セーフティネットは、基本的生活を営む手段の提供ですし、そのもとは、私たちが出し合っているものです。
提供されるものは、お金、有形物、無形物で、いずれも、「もの」ですが、そこには「他人を思いやる気持ち」が入っている。
つまりは、利他の精神、1つの方法だと考えています。

弱くなったコミュニティの力。復興に力をいれていますが、これはすぐに解決できるものではありません。
そんななか、弱者を助けられる「セーフティネット」は、なくすべきではない、そう思います。


一部の人の、あやまった使い方でなくせるものではない。


で、セーフティネットをなくすというより、
不正受給を是正できるシステムの再構築が、必要なんだろうなと、私は思っています。

予算の絡みで医療制度改革、税制改革、社会保障改革が走りだしています。
予算からみ以外、生活様式、経済格差は、現存の法律などが制定されたころから、大きく変容しましたので
どこかで、現在の生活にあわせた、税・社会保障の見直しは必要だったので、よい時期なのかもしれません。

ただ、医療制度化改革もそうですが、「生活」「健康」といった、人が生活する基本を構成する
事柄に対する規定、システムづくりに際しては、現場を鑑みて、特例でてきたさいにも揺るがない、根拠と
信念を、確立すべきだと思います。

私も、生活保障に絡んでいましたが、さまざまな価値観が地域にはあり、生活は特例ばかりです。

健康を害している人、少ない国民年金しかないけれども家族に養ってもあえない高齢者やからだに不自由があるかた、などいろいろなケースにあたったときに、少しでもジャッジメントする人の価値観ではないところで、判断することは至極難しいですし、一律に、法にそっていないからと切れる事例ばかりでもない。

セーフティネットを利用する人が、だれにも頼れず困窮している人なのか、もしくは、上手に偽装して自分の利益を最優先してセーフティネットを利用しようとしているのか判断できるよう、現場に密着した議論がされ法が制定されれば、ジャッジする人もその背景を理解し、不正受給は減少していくのではないかと考えます。
ベーシンク・インカムという言葉を知らないままに、本文を書いていますが、
行政の負荷を小さく、セーフティネットが行き渡るようにする、システムこそ、行政屋の人数は不変もしくは減少していて、受給希望者が増加している今、望まれているんだと思います。

あべこべになっているかと思いますが、茂木さんの読解力に期待しまして、最終確認せずに投稿させていただきます!

このことに関して、対面形式でのディスカッションの機会があればなーと希望してます!では!

NO.52011-10-22 10:04:52 茂木健一郎 0
みなさん、活発な議論、ありがとうございます。
私は、基本的にベーシック・インカムのようなシステムが良いと思っています。できるだけ行政の負荷を小さくして、セーフティ・ネットが行き渡るようにする。安全基地(secure base)がなければ、人はチャンレジすることができません。

個人の自助で発展していくという世界観と、社会保障のセーフティ・ネットは、両立すると考えるのです。

NO.42011-10-22 09:36:58 bonitao 0
社会保障について


私たちが生きていくシステムの中で自然発生的であるけれども不可欠なものは、「自助」と「共助」であろう。

「自助」がありそれを地域社会を中心とて「共助」のシステムが稼働することにより人社会は機能してきた。

今日ではこの「共助」が機能しなくなっている、あるいは機能しにくくなっていることが日本社会の大きな特徴であろうと思う。これが社会保障制度を膨張させている一因ではないかと疑っている。

制度欠陥、人口構成の歪みや財政の問題もあるが、それだけに帰結させるのは違うと思う。

介護保険制度の理念は「自立支援」であるが、現場に入ってみると、「自立したくない」年寄りと「自立させたくない」家族や介護事業者であふれかえっている。
『老いた親を引き取りもしないで、田舎に放ったらかしにしている』といいう非難を回避するため親を引き取る都会人を多く見る。『年をとったから息子夫婦の所に身を寄せる』という年寄りも多い。
これらは自立したくない、自立させたくない事例の一端である。

『孤独死』が話題になるが、これは「共助」の欠如を示している。
阪神大震災の時孤独死が相当話題になったが、中越大地震、東北大震災ではほとんど話題にならない。
これは共助システムが機能したのではない。
社会保障システムの一つである『介護保険制度』が大きく寄与している。
阪神大震災当時は介護保険制度がなかったがそれ以降は、介護保険制度により高齢者の所在把握が相当程度に進んでいたし、中越地震の時は避難所の体育館にすぐに臨時のデイサービスが開設されたりもした。

社会保障システムというのは人為的にあるいは政治的に社会の中に組み込まれたもで、「公助」の一つといってよい。それは「自助」、「共助」の後からついてくるべきものである。自助、共助を以てしてもなお生活に困窮する者に対する自立支援を促すものでなくてはならない。

「自助、共助をしないのもを助ける必要はない。そのような存在は社会悪である。」
このような社会的合意形成が今の日本で可能であろうか。それは正義であろうか。

少なくとも、最後に来るべき公助=社会保障が最初に来るような議論が多すぎ、それが社会保障費の限りなき膨張の一因となってはしないだろうか。

以上の観点より、社会保障制度については制度的な精緻さや公平性の議論も重要であることを認めつつも、その前に『自助』、『共助』を視野に入れた、今日の日本社会のあり方そのものを議論し、社会保障制度に関する新しい国民的合意形成に向かう議論を巻き起こす必要があると思っている。

さもなくば、いかなる制度論議も増税論議も木を見て森を見ずとなるのではないかとの危惧を感じている。


NO.32011-10-18 21:58:26 ryosuke85 0
すいません。上の人口の数字はWikipediaからの引用です。忘れてました。

遠藤涼介

NO.22011-10-18 12:00:45 ryosuke85 0
社会保障

社会保障は自らが帰属できる親や自宅の様なもの、だと思ってます。
今までの長くはない僕自身の人生を振り返って、親や自宅があるから小学生ながらの馬鹿な事も出来たし、今のチャレンジに繋がったと正直に感じています。

ただ、今まで僕は対して大きな病気や手術に繋がるような重大な怪我を負ったことが無いし、ましてや自分で稼ぐようになってからは、まともに病院に行った記憶もありません。
そういう点で見れば、僕は支える側の人間でいることを、こうやって改めて考えると実感します。

病院や町医者に行けば、一定レベルの保健治療を受ける事が可能。
国民皆保険、皆年金というシステムは今までの日本で非常にうまくいっていたシステムであり、我々の先輩達は上手なシステム構築をなさったのだと感心します。
しかし、考えなければならないのは、そのシステムが構築されたのが何年前なのか、という事です。

(ここからは少し乱暴な意見になるのですが…)

人口は爆発的に増え、現在、知り得ているだけでも日本の全人口は128,056,026人(2010.10.1)
この内の現役世代(僕が勝手に規定しました15~65歳)は83,233,000人(2009.10.1)
(全人口と年が違う事をお許しください。大体この数字という事でお願いします。)
現在の時代背景を踏まえれば、大学を出てから働く人間が多い事を考え、少し乱暴ではありますが、15歳から21歳は省かなくてはならないでしょうか。
すると、8,720,000人減少し、現役世代は74,513,000人。
このまま5年後に17歳以上の子供たちが大学を卒業して働きだす年には、それを合わせても71,941,000人。たったの5年で2,572,000人減少し、さらに5年後には、2009年当初12歳だった子達が22歳になった年には(ここで規定している現役世代が)68,131,000人となり、先程の人数から更に3,810,000人減少する事になります。

単純に比較して、2009年10月1日時点での61~65歳までが8,894,000人で、22~26歳までの若者は7,249,000人と、ここで既に1,645,000人もギャップが生じているにも関わらず、足りていない人数分も補わなければならないのです。
勿論、ここで述べているのは、把握している人口を単純に数字にしているだけなので、専業主婦の方であったり、労働に行きたくても赴けない人も含まれています。
ただ、現在の社会保障のルールの中では、若い人間が現役世代を卒業する人の分まで補う事実は変わらない、という事です。

これでは若い人間の負担があまりにも大きすぎて、社会保障を維持する事すら大変なことで、日本の経済が衰退したのは人口減が大きな要因だとする意見もあります。

これではセーフティネットたる社会保障がセーフティネットでは無く、危険なものになって行くように思えてなりません。かと言って、今から急激に出生数を増やした所で、少なく見積もっても10年15年の状況が変わる訳が無く、そこから現状の社会保障を適応させる事はナンセンスでは無いでしょうか。

で、あるならばまずは日本の社会保障のあり方を根本から考え直すべきであり、少なくとも20年は減少していく現役世代について考え、規定しなおす事をしないといけないのでは無いでしょうか。

例えばベーシックインカムという考え方に僕は賛成です。
年金や生活保護を撤廃し、消費税を引き上げて、国民全員に最低限生活可能レベルの金銭を付与するという方法な訳ですが、それ以上の金銭を望む者は稼げばいいし、働きたくないものは働かなくてもいい、と。

今までの50年以上前に作られた制度に捉われる事無く、これからの20年を考えた上での制度設計をしていく事が必要なんじゃないかな、と思います。
勿論、この20年の間、日本にどんな事があるのかを予想する事は困難ですが、少なくとも人口のように数字として確かなものについては大きく変化をする事はないのですから、確信をもって行動できるように思うのですが、どうでしょうか。

遠藤涼介

NO.12011-10-17 22:56:41 chigusaotsuki 0
社会保障を、社会改革とするためには。

そもそも、働く気のない人がいるとして、カウンセリングを通して、どうして、働く気が、起こらないのか、人と、話をしたり、交流することで、彼らを、孤立させないことが、社会参加に、つながる。

また、働きたくても仕事がない、という表現は、ほんとうに、曖昧で、自分の希望にかなう、仕事がない、という意味だと、思う。

いずれにせよ、憂うつな気持ちである人に、怠けずに、自助努力せよ、というのは、間違っています。
なぜなら、カウンセリングをとおして、自分から、何かしたくなるのを、待った方が、自発的であり、より健康な心を、はぐくむことができるからです。

セーフティーネットが、生活費だけであるなら、確かに、生きてはいけるけれど、それで、心の暗やみが、消えることには、つながらない。

だれでも、発展的に生きることを、望んでいるはずです。