組織と個人のあるべき関係とは?
<組織と個人のあるべき関係とは、どのようなものでしょうか?>
「組織の一人」として働くことと、「一人の人間」として働くことの間に
葛藤がある人は多いと思います。今、原発の復旧作業にあたっている東京
電力の社員もそうでしょう。このことは、正社員と非正規社員の問題にも、
就職活動の問題にも、つながるように思います。組織はどうしても必要な
もので、組織のない社会など考えられません。でも一方で、組織が個人の
自由を奪ってしまうことは事実ですし、日本ではとくにそれが目立ってい
ます。これを機に、組織と個人のあるべき関係について、もう一度考え直
してみませんか?
NO.302011-04-17 17:44:15 cezaimar 0
私はシステムエンジニアなので、組織と個人の関係をネットワークとマシンに例えることにしました。
個人がいなければ組織は名前だけの存在になってしまいますし、目的も発生しません。
また組織がなければ個のエントロピーが拡散してしまいます。
組織が個人に対してあるべき姿とは、個の目的を効率的に分散するロジックを提供すること。
個人が組織に対してあるべき姿とは、組織に目的を与えること、今ある目的を共有すること。
今ある多くの問題は、目的を共有しようとしない、新たな目的を生み出さない個人に対する落胆であったり
個の目的を拾わない、妙なしがらみの為に効率化されない組織に対する不満ではないかと思います。
このような組織と個人の関係(組織における個人の立ち位置)を共有認識することで、はじめて問題解決の道筋が決まってくるのだと思いました。
配信日から今日まで、与えられたテーマについて色々と考えてきたのですが、最終的に抽象的な話になってしまい申し訳ありません。
これからもできる限りテーマに絡んで、考えを揉んでいきたいと思います。
個人がいなければ組織は名前だけの存在になってしまいますし、目的も発生しません。
また組織がなければ個のエントロピーが拡散してしまいます。
組織が個人に対してあるべき姿とは、個の目的を効率的に分散するロジックを提供すること。
個人が組織に対してあるべき姿とは、組織に目的を与えること、今ある目的を共有すること。
今ある多くの問題は、目的を共有しようとしない、新たな目的を生み出さない個人に対する落胆であったり
個の目的を拾わない、妙なしがらみの為に効率化されない組織に対する不満ではないかと思います。
このような組織と個人の関係(組織における個人の立ち位置)を共有認識することで、はじめて問題解決の道筋が決まってくるのだと思いました。
配信日から今日まで、与えられたテーマについて色々と考えてきたのですが、最終的に抽象的な話になってしまい申し訳ありません。
これからもできる限りテーマに絡んで、考えを揉んでいきたいと思います。
NO.292011-04-17 00:55:06 waterlily 0
初投稿です。
組織と個人のあるべき関係・・・
ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために、っていう歌があったような・・・?
私は、町の中小企業のパートで働いています。
きちんとした組織について議論できる方々が羨ましいです。
私のいる職場は、おそらく、組織ではありません。得体の知れないコミュニティーです。
指示系統は曖昧、情報の共有は不徹底、就業規則は(パート用のは)あってないようなもの。
私たちパートの日常にあるのは、
個人個人の思惑と、空気に従って生きるのを最善とする人々の圧力、
安い時給と、人海戦術、および雑談。
ちょっと言いすぎたかも知れません。
真面目で良質な作業、向上心、自分の都合に合わせた出勤が可能なこと、平和な昼食、
および、有線放送もあります。
単に現金収入を得ることさえ、私個人ではできないこと。
個人だけではできない仕事を実現させてくれるのが会社。
良い面も多いし、感謝もしています。
でも、今のままでは、私にとっては、ほとんどカオスの世界です。
職場は、非常事態にあるわけではではないのですから、
定期的な話し合いや、掲示物の管理や、連絡の徹底など、当たり前のことを当たり前にできるはず。
私は、私のいる職場が、以下のようなことが実現する職場になってほしいです。
組織が最低限の義務を果たしていること。
個人が組織の不都合な点を変革できるシステムがあること。
個人個人が、組織とその構成員について、理解し、助け合っていくこと。
それらがなされている場合、それで上手くいかなければ、個人の努力が足りないと思う。
あるいは、個人個人のポジションが、適材適所になっていないのかも知れない。
個人を単純に足し合わせたものが組織ではないし、個人は組織の部品でもない。
組織と個人が、互いに、約数であると同時に倍数となりたい。理想的には、そう思います。
P.S.
「自分たち」が大事な人たちは、本当の意味で、個人(自分や他人)も組織も、大切にできない。
組織は、「自分たち」であってはならない。
組織と個人のあるべき関係・・・
ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために、っていう歌があったような・・・?
私は、町の中小企業のパートで働いています。
きちんとした組織について議論できる方々が羨ましいです。
私のいる職場は、おそらく、組織ではありません。得体の知れないコミュニティーです。
指示系統は曖昧、情報の共有は不徹底、就業規則は(パート用のは)あってないようなもの。
私たちパートの日常にあるのは、
個人個人の思惑と、空気に従って生きるのを最善とする人々の圧力、
安い時給と、人海戦術、および雑談。
ちょっと言いすぎたかも知れません。
真面目で良質な作業、向上心、自分の都合に合わせた出勤が可能なこと、平和な昼食、
および、有線放送もあります。
単に現金収入を得ることさえ、私個人ではできないこと。
個人だけではできない仕事を実現させてくれるのが会社。
良い面も多いし、感謝もしています。
でも、今のままでは、私にとっては、ほとんどカオスの世界です。
職場は、非常事態にあるわけではではないのですから、
定期的な話し合いや、掲示物の管理や、連絡の徹底など、当たり前のことを当たり前にできるはず。
私は、私のいる職場が、以下のようなことが実現する職場になってほしいです。
組織が最低限の義務を果たしていること。
個人が組織の不都合な点を変革できるシステムがあること。
個人個人が、組織とその構成員について、理解し、助け合っていくこと。
それらがなされている場合、それで上手くいかなければ、個人の努力が足りないと思う。
あるいは、個人個人のポジションが、適材適所になっていないのかも知れない。
個人を単純に足し合わせたものが組織ではないし、個人は組織の部品でもない。
組織と個人が、互いに、約数であると同時に倍数となりたい。理想的には、そう思います。
P.S.
「自分たち」が大事な人たちは、本当の意味で、個人(自分や他人)も組織も、大切にできない。
組織は、「自分たち」であってはならない。
NO.282011-04-16 12:26:42 スタッフ 0
こんにちは。いつも真剣な議論ありがとうございます。
(私の問いかけに対しても多くのお返事ありがとうございました)
今、メルマガ18日配信号についての打ち合わせをしたのですが、
みなさんの書き込み内容の深さに
茂木さんも驚いていました。
18日配信号では、
茂木さんの感想と意見が掲載されます。
もう少しお待ちいただけますと幸いです。
掲示板に参加してくださっているみなさんの
「自分たちが何かを得るために、自分たちから働きかける」という行動は、
スタッフとして感動的に嬉しく思うと同時に、
まさに今回の「組織と個人のあるべき姿」の答えになっているように
思います。
一人でも多くの方が
この掲示板を読んでくださるように努力いたします。
今後とも
よろしくお願いします。
(私の問いかけに対しても多くのお返事ありがとうございました)
今、メルマガ18日配信号についての打ち合わせをしたのですが、
みなさんの書き込み内容の深さに
茂木さんも驚いていました。
18日配信号では、
茂木さんの感想と意見が掲載されます。
もう少しお待ちいただけますと幸いです。
掲示板に参加してくださっているみなさんの
「自分たちが何かを得るために、自分たちから働きかける」という行動は、
スタッフとして感動的に嬉しく思うと同時に、
まさに今回の「組織と個人のあるべき姿」の答えになっているように
思います。
一人でも多くの方が
この掲示板を読んでくださるように努力いたします。
今後とも
よろしくお願いします。
NO.272011-04-16 12:17:44 ai0327 0
はじめまして。このような場を設けてくださった茂木さん・夜間飛行の皆さまに感謝です。また、みなさんのお話、うんうん頷きつつ、唸りつつ読ませていただきました。難しい言葉では書けませんが、簡単な言葉で自分の考えをまとめてみたいと思います。
すでにお話のあったコミュニケーションやコラボレーション、というのはとても重要なポイントだと思います。それを阻む問題点をあげてみました。
個人
・依存的にして利己的、他罰的
・自分のことを自分で考えられない
・多様な価値観を認められない
組織
・個人の力を信用していない一方で個人に責任を求めすぎる
・多様な価値観を認められない
・組織それ自身の硬直化
関係性
・お互いに信用しあっていない
・・・個人の集まりが組織であり、その問題点は共通していると言えます。また特徴として依存的ー利己的など「矛盾した関係性を正当化している」点があるように感じます。それはある意味日本文化のひとつの側面であり、否定はしませんが、今は悪い側面も目立っているからこそ問題に繋がっているのではないでしょうか。
では、どうなったらよいか。。。自分なりに思うことは
・個人=自立して誰かのために自分を使う
自分のことがちゃんと出来ていないと、人のことはできませんのでまず自分のことがきちんと行えることが第一歩です。だけど、自分のことだけしか考えていないと具合が悪くなります。自分も他人もアリと言う感覚はその集団の多様な幸せにつながっていきます。自分の頭を使って沢山悩んで、それを他人のため組織のために使っていく。それがまた自分に帰ってくる。関係性は一人では生まれず、相互に働き、循環してる。その中で苦しいこともありますが、喜びも沢山見いだせるのではないでしょうか。
・組織=柔軟なイレモノ
単純に考えると組織は個人の集まりです。大きな動きやすい柔らかいカゴであれば中に入っている人もその枠内で自由に振る舞えるし、枠を飛び越す勇気をもつ人も出てくるかもしれません。ただし、自由だからといって枠がなんでもありでは建設的でよりよいものは生まれないとも思います。くだらない慣習とかではなく、その組織の大元の理念や倫理観・実効的なマインドを共有し育てていけたらよりよくなるのではないでしょうか。
長々失礼いたしました。最後まで読んでいただけると幸いです。
すでにお話のあったコミュニケーションやコラボレーション、というのはとても重要なポイントだと思います。それを阻む問題点をあげてみました。
個人
・依存的にして利己的、他罰的
・自分のことを自分で考えられない
・多様な価値観を認められない
組織
・個人の力を信用していない一方で個人に責任を求めすぎる
・多様な価値観を認められない
・組織それ自身の硬直化
関係性
・お互いに信用しあっていない
・・・個人の集まりが組織であり、その問題点は共通していると言えます。また特徴として依存的ー利己的など「矛盾した関係性を正当化している」点があるように感じます。それはある意味日本文化のひとつの側面であり、否定はしませんが、今は悪い側面も目立っているからこそ問題に繋がっているのではないでしょうか。
では、どうなったらよいか。。。自分なりに思うことは
・個人=自立して誰かのために自分を使う
自分のことがちゃんと出来ていないと、人のことはできませんのでまず自分のことがきちんと行えることが第一歩です。だけど、自分のことだけしか考えていないと具合が悪くなります。自分も他人もアリと言う感覚はその集団の多様な幸せにつながっていきます。自分の頭を使って沢山悩んで、それを他人のため組織のために使っていく。それがまた自分に帰ってくる。関係性は一人では生まれず、相互に働き、循環してる。その中で苦しいこともありますが、喜びも沢山見いだせるのではないでしょうか。
・組織=柔軟なイレモノ
単純に考えると組織は個人の集まりです。大きな動きやすい柔らかいカゴであれば中に入っている人もその枠内で自由に振る舞えるし、枠を飛び越す勇気をもつ人も出てくるかもしれません。ただし、自由だからといって枠がなんでもありでは建設的でよりよいものは生まれないとも思います。くだらない慣習とかではなく、その組織の大元の理念や倫理観・実効的なマインドを共有し育てていけたらよりよくなるのではないでしょうか。
長々失礼いたしました。最後まで読んでいただけると幸いです。
NO.262011-04-15 23:01:51 YasukiYuzawa 0
すごく難しいテーマだと思いますので、初めから正解に向かうのでなく、「こういう場合はあるべき関係は築けない」といった具合にみんなで簡単に(一言で)具体例を挙げながら、もう一度組織と個人のあるべき関係を帰納的に見つけてみませんか?もっと色々な方々の意見を聞いてみたい気がします。
他の方の意見を引用させていただきますが、「上司に怒りを覚えながら こんな会社は辞めてやる・・・」と部下に思わせてしまうような組織では組織と個人のあるべき関係は築けないと思います。
他の方の意見を引用させていただきますが、「上司に怒りを覚えながら こんな会社は辞めてやる・・・」と部下に思わせてしまうような組織では組織と個人のあるべき関係は築けないと思います。
NO.252011-04-15 21:30:37 orcamie 0
こんばんは。皆さんの意見を最初から何度も読み直して
組織と個人の関係は
no.24のhideomisoさんの ”個を受容する関係性が個と組織のあるべき姿”という言葉(とてもいいですね。)に近い意見が多いですよね。
そういう組織と個人の関係を成立させるために
具体的にどういう動き・言葉が有効かとなると難しい問題ですね。
いくつかあったと思うのですが所属する組織を複数にして
個人の充足を満たす組織・生活の為に必要な組織と分けて考えること。
ですが、生活の為に必要な組織、特に職場である組織が
個人の多様性に対して寛大さを持たない限り
個人の人生はかなり制約されるのではないでしょうか。
養老孟司さんの『バカ壁』を読んだ時に
たとえ日本人であっても認識の違いでどうしても乗り越えられないことがあるのだということ、わかってはいても再認識しました。
最近テレビで「日本はひとつ」という文句が聞かれますが
私は「日本はてんでんこ」と言いたいですね。
組織と個人の関係は
no.24のhideomisoさんの ”個を受容する関係性が個と組織のあるべき姿”という言葉(とてもいいですね。)に近い意見が多いですよね。
そういう組織と個人の関係を成立させるために
具体的にどういう動き・言葉が有効かとなると難しい問題ですね。
いくつかあったと思うのですが所属する組織を複数にして
個人の充足を満たす組織・生活の為に必要な組織と分けて考えること。
ですが、生活の為に必要な組織、特に職場である組織が
個人の多様性に対して寛大さを持たない限り
個人の人生はかなり制約されるのではないでしょうか。
養老孟司さんの『バカ壁』を読んだ時に
たとえ日本人であっても認識の違いでどうしても乗り越えられないことがあるのだということ、わかってはいても再認識しました。
最近テレビで「日本はひとつ」という文句が聞かれますが
私は「日本はてんでんこ」と言いたいですね。
NO.242011-04-14 21:51:51 hideomiso 0
はじめまして。
個を受容する関係性が個と組織のあるべき姿ではないかと思います。
時間を見つけて皆さんの意見に絡まさせていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします
個を受容する関係性が個と組織のあるべき姿ではないかと思います。
時間を見つけて皆さんの意見に絡まさせていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします
NO.232011-04-12 00:42:40 YasukiYuzawa 0
組織と個人のあるべき関係は時代とともに変わっていったと考えました。
たとえば、1960年代は高度成長期で、個人一人ひとりの努力が(金銭的には分かりませんが)
少なくとも心理的には報われていた部分が大きかったのではないでしょうか。
多くの業界が活況に沸き、個人の会社に対する帰属意識が強かった。
このため、個人は「会社が潰れるときは自分も一緒に沈む」、「育ててもらった会社に恩返しを」と思っていた。
つまり、個人の価値観と組織の目的が一致していて、
結果的に、組織と個人のあるべき関係が成立していた(両方ハッピー)。
しかし、その半世紀後の現在は、不況が続き、給与所得者の年収は実質減少傾向にあり、
若年層の年金負担の問題などもあり、個人の努力が金銭的にも心理的にも報われない部分が大きくなってきているのではないかと考えます。
時代の変化とともに個人の価値観は多様化し、1960年代当時ほど身を粉にして働くという人は少なくなり、
会社に対する帰属意識も薄くなってきたのかもしれません。
このため、個人は「育ててもらった会社に恩返しを」といった積極的な気持ちは必ずしも持っていないかもしれない。
つまり、組織の目的達成のために組織が個人に要求することと、個人が組織に要求すること(金銭、休日等)に不一致が生じていて、
組織と個人のあるべき良好な関係が成立していない場合が少なくないように見えます。
したがって、仕事に向かう姿勢について、組織の構成員である個人一人ひとりの意識改革はもちろん必要ですが、
組織は個人によって成立しているものだから、組織が個人を大切にし、個人の価値観の多様性や変化を受け入れることも大切だと思います。
そして、「育ててもらった会社に恩返しを」といった積極的な気持ちを個人から抱いてもらえるような組織を構築するのためには、
具体的には、経営者自身に誠実性・倫理観があること及びその経営者の倫理的な行動に関する考え方を組織構成員にメッセージとして伝達し、組織構成員の考え方に変化をもたらすこと、
公正な人事採用・評価制度が構築・運用されていることなどが必要と考えます。
以上、書き込みの内容が重複した部分もありましたが、経営者がイニシアティブをとって上記のようなシステムを構築・運用することが、
組織と個人の両方がハッピーになれる第一歩になるのではないかと思います。
たとえば、1960年代は高度成長期で、個人一人ひとりの努力が(金銭的には分かりませんが)
少なくとも心理的には報われていた部分が大きかったのではないでしょうか。
多くの業界が活況に沸き、個人の会社に対する帰属意識が強かった。
このため、個人は「会社が潰れるときは自分も一緒に沈む」、「育ててもらった会社に恩返しを」と思っていた。
つまり、個人の価値観と組織の目的が一致していて、
結果的に、組織と個人のあるべき関係が成立していた(両方ハッピー)。
しかし、その半世紀後の現在は、不況が続き、給与所得者の年収は実質減少傾向にあり、
若年層の年金負担の問題などもあり、個人の努力が金銭的にも心理的にも報われない部分が大きくなってきているのではないかと考えます。
時代の変化とともに個人の価値観は多様化し、1960年代当時ほど身を粉にして働くという人は少なくなり、
会社に対する帰属意識も薄くなってきたのかもしれません。
このため、個人は「育ててもらった会社に恩返しを」といった積極的な気持ちは必ずしも持っていないかもしれない。
つまり、組織の目的達成のために組織が個人に要求することと、個人が組織に要求すること(金銭、休日等)に不一致が生じていて、
組織と個人のあるべき良好な関係が成立していない場合が少なくないように見えます。
したがって、仕事に向かう姿勢について、組織の構成員である個人一人ひとりの意識改革はもちろん必要ですが、
組織は個人によって成立しているものだから、組織が個人を大切にし、個人の価値観の多様性や変化を受け入れることも大切だと思います。
そして、「育ててもらった会社に恩返しを」といった積極的な気持ちを個人から抱いてもらえるような組織を構築するのためには、
具体的には、経営者自身に誠実性・倫理観があること及びその経営者の倫理的な行動に関する考え方を組織構成員にメッセージとして伝達し、組織構成員の考え方に変化をもたらすこと、
公正な人事採用・評価制度が構築・運用されていることなどが必要と考えます。
以上、書き込みの内容が重複した部分もありましたが、経営者がイニシアティブをとって上記のようなシステムを構築・運用することが、
組織と個人の両方がハッピーになれる第一歩になるのではないかと思います。
NO.222011-04-12 00:31:03 LAMPRIGERA 0
たしかに、自分から一石を投じていくということは重要なことですね。そして、この掲示板での投稿の一つ一つもまた「一石」と言えるでしょう。
たぶんこの場に集っているほとんど全員が、何か変化をもたらすべきだと考えていると思います。しかし、では、「実際に何をどう変えていけばいいのか」というところに関しては、まだまだ漠然としている状態なのではないでしょうか。
もし、多様な意見がこうした場所で出てくるなら、そのなかにこのような難しい問題のヒントに繋がるようなアイディアが表れる可能性が高い。だから、こいう場では、たくさん、多様な発言が出されるといいと思います。
僕は、書きたいことがあるけれど、それを躊躇している人が、まだまだいると思います。だから、どうして発言に対する躊躇があるのかという点についても、考えてみる必要があると思います。
思うのですが、投稿が躊躇される大きな原因の一つは、最初から、あまりにも大きな石を投じなければならないと気負ってしまっているからではないでしょうか?
おそらく、僕たちの多くが受けた学校教育では、いつも他から抜きん出たような「熟達した」人がもてはやされてきたように思います。いつも、そのように「優れた」人物を選びだして、比較に基づいて色々なことを判断してきたきらいがあります。だから、投稿するとなれば、なにか洗練された感じの文章しか認められないように思ってしまうし、それで、自分の石が十分大きなものであると感じられるまでは表現することを躊躇してしまうのかもしれません。
常に秀でているとか、勝っているとかいったことが評価されるので、新規のアイディアやいいものを持っている人でも、ただそれを表現する表面的なスキルが未熟だったりすると、発言すること自体を疎ましく見られたりしてきたかもしれません。こういう過去の経験が圧力となって、あたらしい芽が育つことが阻まれている可能性があります。
この場所ではどんな表現でも、言葉が足りなくても、ちゃんと自分が独自に思ったり考えたりしたことがそこに表現されている限り、歓迎されるべきだという認識が共有され、掲示板からもそれが感じられるといいと思います。「一石」を投じるさらに前の段階として、この場所はいままで経験してきたようなケチな議論の場ではないし、そのような場にはしないぞ、という参加者の決意が重要と思います。
想いをぶつける、それが感動に繋がる一つの行為だと思いますが、それは技巧にこだわらないで、自分の正直な思いや、これまで人の目を気にして言えないでいたようなことを、ポーンと放ってみるようなものかもしれません。
言葉が洗練されれば、それだけ的確に気持ちが表現できるようになるとは思いますが、でも、それは「感動」という観点からすると些細な問題であるように思われます。
たぶんこの場に集っているほとんど全員が、何か変化をもたらすべきだと考えていると思います。しかし、では、「実際に何をどう変えていけばいいのか」というところに関しては、まだまだ漠然としている状態なのではないでしょうか。
もし、多様な意見がこうした場所で出てくるなら、そのなかにこのような難しい問題のヒントに繋がるようなアイディアが表れる可能性が高い。だから、こいう場では、たくさん、多様な発言が出されるといいと思います。
僕は、書きたいことがあるけれど、それを躊躇している人が、まだまだいると思います。だから、どうして発言に対する躊躇があるのかという点についても、考えてみる必要があると思います。
思うのですが、投稿が躊躇される大きな原因の一つは、最初から、あまりにも大きな石を投じなければならないと気負ってしまっているからではないでしょうか?
おそらく、僕たちの多くが受けた学校教育では、いつも他から抜きん出たような「熟達した」人がもてはやされてきたように思います。いつも、そのように「優れた」人物を選びだして、比較に基づいて色々なことを判断してきたきらいがあります。だから、投稿するとなれば、なにか洗練された感じの文章しか認められないように思ってしまうし、それで、自分の石が十分大きなものであると感じられるまでは表現することを躊躇してしまうのかもしれません。
常に秀でているとか、勝っているとかいったことが評価されるので、新規のアイディアやいいものを持っている人でも、ただそれを表現する表面的なスキルが未熟だったりすると、発言すること自体を疎ましく見られたりしてきたかもしれません。こういう過去の経験が圧力となって、あたらしい芽が育つことが阻まれている可能性があります。
この場所ではどんな表現でも、言葉が足りなくても、ちゃんと自分が独自に思ったり考えたりしたことがそこに表現されている限り、歓迎されるべきだという認識が共有され、掲示板からもそれが感じられるといいと思います。「一石」を投じるさらに前の段階として、この場所はいままで経験してきたようなケチな議論の場ではないし、そのような場にはしないぞ、という参加者の決意が重要と思います。
想いをぶつける、それが感動に繋がる一つの行為だと思いますが、それは技巧にこだわらないで、自分の正直な思いや、これまで人の目を気にして言えないでいたようなことを、ポーンと放ってみるようなものかもしれません。
言葉が洗練されれば、それだけ的確に気持ちが表現できるようになるとは思いますが、でも、それは「感動」という観点からすると些細な問題であるように思われます。
NO.212011-04-11 22:14:54 orcamie 0
こんばんは。No.18でいきなり「組織と個人の関係」を抽象的に論じようと
いきなり自分の考えていることを書き込んでしまいました。
まだまだ青い私でした:)
こんな場所ができて自由に話せるのがうれしくてつい後先考えずに書いたのですが
なるべく私的なことを書かないでおこうと言う意識が働いていたようです。
yamanorisuさんの『最初の一歩はどこに?』というスタッフさんの問いかけですが
yamanorisuさんの今回の大震災で世界中が動き出したということばに
うなずけます。
原発で世界中に放射能汚染を及ぼすの可能性の中で
非難の声がありながら
なんと暖かい声が多いことでしょう。
世界中に感謝したいです。
震災がきっかけというより
チュニジアのジャスミン革命からエジプト、リビアそして中東の各国へ
facebook や twitter で コミュニケーションが
幅広く多様につながりを持つことが可能になり
しかも種々のフィードバックができるようになりました。
今まで点と点で存在していたグループ間に繋がりをもたらしたことが大きいと思います。
その中で日本で大災害が起きて、核爆発の危機となり
地球で図らずも一つの危機を共有することになってしまった。
「最初の一歩」はほんとうにどこにあるのでしょう。
一歩の手前は 危機だとおもうのです。
人類存亡の危機。
人間は大変現金で 自分の存在を脅かされて初めて目を覚ます。
生物は皆そうなのかもしれません。
今まで生物の食物連鎖の頂点に君臨してきた人間は 自然によって初めて怯える。
北アフリカや中東の紛争とは別に
日本で起きた災害は、敵は自然という人間の想定外(今日本で大流行の言葉!)の相手。
災害の中での必死の生き残りをかけた物語や
地域を再生しようとする人々の協力や試み
今東北で起きている再生へ向けての動きは まだまだ鈍い動きですが
私は毎日なにか一つ明るい話題を見つけようとします。
震災前には考えられなかったほど真剣に。
これほど真摯に生きようとしている自分がいてよかったと感じています。
おそらく日本中の人がわたしのように毎日を必死に生きようとしている。
自分に真っ正面から向き合おうとしてるのではないでしょうか。
私が思う「最初の一歩」は各個人が誠実に必死に生きようとする姿勢かな。
そして、「最初の一歩」は一つではない・・と思うのです。
あちこちにたくさん小さな「最初の一歩」
一人一人の小さな個人の一歩が大切だと確信してます。
いきなり自分の考えていることを書き込んでしまいました。
まだまだ青い私でした:)
こんな場所ができて自由に話せるのがうれしくてつい後先考えずに書いたのですが
なるべく私的なことを書かないでおこうと言う意識が働いていたようです。
yamanorisuさんの『最初の一歩はどこに?』というスタッフさんの問いかけですが
yamanorisuさんの今回の大震災で世界中が動き出したということばに
うなずけます。
原発で世界中に放射能汚染を及ぼすの可能性の中で
非難の声がありながら
なんと暖かい声が多いことでしょう。
世界中に感謝したいです。
震災がきっかけというより
チュニジアのジャスミン革命からエジプト、リビアそして中東の各国へ
facebook や twitter で コミュニケーションが
幅広く多様につながりを持つことが可能になり
しかも種々のフィードバックができるようになりました。
今まで点と点で存在していたグループ間に繋がりをもたらしたことが大きいと思います。
その中で日本で大災害が起きて、核爆発の危機となり
地球で図らずも一つの危機を共有することになってしまった。
「最初の一歩」はほんとうにどこにあるのでしょう。
一歩の手前は 危機だとおもうのです。
人類存亡の危機。
人間は大変現金で 自分の存在を脅かされて初めて目を覚ます。
生物は皆そうなのかもしれません。
今まで生物の食物連鎖の頂点に君臨してきた人間は 自然によって初めて怯える。
北アフリカや中東の紛争とは別に
日本で起きた災害は、敵は自然という人間の想定外(今日本で大流行の言葉!)の相手。
災害の中での必死の生き残りをかけた物語や
地域を再生しようとする人々の協力や試み
今東北で起きている再生へ向けての動きは まだまだ鈍い動きですが
私は毎日なにか一つ明るい話題を見つけようとします。
震災前には考えられなかったほど真剣に。
これほど真摯に生きようとしている自分がいてよかったと感じています。
おそらく日本中の人がわたしのように毎日を必死に生きようとしている。
自分に真っ正面から向き合おうとしてるのではないでしょうか。
私が思う「最初の一歩」は各個人が誠実に必死に生きようとする姿勢かな。
そして、「最初の一歩」は一つではない・・と思うのです。
あちこちにたくさん小さな「最初の一歩」
一人一人の小さな個人の一歩が大切だと確信してます。
NO.202011-04-10 16:52:13 yamanorisu 0
スタッフさんの「最初の一歩はどこに?」問いかけに。
私の師匠のひとりから学んだこと「感動は人を動かす」。
辞書で調べると、
感動:ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。
感銘:忘れられないほど深く感動すること。心に深く刻みつけて忘れないこと。
とあります。
今、多くの人たちが東日本大震災に「感動」し、日本中、世界中で様々な行動が生まれています。
新しい時代を迎えるのだなと感じられる動きと感じます。
きっかけが、震災という恐ろしく悲しく途方に暮れるような出来事であったことは、とても残念で切ないことだと思います。
でも、人は動き出しました。
そして、今まであった組織の再編があちこちで起こっています。その中で、新しい組織も生まれています。
私たちの感性は、少し鈍りすぎていたのだと思います。
こんなにも大きな出来事でないと感じ動けないほどに。
自分の周りに起こる変化を敏感に感じ取り、咄嗟に、機敏に、臨機応変に行動できる力が弱まりすぎていたのではないでしょうか。
自然の変化(周囲の人の変化、心の変化も含む)を感じ、日々の暮らしの中で常に自分はどう行動するかを考える力をつける環境が、子どもの頃から少なすぎます。
美しい、嬉しい、楽しい、怖い、悲しい、腹立たしい…いろいろな経験を積み重ね、毎日感性を磨いていなければ、どんどん感性は鈍ってしまいます。
そして、感じなくてもいい、感動しなくてもすむ暮らし方がすっかり身に付いてしまった。
前述の師匠は、そんな世の中に、「感動」という石を次々と投げ込み、周囲の心を動かし、膠着化して動かなくなっていたある組織を再生させました。
今その組織の人たちは、子どもから大人、高齢者まで、みんな生き生きと輝いて生きています。みんながその組織のために行動しています。
誰かが石を投げてくれなければ…というのが、スタッフさんの言う「寄りかかり」なのではないかなと思います。
「感動」するのは大変なパワーを必要とします。
それを、普段から「すっ!」と発揮できるには、それが当たり前になっているか、修行して、身につけるかしなければならないと思います。…もしかしたら、甲野善紀さんの武道につうじるのかもしれない…。
子どもは当たり前に、毎日何かに感動しています。それを感じ取り、大事に育てていこうと努力しています。
そして、その子育ての過程で、自分も再修行しています。
仕事の場では、一緒に働く人たちの心が動くよう、努力しています。
時間のかかることですが、自分から心を動かし行動できる人を育てることが、私のライフワークです。
私の師匠のひとりから学んだこと「感動は人を動かす」。
辞書で調べると、
感動:ある物事に深い感銘を受けて強く心を動かされること。
感銘:忘れられないほど深く感動すること。心に深く刻みつけて忘れないこと。
とあります。
今、多くの人たちが東日本大震災に「感動」し、日本中、世界中で様々な行動が生まれています。
新しい時代を迎えるのだなと感じられる動きと感じます。
きっかけが、震災という恐ろしく悲しく途方に暮れるような出来事であったことは、とても残念で切ないことだと思います。
でも、人は動き出しました。
そして、今まであった組織の再編があちこちで起こっています。その中で、新しい組織も生まれています。
私たちの感性は、少し鈍りすぎていたのだと思います。
こんなにも大きな出来事でないと感じ動けないほどに。
自分の周りに起こる変化を敏感に感じ取り、咄嗟に、機敏に、臨機応変に行動できる力が弱まりすぎていたのではないでしょうか。
自然の変化(周囲の人の変化、心の変化も含む)を感じ、日々の暮らしの中で常に自分はどう行動するかを考える力をつける環境が、子どもの頃から少なすぎます。
美しい、嬉しい、楽しい、怖い、悲しい、腹立たしい…いろいろな経験を積み重ね、毎日感性を磨いていなければ、どんどん感性は鈍ってしまいます。
そして、感じなくてもいい、感動しなくてもすむ暮らし方がすっかり身に付いてしまった。
前述の師匠は、そんな世の中に、「感動」という石を次々と投げ込み、周囲の心を動かし、膠着化して動かなくなっていたある組織を再生させました。
今その組織の人たちは、子どもから大人、高齢者まで、みんな生き生きと輝いて生きています。みんながその組織のために行動しています。
誰かが石を投げてくれなければ…というのが、スタッフさんの言う「寄りかかり」なのではないかなと思います。
「感動」するのは大変なパワーを必要とします。
それを、普段から「すっ!」と発揮できるには、それが当たり前になっているか、修行して、身につけるかしなければならないと思います。…もしかしたら、甲野善紀さんの武道につうじるのかもしれない…。
子どもは当たり前に、毎日何かに感動しています。それを感じ取り、大事に育てていこうと努力しています。
そして、その子育ての過程で、自分も再修行しています。
仕事の場では、一緒に働く人たちの心が動くよう、努力しています。
時間のかかることですが、自分から心を動かし行動できる人を育てることが、私のライフワークです。
NO.192011-04-09 01:40:59 LAMPRIGERA 0
メルマガとBBSという、シンプルなツールを駆使してこのようなエキサイティングな場を設けて頂き、感謝しています。夜間飛行というタイトルは、岡本太郎の「夜の会」を彷彿させます。夜の会が、互いに遠慮のない意見をぶつけ合うことで新しい時代を開こうとした場であったように、新しいメディアを用いて新しい動きがこの場で進行しつつあると感じています。
せっかくメールマガジンを登録したからにはは、この機を逃さず、欠かさずに投稿・質問させていただきたいと考えています。素材を提供する側の熱意だけでなく、それを受け取る側の熱意もなければならないことが、このような場を成功させる上で一番むずかしい点だと思います。このような場をつくりあげることは大変なことと思いますが、できる限りの協力をしたいと考えています。
----------------------------
■個人と組織
組織は個人の集まりなので、基本的には実態はないはずです。組織自体について考えるとつかみどころがなくなってしまうので、個人個人が集まって行う「コラボレーション」と、それに伴ってくる「制約」について、考えてみたいと思います。
いろいろな方面で技術が高度に発達した今、何かをやるときに、一人が必要な知識をすべて持っているということはもはや考えられなくなってきました。このような世界では、互いに役割分担することが必要です。
多様な個人が各自の技術を用いて共に働くことをコラボレーションと呼ぶことにします。個人はコラボレーションの中にあって、自分の特性や専門性、それに付随する知識や技能を最大限に生かします。自分の全てを提供しながら、同時にその技術も高めていくことは、たぶん個人の充実の一つの形といえると思います。
ところで、このコラボレーションを円滑に行うためには、一般に「制約」と言われるものが必要になります。制約は、コラボレートするために守るべきルールです。
例えば、夜間飛行BBSでは意見交換は、みんなが掲示板への投稿によって行われます。手段がBBSに限られているのは一つの制約です。しかし、このルールの下で、みんなで効率的に意見を発表し合い、お互いに刺激しあうことが可能になっています。このルールの目的は、みんなが充実できる活動を、効率的に行えるようにすることです。
各人が自分の全力・全能をぶつけて、いいものを組み上げていく中で、命を充実させていくのが本当のコラボレーションだと思います。
----------------------------
ところで、今の組織を見てみると、確かに効率的で、たぶん、みんな全力を尽くしているのに、個人の充実という観点から考えると、疑問符が付いてしまうような「コラボレーション」がたくさんあるように思うのです。このような「コラボレーション」の特徴はどこにあるのか。たぶん協働の目的をどこにおいているのかがポイントなのです。
僕は、多くの組織が、参加する全ての個人の充実に配慮していないと思います。例えば、コラボレーションに参加するごくわずかの人間のためだけの目的が、参加者全員の目的となっている場合がある。
----------------------------
僕は、この時代、「組織」が個人の生の充足を考えてくれることは期待できないと思います。彼らの「コラボレーション」の目的は、個人の充実とは別の視点から考えだされているのです。それか、充実ということをちゃんと吟味しないまま、ただ突っ走っているだけなのではないでしょうか?
だから、当面、個人としては、「個人の充実を考えない組織のなかでどう生きるか?」という問題に対して取り組まねばなりません。
僕は二つの案を出したいと思います。
一つは、自分が充実することを、「組織」が充実することより優先させていくということです。
それでは個人個人が好き勝手を行うカオスになるのではないかと思われるかもしれませんが、もし本気で組織の提供する「充実」に逆らうのなら、まずは徹底的に個人の充実とは何かを問うべきです。そして個人の充実と、他の犠牲や惨めさが共存しうるのか問うべきです。たぶん、自分が充実しているためには、仲間の充実も大切であり、そこに、強制されたものではないルールが生まれるのではないでしょうか。
もう一つとして、横行する「コラボレーション」のあり方と無関係のコラボレーションの場を自分たちで作っていくということです。
組織に属しながらでも、この様な場を設け、そこでクリエイトすることができると思います。ネットメディアにたくさんの工夫を凝らす余地のあるこの世界では、これは可能なことであるように思います。
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せっかくメールマガジンを登録したからにはは、この機を逃さず、欠かさずに投稿・質問させていただきたいと考えています。素材を提供する側の熱意だけでなく、それを受け取る側の熱意もなければならないことが、このような場を成功させる上で一番むずかしい点だと思います。このような場をつくりあげることは大変なことと思いますが、できる限りの協力をしたいと考えています。
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■個人と組織
組織は個人の集まりなので、基本的には実態はないはずです。組織自体について考えるとつかみどころがなくなってしまうので、個人個人が集まって行う「コラボレーション」と、それに伴ってくる「制約」について、考えてみたいと思います。
いろいろな方面で技術が高度に発達した今、何かをやるときに、一人が必要な知識をすべて持っているということはもはや考えられなくなってきました。このような世界では、互いに役割分担することが必要です。
多様な個人が各自の技術を用いて共に働くことをコラボレーションと呼ぶことにします。個人はコラボレーションの中にあって、自分の特性や専門性、それに付随する知識や技能を最大限に生かします。自分の全てを提供しながら、同時にその技術も高めていくことは、たぶん個人の充実の一つの形といえると思います。
ところで、このコラボレーションを円滑に行うためには、一般に「制約」と言われるものが必要になります。制約は、コラボレートするために守るべきルールです。
例えば、夜間飛行BBSでは意見交換は、みんなが掲示板への投稿によって行われます。手段がBBSに限られているのは一つの制約です。しかし、このルールの下で、みんなで効率的に意見を発表し合い、お互いに刺激しあうことが可能になっています。このルールの目的は、みんなが充実できる活動を、効率的に行えるようにすることです。
各人が自分の全力・全能をぶつけて、いいものを組み上げていく中で、命を充実させていくのが本当のコラボレーションだと思います。
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ところで、今の組織を見てみると、確かに効率的で、たぶん、みんな全力を尽くしているのに、個人の充実という観点から考えると、疑問符が付いてしまうような「コラボレーション」がたくさんあるように思うのです。このような「コラボレーション」の特徴はどこにあるのか。たぶん協働の目的をどこにおいているのかがポイントなのです。
僕は、多くの組織が、参加する全ての個人の充実に配慮していないと思います。例えば、コラボレーションに参加するごくわずかの人間のためだけの目的が、参加者全員の目的となっている場合がある。
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僕は、この時代、「組織」が個人の生の充足を考えてくれることは期待できないと思います。彼らの「コラボレーション」の目的は、個人の充実とは別の視点から考えだされているのです。それか、充実ということをちゃんと吟味しないまま、ただ突っ走っているだけなのではないでしょうか?
だから、当面、個人としては、「個人の充実を考えない組織のなかでどう生きるか?」という問題に対して取り組まねばなりません。
僕は二つの案を出したいと思います。
一つは、自分が充実することを、「組織」が充実することより優先させていくということです。
それでは個人個人が好き勝手を行うカオスになるのではないかと思われるかもしれませんが、もし本気で組織の提供する「充実」に逆らうのなら、まずは徹底的に個人の充実とは何かを問うべきです。そして個人の充実と、他の犠牲や惨めさが共存しうるのか問うべきです。たぶん、自分が充実しているためには、仲間の充実も大切であり、そこに、強制されたものではないルールが生まれるのではないでしょうか。
もう一つとして、横行する「コラボレーション」のあり方と無関係のコラボレーションの場を自分たちで作っていくということです。
組織に属しながらでも、この様な場を設け、そこでクリエイトすることができると思います。ネットメディアにたくさんの工夫を凝らす余地のあるこの世界では、これは可能なことであるように思います。
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NO.182011-04-08 11:16:48 orcamie 0
今回のお題:組織と個人のあるべき関係とは
私は社会人になってからあまりきちんとした組織に属したことがありません。諸処の事情からきちんと就職できなかったのですが。
現在は小さい会社を昨年5月から作りスタッフひとりと細々とやっております。年齢もかなり上です。
今までの皆さんの意見を拝見していますと
どうしても組織に偏っているような気がします。
私は組織が一つのまるであるなら
個人も小さなまるである。
二つのまるは対等である。
両方の共通項として
雇用契約等があると思います。
雇用契約の中には給料を払う払われるの関係の他に
どれだけ組織の目的を果たすことに協力できるか
という、目には見えない付随するものがたくさんあるとは思います。
しかし、日本では個人の組織に属さない部分があまり尊重されていないと感じています。『日本ではipadは作れない。』という意見はそんなところから来ているのではないかと思うのです。
それぞれの組織にはある目的があり、会社は利益の追求、学校だったら生徒の教育というようなことになるのでしょうがどんな目的を持っていてもそこに属する個人の多様性を尊重できないことが日本における組織の大きな欠点なのではないかと思います。
ビル・ゲイツ面接試験”How would you move mount Fuji?”を読んだのですが、こんな発想日本の会社にあるだろうか。大学の入試にこういう発想のところがあるだろうか。とても興味深い内容でした。
茂木さんがTwitterでつぶやかれてましたよね。『専門性を軽視する日本のお役所文化』それはお役所だけのことではなく、今回の原発事故の詳細をみていいますと会社もそうなのではないかと思います。
今回のお題『組織と個人の関係』にもどってまとめますと
組織には個人の多様性を許容して生かす度量がもとめられること
個人は自分の多様性を主張し組織に反映していく勇気を持つこと
さらに、個人はその人生の幸福や社会正義の為に組織に異を唱えることの勇気をもつこと。
組織は個人より圧倒的な力を持ちますから
その個人を支える別の組織が必要だと思います。
その意味で組織に異を唱える日本の個人は孤立無援に近いと思います。
私は社会人になってからあまりきちんとした組織に属したことがありません。諸処の事情からきちんと就職できなかったのですが。
現在は小さい会社を昨年5月から作りスタッフひとりと細々とやっております。年齢もかなり上です。
今までの皆さんの意見を拝見していますと
どうしても組織に偏っているような気がします。
私は組織が一つのまるであるなら
個人も小さなまるである。
二つのまるは対等である。
両方の共通項として
雇用契約等があると思います。
雇用契約の中には給料を払う払われるの関係の他に
どれだけ組織の目的を果たすことに協力できるか
という、目には見えない付随するものがたくさんあるとは思います。
しかし、日本では個人の組織に属さない部分があまり尊重されていないと感じています。『日本ではipadは作れない。』という意見はそんなところから来ているのではないかと思うのです。
それぞれの組織にはある目的があり、会社は利益の追求、学校だったら生徒の教育というようなことになるのでしょうがどんな目的を持っていてもそこに属する個人の多様性を尊重できないことが日本における組織の大きな欠点なのではないかと思います。
ビル・ゲイツ面接試験”How would you move mount Fuji?”を読んだのですが、こんな発想日本の会社にあるだろうか。大学の入試にこういう発想のところがあるだろうか。とても興味深い内容でした。
茂木さんがTwitterでつぶやかれてましたよね。『専門性を軽視する日本のお役所文化』それはお役所だけのことではなく、今回の原発事故の詳細をみていいますと会社もそうなのではないかと思います。
今回のお題『組織と個人の関係』にもどってまとめますと
組織には個人の多様性を許容して生かす度量がもとめられること
個人は自分の多様性を主張し組織に反映していく勇気を持つこと
さらに、個人はその人生の幸福や社会正義の為に組織に異を唱えることの勇気をもつこと。
組織は個人より圧倒的な力を持ちますから
その個人を支える別の組織が必要だと思います。
その意味で組織に異を唱える日本の個人は孤立無援に近いと思います。
NO.172011-04-08 01:04:16 YasukiYuzawa 0
はじめまして。YasukiYuzawaと申します。
初投稿です。よろしくお願い致します。
個人からの持ち出しが多くなるようにあるいはフラットになるように努力している人は良いが、
そういう努力をすることは負荷のかかることであり、組織に体力があるのであれば、
組織に寄りかかる方がラクと考えている人が多いように思える件に関して。
自分も組織に対する甘えがないわけではないと思うので、あまり強い口調では言えませんが、
確かに社内では、給料のことも含め、自分の会社に対する不平不満を言っているのを1~2年前位から
よく耳にするようになりました。かと言って、いざ転職の話になると給料との対比で結局今の位置に居座っている。
つまり、少なくない人が「よりラクして給料の稼げる会社はどこか」という視点でしか自分の働く場所を考えていないように感じています。
組織は個人の集まりであって、一人ひとりの個人がお互いに影響し合って一つの組織ができあがっているのですから、
「できるだけ組織に寄りかかりたい」と考えている個人を多く抱えている組織は相対的に業績も良くなりにくいのでは、と考えています。
これを前提とすると、組織の業績を改善させるためには、組織の構成員である個人一人ひとりの意識改革が必要だと考えます。
ただ、個人の価値観もありますし、全員が全員、負荷のかかる努力を自ら実行に移せるとは限らないため、
個人一人ひとりの意識を少しでも変えていけるような努力を組織としてもしていかなければならないのだと思います。
たとえば、「個人の大切な日を組織も大切にしているんだ」ということが、組織の構成員にも伝わるようなシステムを
経営者が積極的に構築することは、組織と個人の関係性を良くする第一歩になりうるのではないかと思います。
稚拙な文章となってしまいましたが、できるだけ素直に自分の考えを書かせていただきました。
皆様、今後ともよろしくお願い致します。
初投稿です。よろしくお願い致します。
個人からの持ち出しが多くなるようにあるいはフラットになるように努力している人は良いが、
そういう努力をすることは負荷のかかることであり、組織に体力があるのであれば、
組織に寄りかかる方がラクと考えている人が多いように思える件に関して。
自分も組織に対する甘えがないわけではないと思うので、あまり強い口調では言えませんが、
確かに社内では、給料のことも含め、自分の会社に対する不平不満を言っているのを1~2年前位から
よく耳にするようになりました。かと言って、いざ転職の話になると給料との対比で結局今の位置に居座っている。
つまり、少なくない人が「よりラクして給料の稼げる会社はどこか」という視点でしか自分の働く場所を考えていないように感じています。
組織は個人の集まりであって、一人ひとりの個人がお互いに影響し合って一つの組織ができあがっているのですから、
「できるだけ組織に寄りかかりたい」と考えている個人を多く抱えている組織は相対的に業績も良くなりにくいのでは、と考えています。
これを前提とすると、組織の業績を改善させるためには、組織の構成員である個人一人ひとりの意識改革が必要だと考えます。
ただ、個人の価値観もありますし、全員が全員、負荷のかかる努力を自ら実行に移せるとは限らないため、
個人一人ひとりの意識を少しでも変えていけるような努力を組織としてもしていかなければならないのだと思います。
たとえば、「個人の大切な日を組織も大切にしているんだ」ということが、組織の構成員にも伝わるようなシステムを
経営者が積極的に構築することは、組織と個人の関係性を良くする第一歩になりうるのではないかと思います。
稚拙な文章となってしまいましたが、できるだけ素直に自分の考えを書かせていただきました。
皆様、今後ともよろしくお願い致します。
NO.162011-04-08 00:16:32 jiji-b 0
こんにちは
私も書き込みの無い掲示板を見つめて一日を過ごした一人です。
人がかかわる「組織」は年齢・性別・居住環境などによって異なると思います。
幼少期の家庭(これも組織のひとつと考えて)学校、職場、
結婚により新たな家庭(配偶者の親との同居)、地域の付き合い、
子供が生まれれば必然的に親同士の付き合いと、加わる組織は流動的。
その中で「和をもって尊しとなす」という日本的な精神で過ごしてきた自分は
いつも個人の自由は二の次であった気がします。
今回のテーマの「組織」がそこまで大きく意味を広げていないのかもしれませんが
自分に限ってそう解釈するとしても、考えをまとめることは難しいです。
語彙の少ない身なのでこれからもうまく思いを述べることは出来ないでしょう。
皆様のご意見を拝見しながら、何か得るものがあればと思っています。
メールマガジン、拝読しました。
配信された茂木さんのお話への感想など話し合える場もあれば
楽しいと思います。
次回配信を 楽しみにしています。
私も書き込みの無い掲示板を見つめて一日を過ごした一人です。
人がかかわる「組織」は年齢・性別・居住環境などによって異なると思います。
幼少期の家庭(これも組織のひとつと考えて)学校、職場、
結婚により新たな家庭(配偶者の親との同居)、地域の付き合い、
子供が生まれれば必然的に親同士の付き合いと、加わる組織は流動的。
その中で「和をもって尊しとなす」という日本的な精神で過ごしてきた自分は
いつも個人の自由は二の次であった気がします。
今回のテーマの「組織」がそこまで大きく意味を広げていないのかもしれませんが
自分に限ってそう解釈するとしても、考えをまとめることは難しいです。
語彙の少ない身なのでこれからもうまく思いを述べることは出来ないでしょう。
皆様のご意見を拝見しながら、何か得るものがあればと思っています。
メールマガジン、拝読しました。
配信された茂木さんのお話への感想など話し合える場もあれば
楽しいと思います。
次回配信を 楽しみにしています。
NO.152011-04-07 13:24:53 YOtomo 0
「組織」と「個人」のあるべき関係を考える上では、茂木先生が、今回のメルマガの中でご指摘されているような、「生きる」という視点(意識)が、大変重要だと考えております。
「組織」は、『ある「目的」を達成するために、「分業機能」を保持した、「個人」の「集団」』である、とすれば、ここでは、「組織」と「個人」の関係を規定する「目的」と「分業機能」の内容について、よくよく検討してみる必要があるでしょう。(「集団」が、ただの「個人」の集まりという意味しかもたないのであれば、「集団」と「個人」との関係については、それほど論考を必要としないと思いますので、ここでは割愛します。)
こういった点から、「組織」と「個人」のあるべき関係について、現時点での私なりの考えを申し上げます。
・「組織」と「個人」は「生きた」関係であるべきである。
・すなわち、「組織」の「目的」は、「個人」が「生きる」ということであり、
「組織」の保持する「分業機能」は「個人」を「生かす」ものでなければならない。
「組織」に属する「個人」は、時に葛藤を抱きます。その原因は、「個人」(ひいては「集団」)の意識の中で作り上げられていく「目的」や「分業機能」には、そのような客観的に意識されることだけでなく、無意識の感覚を含んだ「生きる」という主観的な視点(意識)が、決定的に欠如しているからだと、私は考えます。
たとえば、売上げの不振を脱却するため、上司に「とにかく売りさばけ。このままじゃ、君は首だ!」と脅され、奥さんと幼い娘の写真を胸に秘めて、取引先に頭を下げて回る方もいるでしょう。
そのようなことが、「個人」として心底(意識・無意識に)受容できるのであれば、きっと葛藤は生じることはないでしょう。しかし、時には、どこか違う、という感覚とともに、葛藤に苛まれることがあると思います。上司に怒りを覚えながら、こんな会社は辞めてやる・・・と思いながらも、辞められないといったような。
下記、「目的」と「分業機能」について、一般的に観察される事例を、思いつくままに挙げてみます。
(1)「目的」
顧客満足度向上、株主利益最大化、企業価値向上、生活水準向上、経済成長、安全確保、秩序維持、平和維持、国際的評価向上、人材育成、格差是正、勝利・・・
(2)「分業機能」
体制(業務内容、指揮命令系統、職制など)、規則(法令、規制、社内規則、上司命令など)、制度(成績評価、報酬体系など)・・・
こういった事例について、私「個人」の「生きる」という実感に照らし合わせて、たとえば下記のように問い続けることは、大変意義深いものであると感じます。
・株主のために仕事をすることが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・上司の顔色をうかがい、自らの主張を控えることが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・他者を蹴落とし、出世することが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・部下を脅しながら仕事をさせることが、本当に「個人」を「生かす」ことなのか?
・結果的に規則を破らざるを得なかった人間に懲罰を与えることが、本当に「個人」を「生かす」ことなのか?
などなど。
さて、最後に、そもそも「生きる」とは?
これについては、茂木先生のメルマガ、皆様との自由闊達な議論、そして、日常生活の中で私「個人」が内省しながら感じとられていくものかと、期待しております。きっと、そこには生命哲学、脳神経科学、・・・もろもろの知見もフンダンに織り込まれていくことでしょう!!(勝手に妄想しております、そして、投げやりでスミマセン)
茂木先生および、「夜間飛行」のスタッフの方々に、このような場をいただきましたこと、深く感謝いたします。今後ともご指導の程宜しくお願い申し上げます。
いろいろと楽しみにしております。
「組織」は、『ある「目的」を達成するために、「分業機能」を保持した、「個人」の「集団」』である、とすれば、ここでは、「組織」と「個人」の関係を規定する「目的」と「分業機能」の内容について、よくよく検討してみる必要があるでしょう。(「集団」が、ただの「個人」の集まりという意味しかもたないのであれば、「集団」と「個人」との関係については、それほど論考を必要としないと思いますので、ここでは割愛します。)
こういった点から、「組織」と「個人」のあるべき関係について、現時点での私なりの考えを申し上げます。
・「組織」と「個人」は「生きた」関係であるべきである。
・すなわち、「組織」の「目的」は、「個人」が「生きる」ということであり、
「組織」の保持する「分業機能」は「個人」を「生かす」ものでなければならない。
「組織」に属する「個人」は、時に葛藤を抱きます。その原因は、「個人」(ひいては「集団」)の意識の中で作り上げられていく「目的」や「分業機能」には、そのような客観的に意識されることだけでなく、無意識の感覚を含んだ「生きる」という主観的な視点(意識)が、決定的に欠如しているからだと、私は考えます。
たとえば、売上げの不振を脱却するため、上司に「とにかく売りさばけ。このままじゃ、君は首だ!」と脅され、奥さんと幼い娘の写真を胸に秘めて、取引先に頭を下げて回る方もいるでしょう。
そのようなことが、「個人」として心底(意識・無意識に)受容できるのであれば、きっと葛藤は生じることはないでしょう。しかし、時には、どこか違う、という感覚とともに、葛藤に苛まれることがあると思います。上司に怒りを覚えながら、こんな会社は辞めてやる・・・と思いながらも、辞められないといったような。
下記、「目的」と「分業機能」について、一般的に観察される事例を、思いつくままに挙げてみます。
(1)「目的」
顧客満足度向上、株主利益最大化、企業価値向上、生活水準向上、経済成長、安全確保、秩序維持、平和維持、国際的評価向上、人材育成、格差是正、勝利・・・
(2)「分業機能」
体制(業務内容、指揮命令系統、職制など)、規則(法令、規制、社内規則、上司命令など)、制度(成績評価、報酬体系など)・・・
こういった事例について、私「個人」の「生きる」という実感に照らし合わせて、たとえば下記のように問い続けることは、大変意義深いものであると感じます。
・株主のために仕事をすることが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・上司の顔色をうかがい、自らの主張を控えることが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・他者を蹴落とし、出世することが、本当に「個人」が「生きる」ことなのか?
・部下を脅しながら仕事をさせることが、本当に「個人」を「生かす」ことなのか?
・結果的に規則を破らざるを得なかった人間に懲罰を与えることが、本当に「個人」を「生かす」ことなのか?
などなど。
さて、最後に、そもそも「生きる」とは?
これについては、茂木先生のメルマガ、皆様との自由闊達な議論、そして、日常生活の中で私「個人」が内省しながら感じとられていくものかと、期待しております。きっと、そこには生命哲学、脳神経科学、・・・もろもろの知見もフンダンに織り込まれていくことでしょう!!(勝手に妄想しております、そして、投げやりでスミマセン)
茂木先生および、「夜間飛行」のスタッフの方々に、このような場をいただきましたこと、深く感謝いたします。今後ともご指導の程宜しくお願い申し上げます。
いろいろと楽しみにしております。
NO.142011-04-07 12:34:23 katae7 0
ここに来る皆さんは自ら問う、問題いしきを持っている
ので問題意識の無い人への働きかけだと思う。
組織が硬直するのは、自由さが失われ
個人が”今”を生きてるという、自分の中にある自然との
グルーブ感覚が欠如しているのでは無いかと思う。
今回のような原発事故があると処理に何年も罹るので
外から、絶えず生存の危機が喚起され、個人の存在が問われつづける。
組織と個人のあり方も個人が選んだ組織の運動体を良い方向へ向かっての議論行動勉強運動がなさねなければならないのだと思う。デットエンドを感じたら場所を変える。
自由をもつせきにんはおもい。
ので問題意識の無い人への働きかけだと思う。
組織が硬直するのは、自由さが失われ
個人が”今”を生きてるという、自分の中にある自然との
グルーブ感覚が欠如しているのでは無いかと思う。
今回のような原発事故があると処理に何年も罹るので
外から、絶えず生存の危機が喚起され、個人の存在が問われつづける。
組織と個人のあり方も個人が選んだ組織の運動体を良い方向へ向かっての議論行動勉強運動がなさねなければならないのだと思う。デットエンドを感じたら場所を変える。
自由をもつせきにんはおもい。
NO.132011-04-07 08:47:59 yamanorisu 0
>trasqueさま
なるほど、組織がテーマだけに、システムの問題(^^)
いくらやる気のある人が集まっても、システムが動かなければどうにもなりませんね。
スタッフさん、対応ありがとうございます。よろしくお願いします。
>スタッフさんの問いかけに、取り急ぎ一言。
子どもの時からの育ち方、育てられ方にも、関係があるのではないかと思っています。
なるほど、組織がテーマだけに、システムの問題(^^)
いくらやる気のある人が集まっても、システムが動かなければどうにもなりませんね。
スタッフさん、対応ありがとうございます。よろしくお願いします。
>スタッフさんの問いかけに、取り急ぎ一言。
子どもの時からの育ち方、育てられ方にも、関係があるのではないかと思っています。
NO.122011-04-07 02:00:56 スタッフ 0
こんばんは。担当編集です。
システムや問題設定、告知にいたるまで、至らないところが多々ありまして、申し訳ございません。
全速力での改善を目指しますので、
今後とも何卒よろしくお願いします!
ちょっと私も議論に参加させてくださいね。
個人と組織を関係性から捉えるというのは、すごく重要なことだと思います。
ただ、その関係性は必ずしもフラットなものではありませんよね。
個人が組織を支えている場合もあるかもしれないし、
組織に個人が守られている場合もあるかもしれない。
うまくそれが混ざっている場合もあるかもしれないし、
若い時は支えてもらって、一人前になったら支える側に回っているかもしれない。
それで、
この関係性が「フラット」、あるいは「自分からの持ち出し」が多くなるように、
努力している人は良いのですが、
そういう努力をするのは負荷がかかることですよね。
もし組織の体力に余裕があれば、
「寄りかかる」方が楽チンです。
それでどうも今は、
「寄りかかれる組織を探すイス取り合戦」をしている人が多いのではないか、
というのが、
茂木さんの問題意識のような気がします。
(違うかもしれません)
僕は、
組織の側も個人の側も、
「自分の持ち出し」が大きくなるように努力していると、
お互いすごくうまく回ると、
直感的に感じています。
会社と社員で言えば、
会社は
「まあ、この社員は今はあまり稼げないけど、芽が出るまで支えよう」と思い、
社員は
「自分は給料の何倍も稼いでいるけれども、こういう仕事ができるようになったのは、
この会社のおかげだし、後進のためにももっと頑張ろう」
と思っているような場合は、
会社の業績も
個人のスキルも
うなぎ昇りになることと思います。
しかし、
こういう関係になるための最初の一歩がどこにあるのか、
とんと分かりません。
組織や個人は、
どういう言葉が投げかけられればそうなるのか、
どういう状況に置かれればそうなるのか。
みなさんはどう思われますか?
システムや問題設定、告知にいたるまで、至らないところが多々ありまして、申し訳ございません。
全速力での改善を目指しますので、
今後とも何卒よろしくお願いします!
ちょっと私も議論に参加させてくださいね。
個人と組織を関係性から捉えるというのは、すごく重要なことだと思います。
ただ、その関係性は必ずしもフラットなものではありませんよね。
個人が組織を支えている場合もあるかもしれないし、
組織に個人が守られている場合もあるかもしれない。
うまくそれが混ざっている場合もあるかもしれないし、
若い時は支えてもらって、一人前になったら支える側に回っているかもしれない。
それで、
この関係性が「フラット」、あるいは「自分からの持ち出し」が多くなるように、
努力している人は良いのですが、
そういう努力をするのは負荷がかかることですよね。
もし組織の体力に余裕があれば、
「寄りかかる」方が楽チンです。
それでどうも今は、
「寄りかかれる組織を探すイス取り合戦」をしている人が多いのではないか、
というのが、
茂木さんの問題意識のような気がします。
(違うかもしれません)
僕は、
組織の側も個人の側も、
「自分の持ち出し」が大きくなるように努力していると、
お互いすごくうまく回ると、
直感的に感じています。
会社と社員で言えば、
会社は
「まあ、この社員は今はあまり稼げないけど、芽が出るまで支えよう」と思い、
社員は
「自分は給料の何倍も稼いでいるけれども、こういう仕事ができるようになったのは、
この会社のおかげだし、後進のためにももっと頑張ろう」
と思っているような場合は、
会社の業績も
個人のスキルも
うなぎ昇りになることと思います。
しかし、
こういう関係になるための最初の一歩がどこにあるのか、
とんと分かりません。
組織や個人は、
どういう言葉が投げかけられればそうなるのか、
どういう状況に置かれればそうなるのか。
みなさんはどう思われますか?
NO.112011-04-07 00:45:34 acoyacoya 0
世の中に役立つことがしたい、これが一人の人として働くことへの思い。でも世の中はとてつもなく広くて役だっているのか何だかよくわからない。目に見える組織というフレームの中でやっと実感できる。自分のした仕事がどうだっのか、効果を確認できるのが組織。自分の存在意義、自己認識とリアルに向き合うのが組織の一人として働くことだと思います。
NO.102011-04-07 00:13:43 ts0822 0
続けての投稿失礼します。
ちなみに私は、「組織」と「個人」という言葉上での分類から問題を見るのではなく、
その中での「関係性」を考える事が重要と考えています。
ちなみに私は、「組織」と「個人」という言葉上での分類から問題を見るのではなく、
その中での「関係性」を考える事が重要と考えています。
NO.92011-04-07 00:05:04 ts0822 0
始めまして。
33歳の男で、昨年の5月から看板を上げ、パフォーマンスの仕事を始めました。
trasqueさんの
>契約を受け入れてのメールマガジンですから「勝負観」を持つ
という言葉、私も同じ思いで購読を始めた者です。
どうぞよろしくお願い致します。
★今回について、問題に思う点が二点。
1、問題の設定がアバウトすぎ、何を前提に書きこめばいいのかが分かりにくく思います。
2、今回の茂木さんの話と関連がどこにあるのかが分からず、この論議の意味が薄く感じられます。
ただ、始まったばかりなので、その辺はおいおい整えられていくと思いますので気にせず、とりあえず今回のお題に対して、私の意見を述べさせて頂きます。
★組織と個人の関係
個人は、賭け値なしの思いを持ち、
組織は、その信頼に対して全ての能力を使って、個人へのリテラシー、反論も含め応える。
それと同時に、個人の判断のレベルを徐々に上げる議論のシステムが必要で、その議論から生まれたものが組織を壊す事も出来るべき、
という関係を、基本に考えています。
・・・実際書いてみると、当たり前のことばかりか・・・。
私は現在二名のみで仕事を行っており、行う内容も表現なので、立場が異色ですが(一応代表という事ですので決定は全て私がするのですが)、
一番に考えているのは、相手の心に応える、という事です。
規則や方法を知るより、相手の心にどれだけ添ってその意図を感じ取ることが出来るか、
自分の思いこみや考えの範疇を超えたものをキャッチできるか、
という事を大切にします。
例えばですが、
力強い組織という時の「力強い」とは、
力で抑えつけるのではなく、その対象の中にこもっている魂の数々をどれだけ受け取れるか、
それが「力強い」ということと思います。
「お値段以上、二トリ」じゃないですが、
組織の中でどんどん細分化して最終的に上司と部下二人になった時、
その間で、肩書き以上の気持ちをいかに通わせられるか。
それが組織と個人の在り方の基本であると思います。
33歳の男で、昨年の5月から看板を上げ、パフォーマンスの仕事を始めました。
trasqueさんの
>契約を受け入れてのメールマガジンですから「勝負観」を持つ
という言葉、私も同じ思いで購読を始めた者です。
どうぞよろしくお願い致します。
★今回について、問題に思う点が二点。
1、問題の設定がアバウトすぎ、何を前提に書きこめばいいのかが分かりにくく思います。
2、今回の茂木さんの話と関連がどこにあるのかが分からず、この論議の意味が薄く感じられます。
ただ、始まったばかりなので、その辺はおいおい整えられていくと思いますので気にせず、とりあえず今回のお題に対して、私の意見を述べさせて頂きます。
★組織と個人の関係
個人は、賭け値なしの思いを持ち、
組織は、その信頼に対して全ての能力を使って、個人へのリテラシー、反論も含め応える。
それと同時に、個人の判断のレベルを徐々に上げる議論のシステムが必要で、その議論から生まれたものが組織を壊す事も出来るべき、
という関係を、基本に考えています。
・・・実際書いてみると、当たり前のことばかりか・・・。
私は現在二名のみで仕事を行っており、行う内容も表現なので、立場が異色ですが(一応代表という事ですので決定は全て私がするのですが)、
一番に考えているのは、相手の心に応える、という事です。
規則や方法を知るより、相手の心にどれだけ添ってその意図を感じ取ることが出来るか、
自分の思いこみや考えの範疇を超えたものをキャッチできるか、
という事を大切にします。
例えばですが、
力強い組織という時の「力強い」とは、
力で抑えつけるのではなく、その対象の中にこもっている魂の数々をどれだけ受け取れるか、
それが「力強い」ということと思います。
「お値段以上、二トリ」じゃないですが、
組織の中でどんどん細分化して最終的に上司と部下二人になった時、
その間で、肩書き以上の気持ちをいかに通わせられるか。
それが組織と個人の在り方の基本であると思います。
NO.82011-04-06 18:50:08 trasque 0
yamanorisuさま
私は丁度24時間ほど前に投稿を試み原因不明のエラーにて書き込めずにおりました。
都合によりiPhoneからの入力しか出来ませんのでそれが原因かと問い合わせもしましたが、返答は調査中というようなものでした。その段階ではスタッフの書き込みも確認出来ませんでした。
時間を置いて特に条件を変更せず送信したところ、この度何故か書き込めた次第です。恐らく、似たような方が多いのではないでしょうか?
さて、私は27と若い部類に属するのか分かりませんが、おっしゃる「恐怖心」とは真逆の「いの一番の精神」で書き込もうと致しました。
年齢はどうあれ、契約を受け入れてのメールマガジンですから「勝負観」を持つ方々が集まられていると私は信じております。他ならぬ、茂木さんの導入を読み申し込んだ方々であれば尚更だと思うのです。
私も書き込みの少なさには少しばかりの不安がありますが、先の例もありスタッフの方々のアプローチにも期待したいと考えております。
私は丁度24時間ほど前に投稿を試み原因不明のエラーにて書き込めずにおりました。
都合によりiPhoneからの入力しか出来ませんのでそれが原因かと問い合わせもしましたが、返答は調査中というようなものでした。その段階ではスタッフの書き込みも確認出来ませんでした。
時間を置いて特に条件を変更せず送信したところ、この度何故か書き込めた次第です。恐らく、似たような方が多いのではないでしょうか?
さて、私は27と若い部類に属するのか分かりませんが、おっしゃる「恐怖心」とは真逆の「いの一番の精神」で書き込もうと致しました。
年齢はどうあれ、契約を受け入れてのメールマガジンですから「勝負観」を持つ方々が集まられていると私は信じております。他ならぬ、茂木さんの導入を読み申し込んだ方々であれば尚更だと思うのです。
私も書き込みの少なさには少しばかりの不安がありますが、先の例もありスタッフの方々のアプローチにも期待したいと考えております。
NO.72011-04-06 18:33:16 trasque 0
私は常日頃から「公私混同を極めていく場」として捉えております。
組織と個人の関係は、二にして二に不ず、だと思います。基本的な考え方だとは思いますが、まず抑えるべき点でございましょう。
社会における代表的な組織「会社」ひとつを見てみる、また自分が働く現場そのものを見て考えてみますと、その現場は結局「常に自分の集大成を発揮し続ける場」であるなと感じます。丁度、お芝居の本番のような感じでしょうか。しかしそれだけではないはずです。
現場は能力を発揮し仕事をこなす場であると共に「学び」が所狭しとちりばめられた場でもあるはずです。丁度、大学のように。何を学べるのかはまさに本人次第。仕事の業務、人との対話、生活への活用、哲学の実践……こう列挙した時、組織は個人にとって「総合的(人生的)な大学」であると言えはしないでしょうか。
公私混同という言葉があります。この言葉にネガティブイメージを持つ人は多いと思います。「私的な利益を確保する為」に「公的な権利を濫用する事」という意味ですから、ネガティブイメージで正解なのでしょう。
しかし、本来この言葉が持つ意味を超えて公私混同という言葉だけが一人歩きをしているようにも私には感じられるのです。
「濫用」だけではなく「仕事に私情を挟みこまない」という部分にもこの言葉を適用する事で、拡大解釈としてしまう。そんな「日本人的真面目さ」が反映されてしまった上でのネガティブイメージなのだと思っています。
組織は「総合、人生の大学であり、発表の場」であるならば、公私混同を突き詰めていく事についてこそが「個人」の持ちうる「組織」に対する立派な権利であるとは言えないでしょうか?
朝起きてから仕事に行くまでの準備の中で一体何を考え、見て、学んだのか?
休日を捧げた文化や友好が、自分を毎日どんな人間へと構築していくのか?
仕事の現場において、まさに「いざ、仕事せん!」とする時、
そこにいるのはそれらを総合した一個の人間に違いありません。
もちろん、濫用をせよと言うわけではございません。
普段の生活は組織の「指針」に沿っているのか。普段の仕事は個人の「生活力」が活かされているのか。
やはり私は、組織は「総合的な大学、表現の場」であり、個人は「全人的に勝負しようとするもの」だと考えます。
その為に、組織において「公私混同たるべき」と主張したい次第です。
組織と個人の関係は、二にして二に不ず、だと思います。基本的な考え方だとは思いますが、まず抑えるべき点でございましょう。
社会における代表的な組織「会社」ひとつを見てみる、また自分が働く現場そのものを見て考えてみますと、その現場は結局「常に自分の集大成を発揮し続ける場」であるなと感じます。丁度、お芝居の本番のような感じでしょうか。しかしそれだけではないはずです。
現場は能力を発揮し仕事をこなす場であると共に「学び」が所狭しとちりばめられた場でもあるはずです。丁度、大学のように。何を学べるのかはまさに本人次第。仕事の業務、人との対話、生活への活用、哲学の実践……こう列挙した時、組織は個人にとって「総合的(人生的)な大学」であると言えはしないでしょうか。
公私混同という言葉があります。この言葉にネガティブイメージを持つ人は多いと思います。「私的な利益を確保する為」に「公的な権利を濫用する事」という意味ですから、ネガティブイメージで正解なのでしょう。
しかし、本来この言葉が持つ意味を超えて公私混同という言葉だけが一人歩きをしているようにも私には感じられるのです。
「濫用」だけではなく「仕事に私情を挟みこまない」という部分にもこの言葉を適用する事で、拡大解釈としてしまう。そんな「日本人的真面目さ」が反映されてしまった上でのネガティブイメージなのだと思っています。
組織は「総合、人生の大学であり、発表の場」であるならば、公私混同を突き詰めていく事についてこそが「個人」の持ちうる「組織」に対する立派な権利であるとは言えないでしょうか?
朝起きてから仕事に行くまでの準備の中で一体何を考え、見て、学んだのか?
休日を捧げた文化や友好が、自分を毎日どんな人間へと構築していくのか?
仕事の現場において、まさに「いざ、仕事せん!」とする時、
そこにいるのはそれらを総合した一個の人間に違いありません。
もちろん、濫用をせよと言うわけではございません。
普段の生活は組織の「指針」に沿っているのか。普段の仕事は個人の「生活力」が活かされているのか。
やはり私は、組織は「総合的な大学、表現の場」であり、個人は「全人的に勝負しようとするもの」だと考えます。
その為に、組織において「公私混同たるべき」と主張したい次第です。
NO.62011-04-06 17:04:15 yamanorisu 0
aiaoki19780414alohaさま。
お金、大切ですよね。
お金がなければ、命を維持することができない社会。
みんな必死に働こうとしているのに、うまくいかない人のいる社会。
考えもしなかった震災で、働くことができなくかった人のいる社会。
誰に、どんな生き方、働き方をしている人に、どうお金が配分されているか。
は、社会の成熟度をはかる一つの指標ではないかなと思います。
お金、大切ですよね。
お金がなければ、命を維持することができない社会。
みんな必死に働こうとしているのに、うまくいかない人のいる社会。
考えもしなかった震災で、働くことができなくかった人のいる社会。
誰に、どんな生き方、働き方をしている人に、どうお金が配分されているか。
は、社会の成熟度をはかる一つの指標ではないかなと思います。
NO.52011-04-06 07:19:20 aiaoki19780414aloha 0
組織と個人のあるべき関係について。
組織は学校みたいなもの。お金をもらって社会や人生、人間関係などを学ばせてもらっている。でもそれはあくまでも人生、生活の一部。人生のすべてではない。もし自分にとって学ぶことがあり、向上でき、やりがいがあるなら一つの組織にい続けてもいいけど、最初から骨をうずめようとかずっといようと思ってたら自分自身の成長がない。組織にとってもプラスにならずにそういう人はリストラされそう。
常に自分自身を向上させてくれる、勉強が出来る場所を選ぶべき。そのためには常に自分が成長するよう努力する。ゴールなんてない。自分自身が向上しよう、学ぼうという強い思いがないといけない。どんな場所からも学ぶことは沢山ある。それを見つけられるかどうかは自分次第。組織に依存しすぎず、組織にとって必要な人間になる。自分の人生は自分が主役となり組織、会社は人生のツールのひとつと思う。でもお金をもらって学ばせてもらってるんだから自分の組織・会社がよりよくなるように考えて働くことも大切。どうせ働くなら楽しくよりよい環境で働きたい。そういう場所を与えられるのを待つより作っていけるようになりたい。
働くために生きるのではなく、生きるために働くといった感じかな。組織は大事でも個人はもっと大事。個人が尊重され、個人が確立されてこそ、よりよい組織が確立されると思う。そのバランスをうまくとっていきたい。
組織と個人のあるべき関係とは、個人を充実・尊重しその個人が集まって輪になり組織となり1つの目標・目的をもって力を合わせてより良い社会になること。個人あっての組織だと考える。
組織は学校みたいなもの。お金をもらって社会や人生、人間関係などを学ばせてもらっている。でもそれはあくまでも人生、生活の一部。人生のすべてではない。もし自分にとって学ぶことがあり、向上でき、やりがいがあるなら一つの組織にい続けてもいいけど、最初から骨をうずめようとかずっといようと思ってたら自分自身の成長がない。組織にとってもプラスにならずにそういう人はリストラされそう。
常に自分自身を向上させてくれる、勉強が出来る場所を選ぶべき。そのためには常に自分が成長するよう努力する。ゴールなんてない。自分自身が向上しよう、学ぼうという強い思いがないといけない。どんな場所からも学ぶことは沢山ある。それを見つけられるかどうかは自分次第。組織に依存しすぎず、組織にとって必要な人間になる。自分の人生は自分が主役となり組織、会社は人生のツールのひとつと思う。でもお金をもらって学ばせてもらってるんだから自分の組織・会社がよりよくなるように考えて働くことも大切。どうせ働くなら楽しくよりよい環境で働きたい。そういう場所を与えられるのを待つより作っていけるようになりたい。
働くために生きるのではなく、生きるために働くといった感じかな。組織は大事でも個人はもっと大事。個人が尊重され、個人が確立されてこそ、よりよい組織が確立されると思う。そのバランスをうまくとっていきたい。
組織と個人のあるべき関係とは、個人を充実・尊重しその個人が集まって輪になり組織となり1つの目標・目的をもって力を合わせてより良い社会になること。個人あっての組織だと考える。
NO.42011-04-06 01:51:40 yamanorisu 0
No.2とNo.3、yamanorisuの投稿、前後しました。すみません。
NO.32011-04-06 01:50:37 yamanorisu 0
この掲示板がスタートして丸1日。
メルマガ担当者様の投稿以外表示されていないのは、投稿が無いということですね…。
茂木さんのメルマガの掲示板。
若い人たちがどんどん書き込みをして、熱い議論が展開されるのだろうな。そうしたら、もう若くはないけれど、時々参加させていただこう。と思っていました。
が、書き込みが無いのですね、丸1日。
茂木さんご提案の「私塾」としての掲示板に、丸1日書き込みがない。というこの事態は、今の日本の個人と組織の関係を物語っているのではないかと、少し背筋が寒くなるような危機感を感じ、いつも無鉄砲に書き込みをしてKYだと笑われたり(実際本名のイニシャルはK.Y.)、おばさん的だと白い目で見られたり(実際アラフォー)することを省みず、投稿させていただこうと思います。しかもあえて、挑戦的に。
この事態(丸1日投稿がない)は、このメルマガを購読している人がどのくらいいて、どんな人で、どんな価値観を持っている人たちなのか…がわからないから、自分の立ち位置を決められない…という「恐怖感」から来ているのではないかと感じたのです。
メルマガ001「なぜ日本人はiPhoneを作れないのか」の中で語られているように、今の日本は、肩書きも所属もない「ただの自分」として地に足をつけて発言できる個人が、回遊できる社会ではないという事を、ここに見てしまった気がするのです。
「ここ」は自由な空間なのだから、本当の自分を見つけるために、飛び込んでみたらいいと思う。
自立した個人が、自分の言葉で主張し合うのは、自分の言いたいことだけを好き勝手に言い合うのとは違うはず。
ぶつかり合い、触発しあっていく事で、つながりが生まれ、絆が強まり、柔軟で強固な組織ができあがっていくはず。
ぶつかり合い、離れていく人だっていて当たり前。でもその人たちとつながっていないわけではない。
それぞれが自立した「自分」を持っていれば、いろいろな人がいて、いろいろな組織があることなんか、怖くない。むしろ、次の出会いを楽しみにできるようになると思う。
正しいか正しくないかなんて、動いてみなければわからない。失敗かどうかだって、今はわからない。
死ぬときになったらわかるのかな。そのときにもわからないのかな。
自分を掴んで、人とつながり、命を大切に生きていけたら、たぶん、満足のいく人生だったなって死ぬときに思えるのではないかな…、それは、自分が属した組織にとってもそう悪い結果ではないのではないかな…と思い、いつも自分らしく生きていこうと努力しています。
おばさん(笑)は、打たれ強いので、どんどんぶつかってきてほしいなぁ。
メルマガ担当者様の投稿以外表示されていないのは、投稿が無いということですね…。
茂木さんのメルマガの掲示板。
若い人たちがどんどん書き込みをして、熱い議論が展開されるのだろうな。そうしたら、もう若くはないけれど、時々参加させていただこう。と思っていました。
が、書き込みが無いのですね、丸1日。
茂木さんご提案の「私塾」としての掲示板に、丸1日書き込みがない。というこの事態は、今の日本の個人と組織の関係を物語っているのではないかと、少し背筋が寒くなるような危機感を感じ、いつも無鉄砲に書き込みをしてKYだと笑われたり(実際本名のイニシャルはK.Y.)、おばさん的だと白い目で見られたり(実際アラフォー)することを省みず、投稿させていただこうと思います。しかもあえて、挑戦的に。
この事態(丸1日投稿がない)は、このメルマガを購読している人がどのくらいいて、どんな人で、どんな価値観を持っている人たちなのか…がわからないから、自分の立ち位置を決められない…という「恐怖感」から来ているのではないかと感じたのです。
メルマガ001「なぜ日本人はiPhoneを作れないのか」の中で語られているように、今の日本は、肩書きも所属もない「ただの自分」として地に足をつけて発言できる個人が、回遊できる社会ではないという事を、ここに見てしまった気がするのです。
「ここ」は自由な空間なのだから、本当の自分を見つけるために、飛び込んでみたらいいと思う。
自立した個人が、自分の言葉で主張し合うのは、自分の言いたいことだけを好き勝手に言い合うのとは違うはず。
ぶつかり合い、触発しあっていく事で、つながりが生まれ、絆が強まり、柔軟で強固な組織ができあがっていくはず。
ぶつかり合い、離れていく人だっていて当たり前。でもその人たちとつながっていないわけではない。
それぞれが自立した「自分」を持っていれば、いろいろな人がいて、いろいろな組織があることなんか、怖くない。むしろ、次の出会いを楽しみにできるようになると思う。
正しいか正しくないかなんて、動いてみなければわからない。失敗かどうかだって、今はわからない。
死ぬときになったらわかるのかな。そのときにもわからないのかな。
自分を掴んで、人とつながり、命を大切に生きていけたら、たぶん、満足のいく人生だったなって死ぬときに思えるのではないかな…、それは、自分が属した組織にとってもそう悪い結果ではないのではないかな…と思い、いつも自分らしく生きていこうと努力しています。
おばさん(笑)は、打たれ強いので、どんどんぶつかってきてほしいなぁ。
NO.22011-04-06 01:48:58 yamanorisu 0
先ほどのやや挑戦的な投稿、名乗るのを忘れたと思います。
やまばあ(twitter @yamanorisu)でよろしくお願いします。
やまばあ(twitter @yamanorisu)でよろしくお願いします。
NO.12011-04-05 00:29:37 スタッフ 0
みなさん、こんにちは!茂木健一郎さんのメルマガ担当編集者です(ツイッターでは「中の人555号」)。茂木さんがお題を出す掲示板を立ち上げました!お気軽に書き込んでいただけますと嬉しいです。ここでの議論をふまえて、次号の『樹下の微睡み』で、茂木さんにまとめてもらいます。私もちょくちょく書き込ませていただく予定です。仲良くしてください。よろしくお願いします!