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男らしさ、女らしさを考える

前回の掲示板でTomoikukaiさんからご提案のあった「男らしさ、女らしさ」について考えることを、今回のお題にしたいと思います。『脳は0.1秒で恋をする』という本の中で少し述べましたが、この「男らしさ」「女らしさ」というものも時代とともに変化をしています。例えば、現代においては、ぐいぐい女性を引っ張ることだけが「男らしい」というわけでもないと思います。では「男らしい」とは「女らしい」とは何でしょうか。そもそも、みなさんは「男らしさ」や「女らしさ」を追求することにどのような意味があると思いますか。あるいはどのような弊害があると思いますか。ご意見お待ちしています。

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NO.222013-03-19 15:03:26 makimako 10
今、昨日のメルマガを確認したら、もう閉め切った後でしたね。すみません。
もう茂木さんここ見られないかもしれませんが、私は、QJPにしてもここにしても、茂木さんが一般の私たちと関わってくださったことがすごく意味のあった事だなあと思いました。

モチベーションがかなりあがるというか、茂木さんに興味ある人たちが集まってお題に対して真剣に考えることができたのもやはり茂木さんの存在が大きかったと思います。

改めて本当にありがとうございました。
ここももう終わってしまうと思うと本当に寂しいですが、茂木さんの新たな方向を応援したいと思います。
そしていろいろな気づきや物の見方考え方を気がつかせてくださりありがとうございました!

NO.212013-03-19 13:49:57 makimako 10
男らしい、女らしい、とは何か? そしてそれを追求する意味、弊害について。

結局のところ、太古にさかのぼれば、男が狩猟して女が家を守るみたいな事があったんでしょうけれども、この現代、共働きがほぼ当たり前になり、男親が大黒柱だったのが今はそうでない事も多いのかななんて思います。ただ、私のまわりを見てみると、やっぱり家庭の中で、女の人が家事をしてっていう感じは、多数を占めるのかなという気もします。

女の私からすると男の人の力強さはやはり頼もしいところがあります。やはり根本的な基礎体力や力が違うと思うのです。

だから男らしいといったら力強さや毅然とした態度でしょうか。そして女らしいというのは、やはり母性でしょうか。丸みを帯びた体というのもmasamiさんがおっしゃっていましたが、包み込むようなしなやかさであったり優しさという感じも女らしいと言えるのかなと思います。

ただ、こういうことは、押し付ける物ではないんだろうと思います。
女の人が力強く頑張っている姿に魅力を感じる事もあるし、男の人の母性にこういう面もあるんだと感心させられる事もあります。

弊害があるとすれば、無理な押しつけや決めつけなのだと思います。



NO.202013-03-16 17:13:23 Tomoikukai 5
「男らしさ」「女らしさ」は、元々我々が持っている脳の働きから来るのでしょうが、それは、語学の面でも、文法、翻訳中心の男脳。おしゃべり上手な女脳という形で、現れているのではないかと思います。なんせ、英検の試験や、通訳案内士の試験会場では、女の人が圧倒的に多くて、スピーキング能力は、男脳では、とても太刀打ちできないようです。

しかし、情報を確実に伝える翻訳作業は、男脳のお手のもので、古代は中国語を日本語に翻訳し、近代に入っては、英語の翻訳を先頭になって実行したのは、主に男性だったように思います。明治維新以来、日本の翻訳技術は、どの国にも負けないくらいすばらしく、それによって、西洋の国以外では、いち早く近代化に成功しました。その成功により、日本の英語教育は、文法中心の翻訳技術を磨くシステムへと確立していきました。そして、日本人の中で高等教育を受けるものが数多く出るようになっても、この教育システムはかたくなに維持され続けて来ました。しかし、翻訳というものは、ほんの一部の優秀な人が行えば、他の、下手な人が、同じものを訳しても意味がないどころか、返って混乱を来してしまいます。というわけで、今の英語教育は、一部の、優秀な翻訳家や、通訳を除いては、全く役に立たない教育システムとなってしまいました。そして、この優れた翻訳技術のせいで、これら英語の専門家を除いた、一般の人達は、

「何で、英語なんか勉強するの? 日本では、英語なんか知らんでも、なんも不自由せんやんか。外国人が日本にくるんやったら、日本語を勉強してからくればええやんか」状態になってしまいました。

そして、グローバル化の波が押し寄せて、人々が、直接日本語を知らない外国人と接する機会が訪れると、翻訳家や通訳が仲を取り持とうにも、物理的、時間的にとても対処しきれるものではない情勢となって来ました。特に、英語教育に於ける文法中心の翻訳英語では、中途半端に勉強したものにとっては、全く役に立たないことがはっきりして来ました。役に立たないだけならまだいいのですが・・・

そう、道で外国人に話しかけられただけで、頭の中が真っ白になるいわゆる「英語アレルギー」を引き起こす抗体の役割を果たすようにまでなっているようです。頭の中で、英語が、全く役に立たない化石化状態になっているのです。この化石は、文字になったものには、鈍いながらもすこしは反応するのですが、音声だと、益々頑固になって、易しい単語さえ受け付けなくなってしまいます。
先日、子供達に英語の紙芝居を読んであげられるようにと、子供や孫を持つ女の人達に、「サマンサ・ペリーとプリースト・ノブの英語で紙芝居を作ろう」というセッションをするために、色んな人に声をかけたのですが、多くの人の反応は、「子供には英語を習わせたいけれど、私は英語アレルギーで、英語を聞いただけで、耳が貝になる」というものでした。よっぽど、学校英語の文法中心の翻訳英語に悩まされ続けて来たのでしょう。女の人に、男脳の文化を押し付けようというのですから、無理もありません。

確かに、明治以来、翻訳家の仕事は完璧で、水も漏らさぬ西洋文化の日本語化に貢献して来ました。日本人の文化や、住環境が、完全に西欧化しているのに、全てが日本語で間に合っているというのは、翻訳家としての日本人が、如何に優れているかを物語っています。・・・ここに油断があったのですね・・・

翻訳というのは、ほとんど、一方向の情報の流れを意味します。つまり、欲しいテキストを選んだら、あとは、質問、反論無しに内容を解読していくだけです。いい情報を探すという少しアクチヴな面もありますが、こちらから、欲しい情報を得る為に、積極的に働きかけることは得意ではありません。学校や、会社で、情報が、上意下達で流れてしまうのは、この翻訳文化が大いに影響しているのではないでしょうか。そういえば、敦賀周辺には、今話題の原子力発電所が数多くありますが、技術は、ほとんどすべてが、英語圏のもののようで、運転の為の新しい、分厚い英語のマニュアルが届くと、東京の本社では、それを一年がかりで日本語に訳すのだそうです。運転に携わる人の中には、多少英語を読める人がいて、その人達は、他の人に先駆けて、新しい情報を知ることが出来るのだと聞いたことがあります。もし、それが本当なら、福島第一発電所で事故が起こってしまった当時は、どうやら、事故が起こることは全く想定していなくって、想定外の事故が起こった時の、対応マニュアルは、例え、あったとしても、日本語には、訳されていなかったのではないかと推測するのは、あながち的外れであるとはいえないでしょう。とにかく、男脳でがむしゃらにやって来た翻訳文化は、どうやら限界に達したようで、グローバル化の波の中では、むしろ、英語を習得する為には、大きな障害となりつつあるようです。

一昨年の六月、フクイJALT の勉強会で、東大の英語の先生が講義をしてくれたことがありました。その先生は、文法を重視していて、正確に英語を理解する為には、どうしても、日本語に翻訳する必要があることを強調されていました。そこで、ある会員から、英語で直接理解した方が、早く理解できるのではないかという反論が出ました。それに対して、件の先生は、それはそうだが、それだと、本当に理解していることを確認できないといわれました。ところが、それに対し、福井大学で英語を教えているネイチヴの先生から、そんなのは、英語で質問してみれば、すぐ解るではないかという突っ込みが入り。東大の先生に二言がなかったのは、いうまでもありません。英語を教える為には、英語で掛け合いが出来なければ、インタラクチヴ に授業を進めることは出来ないのですね。これも、翻訳英語の限界を知る体験でした。

もう止めようよ翻訳英語!

私は、これからのグローバル化の時代に対応できる教育(友共育)は、女脳の得意なおしゃべり英語だと思っています。このおしゃべり英語に、本来、男脳の得意な、クリティカルシンキングを加えると、すばらしい、英語の達人ができあがって、将来、この英語音痴の日本を救ってくれるものと、堅く信じています。

最後に、これから、お彼岸のお手伝いで、南馬込の善照寺さんへ、出発します。20日のお中日には、1時半頃から朱色の作務衣を着て、ラオス旅行の報告会をしようと思っています。近くに寄られたら、是非おいで下さい。

善照寺さん Tel: 03-3772-2659

NO.192013-03-15 13:29:13 sana805 10
茂木さんの「両性具有的な方向性」の魅力。なにか感じるところがあります。
厳しさと優しさのようなもの。相手を受容する優しさと向き合うことの厳しさのある人。

厳しさ、優しさで言うなら、最近、ふと知ったことで、奈良のお水取りの行で出てくる仏さまの中の金剛蔵王権現の話を読んで少し考えさせられました。
http://nara.jr-central.co.jp/campaign/kimpsenji/special/
苦しい時代、優しさを求めて、世の人を救う姿を仏で表し、様々な救いの手の先に出現した憤怒の形相をした蔵王権現。
山岳修行者の役小角円の感得した悟り。どのようなものだったのか。 脈絡無い話ですがふと書き込みたくなり失礼しました。

昨年12月からふとしたきっかけで夜間飛行を見つけ、茂木さんのメルマガで様々な人や素敵な内容の数々にいろんな気づきをいただき、英語の苦手意識も減ってきた感じがあります。掲示板への書き込み、いろんな人の考えに触れることができて、素敵な機会をありがとうございました。

NO.182013-03-13 07:57:40 茂木健一郎 15
みなさま
メルマガは、今月末で休刊となります。長い間、ありがとうございました!

ぼく自身は、「男らしさ」という典型的なあり方ではなく、むしろ両性具有的な方向性に常に惹きつけられてきたように思います。あからさまなセクシャリティ、という意味ではなく、感性や行動パターンにおける、幅の広さ、というようなものでしょうか。

「男らしく」「女らしく」という典型を生きようとすると、どうしても感性や行動のダイナミック・レンジの幅が小さくなってしまうように感じるのです。

NO.172013-03-13 05:26:34 masami 10
連投ですみません。
カスタマー・レビューに書かれていることに、同意しているわけではなく、どのようなことが書かれているか伝えたかったので、養老さんの本の一部、直接引用します。(いいのかな?)

「かつて男らしいとか女らしいということを封建的だって全否定したでしょう。それが間違いでね。

僕、いつも皮肉で言うんですけど、放っておいたら女の子は元気で活溌なお嬢ちゃんに、男の子はおとなしくてよく言うことを聞くいい子ちゃんになっちゃう。

だから、教育で男は男らしくってケツを叩いて、女の子はおしとやかに、おしとやかにって頭を抑えてるんでしょ?って。

そうじゃなきゃ、教育の意味がないでしょう。(77p)」
『男と女の怪』

養老さんも、いろいろな思いのなかで話されていると思いますが、この文章は、人によって、年代によって受け止め方は、随分と違うと思います。

わたしは、男らしく、と育てられない方がいいな、と思います。
男らしく、女らしく、と言われないで育っても、生き生きと生きられる社会の方が、女性も男性も幸せになれるように思います。

健太さんの 「茂木さんへメッセージ動画 『茂木さん、連ツイやめるってよ』」
を見て、心温まりながら、多分、数十年前は、受け入れられなかったであろう表現が、ごく普通に受け入れるようになった・・・、ととても嬉しく思いました。
すみません、これは、昭和中期生まれの、それも独りよがりな感想かもしれません。何が特別なのか、わからない人の方が多いかもしれません。そうだとしたら、それもまた嬉しいことです。

そして、茂木さん、連続ツイート、本当にどうもありがとうございました。

NO.162013-03-12 23:45:58 masami 5
追伸

アマゾンの、カスタマーレビュー、最初のだけ読んでURLを貼りつけてしまい、軽率でした。
最初のだけ、参考にしてください、よろしくお願いします。 <(_ _)>

NO.152013-03-12 23:37:25 masami 10
sana805さんの
「イエスに自分を投影する人、マリアに自分を投影する人、マリアと幼少のイエスに自分を投影する人、イエスの受難や復活のストーリーを投影する人」

本当にそうですね。同じ聖書でも、読む人によって、身近に感じるところはそれぞれ違うようです。漠然とした内容の文章から、具体的に想像してくださってありがとうございます。

本を読んだり、今回のテーマを考えていく中で、やはりひとは自分の体験から考え始めて、そこから想像を広げていくのだな、と思いました。もちろん自分の体験から考えることは大切だけれど、自分の体験から離れることも大切だと感じます。それが難しい、と思いました。

女らしさ、男らしさ、はその点で特に難しいように感じましたが、今回考えてみて、男らしさを押し付けられる苦しさもあるのだな、と気がつきました。

泣いていた小さな男の子が「男の子は泣くんじゃない」と言われているのを見たとき、違和感を感じたことがあります。養老孟司さんが、男の子は強くなくちゃいけない、と言われて育つから、強くなれるんだ、って言っている、と聞いたことがあります。
そう思って探したら、アマゾンのカスタマーレビューにありました。よかったら読んでみてください。『男女の怪』

http://www.amazon.co.jp/%E7%94%B7%E5%A5%B3%E3%81%AE%E6%80%AA-%E3%81%A0%E3%81%84%E3%82%8F%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%A4%8A%E8%80%81-%E5%AD%9F%E5%8F%B8/dp/4479302158

そして、今朝の 茂木さんへメッセージ動画 『茂木さん、連ツイやめるってよ』
http://www.youtube.com/watch?v=Q5_DUCQZjPk&feature=youtu.be


を見て、そういえば、男泣き、という言葉があったな、と思い出しました。今も使われているのでしょうか?
(健太さんのは、男泣きとは言わないと思うけれども・・・)

男~~、女~~、という言葉の使われ方を調べたら、日本人の、男らしさ、女らしさのイメージの変化がよくわかるかもしれない、と思いました。

NO.142013-03-09 09:34:45 sana805 10
皆なの話とても興味深く感じて、いろいろと考えたり感じるところがあります。
女性らしい男性らしいと言われることも時には嬉しいけど、あなたらしいと言われると個人的にはホッとすること。女性と男性の違いが、命を生み出す母体か、そのきっかけを与えるものであること。

女性は子どもを妊娠すると自ら抵抗力を弱める仕組みになるそうです。そうでないと堕胎する。 異物である胎児。異物というと言葉が悪いですが、別の人格を持つ他人であるということ。
命は誰のものでもない。本人のものであるということ。命の尊重って何かを考えさせられた記憶がある。人は哺乳類の中でも生理的早産と聞いたこともあります。牛や馬のようにすぐに立てない。走ることもできない。

未熟で生まれ何もできず頬の触れる方に顔を向けて授乳する本能があると教えてもらったこともあります。3歳までの愛着形成が将来の他者への信頼を持てるかどうかの影響を持つと。三つ子の魂百まで。。 奇跡のようなつながりで人は生きているんだなと感動する。

masamiさんのホルモンと宗教の関連、個人的にはとても興ををそそられました。
何を信じて心の柱とするのか。
キリスト教でイエス像を崇拝像とするかマリア像を崇拝像とするか。また受胎告知やマリアと幼児のイエスの姿を崇拝の対象とするのか。ルネサンス時代の文芸復興にはギリシャ時代の頃のような人のすばらしさの復興、個の復興を意味したと聞いたことがあります。
素敵だなと思ったのだと思う。
イエスに自分を投影する人、マリアに自分を投影する人、マリアと幼少のイエスに自分を投影する人、イエスの受難や復活のストーリーを投影する人、宗教で教わる人生観。 ふとそんなこと、つらつらと考えました。

NO.132013-03-08 21:31:04 masami 10
女らしさと言えば、丸み、柔らかさを思い、男らしさと言われれば、固さ、強さを思います。女性ホルモンの投与治療を受けた男性の肌が柔らかくつやつやしてくるとか。個々に見れば当てはまらない人もいるけれど、女性と男性では、平均すると、身体的な面で決定的に異なっている。そのことからくる振舞いの違いに、文化的、社会的な要素が絡み合って、時代と共に変化しながら、女らしさ、男らしさの感覚が作られてきた。その中には、理想的と思われていた姿も、そうあってほしくない姿もあったけれど、どんな時代も、男らしさ、女らしさの極端な姿が、強調され過ぎてきたように思います。そして今は、男女の区別よりも、一人一人のその人らしさを大切にしたい、という捉え方が強くなりつつあるのかな、と皆さんの投稿を読みながら思いました。
一つ私が興味深く思っていることに、宗教への感覚の男女差があります。アメリカなどでは、宗教に関する様々な研究がなされていますが、女性の方がより宗教に親和的であるらしいのです。日本の場合、少数ですが、カトリックの受洗者数のグラフを見ると、幼児洗礼者の場合(親が子供に洗礼を授けると決める)男女比は、ほぼ同数ですが、それ以降、自分の意志で洗礼を受けた成人洗礼者の場合は、女性が男性の2倍近く多いです。
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/data/st10/statistics2010.pdf
(15ページを参照してください。きれいに男女差が出ていて、個人的にはすごく興味深かったです。)
この結果から、日本の場合も、男性と女性とでは、宗教に対する態度が異なる可能性が考えられると思います。信仰を持つことは、自分の生き方の根幹に関わると考えると、生き方そのものが、男性と女性とでは、異なる傾向があるかもしれないと思いました。
男女の違いそのものは確実にあるけれど、その違いをハンデと思うこともなく、優位とも感じることなく、互いに補い合えるような社会であってほしいと思います。
男女以外にも、あらゆる“らしさ”はあるけれども、その弊害は、~らしくあれ、と個人に押し付けたり、~らしさ、という枠の中でしか生きることができない状況にあった時、出てくると思います。逆に、~らしさ、に、こうありたい、という理想の姿を見出せたとき、人は、そのらしさを追求したくなるのかな、と思いました。
男らしさ、女らしさ、とは離れてしまうかもしれませんが・・・
マサイ族の女性が、女の子のための学校を作ったTED Talkがあります。女性が女の子の学校を作りたい、と長老に言った時、彼らは、男の子の学校を作ればいい、と最初は言いました。その女性は、男の子の学校は、男性が作ればいいから、私は女の子の学校を作る、と言ったら、長老たちは納得したそうです。女の子のための学校、という発想そのものが無かったようです。私たちの中にも、気づかないうちに、男性がすること、女性がすること、と思い込んでいることが、まだまだあるかもしれない、と思いました。
http://www.ted.com/talks/kakenya_ntaiya_a_girl_who_demanded_school.html?awesm=on.ted.com_KakenyaNtaiya&utm_content=awesm-publisher&utm_medium=on.ted.com-static&utm_campaign=&utm_source=t.co


NO.122013-03-08 15:02:48 dapette 15
私の祖母などは,男女のあるべき論が染み付いており,女は一歩ひいて男に付いて行くべきとったいうことをよく話します。しかし私の母親はそのような考えを持っていません。また,本で読んだのですが,少し前の数学の世界では女性が入ることが許されておらず,男のふりをして,論文を提出していた学者がいたと聞きました。当然,今ではそのようなことはありません。他にも,ある地域では細い女性がモテる,他の地域では太った女性がモテるという話もあります.今回は女性に関する例をあげましたが、結局「女らしい」とか「男らしい」とかはその時の社会の状況や制度に依存した偏見なのではないでしょうか。
もちろん,個人の哲学に基づいた男らしさ,女らしさを追求するのは自由ですが,それを他人に強要するのは問題で,それをしだすと,下記で述べられているように窮屈な人間になってしまうのではないでしょうか。

NO.112013-03-08 13:00:24 makimako 15
 私のアメリカ人の夫は、何かと男と女が、区別される事について意見を言ってきます。例えば、娘の保育園で、お母さん達は、毎日、ご飯を作ったりして大変な事もありますよね。と、先生が言ったとします。家では、当番制で料理をしているので、母親が料理を作るのが当たり前という感覚にかちんときたようです。それから、保育園では、制服があって女の子は、スカート、男の子は、ズボンというふうに決まっています。すると、なんで、女の子だからとスカートをはかなくてはいけないんだ、とまた言ってきます。そういうことがよくあるので、昔、私の母が、女の子なんだからとか、女の子らしくしなさい、と言われて私自身は育ちましたが、娘や息子には、そういう事は言ってはいけないような気になってきています。

 ただ、私自身は、やはり、女だから出来る事、男の人だからこそというところは、あったりすると思います。
 女の人でないと、妊娠、出産、授乳はできません。

 男の人は、やはり、基本的に体力、力では、女の人に勝るような気がします。もちろん、女の人の方が力強かったりする場合もありますが、基本的にという意味です。

 ですので、その家族の中であったり、会社の中、その中で、得意な分野で力を発揮できるような役割分担が上手い事できるといいのではと、思います。

 それが、あなたは、男だからということではなく、あなたは、こういう事が得意だからという捉え方がやっぱりいいのかなと思いますが。

 お昼休みがもうすぐ終わってしまいますので、いったん投稿いたします。また時間が出来たときに、もう少し考えてみたいと思います。

 


NO.102013-03-08 11:18:32 chigusaotsuki 5
樹下の微睡み、メルマガ、休刊するのでしゅね。
今まで、お疲れさまでしゅた。
ゆっくり、お疲れをとってくだしゃいね。
これからも、ご活躍を、お祈りしていましゅ。^_^
ありがとうございましゅた。⊂((・⊥・))⊃

NO.92013-03-08 10:14:04 ryosuke85 14
terurunさんが仰った様に、そもそもそんな定義は人と接する上では必要のないものだと思います。

“「男らしさ」「女らしさ」の定義も、必要であれば、使えば良いし、必要でなければ、自分なりに相手を判断したら良いのではないでしょうか。”

この意見に同意しつつも、ボクの意見を明確にするために(ボク自身がきちんと認識するために…ですが)、「らしい」「らしさ」について定義してみたいと思います。

「○○らしい」といったカタチで話が進むには、対象としているものに対しての“語る側のそれに対するイメージ”が存在しますよね。語る人間がいまから語ろうとしているものに抱いている感情ともいえると思うのですが、対象に触れてきた過去から推察でしかないにもかかわらず、まるで事実であるかの様な物言い。

例えばイチロー選手が、まさにイチローだという発現をしたとします。それをこぞって「イチロー“らしい”発現」として我々は享受しますが、そのイメージはあくまでも“現段階におけるイチロー選手の一つの意見”であるにも関わらず、それをまるで全人格を現しているかの様な、言い方を悪くすれば暴力的な粗暴さでさえあると思うんです。

その考えは、次に聞いたときにはまったくもって違う存在感を示す形になるでしょうし、そのコトバに対する重みも時々刻々とイチロー選手本人のなかで変化していくことでしょう。

その点でいえば、男女における「らしさ」も相似性をもっているワケで、序文でもあるように時代とともに変化をしていくわけですが、その理由としてボクは、我々の主観が入るからだと考えます。

つまり、「らしさ」というのは嗜好であり、好き嫌いともいえるのではないでしょうか。そう考えるとボクは茂木さんの仰った“「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と思っている人は、自分に対しても他人に対しても抑圧的”という部分に納得ができます。

好き嫌いである以上、相互理解を「完全に」得ることが難しい。だから、議論の最中である程度その人を捉えた上で、理解はできないけど理解しているように見せるために使っているのが「あなたらしい考えですね」というコトバになるのではないか、と。

こんなボクの意見も暴論ですが、それを踏まえた上で話を進められるのか、話の腰を折ってしまうのかによって全く相手に対する感謝や許容が足りないと思うのです。

相手のことをきちんと認識していることができれば「らしさ」を求めることはなくなるでしょうし、必要ないものではないでしょうか。

NO.82013-03-08 09:17:02 Tomoikukai 13
二十数年前、私達は、五組の家族で(皆んな、子供が、小学校以下だった)、思い立っては、集まって食事会をしていました。その時、私は、「近頃の女の人は、なんか、昔の人と違って女らしくないな」と発言した所、その中の小学校の先生が、「のぶたかちゃん、そんなこというたら、今は、差別発言ていわれるで。学校では絶対にいうたらあかんのや」と非難めかして言ってきました。私は、「女らしい」「男らしい」ということが、何で差別発言になるのか全く理解できませんでした。私が、「女らしい」という言葉に感じる印象は、子供を育てる時、悪い所も、何もかも包んでくれる優しさだし、「男らしさ」に感じるものは、厳しいながらも、頼もしく、絶対に見捨てない力強い優しさです。何れにしても、母親、父親として、子供を育てる資質が、「女らしさ」「男らしさ」を感じさせる発信源となっているような気がします。社会的動物である我々人間の、最も本質的な営みは、子を作り、一人前に育てて、世に送り出すことです。そして、その最も理想的な形が、一人前の男女が、協力してそれぞれの役割を果たし、温かい家庭を築き上げることだと思います。この、男女が協力してそれぞれの役割を果たす為には、この、「女らしさ」「男らしさ」の結びつきが、最も強力で安定した子育ての環境を作り上げるのだと思います。

それでは、「男らしさ」「女らしさ」というものに対する感じ方は、時代と共に、変化しているのでしょうか? 私は、残念ながら社会制度や社会の風俗、それに何よりも、時の教育によって、価値観が混乱してしまっていると思えてなりません。ちなみに、私は、闘争心をむき出しにした、女史プロの選手や、媚を売り物にしているAKBの誰々さんや、ロリータファッションのお嬢さんが、今のままで、可愛い赤ちゃんを育てられるということは想像できませんし、「女らしさ」を感じることもありません。しかし、今や、多くの男性が、彼女達から、セックスアピールを感じるのも現実としてありそうです。これは、今の人々が、「女らしさ」「男らしさ」という、サヴァイバルの根幹に関わる価値観にまで、商業主義の影響を色濃く受けてしまっているということを意味しているのではないかと思います。反対に、商業主義に操られた「男女」観を排除しようとして、教育の現場では、最も多感な恋多き思春期の教育から、「女らしさ」「男らしさ」を封印させて、偏差値教育の邪魔になる「性の乱れ」に対処しようとしてきました。これが、先に上げた、「女らしい」とか「男らしい」とかいうと、学校では差別発言になる(文科省通達?)と、件の先生が私に注意したことの背景にあるのではないかと思われます。この結果、男女(おとこおんな)や、草食系男性が増え続け、今や、結婚しない人が5割にも達しようかという日本人滅亡のシナリオの最大の原因になっているように思われてなりません。

我々が、中高の頃の学校は、舟木一夫の「高校三年生」や西郷輝彦の学園もの、等々、甘酸っぱい恋の雰囲気にあふれていました。(吉永小百合もいたし)みんなみんな、「女らしさ」「男らしさ」を求めていたような気がします。思春期で、男女共学で、儒教の残骸が残っていたとはいえ、自由な雰囲気があふれていたときは、子供らしい「恋」が花盛りになるのは自然だし、恋の鞘当ても多いかもしれないけれど、それこそが、世の中が明るく朗らかになってくる元、生きる力の源泉ではないでしょうか。

ああそれなのに、それなのに、今の学校という所は、中からカギを架け、文科省の見張りの基に、「恋愛禁止!」偏差値という名のシゴキ棒で生徒達を追廻し無理やり意味もない勉強まで押し付けています。これではまるで、学校という所は、強制収容所になってしまっているみたいです。日本で、今、何処を規制緩和しなければならないかというと、私は、学校で「女らしさ」「男らしさ」を表現することの規制を直ちに廃止せよ!と叫びたくなります。これは、本当の恋愛を経験したことのない、官僚や偉い先生方のヒガミやネタミから来ているのだと、わたしはにらんでいます。

現代インドの聖者バグワン・シュリ・ラジネーンは「宗教的人間とは、存在にイエスをいった人のことだ」といっています。つまり、自分自身を求め、「自分らしさ」を追求していけば、自分自身に目覚めることによって、自分に備わった脳みその働きにより、自然に、女は「女らしく」男は「男らしく」中性の人は「中性者らしく」他人や商業主義に惑わされずに自分自身を表現できるようになるのではないかと思います。そして、それが、社会の中で自然な形で存在する。そのことの為にこそ教育は存在する。私はそう思うのですが、いかがでしょうか。

NO.72013-03-08 06:38:26 sana805 8
茂木さんの言葉、自然体がいいというのは納得です。
茂木さんのような人ばかりだったらきっとジェンダーやフェミニズムなどという言葉も概念も必要ないのかもしれない。

自分にはこだわりがあります。それを拘る理由が自分の周りにあるからです。
自殺者も性差によって数が違う。女性より男性の方が倍近く多い。社会的責任の重積からくるのか、ジェンダー的な社会的風土な育ちの影響か、脳の器質的な思考からくるのか、複合的なのか理由かは個人的にはわかりませんが、ただ関係性の中から生まれるものなのだろうなと思う。

女性である上で、体力的な差として性虐待やDV等受ける不条理もある。
自分も嫌な思いをしたことがある経験上からやはり許せないなと思うこともある。
先入観で決められていた就職の幅の狭さもあったと聞いたことがあります。
例えば電車の車掌やトラック運転手のような運搬関係。今では女性も多く見受けられる。
フェミニズムや男女共同参画の観点思想が女性の生き方の可能性を広げたのではと個人的に思っています。

気楽に話したいならこれ以上書き込みするのは意味ないですが。私個人は。
個人的には気軽に感じるテーマに感じなかったので。
重く不自由に感じるのは、発言するものだけの問題なのかとも思う。
個人的にも、みんなどう考えているんやろうと思う。
連投失礼しました。

NO.62013-03-07 11:47:51 茂木健一郎 15
で、「男らしさ」、「女らしさ」については、生物学的な基盤もあるのだから、そこは無理して差異をゼロにする必要はないと思うし、一方で、違うジェンダーを追求したいという人には、「どうぞぞうぞ」と自由にしていただくことも必要だと思うから、つまり、自然体がいちばんいいんじゃないかと思う。

「男はこうあるべき」「女はこうあるべき」と思っている人は、自分に対しても他人に対しても抑圧的だし、一方でフェミニズム的視点、ジェンダー論的に視点に妙にこだわる人も、なんだか不自由で楽しくなく見える、というのが、実体験に基づく正直な感想です。

NO.52013-03-07 11:45:29 茂木健一郎 5
あーちなみに、この掲示板の「お題」は、このところ、夜間飛行発行人の井之上達矢さん(たっちゃん、元中央公論新社の編集者)が「原案」を出して、「茂木さん、これでいいでしょうかっ!」とメールで投げてくる、というかたちで毎回出されています。

なぜこのようなシステムになっているかというと、私がきょうみを持っているテーマは、どうしても偏りがあるし、また、その、つまり、ビミョーに日本社会の現実から離れていることも多いので、たっちゃんという編集のプロが内角高めぎりぎりに投げ込んでくる、そういうのも必要かな、と思う次第です。

だから、ぼくも、まいかい、「そうだなあ」と思いながら、考えているのですよ!

NO.42013-03-06 18:33:05 chigusaotsuki 18
私は、男女の脳の「構造」については、詳しく、わからないんです。
ごめんなさい。

でも、まだまだ、私の仮説というか、憶測ですが、
男女差というより、個人差というより、
一個人の中の、脳の「機能」の変化には、とても、興味があります。

うまく言えないのですが、私は、26歳のときに、事故にあい、
生まれてから26歳までと、26歳から今に至るまでの、
脳の機能が、まったく、変わってしまいました。

私は、身をもって、脳の機能が、変わることを、経験しました。
生まれてから、26歳まで、
私は、感情的で、自動思考に、悩まされていました。
ところが、事故にあい、26歳からは、
私は、感情的でなくなり、なぜか、自動思考が消えて、
自分で、意思決定できるようになったのです。

おそらく、自由意志がある、というと、
茂木健一郎先生に、怒られそうなので、言わないですが、
脳の機能が変わると、見えている世界が、こんなに変わってしまうのか、とか、
こんな思考ができるようになるのか、とか、気づきます。

もちろん、いいことだけでは、ありません。
私は、考えることが、とてもうまくなったのに、
記憶力が、かなり、落ちてしまいました。

でも、私は、心の中で、毎日、自分に語りかけています。

「私は、茂木健一郎先生の、10分の1しか、新しいことを、覚えられないかもしれない。
でも、私は、茂木健一郎先生の、10倍、考えてみせる!」 ⊂((・⊥・))⊃

それで、男らしさと、女らしさですが、
脳の男女差と一致についての研究は、詳しくないのですが、
その、信頼性が、どのくらいあるのかも、わからず、
中には、ひどい論文もあるのではないかと、ビクビクしています。
茂木健一郎先生のところで、ゆっくり、学びたいと、思います。@(・●・)@

NO.32013-03-06 09:16:42 sana805 8
連投失礼。
terurunさんの感覚すごくわかる。馴染む感覚です。
昔のお見合いのための基準とはなるほど、日本はそういう歴史でジェンダー感が残っているのだなと納得しました。

性の嗜好性セクシャリティとしての差別偏見で思い出す者としてパッと浮かんだのは
以前茂木さんが教えてくれた、アラン・チューリング(Vol.038 2013年01月10日配信 )。
これを読んだときチューリングってどんな人やろうってウィキで調べました。
同性愛で逮捕され、有罪とされ、自分を矯正するために女性ホルモン投与を受け入れ。
ひどい抑圧。。自殺。青酸カリとリンゴ。

イミテーションゲーム、チューリングテストを着想した彼の切ない気持ちをふと感じた気がしましした。今の時代に生きていたら、少しは彼の幸せは叶ったのかなって。

思いつき書き込み失礼。

NO.22013-03-05 23:04:29 terurun 18
「男らしさ」「女らしさ」。。。昔のお見合いのための基準かと思いました。。。

昔は、恋愛結婚の方が稀で、自分で決める結婚などありえない時代もあったわけで

そのために「男らしさ」「女らしさ」と言うある一定の基準を作り、結婚をするに値する

「男らしさ」「女らしさ」を持ち得ているかどうかを見るためのものだと思っていました。。。

つまり、相手の事が分からないからこそ、基準を作る。そのような感じです。

今や、お見合いと言うものは、減り、恋愛結婚が増えただけに、男らしさ、女らしさ等を

考えながら、男女を意識する事は、あるのでしょうか。。。

実際に会う事やつき合う事が可能になった現代、男らしさや女らしさよりも「その人そのもの」を

見る時代ではないでしょうか。。。

自分にとって、相手にとって、しっくり言って、プラスの影響を与え、人生を支え、

その人といることが素晴らしい人生の一部となるなら、

もはや、性別も「〜らしさ」も定義は、いらないかと。。。

この短い人生を如何に素晴らしい人達と出会い、支え合い、素敵な人生を送るか

そのプランは、自分で決める時代ではないでしょうか。

だから、「男らしさ」「女らしさ」の定義も、必要であれば、使えば良いし、必要でなければ、

自分なりに相手を判断したら良いのではないでしょうか。

人に評価してもらうための一つの選択基準でしか、ないと思います。

自分を見るためのものではなく、相手をみるための一つの基準だと思いました。

しかし、性別を通して人を見る事が分からない自分は、正直。。。この問題は、

いまいち分かりませんでした。。。

女だから好きとか男だから好きとかあんまり考えたことがありません。。。

好きな人は、好きだと思っちゃう性格なので。。。(T T)。逆に性を意識した意見を聞きたいです。。。

NO.12013-03-05 16:36:32 sana805 13
そもそも女らしさ、男らしさ、という捉えに戸惑います。
生物学上の性の区別としての性 
性の嗜好性セクシャリティとしての性
それとジェンター的な性
どれを指しているのか。
性差別的、偏見的なことは古今東西多くあるのではと個人的には感じています。